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16.むかしのはなし(4)

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 ゆめをみた。

 くらいもりのなか、ひとがいっぱいたおれている。
 しっているひとも、しらないひとも、パイみたいにかさなってたおれている。

 あそこでたおれているのは、おとといラージェをなでてくれたきしのひと。
 あそこにすわっているのは、きのうラージェにおうたをおしえてくれたきしのひと。

 あ、ここにいるのはみんな、きしのひとだ。

 わかって、もういちどみまわした。
 くらくてよくみえないけれど、なんだかじめんがふしぎないろ。
 つんとおはなのおくがいたくなる、ろうかにあるよろいとよくにたにおい。
 みんな、みんな、そのなかでたおれている。

 ――ひめさま

 よばれた、とおもった。
 おうたをおしえてくれたひとだった。

 なぁに

 こたえても、なんだかきしのひとにはきこえていないみたい。
 ぽろぽろないて、ゆっくりわらって、おうたのひとは、おつきさまをみあげてる。

 ――どうか、すこやかに。あなたをまもれて、よかった

 いっかい、そのめがおほしさまみたいにきらきらして、おうたのひとはそれきりねむってしまった。

 ひいおばあさまがおしえてくれた、『よるのかみさま』がつれていったのだと、なんだかはっきりわかった。
 これが、ゆめじゃないってことも、ふしぎとわかって。

 なんだか、きゅう、とからだのおくがなって、ラージェは、わたくし、は。

 もうみえないおほしさまに、『ちかい』をたてたのです。

***

 水底から浮き上がるように、少女は目を覚ました。
 しぱしぱとベリー色の目を瞬かせ、見慣れた天井から視線をずらす。眠った記憶がないのに、どうしてベッドの中にいるんだろう。その答えを探すようにきょろきょろ周囲を見回していれば、心配そうにこちらを見ている父と目が合った。

「おとう、さま?」
「ラージェ、起きたかい」
「はい……」

 ひどく安堵した声に漫然と頷いたはいいものの、状況がよくわからない。
 誕生日パーティーの途中から、記憶がない。そのあとはあの不思議な黒い『森』にいた。いつの間に帰ってきたのだろうか。それとも、あれが夢じゃないというのが勘違いで、実は夢だったのだろうか。
 ぐるぐると目を回していたサラージュの頭を父がそっと撫でた。小さく震えている。見上げれば、なんだか申し訳なさそうな顔があった。

「すまなかったね。私がもうすこし気を付けていればよかったんだが……苦しいところはないかい。目に痛みは?」

 優しい夜風のような声もサラージュと同じベリー色の目も、泣き出す寸前と言わんばかりに揺れて頼りない。
 そんな父を見るのは初めてで、少女は目を丸くして、それから小さく息をのんだ。
 サラージュは、幼くも聡い娘だった。父が悲し気にしている理由はなにも体調不良に気づかなかったとかではないとわかってしまった。

 ――あの夢は、きっと夢じゃなかったのだ。

 たどり着くと同時に、夢の記憶がぱちんと風船のように弾けた。

 視てきたものが霞んでいく。
 聴こえたものがノイズに埋まる。
 忘れてしまえと幼い心の安寧を司る器官が足早に処理を開始する。

 あれは夢だよ。忘れてもいいものだ。
 君には関係の無いものだ。
 遠い遠い場所の話。
 君の安全を侵すことはない。
 忘れてしまえ。
 関係ない。
 覚える必要はない。
 無関係だ。
 忘れろ。
 忘れろ。
 忘れて。
 わすれて。

 ザァザァと鳴く防衛機制に黒い記憶が消えていく。
 押し流すように遠のいていくそれらを茫然と見送り、その心には何一つ残らない……はずだった。

 奔流の中、星が瞬いた。

 見守るようなそれに手を伸ばす。届かない。この手の中にはなにもない。記憶が流れていく、霞んでいく、消えていく。掠れて消えて消えて消えて消えて。それでも、瞼の裏に焼き付けて。

 黒い夜の記憶のほとんどが消え去り、

 ――あの星に報いるためには、どうすればいいのだろう。

 幼い心には、気高い星が燃え尽きた瞬間の絶望だけが残った。

「ラージェ?」
「……。」

 尋常ならざる様子で黙り込んだまま、サラージュの小さな手がぎゅうっとシーツを握りしめた。

 自分に何ができるのか。
 自分が何をしなくてはならないのか。
 あの星を燃え尽きさせてしまった自分が、この先どう生きて、どう償えば・・・いいのか。
 どうすれば、生きていても許されるのか。
 
 考えて、考えて、考えて。

 そして少女は、掴んだ答えに縋りついた。
 
「おとうさま、あのね。わたくしね、『きし』になるわ」

 その目は、爛々と燃えていた。
 死にかけの星のように、強く、赤く、焼き切れんばかりに。
 齢三つの少女が浮かべるにはあまりに焦燥に満ちた目に、歴戦の将である辺境伯は息をのんだ。

「……突然、どうしたんだい」

 動揺を押し殺し、問う。
 頭ごなしに否定しても、きっと娘には届かない。――こう・・なってしまったものにはどんな慰めも逆効果だと、長く戦いに触れてきた身としてよく知っている。

「ならなくちゃ、いけないの」

 生存者罪悪感。

 生き残ってしまったこと自体にどうしようもない罪の意識が芽生える、心の傷だ。
 ただ遠くから見ただけなのに、と人は言うだろうが、エルフ種の知覚能力は場合によってはその場にいるのと変わらない性能を発揮する。
 娘がどれだけ鮮明に知覚できたのかは、本人にしかわからない。
 それに対する痛みや苦しみは、どれだけ同じような世界を見ていようが、芯を射ることはできない。
 彼女の苦しみは、彼女だけのものだ。
 だが――幼い子供が初めて触れた『死』が穏やかな寝台の上の死ではなく、苛烈な戦場で血と臓物をまき散らして死んでいく様であった衝撃の強さは、想像に難くなかった。

 すまない。
 再び口をつきかけた言葉を必死に飲み干して、娘の頭を撫でる。

「……では、まずは元気にならなくてはね。誰かを守りたいなら、まずは自分を大切にするところから始めよう」
「?」
「まだ難しいかな。いつかきっと、ラージェにもわかるよ」


 数日後、少女は宣言通り剣をとった。
 そして突き動かされるように、騎士としての道を邁進していくこととなる。

 空想から飛び出したお姫様。
 竜と共に駆ける戦乙女。
 氷の如き冷徹の華。
 地位、名誉、武勇、知恵、美貌――すべてを持ち合わせた欠けのない月。

 そんな輝かしい異名の数々を頂くようにもなった。
 けれど彼女は今でも、あの日父が言った言葉を理解できずにいる。
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