猫と嫁入り

三石一枚

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八話

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「あら・・・あらあらあら・・・」

 見覚えのある民家。蘇る数年前の思い出。気を許せた兄のような存在に、しっぽを振る愛玩犬のようについてまわったあの頃、最も出没したであろうあの風景が眼前に拡がっていた。
 決して豪華でない塀と、草臥れきった正面玄関。変わってしまった所は一つとしてない。慣れ親しんだ光景の中で、私は真正面からある人影を捉えた。女性だ。
 髪の毛にはかなりの量の白髪が生えてある。顔に刻まれた皺の数は、決して彼女の歩んだ人生という名の道のりが楽でなかった事を感じさせる。
 だけれど、それでも目の前の彼女は、私の姿に気づくとその表情を明るくする。あのころと変わらない、とても優しい笑顔だった。放たれた驚嘆の声が、私の奥深くに突き刺さる。
 少しだけ、深く呼吸をする。胸がいっぱいになる気持ちが込み上げてきたのだ。気を緩ませればしゃくりあげてしまいそうになる。必死に表情を作るけれど、それでも涙脆い私にはさすがに耐えきれはしない。肩の震えが私の感情を物語る。本当に久しぶりだ。わたしのことを覚えていてくれたのが嬉しかった。

「・・・お久しぶりです。お元気でしたか、おばさん」

「・・・ええ、ええ。元気でしたとも。お嬢さんは大丈夫かい?」

「はい・・・お生憎様、元気でした」

 相葉花道の母上。私の中で最も信頼していた大人の人との再会だった。

※※※※※※※※※※※※

「麗かちゃんが来てくれるとはね。嬉しいなあ。粗茶しかないけれど、どうぞゆっくりしていって」

「ああいえ、お構いなく。私もお伺い立てずに勝手に来てしまったので」    

 おばさん、もとい花道の兄さんのお母さんはそう言って私を持て成してくれた。芳しい冷茶にお煎餅だった。
 決して高価なものでもない。ただそれでも、その心遣いが酷く響いたりもする。
 私の求めている温かさというか、この家の人達は本当に自然な営みが出来てるんだと心底思う。どこか違和感を感じさせたりするものを持ち合わせていない。不協和音のような居心地が悪くなるものもないし、そこにあるべきしてあるような、当たり前の関係性とでも表現すべきか。

「あなたも見ない間に随分と立派になられたわね。最後に見たあなたの面影は勿論あるけれど、今はなんだか凛々しさも兼ね備えてあるわ」

「ありがとうございます。褒めてもらえると、一寸こそばゆいですね」

「最後に会えたのはいつだったかしらね。花道が街から出て行ってしまう前日だったかしら」

「そうなると、本当にずっと前なんですね。最後に会えたのも。・・・あれ以来、姿を見せなくてごめんなさい」

「気にしないで。全然謝ることじゃないわ。こうして、今日顔を見せてくれただけでも嬉しいのだから。・・・ご実家の方はどう?  お変わりはないかしら?」

「良くも悪くも変わりはありません。ああ、でも一つだけ大事な案件が出てきてしまいまして」

「案件・・・?」

「家の方針で、許嫁が出来ました。今日外行きの服が少し気合いが入ってるのも、さっきまで相手方とお付き添いをしておりまして」

「・・・そう。じゃあ、噂は本当だったのね」

「噂・・・?」

「花道が出てってから、めっきりと麗かちゃんとは顔を合わせることが出来なくなってしまったのだけれど、それでも境遇は外からでも幾らか情報が手に入るからね。それで最近、麗かちゃんが身なりを着付けて外出する姿が結構見掛けられてたらしくて、逢瀬する相手がいるんじゃないかって耳にしたことがあったから、ちょっと気になって。ごめんね、まるで盗み聞きみたいなのだけれど」

「いえいえ、確かに最近は向こう方と顔をつきあわせる頻度が多くなっております。目にされる機会はきっと多かった。恐らく、親睦を深めさせようと躍起になってるからだと思いますが」

「そう・・・。麗かちゃんは幸せなのね・・・?」

「・・・」

 幸せかかどうか。彼女のその言葉はきっと、この世間話の体で出された、特に意味を持つ訳でもないものであるとは理解していた。
 何も本当に私が幸せなのかどうかを聞きたい訳では無いのだ。
 だけれど、実際にそうも聞かれると、さっきまでの調子で自然に首を縦に振れない私がいた。湯のみに添えられた手がその場で止まる。二の言葉で行き詰まった私は、どう話を巻き戻すかと頭を回す。
 それほどまでに幸せかどうかという質問は、私にとって強い言葉となってしまっているわけか。立花家と私の中にある壁。それこそ、今までのことも含めてそうだが、私の人生を一方的に決めつけて、幸せというものを勝手に結びつける。
 それは勿論、今回の許嫁の件だってそうだ。表立って婚約をあなたの幸せのためなどと銘打っていたが、裏に存在する立花家と地主一家の紐付で更なる繁栄を狙っているようにしか見えない。
 私の幸せがみんなの幸せとは、母が言った言葉だ。仮にもし、私が花道の兄さんと苦楽を共にすることになったら、立花家も皆も幸せだということなのだろうか。・・・そうはならないはずだ。
 結局大人は子の幸せより、自らの先の事しか視野に入れてない。その為なら、意に削ぐわう相手と結納させることさえやってのける。

「麗かちゃん。大丈夫?」

「え?  あ、ああ、すいません」

 #____#止まった私に対しておばさんの心配の声が上がった。はっと我に返る。

「・・・酷な事を聞いたわね。あなた自身はそこまで、この取り決めには納得が出来てないみたい」

「・・・秘密にしてもらいたいのですけれどね。私には私の人生があると思っています。育ててもらった恩は感じれど、それだけの為に立花家に麗かの一生を捧げる気にはなりません。狭い鳥籠の中で、人に沿って生きていくしかなくなってしまいますから。場合によっては今より縛られるのではないかと、そう思うのです」

「子を思う親の心は本物よ。・・・なんて言葉、聞き飽きたかしら?」

「何度かは聞いたことありますよ。勝手に敷かれた路線をただ走ることに、子が幸せを感じるかどうかなんて事、当事者の子しかわかんないはずなのに、よくもまあって感じですが」

「立花家を存続させたいって心は確かにあると思うわ。栄えたのは本当のことですもの。ここいらの街灯だって、殆どが立花さんの作ったものですし。きっと親御さんも、今より家を強くして、あなたの夫婦がもっと楽できるようにって考えてるのだと思うわ。かと言って、それは確かに、あなたの言うように子供の幸せにつながるかと言われると、正直測れないのだけれど」

「おばさんは、花道の兄さんが家を出ていくと言った時はどう思いましたか?  幼いながらに、彼がこの家を少しでも支えようと努力していたところが垣間見えてましたが」

 私は反対に花道の兄さんの事を聞いた。
 花道の兄さんの決断を、親であるおばさんはどう取ったのか気になったからだ。

「あの子がそういった時は止めなかった。止めるとあの子は本当に立ち止まってしまうんだから。自分の夢があるのなら、それを強く願って、成就できるようにさせてあげるのが親の役目だと私は思ってるから。一人暮らしは慣れてしまえばどうとでもなるけど、私の一身の都合だけで、息子を不完全燃焼のまま生き続けさせるつもりはなかった。花道が望むなら、好きなことをさせて、人生を謳歌して貰いたい。そう思ってる」

 そう言っておばさんは私の対面から立ち上がる。小さく感じる円卓が、更に縮んだかのように思えた。

「話を変えていい?  麗かちゃん」

「はい?・・・ど、どうぞ」

「貴方がここに来た理由はね。きっとおばさんと世間話をしに来たわけじゃないと思ったの。なんたってあの子が帰ってきたんだから。会いに来てくれたんでしょう?  花道に」

 唐突に上がったその名前に、私は息を飲んだ。花道の兄さんはいる。それが肯定された瞬間だった。

「ええ。ただ、なんだか家にいる気配がないというか。・・・本当にいるんですか?」

「隣の部屋にいるわ。会ってあげるといいわ」

 そう言っておばさんは立ち上がり、私を招いてくれた。花道の兄さんがいるとされる部屋に。
 狭い廊下を挟んだ襖一枚向こうの部屋。その薄っぺらい壁を引こうとする寸前、おばさんはこう呟いた。

「・・・子の幸せを願って花道を見送ったことはいい決断だと思ってたわ。だけれど、それに後悔をしてないかと聞かれるとね」

 ・・・後悔はしてないわ、と首を縦に振れないの。
 そう言って彼女は、薄いくせに嫌に厚く感じる一枚の戸を、ゆっくりと開く。
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