霊装探偵 神薙

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第二章 シロガミ

十四話 邂逅と揺らぎ

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 世にもおぞましい光景に震えながらも星宮は、這いずる様にして神薙の元へと身を寄せる。

「薙君! け、怪我は?」

 かなりの窮地に思えたが、だがまるで遠くの景色を瞳に焼き付けるかのごとく、神薙は呼吸だけを整えていた。

「――ん? あぁ、大丈夫だ」

「さ、さ、さすがっ」

 秒刻前の死闘が嘘だったかの様に、膝に手を付き、余裕のある威勢にてそっと立ち上がる。

体躯たいくこそ大きかったが、ゴムの様な弾性に富んでいることはわかっていた。防御に関しては霊子装甲頼りでと判断したら、ことほかうまく運べた。寧ろ、壁に挟まれた方の肩が少し痛んだくらいだ」

 落ち着き払っていたが、単車くらいであれば軽く吹き飛ばせるほどの衝撃であった。とりあえずはと、安心した表情で神薙の傍にて佇む星宮は、だが目線を元凶へと向ける。
 ――徐々に肉体を維持できなくなってゆく幻核生物こと、巨大蚯蚓の残骸は、頭部付近から、けがれた肉体を消失、あるいは霧散させていく。
 何とも言い難いに、鼻腔を袖で隠しつつ、星宮は神薙へと向き直る。

「に、しても。薙君の霊銃って、本当にすごい威力だね(汗)。何て言うか、銃弾が貫通した部分は元より、その周囲も根こそぎ消えていった風に見えたよ」

「見えたというか、その通りであり、それがこの霊銃の特性だ」

 陽が東から昇るがごとく、当たり前に呟く神薙に対して、星宮は目が点になる。

「物理的な威力はH&K―USP(※ドイツ製のパラベラム弾仕様の自動小銃)より少し上くらいのものだが、幻核生物等が対象だと、相手の物理的強靭さや硬度に影響されず、破壊、あるいは消失させる特性を帯びている」

「(築羽団地の時の幻核生物の時もそう見えたのは、見間違いじゃなかったんだ)――す、すごいね」

 残弾を打ち尽くして尚、圧倒的な重厚さと存在感を誇る黒き霊銃は、神薙の手の内だからこそ、大人しくしているかの様に思えた。

「霊銃の性質もだが、この作品がまだ未完成だった部分も、好転に寄与きよしたかと思う」

 異形を吐き出し終えて、何も示さない白い画布を睨み、改めて神薙はそんな風に感じた。

「そう言えば、外場さんも出来上がるのは夜中って言ってたね」

「先に食らった一撃が思ったより軽く、俺の霊銃がより効果的に損壊を与えられたのも、その辺りが手伝ったと推察される」

「な、なるほど~」

「それより星、早く救急車を呼べ。その後、協会経由で警察に連絡だ」

「わ、わかった!」

 霊装を解除し、息を一つ突いた神薙は、すぐさま液体に塗れた外場へ駆け寄る。

「(幻核生物を仕留めても)やはり、長時間接触した体液や腐食片は消えないか――」

 白く濁った膜の様なものが外場の体にまとわり付いていた。手拭を取り出した神薙は、自身が汚れることを露といとわず、蒼白な顔や首元を中心に拭き取っていく。
 上半身を軽く起こす。目を瞑っており意識は無いが、胸部の僅かな上下から呼吸の確認は出来た。
 一方、身体の複数箇所が腫れただれており、おそらくは胃酸による溶解と思われた。命に別状は無さそうであったが、早急な手当が必要であろう。

「……」

 チラリと神薙が再び見上る。飾られていた巨大な絵画は、やはり元から何も描かれていなかったかの様に、真っ白なキャンバスとなっていた。

「(あの幻核生物を倒したからか?)それとも最初から――」

 推察を続けつつ、くだんの黒い液体が入っていた小瓶を探した。だが、さっきの戦闘で破壊されたのか、どこかに紛れ込んだのか、ついぞ見つからなかった。
 いつの間にか廊下とを繋ぐ扉も開いていた。星宮の電話が終わるのを見計らい、外場を別室へ運ぶ。
 廊下へ足を踏み戻せた際、ホッとしてか、星宮はある胸を撫で下ろした。

「フゥ。――え、えと、ところで薙君」

「なんだ?」

「さ、さっきの幻核生物は危険度どれくらいかなぁ?」

 また星宮の、幻核生物危険度に関する談義が始まる。

「ボク的には、Bくらいと思うんだけど?」

 むしろ、そうであってくれ、っという謎の願望が見え見えであった。
 全く付き合いきれない、あるいはもっと思考を割くべき案件が山盛りのと思った神薙は、溜息をもって返答する。

「――たく。ちょっと危機が去ったらすぐこれだ。さっきまで失禁しそうなほど震えていた癖に」

「し! も、漏らしそうじゃなかったもん! ――っていうか。お、女の子にそんなこと言ったらダメなんだから!」

「精神も記憶も男の星宮輝おまえは例外だろう。――まぁ、質問に答えるとすれば、そうだな。せいぜいC+が関の山だろう」

 明るい居間リビングへと戻り、柔らかな絨毯は、事情を知ってか知らずか、家主をそっと受け止める。

「あ、あれでB-ですらないの?」

 聞かなければ良かったと俯く星宮に対し、しつこい話題が続くことへか、神薙は目を細めながらハッキリと言い放つ。

「断じて言うが、B-以上の幻核生物が相手だったら、なんて無いからな」

 その言葉にシュン、っと花がしおれるかのごとく俯く星宮であった。
 視界の端にてその様を認識した神薙は、眉間に皺を刻みつつも、溜息いきを吐く。

「わかったろう、星。――幻核生物の相手は霊装能力者である俺達でも気を抜けない危険な仕事なんだ。たとえ後衛職バックアップであっても、出来る業務は全力をもって行え。それが善行だ」

 元より神薙は今回の星宮の同行に否定的であった。その上の、不器用な慰めはむしろ友愛きづかいであった。

「う、うん。今日も守ってくれてありがとう」

「構わん。――それより、地下室へ行くぞ」

「地下室?」

「ったく。今回の依頼は?」

「あ、睡眠障害の改善だったね(汗)」

 警察が到着するまでの僅かな間隙かんげきを突いて、二人は再び地下室へと降り立つ。

「あっ」

 星宮の声が漏れるのも当然と言えた。赤と黒のみで構成されていたはずの絵画は、やはり元の白い帆布はんぷに戻っていた。

「第二アトリエと同じだな」

 最初に見受けた生理的嫌悪感も奇怪さも、まるで最初から存在していなかったかのごとく、気配すら感じられなかった。

「依頼達成だな。――もう、ここらの住民が不眠に悩まされることもあるまい」

「そう、だね。よかったぁ」

 一瞥いちべつをくれた後、地下室を後に、再び階段へと足を掛ける。

「さてと、救急車が来るまで、あと十分くらいか?」

 肩の荷が降りたと、珍しく弛緩気味の神薙へ。

「う、うん。――な、薙君。あの、あのね。もう一ヵ所だけ行きたい所があるんだけど」

「ん?」

 一階へ戻った後、あまり興味なさそうに、星宮の後ろを歩き、ついには二階への階段を昇ることとなった。やがて現れる無垢の木製の、白い扉の前にて立ち尽くす。
 取っ手は嫌味の無い、ややくすんだ金色の真鍮製しんちゅうせいであった。星宮が細い腕を伸ばす。
 ――そう、ここが、外場の妻こと、ミノリの寝室であったのだ。
 カチャ。
 軽い手応えと共に、扉が開く。暗い室内を光で満たすため、扉すぐ横の壁のスイッチに、指が触れる。

「あっ」

 六畳ほどの広さで、淡い水色の壁紙が四方を囲っていた。室の中央には、白い布がかぶされた、三脚に乗っているであろう帆布がらしきものがあった。
 他に目立つものと言えば、隅にある寝台ベッドと、小さな鏡台だけであった。
 中央の布へ、星宮は恐る恐る近づく。

「み、見てみてもいいかな?」

 ここまで勝手に来た癖に、背後の神薙へ、決済きょかを求めてしまう。

「ハァ――もう幻核生物は勘弁してくれよ」

 腕を組みながら壁に背を預けて――好きにしろ――っと言わんばかりに、目をつむる。

「で、では。失礼しますっ」

 掛けられていた布を、大仰に取り外す。
 バサッ。
 ――そこには。

「わぁ!」

「……ほぅ」

 大きく開いた口を、星宮は両手で覆い、神薙もまた、思わず壁から背を離してしまう。
 ――その絵は、浅緑に彩られた梅林の中で、穏やかな笑顔をこちらへ向ける、柔和で青いワンピースを着た女性の姿絵であった――。
 温かなパステルによる描出びょうしゅつが、柔らかさと落ち着きを演出しており、それ以上にが、作品の端々にすらにじみ出ていた。

「――これって、ミノリさん、だよね?」

「あぁ、おそらく外場の作品だろう。――パステルはてんでダメと言っていたが、悪くない出来栄えじゃないか」

 遅すぎた賞賛を受けたパステル画は、まるでくたびれた様に笑って見えた。
 そして、吸い寄せられるかのごとく、静かに近づいた星宮は、片手を伸ばしてそっと触れる。

「星?」

「うん。えと、いいかな?」

 許しを請う様に、大きな透明な瞳が、神薙を覗き込む。

「――車まで歩ける体力は残しておけよ」

 ぶっきらぼうに言い放つ相棒は、だが、わかっていたと言わんばかりに微笑する。

「ありがとう。……霊装、再現確認リワインド





 ――視界に映るは本日の夕刻。神薙達が地下室へ向かった時とほぼ同時刻の、二階にいたであろう外場であった。
 カーテンは開いており、斜陽を受けた室内は朱に染まりつつも、どこか物悲しい印象であった。だが絵画へ向かう外場は、高揚した動静で、声高に語り続ける。

「やった、やったよミノリ! ようやく僕の作品が認められそうだよ!」

 その目には命の輝きが微かに燈っており、勢いそのままに、優し気な、しかしどこか憂いを帯びたその人物画へ、ひたすらに言葉を浴びせる。

「あぁっ、夢みたいだ! ……でも、それもこれも全て、君が! ……僕を、支えてくれたから――だよ。本当に、ありがとう。ありが、とう」
 前半の狂喜していた様子から一変し、次第に口調はすぼみ弱まり、ついには崩れるみたく両の膝を着く。俯く外場かれは、外場は――。

「ミノリ、ミノリ。 ……ごめん、ごめんよぉ。僕は、ボクが――」

 肩は小刻みに震え、小さな嗚咽おえつと共になみだを零し、謝罪の言葉と最愛の妻の名前を、ただひらすらにささやき続けた。
 命を削るみたく呟くその様は、得体の知れない決意をすら、感じさせた。





「……星?」

「えっ」

 霊装を解除した星宮のすぐ横に、神薙が立っていた。
 目頭が熱いのを隠す様に慌てて。

「あっ。ご、ごめんね! おんぶに抱っこの癖に、ここぞとばかりに霊装して。あは、あははは――」

 雑な取りなしの謝罪に対して、だがいまさらそれも無粋と伝える風に、神薙は返答の代わりに手拭ハンカチを差し出した。

「こっちのは汚れていない」

「――あっ」

 星宮の細い指がその顔に触れる。だがまるで、その指をすら避けるみたく、透明な雫が頬をつたった。

「ウッ。ぇ、あっと」

 あふれる感情なみだが、小さな肩を震わせる。神薙は何も言わず、星宮から目線を逸らす。
 微かな沈黙は、神薙なりの不器用な気遣いでもあった。

「――ぅん、うん。ありが、とぉ」

 伝えられなかった妻の、あるいは夫の想いが、部外者たる星宮の心に浸透する。
 仕方がない。仕方がなかったんだ。誰も悪くない。一片の才能を信じて、全てを費やした画家も、それを支えようと、体調をかえりみずに健気に尽くした妻も。
 ……強いてあげるなら、いや、止めておこう。憶測すら、侮蔑ぶべつに思えた。
 ――遠くから、救急車が鳴らす号笛サイレンの音が聞こえてくる。

「救急車の対応は俺がする。お前は先に戻って、車で休んでろ」

「う、うん。あの、ご、ごめんね?」

「こういう時は謝罪よりも感謝だ」

「……本当にありがとう。薙君」

 手拭で顔の半分を抑えたまま、廊下から静かに階段へと向かう星宮。
 一応は耳をすませつつも、電気を消して、その後を追おうと、室を出ようとした神薙であったが。

「……ア ガト 」

「えっ?」

 思わず構えながら振り向く。
 だが当然ながら、室内には小さな女性の人物画が、相変わらず柔和な表情のまま、暗い中で飾られているだけであった。

「――やれやれ、俺も疲れてんのかな」

 ボソッ、っと気怠げにそう呟いた後、扉をそっと閉めて、玄関から外へと向かった――。


 * * *


 陽が昇り切った翌日の昼過ぎであった。望月探偵事務所内の天然の光源は、神薙にとって暴力的なまでに明るかった。

「いや~、ありがとう神薙君。今日も出勤してもら……いただいて(汗)」

「お言葉ですが所長。こういう場合は感謝ではなく謝罪です。もしくは休暇付与でも結構です」

 眩しい、っというよりも神薙の網膜にとっては痛いと言える、秋の日差しが窓際から差し込む。
 普段は使わない【打倒睡気】なる高濃度カフェイン入りの清涼飲料水を口にしつつ、電子端末パソコンへと向かっていた。
 ――昨晩の後処理がとかく大変であった。救急車の応対を小一時間した後、警察が到着し、その処理にとさらに追われた。救急車の方はまだともかく、いくら協会が間に立ってくれているとはいえ、幻核生物等の部分をぼかしつつ、整合性の取れた説明いいわけを即興で行うのは、疲労した神薙には骨の折れる作業と言えた。結局、解放されたのは日付を跨いだ一時前後であった。
 その後、三度の霊装にて所労し、車で眠りこけていた星宮を家まで送り、午前三時に事務所へ戻った。事務所が暗くなっていることに舌打ちしつつ、依頼人の種口、ひいては近隣住民向けへの、事件解決に関する報告書を作成する運びとなった。
 空がしらばむ少し前くらいに、タクシーにて一旦自宅へ戻った神薙は着替えた後、再び事務所へ来て、経費の計算を行い、一息突く暇も無く、今度は協会への提出用の報告書の作成に着手していた。

「所長、星は?」

「え、えーっと。ほ、星宮さんは今日、元々お休みで~」

 イッラァ、っという表情を遠慮なく顔へ浮かばせるも、再び無言で電子端末パソコンへ向き直る。先ほど担当者の警察官が事務所を来訪したため、その対応も終えた午後三時頃、ようやく業務に目処がついたのであった。
 所長の計らいで、配達された寿司桶が、安い机の上に置かれる頃、眉間を抑える神薙はソファへ腰を沈める。所長は高い煎茶を急須でくゆらせつつ、硬い笑顔を浮かべる。

「ええっと。協会から、今回の件について二点連絡があったよ」

 淹れ立てのお茶を、黙したままの神薙の前に置いて続ける。

「まず外場さんだけど、県外の大きな病院に入院することになったらしい。幾つかの擦過傷や裂傷、皮膚のただれが確認されたものの、命に別状は無いらしい。ただ――」

 所長の話に耳を傾けつつ、醤油と練り山葵わさびを取り皿に配し、寿司桶の隅に積まれた甘酢平切紅生姜ガリを目一杯よそう。

「意識障害がずっと続いるとのことで、今の段階では目を覚まさないらしい」

「……」

「まぁ、治療は始まったばかりだからね。この後は病院の方に任せるとのことらしい。良くも悪くも、外場さんは資産的には苦しくない家柄みたいだから、治療費の心配もないようだよ」

 いつもよりもさらにヒドいボサボサ髪のままの神薙であったが、カッと目を見開いて寿司桶を見やる。まずは艶のある平目、次いで身の厚いぶりと、白身魚を続けざまに口へと運ぶ。

「次は――って聞いている? 神薙君」

「……昨晩、所長が差し入れてくれた助六以来、何も食べていないので」

 失言だった、と軽く居座り直した所長が続ける。

「依頼人の種口さんから、今朝方に連絡があってね。昨晩は近隣住民の人達も含め、快眠出来たと喜びの一報が届いたんだよ」

 頬を緩ませる所長は、箸を握ったまま、何一つ口にはしていなかった。

「依頼料も早々に、しかも多目に振り込んでくれるとのことだよ。協会に確認したら、増額分はこちらで受け取って構わないそうだよ。いや~、ありがたいねぇ」

「良かったですね」

 他人事の様に返した神薙は、海老えびまぐろ穴子あなごと続けざまに口へと運び、とりあえず腹が張ったと、お茶をすすりつつ、立ち上がって電子端末へ再び向かい直す。

「もういいのかい? っというか、今日はもう帰ってくれて構わないけど?」

「協会へ提出する報告書を少し手直しします。家にはパソコン関連の機器が無いので」

「そう、だね。副支部長さんはチェックがしっかりしているから――」

 USBケーブルにて携帯と接続させ、外場の日記を映した画像データをパソコンへと転送し、協会宛ての資料にと添付する。
 ガリガリ、っと頭をかく神薙は、一瞬だけ目を細めた。

「(得体の知れない男、か。……幻核生物で忙しいというのに、全く)――送信。ふぅ。では、帰りますね」

「家まで車で送ろうか?」

「留守にするのはまずいですよ。――あと、タクシー代も結構です」

 財布を取り出しかけた所長が、苦笑いを浮かべる。

「お疲れ様。神薙君」

「いえ。では、失礼しますね」

 軽く応じた後、通路へと出て、昇降機エレベーターを三階へ呼び寄せる。

「とりあえず帰ったら、十時間ほど眠らせてもらおうか」

 古ぼけた到着音と共に、扉が開く。
 我慢していた欠伸あくびを大きくしつつ、吸い寄せられるみたく、籠の中へと歩み進んだ。
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