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六話 一足だけ
しおりを挟む「あの人なんなんですか」
と、つい愚痴っぽい言葉がこぼれてしまった。皿を拭きながらそう言った俺に、ジャガイモを下ごしらえしながら斎藤さんが苦笑する。
「あれで、優秀なんだ。アパレル持っててね。成功してるし、うちみたいなレストランに、何か所にも出資してる。まあ、ビジネスの嗅覚は鋭いんだ。変態だけど」
「……色々と変態ってだけでマイナスになりますよね」
思い返せば、雨下が持ってきた靴はどれも同じ袋に入っていた。多分、雨下が手掛けているアパレルの商品なんだろう。足フェチがこだわって作った靴だ。間違いない。
金持ちとか成功してるヤツは変人が多いとは聞くが、雨下もそのたぐいなのだろうか。俺は一生、成功しなさそうだ。
「……なんか、雨下が悪いね……。嫌だったら、ハッキリ言って良いんだよ?」
「いや、なんというか……はい……」
別に無理強いされたわけではないが、どことなく押しの強さがある男だと思う。結局、誘惑に負けて古いスニーカーを売ってしまった身としては、何とも言えない気分だった。
◆ ◆ ◆
俺のアパートは、築四十年を超えるおんぼろアパートという奴である。湿気を吸ってたわんだ畳に、長年の汚れがこびりついたまま落ちない、黒ずんだ床。壁のタイルのカビも同様に、もはや模様と化していて落ちることはない。給湯システムなどという立派な物はなく、ガス式の湯沸し器――これは温度が安定せず、すぐに水になったりする……。間取りは玄関を開けてすぐ小さなキッチンがむき出しになっており、廊下の一角に洗濯槽置き場。もっとも、洗濯機は持っていないので、ここは物置になっている。と、廊下というのもおこがましいほどに短い廊下の先にある小さな四畳半。それと、入居したときにここだけは新しくしたらしいシャワーだけである。風呂場は、元は追い炊き式の小さな浴槽を置くスペースがあったらしいが、浴槽を取り払い、シャワーだけの一番小さな浴室タイプだ。
東京の公衆浴場の価格は現在五百五十円で、一カ月利用すると一万六千五百円かかる。つまり、シャワーのほうが経済的だ。それでも、たまに湯船に入りたくなると、近くにある銭湯に行く。
何をするにしても金のことを考え、金に振り回される生活だ。
「はぁ……」
疲れた体を引きずり、どっかりと畳に座り込む。折り畳みのテーブルの上に、ビニール袋をとさっと置いた。中身は、斎藤さんがこっそりくれた余りもののオードブルだ。これは明日の朝食になる。斎藤さんには本当に頭が上がらない。
(……学費……払わないとな……)
大学の費用は、生前母が貯めていた。だが、あと少し足りていない。母親の、『大学だけは絶対に卒業して』という言葉がなければ、とっくの昔に学生なんかやめて、働いていたと思う。もちろん、今よりいい仕事があるとは思っていないけど。
「そう言えば、雨下さんのくれた靴……」
俺は紙袋の中に入れて持って帰って来た、この家には不釣合いなほどピカピカの靴に意識を向けた。結局、歩いて持ち帰るには十二足は多く、三足だけ持ち帰って、あとは店のロッカーに保管してきた。箱から靴を取り出して、眺め見る。取り出したのは革製のサンダルだ。モデルが履いていればカッコいいだろうが、俺が履いてもファッションが追い付かない気がする。
「すげえ、カッコいいな……。この匂い、多分本革だよな?」
鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。革製品特有の匂いがあった。見た目もさることながら、素材も良いものを使っている。つまり、このサンダルは高いものだ。
(本当は値段とか調べるべきじゃないんだろうけど……)
十二足も貰ってしまったことを考えると、ちょっと知りたくなってしまう。貰ったものの値段を調べるなんて、普段だったら絶対にしないのだが――。
もの知らず過ぎて失礼になるのも良くないはずだ。
誰に言うわけでもなく、言い訳をするようにそう思いながら、スマートフォンを操作する。ショッパーと箱に描かれたロゴは、同じものだ。検索画面で検索すると、すぐに公式らしいホームページが表示される。
(多分、これだ)
センスの良い服を身に纏ったモデルの写真が表示される。どうやら靴以外にも、服と時計、鞄などのアクセサリーも扱っているようだ。画面をスクロールさせて靴の項目を確認する。どの靴もカッコよく、センスが良い。
「うわ。これカッコよ……。ってか、高っ……!」
今季の目玉らしいアイテムは、八万九千円もした。見たことのない値段に、驚いて目を丸くする。まさか自分の貰った靴も、高いんじゃ。と、画面をスクロールさせると、目の前にあるサンダルと同じものを発見する。流石に、目玉商品よりはぐっと安い。安いが。
「二万、四千円っ……!?」
普段、ワンコイン以下で食べられる牛丼すら、滅多に食べられない俺だ。そんな俺が、二万四千円の靴など買えるはずもないので、当然、ここにあるのは場違いな靴ということになる。この一足で、牛丼四十八杯分である。毎日牛丼を食べてもお釣りがくる。
「は? え? まさか、他の靴も?」
持って帰った靴を、片っ端から検索にかける。どの靴も三万円近くする。スニーカーに至っては、六万円を超えているものもあった。
「――いや、待て。待て待て。さすがに高すぎる」
雨下の言動に、眩暈がしてくる。確かに、雨下が勝手にしたことだし、そもそもこれは賠償金代わりなのだから、それでいいような気もする。だが――。
みずぼらしい自分に、靴だけが立派なアンバランスさ。それを想うと、素直に受け取る気持ちが急速に萎えてきてしまった。
(そもそも、サンダルなんか、履かないんだし……)
自分の人生で、サンダルを履いたことはなかった。つまりは、サンダルを必要としたことなどないのだ。
(一足だけ――一足だけ、貰おう)
当初の予定通り、ダメになってしまったスニーカーだけ。それだけを貰って、あとは雨下に返してしまおう。
そう思いながら、俺は深いため息を吐いたのだった。
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