猫と嫁入り

三石一枚

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九話

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 真っ暗な部屋の中心には、丁寧に敷かれた布団が存在していた。その傍らに、食い終わったと思われる白濁色の汁物が入った器と匙。お粥だろうか。食された形跡はあるけれど、まるで数日前からそこにあるように冷えてしまっている。直接触れた訳では無い。だけれど、そう見えるほどまでに翳りがある。
 食したであろう本人は、布団に包まれていた。
 見覚えのある顔、ずっと昔によく突合せたあの顔が、そこにはあった。眼は閉じられ、あまつさえ戸を開けられた気配にすらその身体は反応していない。
 死んだように眠っていた。
 花道の兄さんは、深い眠りについていた。

「あの・・・これって、どういう」

 震える声で、なんとかそう聞く。・・・私が思っていた再会とは、違いすぎた。目を見張るほど違いすぎた。きっと笑顔で私の事を迎えてくれるとばかり思っていた。おばさんも私のことを覚えていてくれたのだし、花道の兄さんも、あのころと比べれば筍のように成長した私に何かしら反応をくれるとばかり思っていた。
 現実は違ったのだ。打ち上げられた魚の如く、花道の兄さんは横たわっていた。名を呼ぶことも阻かれるほどに。

「・・・花道はね。帰郷とは言えど、決して元気に帰ってこれたわけじゃなかったの。上京したあと、一時は元気に過ごせたみたい。だけれど、向こうで暮らしていたうちに病気にかかってしまった。一人で暮らすことが出来なくなったから、こっちに帰ってきたの」

 おばさんは淡々と語る。さっきまでの彼女の愉快じみた話し方ではない。感情の端が見れないほど、その語り口は凍りついていた。

「・・・そんな・・・花道の兄さん・・・」

「・・・これでも、調子がいいみたいね。こうやって眠れてる。だけれど、容態が変わってしまうと眠るのも億劫になってしまうのよ。・・・本当なら起こしてあなたに会わせて上げたいのだけれど、眠らせてあげて」

「・・・花道の兄さんは・・・なんの病気に罹ってしまったのですか・・・?」

「・・・白血病だそうよ。罹ってもう一年程は経つかしらね」

「白血病・・・」

 私はまだ、その病気の事を知らない。名前ですら聞き覚えがないものだった。
 昨今でいう重病と謳われる肺結核や、その類では無いのだろうか。結核は確か、感染してしまうものだと聞くけれど、果たしてその白血病なるものが、どういうものかは分からない。分からないというか、実態がしれない。
 ただ分かるのは、花道の兄さんを見る限り、決して安心出来るものでない事は確かだった。軽度の病気であるならば、このように隔離され、さも荼毘に伏されたかのような管理はされない。
 おばさんの口調からも、かくも深刻な状況なのだという心境が聞き取れるまである。東京からこっちの方へ戻るあたり、その病気は一人で乗り越えられない難病であることを示唆する。でなければ、夢を捨ててまで帰郷することはまず無いからだ。

「それって・・・治るんですか・・・?」

 私の問いに、おばさんは答えなかった。いや、答えなかったと言うよりは、『無言で応えた』と言うべきなのかもしれない。少なくとも、医者などではない彼女から、無責任な言葉は選べなかったのだろう。
 治る、治らないなど、ズブの素人が断定できるものでは無い。判断すらつかないのなら、もはやそれまでだ。
 だけれど、憶測でしかないけれど、私からすると彼がここに戻ってきたこの事を、少しばかり思う所がある。
 治る見込みがあるものであれば、それこそ医療機関で面倒を見て貰うことで、快復するのは確かなのだ。
 経緯がどうであれ、それすら跳ね除けて帰ってきたのだということは。
 花道の兄さんは、或いは・・・。

「・・・花道はね。医者になりたがってたのさ」

「医者、ですか・・・」

 上京した理由というものだろうか。確かにこんな東京と比べてだいぶ辺鄙な場所では、それこそ医者のたまごを排出するような学校は存在しない。上京するもやむなしだったわけだ。
 それにしても、医者になるという夢か。正義感の強かった彼らしい気がする。それが叶っていたのなら、どれだけの人を救うことになっていたのだろう。

「医者になるって言い出したのもね。最初はあなたのためにって言ってたの」

「私の?  何故です?」

 おばさんは俯きながらこう続けた。

「麗かちゃんはね、昔から病気気味だったじゃない。あの頃から私達相葉家と立花家の対立はあったのだけれど、それでも花道はきっとあなたに会いにいってたと思うの。あなたの様子を事細かに私に話しては、可哀想だからなんとかしてあげたいって」

「花道の兄さんが・・・?」

「私みたいな親のせいで、随分と苦しい生き方をせざるを得なかったこの子だけれど、あなたの話をする時だけは、純粋な気持ちで胸の内を語ってくれてたわ。硬っ苦しい事も張り詰めるような顔もせずに、それこそ、これが花道の本当の顔なんだって雰囲気でね」

「・・・」

「・・・ごめんね。こんなこと言うと、この子にも悪いし、許嫁さんの元へも行きづらくなっちゃうかもしれない。だけれど、これだけは言っておかなくちゃって思ってて」

 おばさんは徐に座り込み、動かない花道の兄さん頬を少しばかりその手で触れて、こう続ける。

「花道はあなたの事を思ってたみたい。許嫁が出来たことも勿論いいことよ。だからこそ、この子のためにも、あなたは幸せに暮らしておやりなさい。せめてこの目が開いた時には、あなたの笑顔を見せてあげてね。今みたいに複雑な顔を見せてあげても、この子はきっと喜びはしないから」

 最後におばさんは私の顔を見つめて、ふわりと笑う。
 冷めてしまっているのに、暖かく見えてしまう笑顔だった。
 私は今、果たして、真の意味での笑顔とやらを作ることは出来るのだろうか。
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