【完結】胎

七瀬菜々

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CASE2:木原愛花

5:蓄積(1)

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 あの後、隆臣くんと話してるところを見ていたゆかりから地味な嫌がらせを受けたり、高校最後の文化祭で盛大な裏切りを受けたりと色々あった。
 だけどあのカラオケ以降、隆臣くんはちょくちょく私を助けてくれるようになって、私の中での彼の印象は大きく変わって行った。
 今もこうしてあずさたちと友達でいられるのはあの時、隆臣くんが私たちを繋いでくれたからだし、私は隆臣くんにはとても感謝してる。
 
 だから、大好きな彼と結婚できたことはとても幸せなことだった。
 高三から付き合い出して、そこそこ長い期間同棲もして。本当に長い期間、大切に愛を育んできた末の結婚。
 幸せになれないわけがなかった。

 それなのに、いつからだろう。
 家に帰ることが苦痛に感じ始めたのは。

  
 *


 美容院から帰宅した私は大きく深呼吸をして家の鍵を開けた。
 そして家の中から漂う彼の匂いに、ほんの少しだけうんざりする。

「……ただいま」
「あ、おかえりー」

 ソファで寝転びながら映画を見ていた隆臣くんは、呑気な笑顔で私を出迎えた。
 私はそんな彼に義務と化しているただいまのキスをして、ダイニングテーブルの上に散らばったゴミを片付け始める。
 ベランダには取り込まれていない洗濯物。ソファの下には脱ぎっぱなしの裏返しの靴下。
 多分、台所のシンクには昼食に使ったと思われる皿が、水につけられることなく放置されているだろう。見なくてもわかる。

「……ねえ、隆臣くん」
「んー?何?」
「この状況見ても何も思わないの?」
「ん?」
「私、今あなたの散らかしたゴミを片付けてるんだけど」

 お腹の大きな妻が、しゃがむことさえ辛い妻が目の前で掃除をしている。この状況を見てもあなたは本当に何も思わないの?
 私は願いを込めてジッと彼を見つめる。すると隆臣くんはごめんごめんと、ソファから体を起こして私を抱きしめた。

「いつもありがとう。愛してるよー」

 子どもをあやすように頭を撫で回し、頬にキスをする彼。……いや、そういうことじゃなくて。

「結構、バッサリ切ったね」
「うん」
「似合ってる。可愛い」
「……え?」
「ん?」
「いや、切らない方がよかったって言われると思ってたから」

 長い髪をゆるく巻いているのが好きな隆臣くんが結べないくらいに短く切った髪を褒めてくれるなんて思わなかった。
 単純な私は、こんな些細なことに喜んでしまう。本当、馬鹿みたい。

「ピンクも良いじゃん。やっぱ、愛花はピンクがよく似合うよ」
「隆臣くん」
「なに?」
「すきぃ……」
「知ってるー」

 隆臣くんはとても愛おしそうにぎゅーっと私を抱きしめた。
 この人は高校の時から変わらないテンションでずっと私にをしている。そしてそれは私も同じで。
 私たちは結婚して、妊娠した今でもなお、互いに恋をしている。
 それを私は幸せだと思っている。大好きな人と毎日一緒にいられるなんて、これほど幸せな事はない。本当に心からそう思う。
 でもたまに考えてしまうんだ。今まで愛だと思って育んできたものは、実は違ったのかなって。
 私たちの間に恋はあっても愛はないような気がするなって。

 私は私を抱きしめる彼の腕をそっと解いた。

「私も洗い物するから、洗濯物取り込んでおいてくれる?」
「えー」
「えー、じゃないの。私はこれから晩御飯も作らないとダメなんだから」
「ちぇー。わかったよ」
「ありがとう、隆臣くん。お願いね」
「はいはい」

 隆臣くんは渋々、ベランダへ出た。窓からは蒸し暑い夏の空気が一気に流れ込む。
 ああ。きっと彼はこの後、取り込んだ洗濯物をそのままにして再び映画を見出すだろうな。
 私はキッチンからそんな彼の様子を窺いつつ、今度は『畳んで欲しい』とするのだ。そしてしてくれたことに対して、『ありがとう』と言うのだ。
 
 私は催促しないとありがとうの言葉ももらえないのに。
 
「……なんで、私だけ」

 無意識に呟いてしまった私はハッとして口を抑える。
 それは結婚するときにママから言われた言葉だった。
 
 『“どうして私だけ”って思い始めたら、夫婦は終わりよ』

 子どもが産まれたら変わるなんて嘘。父親の自覚が持てない奴は一生持てない。結婚を失敗したママはパパのことをいつもそうやって恨めしそうに語っていた。
 パパは私にとっては良い父親に思えたけど、ママにとっては最悪の夫だったらしい。
 案の定、洗濯物を取り込むだけで満足した隆臣くんの背中の向こう側に、私たちの未来が見えた気がした。

「いかんいかん。弱気になるな!」

 私は自分の頬を叩き、気合いを入れる。
 大丈夫。私は失敗大丈夫。
 夫は育てるものって言うし、私が隆臣くんはを立派な父親に育てればいいだけだ。
 
「今日の晩御飯は何にしようかなー?」

 私はこの日、自分の中に芽生えたモヤモヤを見なかったことにした。

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