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第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精
37:ハル(2)
しおりを挟む「これね」
「ですね」
アイシャは例の墓の前に膝をついた。後ろの天幕から伝わる緊張で手が震える。
けれど今更怖気付くなんて許されるわけもなく、彼女はわずかな隙間から見える、美しい橙褐色の衣を引っ張った。
すると手にわずかな抵抗を感じた。だが衣はすぐにこちら側に引き込まれる。
「……いるわね」
「はい」
これはあちら側に誰かいることが確定した瞬間だった。
アイシャは大きく息を吸い込み、深呼吸した。
「開けるわよ」
「はい」
テオドールは短剣を構え、アイシャは墓石に手をかけた。
石の冷たい感触が手袋越しでもわかる。
きっとこの穴の存在を知られた魔族は、何もしなくともこちらへ子どもを送ることをしなくなるだろう。穴の向こう側にいるであろう子どもを追い返してやれば、その時点で最低限の目標は達成されたと言える。
後はこの穴も塞いでしまえばそれでいい。そうすればまた、マリーナフカが現れる前に戻ることができる。
それが一番安全で、手っ取り早い。
(でも、それだけでは何も変わらない)
アイシャは緊張で早くなる鼓動と手の震えを感じつつも、ゆっくりと墓石を横にずらした。
すると小さな穴から、紅い瞳を大きく見開き、こちらを覗き込む小さな男の子がいた。
その瞳以外に魔族の特徴が見られないことから、やはりマリーナフカだろう。
少年は穴の先にいたのが老人ではなく若い女であったことに驚いたのか、後ろを振り返り、助けを求めるように叫んだ。
アイシャは地面に這いつくばり、穴から手を伸ばし、その場を離れようとする少年の手を掴んだ。
『あなたの母? 話 したい』
拙いが、それは魔族の言葉。アイシャがテオドールから教わった言葉だ。
アイシャの優しい声色も相まって少年は彼女を魔族の仲間と思ったのか、素直に頷き、今度は穏やかに保護者と見られる女を呼んだ。
だが女の声こそ聞こえるものの、彼女は姿を見せない。警戒しているのだろうか。
『……大丈夫 敵ではない 伝えて』
『お姉ちゃんはだあれ?』
『私はアイシャ。あなたの友達』
『友達?』
『私は あなたとあなたのお母さん? 仲良くしたい』
『ハルはお母さんじゃないよ。ハルと話がしたいの?』
『うん』
『わかった。少し待ってて』
アイシャがそう伝えると少年はアイシャの手を解き、ハルと呼ばれた女の元へと走った。
ここで彼が帰ってこなければ終わりだ。魔族と通じる術がなくなる。
アイシャは祈るように両手を組んだ。
緊張感と夜特有の静けさが相まって、時間の流れが遅く感じる。
しばらく待っていると、壁にできた穴から吹き矢が飛んできた。
騎士達は瞬時に臨戦体制をとる。だが、テオドールはそれを静止した。こちらの誰にも当たらぬように、軌道を大きく外して打ち込まれたものだからだ。
アイシャは穴の向こう側を覗き込んだ。
向こう側の茂みに見えるのは吹き矢を構えた『ハル』と思しき女と、キョトンとした顔をした先ほどの子ども。彼らはジェスチャーで矢を確認しろと伝えてきた。
アイシャは矢を見るよう、テオドールに伝える。
「これ、は?」
矢にくくりつけられていたのは手紙だった。
粗悪な紙に草の汁を使い、字が書かれている。子どもが書いたようなその文字は魔族の文字だ。
「『おまえたちはなにものだ』」
「……どうする?テオ」
「そうですね。ひとまず、こちらの身分だけ明かしましょう」
「そうね」
テオドールはポケットから紙とペンを出し、自分たちの肩書きと自分たちには敵意がない事を紙に書いてそれを先ほどの矢に括り付けた。
そして力一杯。壁の向こう側に投げた。
しかし矢は思ったほど届かず、ハルは警戒しながら矢を拾いに来る。
褐色の肌に長い爪、紅い瞳。ハルは混血ではなく純粋な魔族のようだ。
無防備にこちらに近づいた彼女は矢を拾い上げると、すぐさまこちらに背を向け走り去ろうとした。
『待って!』
アイシャは直接、声をかけてみた。ハルは背を向けたまま、ピタリと足を止める。
話を聞く気になったのだろうか。わからないが、アイシャは言葉を続けた。
『あなたの主君は誰ですか?』
アイシャの言葉に彼女は振り返った。そして驚いたように大きく目を見開く。
『……何故そんなことを聞く?』
その質問の意図が読めないのか怪訝に眉を顰めるハル。彼女の体はわずかに硬直したよう見えた。
きっとこちらの意図がわからない状態でその質問に答えることが恐ろしいのだろう。
だが、答えないことこそ答えだ。彼女の主君は現王ではない。
アイシャは矢についた紙を見るようジェスチャーで伝えた。
穏やかな淑女の微笑みを浮かべて。
『来て。話 しませんか?』
紙の確認した彼女にアイシャは優しく話しかけた。
魔王の関係者でないことかわかったのだろうか、彼女から感じる殺気は少し和らいだように感じた。
『私はアイシャ。あなたは?』
『……ハル』
アイシャはハルを手招きした。だがハルは応じず、すぐに走り去った。
こちらに背を向けてしまうあたり、訓練を受けていないのだろう。
『ハル! 明日、同じ時間 待つ!』
アイシャは走り去るハルの背中に向かって、そう叫んだ。
ハルはこちらを振り返ることなく、程なくして子どもが待つ森に消えた。
後ろからは騎士達が落胆する空気を感じる。
「失敗、ですかね」
テオドールは残念そうに肩を落とした。
これで、あちら側と繋がる唯一の方法を失ったと。
だがアイシャは違った。
「……奥様?」
「テオ。明日同じ時間にここに来れるよう、諸々調整して」
「……奥様、あまりムキになっても仕方がありませんよ」
「心配しないで、大丈夫だから」
アイシャは確信を持ってそう返した。
*
翌日の同じ時間。ハルは現れなかった。
雪が降る中、待ちぼうけを食らった騎士達の苛立ちは募る。
テオドールは早めに見切りをつけるべきだとアイシャを諭した。
「騎士達は、魔族との交渉も奥様の抱く未来も納得しているわけではありません。それはお分かりですよね」
「ええ」
「彼らは旦那様の命だから貴方に従っているだけです」
忠誠を誓った相手はイアンであり、アイシャはイアンの付属品にすぎない。イアンがアイシャを大事にするから皆もアイシャを守ってくれるだけだ。今後を考えると彼らの反感を買うのは賢い選択とは言えない。テオドールはそう言う。
もちろんアイシャもそれはよく理解しているけれど、それでもここで引くわけにはいかなかった。
「テオドール。預けていた薬草と手紙を出して」
「何するつもりです?」
「それを弓に綴りつけて、あそこの木を射るよう伝えて」
「……わかりました」
テオドールは言われた通り、騎士団で一番弓の扱いがうまい男に指示を出した。薬草と手紙を渡された彼は怪訝な顔をしつつも、向こう側に見える木に弓を放つ。
アイシャは地面に這いつくばるようにして穴から向こう側を覗き込み、その様子を確認した。
「ありがとう。次来るのは3日後にするわ」
「……3日後?どうして?」
「手紙にそう書いたから。大丈夫。ハルはきっと来るわ」
アイシャは3日後にもう一日だけ付き合って欲しいと騎士達に頭を下げ、その日は引き上げた。
*
3日後、騎士達の騎士達の不満を背中で感じながらアイシャは墓石の周りの雪を掻き分け、穴を覗く。すると長い爪と褐色肌を持つ細い手が見えた。
アイシャはその手にそっと自分の手を重ねた。
『ハル?』
気をつけているつもりでも、声が震える。
すると、そんなアイシャを気遣うように添えた手を握り返された。
『アイシャ。ハルだ』
返事が返ってきた。アイシャはテオドールに目配せし、テオドールは腕で大きく丸を作って後ろの騎士達に伝えた。
『3日前は来れなくてごめん』
『大丈夫。あの子、風邪だった』
『ああ。あの後、熱を出した。何故わかったんだ?』
『手、熱かったから』
『そうか。薬草まで、わざわざありがとう。助かった』
『どういたしまして』
アイシャはハルと手を重ねたまま、安堵したように笑った。
彼女たちの会話でテオドールはようやくアイシャが何をしたのかを理解した。
「……子どもが熱を出したから来られなかったのか」
だからアイシャはもしかするとと思い、薬草と手紙を用意して待機していたのだ。
「言ってくださいよ、奥様」
「ごめん。確信が持てなかったから」
アイシャは舌を出して謝るが、それは謝っている顔ではない。テオドールは呆れたようにため息をこぼした。
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