徒然なるヒトリゴト

SAIKAI

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6頁 アマオト

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 雨というものに対して大多数の人はマイナスイメージを抱く。それはそうだろう。雨が降っていれば外出する気も起きない。それでも外出すれば、靴は濡れるし、傘で手がふさがるし、ひどければ荷物も濡れる。学生時代に教科書が大雨によって甚大な被害を受け、新聞紙を広げて乾かしたのは今でも記憶に残るほどのものだ。小説などにおいて雨を用いた情景描写では決まって気分が落ち込んだものを描いているように、基本、雨の日はいい気分はしないものだ。
 それでも雨というのは不思議と心に安らぎを与えてくれることがある。雨粒が屋根をたたく音、傘をつく音というのは人間の作り出せない、まさに自然の音というべきもので、一人で腰を落ち着けて聴く分には非常に耳に好ましい。耳をすませば、鼓膜を優しく揺らし、目を閉じれば、音と相まって自分だけの空間が、時間ができたような気さえする。雨は植物にとって天の恵みであるというが、人間にとっても大いなる恵みである。それは資源という観点だけでなく、精神や思考といった面でも言えることではないだろうか。
 また、雨を悲しみあるいは安らぎという観点以外から捉えることも可能かもしれない。「ショーシャンクの空に」という映画をご存じだろうか。数多の映画好きが口をそろえて名作だ、と言う作品で私も父に進められて鑑賞したことがある。作中で主人公が両手を広げて一身に雨を受けるシーンがあるのだが、この時の雨はまさしく生の実感を主人公に与えるものとして描かれていたように思う。このシーンは作中でも象徴的なシーンとされているのか「ショーシャンクの空に」で検索をかけるとポスターやDVDのジャケットとしてこのシーンが多用されていることが分かる。どういう流れでこのシーンに行きつくのか、観たことがない方はぜひとも一度見てみてほしい。
 このように、雨というのは時に悲しみ、時に安らぎ、あるいは生命の輝きなどあらゆる捉え方が可能だと言える。それは生物にとって最も身近な自然現象だからか、あるいはそもそも生物と水という関係が切っても切れないほどに強固に結びついているからか、あるいはもっとほかの理由があるかもしれない。少なくとも、雨というのはその音が、景色が、臭いが様々な感情を呼び起こすものであるということは間違いないのではないだろうか。漢字、カタカナ、ひらがな、表記の違いでイメージががらりと変わるように雨への感じ方も千差万別。
 今日の雨音に我々は何を想うのだろうか。
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