猫と嫁入り

三石一枚

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二十七話

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「そういえば、花道の兄さんはこの先どうしようと思っているんです?」

 と、唐突に発したのは私だ。皿を空にして間もなくとなっと時にだ。それはあくまで、沈黙が下りる前に少しでも会話が続くようにとした気遣いであり、下心で言えば、自らの身の上話だけをしていたがために、少しばかりは彼の話も聞いてみたいという浅はかな思慮も含まれる結果の切り出しだった。
 しかし、特に前触れもなく、話の種程度に振ったそれは、冷静に考えればかなり失礼なことであることに気づいた。発してしまった以上取り返しのつかないことではあるが、ともかくそれは、花道の兄さんにして、どうにも返答のしようが厳しい質問だったろう。
 特に、重い病気である彼に対して振るべきものではなかった。この先がどうなるかわからないなど、それこそ彼自身が懸念していることではないか。聞き手にとっては至極誤解を抱かれてもおかしくはない物言いだったと思う。

「あ、すいません。その、いじわるとかそういう意味合いじゃなくて」

 顔が熱くなり、胃に絞られるようなじんわりとした痛みを感じながらも、すぐに取り繕おうとした私に対して、彼の応えは

「どうすると思う?」

 というものだった。悪戯っ子な雰囲気すら感じさせる笑みとともにである。
 私の思惑とは裏腹に、彼はどことなく、質問に対して満足そうなものすら感じさせる反応である。待ってました、とばかりいかないが、よくぞ聞いてくれた、といったものに近い。
 わたしだけが早とちって焦っただけな感じがして、少しばかりの小っ恥ずかしさに襲われてじれったくなった。蒲団の裾をおもむろに指でこね始める。

「・・・なんか嬉しそうではないですか。変な事企ててるんじゃないですか?」

 と、伏目で訊いた私に

「企てとは人聞きの悪い。これは我が人生における最終目標であるのだよ。麗か女史」

 と彼は宣う。我が人生の最終目標、というが、それは現段階の彼が言うには冗句にしてもいやに重すぎる言葉であった。
 彼は幼いころからかなり壮大な物事を発信する逸材だった。それはあくまで虚言という意味ではなく、そういった気概であったりというか、ともかく、彼の言う言葉には決してそれを嘯きで終わらせないのだろうと思わせる何かがあった。子供ながらに、おそらくこういった人が将来えらくなったりするものだとも思っていた。一言で言うなら自分に対する信頼が厚いというべきか。
 おそらく、上京をしたのだって、それは彼の自負が根底にあるのだろう。自身を信じてやまないからこそ行動に移せる、彼らしい動きというか、本当にそういうところは私は見習わなければと思っているところでもあった。現に今でさえ手に枷足の枷、言われるがままに人形をしてあるのだから見習えてるわけでもないが。

 ともかくとして、彼がこういう風に胸を躍らせている状況には、現状で見るに些か不安を覚えるものもある。なんせ、彼自身が体の不都合を一番わかっているはずなのに、それこそ人生における最終目標足るものを目論むそのことこそが、やはりどこか似つかわしくないというか、少しばかり訝しむ気持ちも現れる。
 何を考えているのだろうともなるわけだ。確かに、難病であるからこそ一縷の希望程度の夢を持つことも必要であるだろうが、彼の様子を鑑みるに、それはとてつもなく大きな何かを望んでいそうな気すらする。たとえるなら洞穴を見つけた少年が、冒険を期待するような目をしていた。大望を望む目だ。
 彼の求めるものの正体に湧き上がる興味もまた殺せない状況下、怖いもの見たさで「その、目標とは?」と私は彼に問う。

「ああ。それはだな」

 と、はきはきと彼が理想を語ろうとした途端、彼は何かを思い出したように口を噤み、近視にかかった者のように、目を細めながら私を見つめ始めた。

「・・・? どうしました?」

「・・・いや、・・・そういえば、こんなことをお前に言ったかな、とおもってな」

 と、彼は言う。して、彼はなんともむず痒そうに

「お前を見つけたときにな。お前が俺に言ったんだ。母にも話してないことを」

 と、疑問を浮かべた表情で切り出した。

「・・・なにを?」

 私は正直にいって、ぴんとは来ていなかった。そもそも、彼に運ばれる前の記憶など、毛頭ない。倒れ伏したところまでは記憶にあるが、さしもそこからの記憶はこれと言ってない。あの場で臥して、気が付けばこの場所だった。なんなら、私はもしかして彼と一言二言ほど会話をしたのだろうか。それすらもわからない。なんせあの時は自身のことでいっぱいいっぱいであったのだから、それ他に意識を飛ばす芸当などできるはずもなかったはずだ。

「寝言か何かをいってしまったのでしょうか」

「寝言にしては的を射抜きすぎている。それも恐ろしいくらいに。というか、正直この目論見に関しては、本当に機密だったのだ。俺自身がこうやりたいなと思っただけで、しかし実際、それをするということはだれにも報告をしていない。門外不出の案件でな」

「それをわたしが言ったと?馬鹿な、いくらなんでも、人の心までは見透かすことはできません。まして私は、あなたの情報を一切聞いてないんですもの。例えば、末端の思いを知っていたとしたらば、そこからあなたがするべき行動の一つでも予想することは可能かもしれませんが、そういうわけでもなしに」

「・・・だとするならば、なんだったんだ? どうにも引っかかる言葉を話した後に、お前はぱたりと意識を失ったのだ。しかもお前の口ぶりは、さも俺の目論見の全部を知っているといわんばかりだった」

「・・・して、私はなんと?」

「『遠くにいくといってたじゃないですか』だ。・・・諦めがついてとか何とかも言っていたとおもうが」

 寿命より、溶け出した蝋のほうがはるかに多くなった灯の下で、彼はぽそりとつぶやいた。
 途端に、背筋に電撃のように悪寒が走ったのは言うまでもない。そしてそれは、恐怖によって受ける冷ややかな悪寒ではない事は確かだった。言うならそれは、豆鉄砲を受けた鳩、いや、猫のように、鳥肌というか、毛並みを逆立てて驚くような、そんな節に似る。 
 聞いて私は、少しばかり心当たりのあるその文言に、ふとあの姿が脳裏によぎった。今もなお霧に在るようなぼんやりとした記憶の中で、体を濡らす雨粒の世界を思い出した。臙脂の陰に隠れる、小さな影。夜より暗く、暗闇より黒い、あのビー玉のような目を持つ生物。小さくあざとく、不可思議にも人語を操るあの存在は、いまさらながら、何か彼と通ずる何かがあると私は思った。
 かの猫が嘘をつくようなものでないと仮定しても、あの口から紡がれた一度目の人生とやらと、境遇が似ている。もちろん、二度目である以上、一度目の命は途絶えてなければならないだろうが、現状のこの人は、それに見合うような状況を右往左往していたといっても過言ではなかったはずだ。

「それは・・・」

 とまで口にして、なおも私は言葉を遮断する。ふとよぎった何かしらの予感を、私はあわてて払拭したのだ。

 果たしてその先の言葉は、私は口にしてよろしいのだろうか。現実にあるものにしては、いささかかけ離れた出来事すぎる。
 何より、信じられるだろうか。斯様に物の怪じみたことなど、あろうことか。さりとて、猫の九生という物語があるのも事実。わたしはあの話を、ただの奇怪な創作であると捨て置きたくはなかった。なおさら、かの猫との邂逅によって、ことさらにあの逸話に恋をしたことも事実だった。語り部がそれを時代に紡ぐのは、確固たる背景があるからに違いない。私がそういった話をなまじ信じてしまうのは、そういう裏を信じてみたくなる性分が存在しているからだった。人に対して、無垢で純粋であるともいえるし、それは騙されやすい、懐疑心を持たぬ阿呆とも嘲られるべきところでもある。

 しかし、もし仮に、あの猫が残したと思われる手紙が、彼の手によって一筆認めたものだったとして、その予感が現実のものだったとして、しかし私はそれにどう答えればいい。
 どう応えてやればやればいいのだ。
 手紙の内容は、今でも覚えてある。感謝の言葉と、これからの決意。そして文末には、訣別ともとれる文章が添えられてあった。少なくともそれを、私は拝見しているし、そしてその意味もくみ取っていたつもりだ。もちろん、その時は猫との別れであるとしか思っていなかったために、それを書き記したのが目の前にある彼とは思っていなかった。彼からすれば、私がその正体であると知ってなかったにせよ、ああまで心に決めた文句を書き連ねたのに、それからわずかで、目の前に私がいる。彼の言い分からしておそらくは、臙脂の傘の持ち主が私であるとは知らないのだ。面白おかしいが、いやしかしやはりちっとも面白くもおかしくもない。

 幾分かの懐疑は残るが、なんとも意地悪なものだろう。奇妙な運命であるとすら感じる。彼が先言ったように、巡り合わせとやらのつながりだろうか。だとしても本当によくできた図柄だ。寸分違わずこうまで、つじつま合わせをするような、悪意じみたものすらも感じてしまう。例えばこれが意図して作られたものだとするならば、作り手は実に性格が悪い。そんなものはいないだろうがとかく、結局はわたしもいつか決意の表れを胸にして花道の兄さんとは会わないと決し、そして花道の兄さんも私に対して、おそらく今生の別れだと示唆するものを添えて消えたくせに、それからそう時を経ずにこうも顔を合わせることになっている。

「・・・どんな意味でしょう。いえ、もちろん、私自身その言葉を覚えてはないのでどうという意味もないのですが。あなたはどう思ったのです。それを聞いて」

 いろいろと問いたい気持ちもとりあえず脇に置き、彼の次の言葉を促した。
 私が意識を断つ寸前に口にした言葉を、彼がどのように受け取ったかを知りたかった。
 彼からすらば、確かに不思議なはずだろう。自身の心の下にしか置きやらなかった身の思いを、こうまで当てる人物があるとは。それこそ私なら、覚りの類(心の内を読み取る妖怪である)と疑るかもしれない。
 正直、彼がこのことを誰にも打ち明けてないということ自体で少し疑心が入る。ともあれ、私が彼のこれからを知ったのも、正しくあれば彼が自ら書いたあの文からなのだから。完璧な門外不出ではないだろうに。
 もしや、猫であった時の記憶がないのだろうか。などと余計な事を思っても、それを本人に聞く勇気は私にはない。

「どう思ったか。単刀直入に言えば、驚いた。しかし、それ他に思うものもなかったな」

 との簡素な感想。
 「ああ、そうですか」と軽い相槌を私は打って、話は終わった。

「さっきの夢の話だがな、俺はこの日本を旅してまわろうと思ってたのだ。向こうでは勉学だけに打ち込んでたわけじゃない。少なくとも飯を食うだけの仕事はしてたさ。それがたたったのかもしれないが、とかく、貯蓄もあるし、そいつを元手にな」

 と彼は言う。その内容は、手紙に書かれたものとは想像できる規模は違うが、しかしある程度やはり被るものがあった。
 あの猫、もとい彼は、もう先が長くはないとも言っていた。ともすれば彼の言う旅の目的も、きっとざっくりと、世界を見てみたいというものなのだろう。
 奔放さは実に彼らしいものである。あの愛らしい物影が彼に移ろう。うらやましく、妬ましいほどに、彼は猫ほどの行動力と、冒険心を持ってあるのだ。

「それはご立派なものですね。・・・なんなら、私も連れて行ってほしいくらい」

 ため息交じりにそう吐き捨てる。私にとってはそれは、夢であっても見切れない話である。鳥かごにある鳥であっても、空が望めるからはばたく夢を見るというのに、私にしてみれば室内で飼われる鳥のようで、空を知らなければはばたく夢すら見ないものだろう。別の県があって街がある、なんてことをまともに考えたことなど露ほどもなかった。

「・・・それはどこまで本気か?」

 一瞬、焔が揺らいで部屋が暗闇に染まる。瞬く間に、橙色の灯が命を持ち直したように部屋を再度照らす。
 静まり返った部屋の中、私は反応ができなかった。唐突に突かれた彼の文言の意味をとらえきれず、口に反芻し、脳に聞き直し、それでもなお、その全貌はすべてを望めない。
 怒ってしまったのだろうか。その声には、どことなく真剣さをはらんでいた。突き刺すような強い言い方ではないが、しかし確かにその言葉は、胸にしこりのように刺さる。
 どこまで本気か、そう彼は言った。それは確かだ。だが。
 『どこまで本気か』なぞ、どんな心境で彼は吐いたのか。うつむいたままの彼の顔など、その表情から読み取れるはずもなく。

「・・・えっ」

 体が少しこわばる。困惑をしているのだ。連れて行ってほしいくらいだと言ったからなのか。
 それがどれほどの覚悟で言ってあるのかと、彼は問うたのか。
 彼は少しだけ顔を上げた。ほんの一瞬だけ、視線が合う。私は弾かれるように顔を背けた。

「・・・時代なら、駆け落ちしてもおかしくはないじゃないか。一人は金持ちの娘、もう一人は貧しい男。親が賛成してくれるはずもなく、是が非にも、いつかは上の判断で切り離される身の上の二人。ならばどこか遠い地に逃げ込んで、そこでひっそりと暮らすのだ。そうする以外に、一緒に暮らせる方法はないのだからと」

「それは、あなたは・・・」

 二の次の言葉は出てこなかった。
 生唾が痰のように絡む。喉は荒れてしまうほど枯れていた。
 少し経って、彼は完全に顔を上げて、しっかりと笑う。

「なんて、言ってみただけだ。本気にするな。よくある話だろう。特に恋愛小説なんかで言えば、かなりベタな域だともいえる。いくらなんでも、俺にお前の生活を壊せるほどの気概はない」

 「ただ、似ているな、と思っただけだ」。彼はそう言って、黙ってしまった。

「・・・馬鹿」

 罵りの言葉が口をつく。意識をせず、水があふれるようにポロリと出た言葉だった。少なからず、私自身どこか淡い期待を持ってしまったのかもしれない。
 ともあれ、胸が軽くなった気さえした。事実、これが本当に彼からの誘いだったなら、私はどう返答してしまっていただろうか。

「減らず口を。あなたこそ、どれだけ本気でそんなことを」

 冷たく叱責するように咎めた矢先、彼は頬を掻きながら

「多分、お前が思ってるほどには・・・」

 と漏らした。
 人の気を知らない人だ。
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