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25.目覚め

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 意識が浮上する。ほの淡い消えかけのシトラスに拭われ、ぼやけた視界が像を結ぶ。見慣れた天井を認識する。自室だ。
 認識と同時に、うなじに鈍痛。神経を裂くような鋭さはなく、どこか布一枚挟んだようにおぼろげ。この感覚には覚えがある。

(軽微な麻痺呪文? ……ああ、首だから)

 気だるさに満ちた指先で首元を触れば、包帯の感触が指にはっきり伝わった。呪文がかかっているのは首だけらしい。
 痛みは主観的な信号だ。それゆえ自分自身で取り除く魔術を使う分には易いが、他者の体にあるだろう痛みを本人の確認なしに取り除くとなると難しい。外傷にともなう痛みであれば傷の程度から推測して麻痺させることも出来るが、首のような急所においては強すぎる呪文は呼吸まで停止させかねない。戦場などにおける緊急措置であれば仮死呪文で代用する方がまだ安全と言われるほどだ。世界には麻痺呪文に特化した技術者もいるらしいが、少なくとも国内においてはその境地に達しているものは存在しない。

 自分の体の輪郭を意識し、周囲を確認する。
 ――首以外に外傷なし。脳からの指示に末梢遅れなし。場所は王都の自室。室内に人影なし、扉のむこうに気配あり。来訪者の予兆、5分後と推定。感情パターンは心配と緊張はありつつも安定。意識を失ってから数日が経過している? 窓の外の景色に大幅なズレは見られない。月単位ではない。陽の角度からして現在時刻は正午過ぎ。

 半ば癖になっている状況把握を重ねていれば、おもむろに扉が開いた。
 ぱちり、大きなライトグリーンと目が合う。薄桃色の唇が震えた。

「――らーじぇ?」

 空色のドレスの足元にバスケットがどしゃりと落ち、控えていたメイドが接地間一髪で受け止める。
 相変わらず優秀だ。
 感心しながら、サラージュはそこに佇む親友へと言葉を紡いだ。多少声が発しにくいが、水を飲めば改善するだろう。

「おはよう、イリス。今、何日かしら」

 出来る限り柔らかく微笑めば、可愛らしい顔がくしゃりと歪んだ。
 怒られることからは逃げられなかったらしい。


 四十分と少しの後。
 サラージュは膝の上でえぐえぐとしゃくりあげる親友を宥めていた。
 当然、しこたま怒られた後だ。一応怪我を負っている以上世間的な被害者はこちらなのだが、この親友からすればサラージュがわざと・・・逃げなかったことはお見通しだったらしい。「三日三晩目が覚めないくらいの深手になったの絶対そのせいだもの! 自罰的なのもいい加減にして!」とのことだ。ご名答。噛みついてきた獣の顎をかち割る技能はとうの昔に曾祖母から伝授されている。

「殿下の廃嫡は決定?」

 涙の合間に聞き取れた情報からまとめたそれを、確認するように訊ねる。
 鏡を見ていないのでわからないが、狼の咬合力で噛みつかれたうなじだ。ひどい有様なのだろう。サラージュ自身は気にしてはいないが。治癒魔術で治されているだけで戦場を駆けていたこの身が傷知らずなわけがない。

「……ええ。さすがにね。お父様が即決されたって」

 周囲との温度差を感じていれば、少し沈んだ声が返ってきた。「おや」と、努めて柔らかな声で重ねて問う。

「廃嫡には、本当は反対?」
「いいえ、当然だと思うわ。サラージュにひどいことをしたんだもの」
「じゃあ、殿下のことが心配?」

 小さく鋭い呼吸音。図星らしい。
 しかし素直に答えるのは良心が咎めるのだろう。イリスの頭がゆるりと俯いた。

「――まさか。ラージェを傷つけた相手を、心配だなんて」
「わたくしのことなら気にしないでいいの。貴女も言ったじゃない。わたくしは避けられた災難を避けなかったのよ」
「でも」
「仮に……そうね、セルジェ兄様にしておこうかしら。あの人が殿下と同じようになにかやらかして、当家から追い出されたとしましょう」
「?」

 あえて明るく、それでいて穏やかな声で語りかければ、ライトグリーンの瞳がぱちりと瞬いた。
 唐突にサラージュが次兄をなじったように聞こえただろうか。だが長兄よりも次兄のほうがまだあり得そうなのだから仕方がない。
 一人納得し、少女はするりと細く長い指を組んだ。意識がないうちにすこし伸びたらしい爪が食い込みそうになったが、あくまで寝物語のように柔らかな口調を維持する。

「きっとその時わたくしは馬鹿だなあって思うし、それでいて当然だなあとも思うわ。でも同時に、『兄様が心配』だとも思うでしょうね」
「ラージェ……」
「これまで過ごしてきた時間がある分、庇いたくなるのは当然よ。だいたい、一応被害者らしいわたくしが『いい』と言っているのだから、外野が口をはさむ余地はないと思わなくって?」
「それは……さすがに違うでしょ?」
「あら、そう?」
「そうだよ。だってそれでどうにかなるなら王様も法も要らないじゃない」
「そこはほら、嘘吐き対策」
「ふふ。なぁにそれ」

 つらつらと顔色も変えずに嘯いたのが効果的だったのか、イリスの顔に血色が戻る。
 勝手に憤りを拭ってしまうのも勝手かと思わなくもないが、実質的な被害者がとうに許しているものを罪悪感として抱え続けることの呪わしさは実体験として知っている。実際にどうするべきかは自身で決めるものだが、どうしようもなくなる前に堰き止めるのも先人の務めというものだろう。
 アレクシスと同じライトグリーンの瞳が、初めて見る相手を観察するように瞬いた。

「変わったね。ラージェ」
「……ふふ、ならきっと、殿下のおかげよ」

 うなじに今も残っているであろう咬傷を包帯の上から撫でる。鈍い痛みがびりりと走る。
 自分自身にかけていた首輪を噛み砕かれたような衝撃を瞼の裏に思い描き、美貌の少女は甘く微笑んだ。
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