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一体目 口裂け女
美しいオクチで(前編)
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「はっ、ツッ、はぁ!」
は、走りすぎて、脇腹が痛いっ。夕暮れが世界を血のように染め上げる、衣冬市の古びた住宅街の道を蹴っていた。地方都市の田舎という事を差し引いたって、こうも人気がないのはおかしかった。
それでも肩で息をする僕こと、形木原広一は、喉をカラカラにしてなお、走り続けるしかなかった。四月なのにトレーナーを脱ぎ捨てて、シャツ一枚になり、ジーパンの中はこれでもかというくらい汗だくだった。
「いや、だっ。助け、誰かたすけてぇ!」
そもそも大学一年生の男が、ここまで情けない声を出して全力で走っているのには、もちろんワケがあった。
『――ねぇ、私、キレイ?』
後頭部に大人の女の声がぶつかる。その近さに驚いて、鉛みたいな足がもつれ合い、無様に前のめりにこけてしまう。
バタッ。
「ハァ、ハァ……ひぃぃ!」
顔を背後へひねった瞬間、僕の瞳が大きく見開かれる。
――そこには、赤い女物のスカートスーツを着衣した、髪の長い若い女性が立っていたからだ。生温い春風が、黒の艶やかな髪を小さく揺らす。一見すると、目鼻立ちが通っていて背格好が良く、肌もなめらかだ。
『……ねぇねぇ。私、キレイ?』
声だって澄んでいる方だし、美人と言っても差し支えないと言えた――その裂けた口じゃなければ!
……口裂け女。都市伝説に代表されるマスクをした女の幽霊、あるいは怪異。夕方を頃合いとして人気のない路地に出没しては、運悪く遭遇した者に『私キレイ?』と問いかける。『キレイ』と答えてしまうと、手に持った鋏で同じように口を裂かれて、『キレイじゃない』と言ったら、激昂して殺されるという。
「(退散の呪文のポマードを試しても、効果はなかった)――あぁ、えと。えっと!」
真っ赤な夕焼け空に浮かぶ口裂け女の顔から、笑顔が萎むように消えていく。
そして――シャキーン――その細い指先に絡みつくように、鈍く光る鋏が握られていた。
シュバ……プシュ!
「ひあっ、痛い!」
右頬の薄皮が裂けて、血が流れ出る。熱く鋭い痛みがジンジンと広がる。ただの鉄の鋏なんかじゃないぞ!
「(なんで、こんな、目にぃ)――誰か、だれかぁ!」
まるでこの口裂け女が、他の人間を遠ざけているみたいで、どこからも人の気配がしなかった。
……チョロ、チョロロロ。
「あっ」
保育園のころ以来の失禁までしてしまった僕は、けど死にたくないの一心で、無様に這って逃げようとする。
ドン!
けれども――。
「痛っ。……今度は、な、に?」
もう息も絶え絶えな中、汗と血で汚れた僕の顔に、繊維っぽい何かが当たる。涙でにじむ目を凝らすけど、なぜか紫色のジャージっぽかった。毛玉だらけの、使い古したダサいジャージを穿いた人間が、なぜ人気のないこの場所に? その持ち主を見るため、口を開けたままおそるおそる顔を上げた。
「え? ――ひぃぃ!」
ヒドい光景の連続で、もう頭の中はグッチャグチャだった。
――デップリとした腹はダサいシャツに覆われて、汚いヘソが微かに見えた。肉厚な首の上には、今まで見てきた男の中で三指に入るほどの、ブ男の顔があった。皮が厚く皮脂とシミだらけな上に三十アゴで、鼻毛が伸び放題だった。三十歳すぎくらいだろうけど、フケまみれなせいで髪の一部が白髪に見えた。
き、きっとコイツは、僕も知らない怪異もしくは都市伝説なんだ。二つの怪異に挟まれ、さらに痛みと恐怖と疲労に包まれる僕の正気は、もう欠片しか残っていなかった。
「……んでゅふふふぅ」
ど、同性ということを差し引いても、すごく気持ち悪い声質で笑う男は、なぜか口裂け女の方を見て、目尻を下げていた。
『……私、キレイ?』
え? どういうわけか、口裂け女の顔向きが、僕からその不気味な男に切り替わる。一体、どういう、こと?
「うんうん。もうめっちゃキレイだよぉ~。どれくらいかって言うとぉ、チンコがフル勃起するくらいにぃ!」
は? 今なんて? 例えようもない笑みを浮かべる男が、けど『キレイ』と口にした瞬間、口裂け女もまた、文字通り限界まで口を開く。
這いつくばる僕が見上げると、まるで巨大な深海魚同士が対峙し合っているみたいな、悪夢の底にいるみたいな恐怖に、さらに漏らしてしまった。
『それじゃあ、あなたも、私と同じにしてあげるねぇ!』
「お、おじさん逃げてぇ!」
まるで跳躍するみたいに口裂け女が男との距離を詰める。そして、僕の血の付いた鋏を、勢いよく振り上げて!
ブン!
「えっ?」
『……?』
目の前にいたはずなのに一メートルくらい離れた位置に立って、空振ってしまう。薄ら笑いを浮かべ続ける男は、嬉しそうに汚れた前歯を見せつつ、なぜかジャージとパンツの裾を掴んで――?
スルスル――ビィン!
「(はっ?)はぁ⁉」
「んでゅふふふぅ!」
バッキバキに硬くした、浅黒くてデカいチンコでもって、口裂け女を指した。
は、走りすぎて、脇腹が痛いっ。夕暮れが世界を血のように染め上げる、衣冬市の古びた住宅街の道を蹴っていた。地方都市の田舎という事を差し引いたって、こうも人気がないのはおかしかった。
それでも肩で息をする僕こと、形木原広一は、喉をカラカラにしてなお、走り続けるしかなかった。四月なのにトレーナーを脱ぎ捨てて、シャツ一枚になり、ジーパンの中はこれでもかというくらい汗だくだった。
「いや、だっ。助け、誰かたすけてぇ!」
そもそも大学一年生の男が、ここまで情けない声を出して全力で走っているのには、もちろんワケがあった。
『――ねぇ、私、キレイ?』
後頭部に大人の女の声がぶつかる。その近さに驚いて、鉛みたいな足がもつれ合い、無様に前のめりにこけてしまう。
バタッ。
「ハァ、ハァ……ひぃぃ!」
顔を背後へひねった瞬間、僕の瞳が大きく見開かれる。
――そこには、赤い女物のスカートスーツを着衣した、髪の長い若い女性が立っていたからだ。生温い春風が、黒の艶やかな髪を小さく揺らす。一見すると、目鼻立ちが通っていて背格好が良く、肌もなめらかだ。
『……ねぇねぇ。私、キレイ?』
声だって澄んでいる方だし、美人と言っても差し支えないと言えた――その裂けた口じゃなければ!
……口裂け女。都市伝説に代表されるマスクをした女の幽霊、あるいは怪異。夕方を頃合いとして人気のない路地に出没しては、運悪く遭遇した者に『私キレイ?』と問いかける。『キレイ』と答えてしまうと、手に持った鋏で同じように口を裂かれて、『キレイじゃない』と言ったら、激昂して殺されるという。
「(退散の呪文のポマードを試しても、効果はなかった)――あぁ、えと。えっと!」
真っ赤な夕焼け空に浮かぶ口裂け女の顔から、笑顔が萎むように消えていく。
そして――シャキーン――その細い指先に絡みつくように、鈍く光る鋏が握られていた。
シュバ……プシュ!
「ひあっ、痛い!」
右頬の薄皮が裂けて、血が流れ出る。熱く鋭い痛みがジンジンと広がる。ただの鉄の鋏なんかじゃないぞ!
「(なんで、こんな、目にぃ)――誰か、だれかぁ!」
まるでこの口裂け女が、他の人間を遠ざけているみたいで、どこからも人の気配がしなかった。
……チョロ、チョロロロ。
「あっ」
保育園のころ以来の失禁までしてしまった僕は、けど死にたくないの一心で、無様に這って逃げようとする。
ドン!
けれども――。
「痛っ。……今度は、な、に?」
もう息も絶え絶えな中、汗と血で汚れた僕の顔に、繊維っぽい何かが当たる。涙でにじむ目を凝らすけど、なぜか紫色のジャージっぽかった。毛玉だらけの、使い古したダサいジャージを穿いた人間が、なぜ人気のないこの場所に? その持ち主を見るため、口を開けたままおそるおそる顔を上げた。
「え? ――ひぃぃ!」
ヒドい光景の連続で、もう頭の中はグッチャグチャだった。
――デップリとした腹はダサいシャツに覆われて、汚いヘソが微かに見えた。肉厚な首の上には、今まで見てきた男の中で三指に入るほどの、ブ男の顔があった。皮が厚く皮脂とシミだらけな上に三十アゴで、鼻毛が伸び放題だった。三十歳すぎくらいだろうけど、フケまみれなせいで髪の一部が白髪に見えた。
き、きっとコイツは、僕も知らない怪異もしくは都市伝説なんだ。二つの怪異に挟まれ、さらに痛みと恐怖と疲労に包まれる僕の正気は、もう欠片しか残っていなかった。
「……んでゅふふふぅ」
ど、同性ということを差し引いても、すごく気持ち悪い声質で笑う男は、なぜか口裂け女の方を見て、目尻を下げていた。
『……私、キレイ?』
え? どういうわけか、口裂け女の顔向きが、僕からその不気味な男に切り替わる。一体、どういう、こと?
「うんうん。もうめっちゃキレイだよぉ~。どれくらいかって言うとぉ、チンコがフル勃起するくらいにぃ!」
は? 今なんて? 例えようもない笑みを浮かべる男が、けど『キレイ』と口にした瞬間、口裂け女もまた、文字通り限界まで口を開く。
這いつくばる僕が見上げると、まるで巨大な深海魚同士が対峙し合っているみたいな、悪夢の底にいるみたいな恐怖に、さらに漏らしてしまった。
『それじゃあ、あなたも、私と同じにしてあげるねぇ!』
「お、おじさん逃げてぇ!」
まるで跳躍するみたいに口裂け女が男との距離を詰める。そして、僕の血の付いた鋏を、勢いよく振り上げて!
ブン!
「えっ?」
『……?』
目の前にいたはずなのに一メートルくらい離れた位置に立って、空振ってしまう。薄ら笑いを浮かべ続ける男は、嬉しそうに汚れた前歯を見せつつ、なぜかジャージとパンツの裾を掴んで――?
スルスル――ビィン!
「(はっ?)はぁ⁉」
「んでゅふふふぅ!」
バッキバキに硬くした、浅黒くてデカいチンコでもって、口裂け女を指した。
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