霊装探偵 神薙

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第三章 協会

十五話 極東の聖夜は昼下がりから始まる

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 世界にある、遥か東の島国、その中央の島のそのまた中心部付近の中規模の都市の、さらに中くらいの町。そして大きくも小さくも無い公園の長椅子に、中肉中背の男? が座っていた。
 眩しくも穏やかな落陽を受ける男性は、目立たない色のトレンチコートを装い、灰色のボルサリーノを目深く被り、本革の茶色の靴を履き、外套の襟を立てていた。そのため、外観から表情はおろか、年齢を察することも難しかった。
 令和の昨今、不審者に関しての話題が時折あがることをかんがみると、周囲はこの男を――いぶかしく――思うべきなのはあきらかであった。
 しかし、たわぶれる児童達こどもらは仕方ないとしても、その親達ですら、警戒どころか注意すら露と払わないのが、不思議でならなかった。
 だがもし仮に、が、全神経を集中して、一点一画をおろそかにせず、その男を【ようとした】のならば、あるいは勘づけたかもしれない。
 その周囲を浮遊する羽虫はもちろん、降り注ぐ夕陽も、穏やかな風も、漂う大気ですら、その男をほんの微かにという、あり得ない事実に。
 ……しかしだが、本当に奇異なことに、重ねて伝えるが、子供達には、いや、それどころか大人達も全く注視しなかった。そもそも、視る必要の一切を感じられなかったために他ならなかった。
 例えるならそれは、路傍の土瀝青アスファルトの砕けた欠片のごとく、川へ落ちる雨の一滴の様に、あるいは何気なく読んだみたく、およそ全く、完全に注意を引く要素がなかった、っと言えた。
 きっとその日の晩、この時間帯のここにいた全ての人間へ、長椅子に座っていた男性について問い掛けても、口を揃えて――知らない――と答えたであろう。

 ……夕日も陰る頃、男は静かに立ち上がり、歩き始める。付きまとう影ですら、嫌悪に身悶えしているさまであった。
 国道の路肩へと出た男は、ある男性とすれ違った。華奢きゃしゃで柔順な感じの中性的な若い男性であったが、彼もやはり、その男へ特に注意を払うこと無くすれ違う。
 ――その時。

「……アの、ちょっとよろしいですか?」

「えっ? あっ、ボクですか?」

 特徴を帯びない声を掛けた後、男が軽く手をアげかけ、だが途中で止まり、静かに降ろした。
 線の細い男性は少し驚き振り返ったためか、その手を、あるいは手に付いた指を、注意して視ることなど無かった。
 乾いた皮膚に覆われ、長い袖の下に見え隠れする、六本の指などに――。


 * * *


「いやー、クリスマスだねぇ。薙く~ん♪」

 二千二十年十二月。午前十一時。
 月桑市もご多分に洩れず、遥か西方の大いなる生誕祭の恩恵に預かり、賑わい色めいていた。
 寒風に負けないと言わんばかりに、容貌がいくらか整っている小柄な女性が、にこやかにしていた。――その隣にて、

「ハァ。……なぜ、カソリックでもプロテスタントでも、ましてやロシア正教徒でも無い俺が、なぜこんなことをせなばならないんだ」

 背格好スタイルはそこまで悪くないかもしれないが、険しい表情の男性は、何やら怨言えんげんを小出しで吐き洩らしながら、両腕にて荷物を抱え歩く。

「お仕事ですよ~」

 小柄な女性は、嬉しそうにそう告げる。

「……仕事、ねぇ」

 人通りのまばらな月桑商店街を練り歩く二人の内の男性こと、神薙蒼一は、隣の星宮も所属する望月探偵事務所が受けた、依頼に他ならなかった。
 最寄りの老人保健施設にて、催し物を行う運びであり、零細企業にはさもありなんな依頼と言えた。だが、虚ろな表情の神薙は、苦役の躊躇ためらいを吐き続ける。

「(わかってはいるが、探偵業とは一体)――にしても、今日はやけに機嫌がいいな」

「だって~、クリスマスだよ? それだけでわくわくしない?」

 軽やかな足取りの星宮は差しづめ、羽でも付いているのか? といえるほどの身振りであった。

「お前。今年で幾つだ」

「二十三歳で~す☆」

 いさめるはずの一言が、逆に心を煽動する焚物たきものとなってしまったことが、神薙の心労に、薪十数本分ほどの重さとなってし掛かった。

「ハァ~。精神が肉体を穿うがつとはこのことか」

「えっ、何か言った?」

 無視しつつ、むなしく歩行する神薙。――そんな二人の眼前に、どういうわけか見知れた人物が急ぎ足にて駆け寄って来る。
 地味な色合いの地味なスーツに、これまた地味な風貌の中年男性であった。

「――あぁ、神薙君に星宮さん。よ、よかった。見つかって」

 望月所属事務所こと望月が、なぜか息も絶え絶えに、商店街の大通りアーケードを走って来る。

「えっ、所長さん?」

「――いつも口酸っぱくして言っていますよね? 事務所を空にしないでくださいと」

 ようやくと辿り着いた所長は、二人の言葉に返答もせず、ゼェゼェ、と息を荒くして、何とか呼吸を整える。中年ゆえに仕方がないが。

「い、いや。それが、その、神薙君に伝言でね」

 その言葉の意味を、理解できないしする気もない、っと言わんばかりの神薙は、瞼を半分まで降ろす。

個人端末けいたいが存在する現代において、人を遣っての言伝ことづてとは、控え目に言って意味がわかりません」

 疑心の光が灯るのも、無理はなかった、が。

「そ、それが、なんだ。神薙君、すぐにでも出頭して欲しいとのことで――」

「うっ」

 今までの余裕の表情を、近くのゴミ収拾場所へ放り投げたかと思うと、僅かに上半身をのけ反らせる神薙であった。控え目に言って、神薙がその要請を耳にするのすら、嫌忌けんきしているのは――まぁ明白であった。
 白い息を吐く星宮は、そんな二人を見つつ無遠慮に小さな唇を動かす。

「なるほど。だから荷物持ち役の薙君に代わって、所長さんがわざわざ来てくれたんですね!」

 的確な説明かもしれないが、節々に棘があったのを感じ取った神薙は、八つ当たりとばかりに眉間に皺を刻む。

「星にしては的確な洞察だ。四十点」

「低くないですか!?」

 往来する人々がチラ見する中、お決まりの漫才を始めようとする二人を、普段とは異なり所長が制止する。

「か、神薙君。急いだ方がいいよ。副支部長の琴船さんから直の連絡だったから」

 十二月末だというのに、額の汗を拭う所長のそれは、走って来たからだけでは無さそうであった。

「(琴船さんか。まだ支部長の方がマシだったな)――わかりました。行けばいいんでしょう。行けば」

 観念した様子で手持ちの荷物を所長に渡す。

「あ、あぁ。こっちは僕が責任をもってやっておくから」

 お願いします、っと急ぎ足で近くにあったバス停に向かう神薙であったが、そんな彼の背中へ、星宮が高い声で呼びかける。

「あっ、薙君。夜に事務所でクリスマスパーティーするから、それまでには戻って来てね~!」

 その溌剌はつらつとした軽い一言が、どれだけ神薙の今日の予定へ影響したか、その時は知る由もなかった。
 停留所へ着くと、一日辺りの台数が少ないにも関わらず、幸運にも現れた日嗣ひつぎ町行きのバスへと乗り込む。

「にしても、一体何の用だ?」

 車内の暖房にほだされながらも、ぶつぶつと小言を言う。数十年この街を走る、老練な市営バスに揺られて、神薙はわずか三つ先の停留所を目指す。



 ガシャァ。
 鈍くてやたら大きな音立てて開いた降車口にて、神薙だけが降り立つ。
 そのまま国道に沿って十分ほど歩き、細い路地へと入っていく。古ぼけた民家が両脇にそびえる道を、さぁ五分ほど歩き、古びた施設の前にて立つ。

「――相変わらず薄汚れた建物だな」

 それは、二メートルほどの高さの、欠けた煉瓦造りの壁に囲まれていた。
 敷地はおおよそ学校の体育館ほどで、建物面積は延べ三分の四ほどであった。およそ半世紀前の建築を想定させる建物が、のんびりとした様相にて現れる。
 色褪せた黄色の建物は三階建てであり、所々の外壁のタイルの剥がれ具合が、否が応でも年季を感じさせた。
 神薙の記憶が正しければ、元々は第三セクターの所有物であったが、不要になったからと競売にかけられた。だが、こんな片田舎の、中途半端な地理的利便性も得られない物件など、どの法人も入札しなかった言ったところだ。
 そこで、貧窮ひんきゅうに定評のある協会が、差し詰め鬣犬ハイエナのごとく嗅ぎつけて、買い取った次第と記憶していた。
 屋上にある謎のヘリポートが役に立つことなど、永劫えいごうあるまいと思わざるを得なかった。

「(この建物を初めて見るまでは何となく、霊装能力者って上振れな人類では? っと幸福な思い違いしていた時もあったな)――やれやれ」

 ギィー。
 錆びた門扉を手動で開ける。脇にいる突っ立ってるだけの守衛に意味不明な会釈を与えると、にこやかに応じてくれた。

「(身分確認すらしないのか)どうも」

 給与も保障も低い協会関係者であれば仕方がないか。そういえば、この前の草壁町での危険手当の額も知れていたな、っと余計なことを思い出した神薙は、さらに力を失った足取りにて進む。
 建物正面上部の、薄汚れた目立たない場所に、薄っすらと天秤の印章が刻まれていた。
 ――そう、ここは。


 日本霊装協会 第七支部。
 霊装能力者が所属できる協会(昔は互助組合)の日本支部の一つであった。

 表向きはNGO団体であり、法人格も取得している。
 本部は十六世紀に北欧のスウェーデンにて設立されていた。現在は世界の様々な国において支部が、だが秘密裏ひみつりに存在すしている。
 月桑市には国内の序列七番目の支部が存在するが、土地面積や人口密度と比較しても、日本のそれは諸外国に比べて少ない方であった。
 霊装協会の設立理念としては、以下の通りである。
一、通念、霊装能力は人間社会に対して秘匿ひとくすべき特異概念であり、特例を除きこれの遵守を内外へ徹底させる。
一、特異事象および危機概念の対応に徹し、非能力者、引いては人間社会の守護を行動理念とする。
一、協会は霊装能力者と非能力者を繋ぐ懸け橋となるべく、不断の努力を行う。
一、所属する霊装能力者の心身に対して、必要な介助を行う義務を負う。
一、所属霊装能力者へ、労務に見合った対価を与える。

 ――本部以外の協会には支部長、副支部長、その他役職や職員が常在している。
 協会の主な役務は、会員に対する仕事の斡旋および管理、給与支払いなど事務処理、また人間社会における非能力者の対応組織(警察など)との折衝役などである。
 そして、霊装に関する指導・訓練については国ごとの協会支部にある程度の裁量が委ねられている(日本では主だって行われていない)。
 会員の給与は固定給+歩合制であるが、危険業務に見合う金額とは言い難いのが現状であった。さらに財源は寄付、助成金、収益活動、融資による借入金およびその他(秘匿事項)であり、収支においては赤が目立つ。
 さらに、協会員は会員と準会員に分かれており、会員は給与支払いや福利厚生において好待遇であり、準会員はそれに劣る。
 一方、危険度が高い仕事(危険手当相当)は会員優先で手配され、準会員は仕事内容次第では、回数制限の無い拒否を行える(勿論、乱発すると処罰や除籍の対象になる)。
 ――迷子犬探しから、果ては危険生物の討伐までと、業務内容は幅広く、適材適所で依頼を協会員に割り振っていく。
 そのため、戦闘系霊装能力者の数が足りていない支部では、その適性のため、危険な任務しごとばかりを割り振られる会員も少なくない。

「(秘匿義務があるとは言え、所長の様な一般人の協力者もいる。また、警察等の公的機関の一部の人間にもだ)連中だって奇怪な化物相手に、大切な署員を失うなど受け入れられないだろうしな」

 あらためて、苦労と寒さによる溜息の二重奏を奏でつつ、重く分厚い、手動の硝子製の扉を開き、建物内へと入る。玄関ホールは吹き抜けになっており、一般の中小企業のロビーくらいの広さであった。
 時がいつからか止まっていたかの様に、壁は鮮やかさを失った薄緑のタイルが貼られており、床は重たい褐色のフロアタイルで敷き詰められていた。
 待合用の無駄に広々とした空間において、正面奥に階段、左右には通路が伸び、それぞれ事務室や倉庫へと繋がっていた。
 尚、支部長も含めて常在している人数は五名ほどであった。しかし役職以外は嘱託しょくたくの人間で構成されており、会員ではない彼らは当然ながら非能力者であるため、単純作業のみを任さており、霊装についてはその単語すら知り得ていなかった。

「そうか、日曜日か。役職以外が不在なのは当然か――」

 むしろ不図ふずに、一般的な日曜日やすみにて、労働に励んでいる自分を再認識してしまったためか、軽く頭を掻きながら上階へ向かおうとする、と。

「おぉ~い、神薙ぃ」

 左通路から現れた男が、やや低い野太い声にて、呼び止めてくる。

「なんだ岸堂か。坊さんが何の用だ」

「なんだとはなんやねん」

 少しダブついた茶色のテックリブリット姿で、白いテーパードパンツを履いている彼の名前は、岸堂善弥。
 普段は実家である宝月寺ほうげつじの手伝いをする傍ら、霊装協会の正会員として協会の依頼もこなしていた。
 年齢は二十五歳。身長は神薙とほぼ同じくらいで、中肉中背であり、顔は中の下との酷評を、高校生時代に後輩の女学生より受けていた。なお、頭頂は剃毛ていもうにより輝いてた。

「? 今日はホッシーおらんのか?」

「いつも星宮あいつと一緒みたいな言い方はやめてくれ」

「あんだけ仲よ~て、何でお前ら付き合ってへんねん?」

「(あぁ、こいつは星が以前、男だったことを知らないのか)応えるに値しない質問だ」

「はぁ? まぁ、それはそれでええか。――んで、元気にしとったんか?」

 人懐っこい笑顔で神薙の肩を叩く岸堂は、相手の身分や評価を気にせず応対するという意味で、好男子とも言えた。
 だが、神薙は微妙な表情で応じる。

「――あぁ。幻核生物を沈めたり、バラバラにしたりしつつ、徹夜で仕事をしてもすこぶる元気だ。個人的にはさっさとぶっ倒れて欲しい所だがな」

「……相変わらず粉骨砕身なやっちゃなぁ」

「仕事だ。報酬ももらっている」

「適正なんかいな」

「知らん」

 星宮以外の同僚とは顔を合わせる機会が少ないため、第七支部において、同僚が雑談すること自体が珍しいとも言えた。
 ――とは言え、神薙の面持はいつも通り渋いままであった。どうしたらと頬をかく岸道は、そうそうとわざとらしく口を開く。

「さっき、協会が発行しとる報告書レポートをチラっと見たんやけど、最近、幻核生物の発生件数、多すぎひんか?」

 何とも言えない絶妙な話題であった。

「統計的に有意かどうかまでは知らんが、最終的に幻核生物と遭遇するケースが増えている気はする。体感だがな」

「やっぱかぁ。まぁ、人手不足もあるやろうけどなぁ。――ほら、ウチは他所よそと比べて弱小支部やし」

 確かに第七支部が保有する戦闘系霊装能力者は、他の支部と比べて貧弱と言えた。
 岸堂は、眉を八時二十分の方向へ下げながら口を動かす。

「第七支部で戦闘系の霊装持ってんの、神薙おまえを含めて二人しかおらんしなぁ(汗)」

「本当にうれいているのなら、霊子装甲をまとって(幻核生物を)殴り倒してくれ。C+未満なら出来なくもないだろ?」

「あほか! 武術なんて習ってへんわ。中学の時、体育で柔道やっただけや。

「俺のは、生存目的でやむ無く学んだだけだがな――」

 左手を軽く腰に当てつつ、首を鳴らす神薙へ、それでも岸堂は同情する風に頷く。

「――うん。やっぱ悪いけど、殴り倒すのは無理やわ」

「じゃあ、読経どっきょうして倒すとか出来ないのか? 霊装は能力者の出自や境遇に影響されると、レポートで読んだことがあるぞ」

 譲歩する岸道を、なぜか容赦なく言葉で追い込む。

「出来たらやっとるわ! っちゅーか、幻核生物は怨念や無いねんぞっ?」

「まったく――なぜそういう霊装を持っていないんだ」

「無茶苦茶ゆーなやっ!」

 軽く掴みかかろうとする岸堂の手を、難なく横に避けた神薙は、彼の肩甲骨の中心から少しずれた位置を、軽く人差し指で押す。

「うおっ!」

 声と同時にぐらつく岸堂は態勢を崩して、思わず尻持ちをつく。
 言い返す言葉を準備する間も無く、見上げる。

「――いいか。依頼内容に身の危険を感じたら俺達に回せ。それだけだ」

 顔も見ずにそうとだけ告げると、神薙は奥へと通ずる階段を目指す。
 岸堂は、くだらない茶番が、結局は神薙ともう一名以外を気遣っての言動だと理解する。

「(なんやねん。結局、俺らの心配してるだけやんけっ)――おい、神薙!」

 足を止める代わりに、階段をのぼる速度を幾らか落とす。

「琴船さん。副支部長室やのーて、資料室におるで!」

 その言葉を受け取り、軽く手の甲を振った後、そのまま階段を上っていく。

「(ほんま、無理し過ぎんなよ)ったく」

 ……岸堂と分かれた後、色染みが所々に点在する廊下の壁紙を視野に収めつつ、奥にある資料室の扉前にて立つ。
 全体的にぼろい建物内にて、眼前の建具とびらに設備されるのは、似つかわしくない、最新のパスコードの入力端末であった。
 当然、非能力者が間違えて入ってこないための安全策であったため、馴れた手つきで入力する。
 ピピピ――トゥーン。
 小さな認識音の後、開錠される。引き戸を開けて室内へと入る。
 カラカラ。
 古紙独特の、少しツンとする匂いが、神薙の鼻腔をくすぐる。本好きな彼にとって、嫌いな匂いではなかった。
 およそ十畳ほどの広さであり、所狭しと書棚が並んでいた。電灯も頼りないこの資料室には、協会が一般会員向けに開示可能としている様々な資料が埋蔵されていた。
 例えば各国の協会支部の霊装の動静、また霊遺物レガシーや過去の幻核生物、などを含めた、怪異などについてであった。
 電子情報化が官民問わず進められている中、だがやはり紙片アナログによる外国語が大半であった。

「神薙く~ん。こっちこっち」

 書類棚の林が遮蔽物のごとく重なる奥にて、中年女性の声と姿が届く。
 返答の代わりに歩み寄り、室内の唯一の光源である古びた窓が、神薙へあかりをもたらす。

「クリスマスなのに悪いわねぇ。副支部長室まで行って戻ってきたんでしょ?」

「いえ、途中で会った岸堂が教えてくれたので、二度手間にはなりませんでした」

 そうなんだ? 彼にも案件を頼んでいて――っと話しつつ、法令線が刻まれた笑みを浮かべるこの女性。
 名前は琴船薫ことふねかおる、四十三歳女性。ショートヘアで体系はややふくよかなバツ一の子持ちであった。
 そしてこの彼女こそ、霊装協会第七支部の副支部長に他ならなかった。

「まぁ、そっちの椅子に掛けて。お茶は出ないけど」

「間に合っています」

 さほど緊張した様子もなく、資料室に一つしかない小さな机を挟み、神薙はゆったりと腰をかけた。
 間の机の上で、陽に照らされた埃が、踊る様に舞った。

「なんで呼ばれたか、わかる?」

 鋭い微笑を浮かべつつも、意地悪な感じで問うてくる。

素行そこうに問題のある俺を、ついに除籍処分にしてくれるんですよね?」

「んふふ、心配しないで。あなたみたいな人材、から」

 微塵も表情を崩さない琴船に対して、半開きの口のまま、神薙は一旦目線を外し、来るんじゃなかったと、今更ながらに溜息を吐く。

「――呼び出した理由は二つ。簡単な方から済ませるわね」

 笑みを消すと、クリップで留められていた七枚ほどの報告書レポートを、神薙の前に滑り置く。

「ん? これは俺が先月提出した【草壁町の報告内容】とほぼ同じでは?」

 十一月に草壁町で起こった怪異について記載であった。
 加害者であり、被害者でもあった外場氏が、ある男性? なる存在から譲り受けた黒い液体により、幻核生物すら呼び寄せる怪事へと発展した案件であった。
 机の上のそれらが示すは、同内容で相違なかったが、全て英語で表記されていた。

「私と支部長の意見だけど、この件についてはかなり特異な、あるいは過去に例のない、やはり異例な案件だと思うの」

 いつの間にか、琴船引っ込んでいた引っ込んでいた。思うところがあってか、神薙も眉間に皺を寄せる。

「やはりあの幻核生物と関係がありそうな、黒い液体が焦点でしょうか?」

 霊装協会の基本的な整理として、幻核生物は出現経路不明であり、この世界の全てに害なす人類の――いや生命の天敵とされていた。
 もし、黒い液体という媒介物質にって召喚、あるいは呼び寄せらているならば、元を絶つ事で幻核生物の来訪を阻止出来るかもしれない。

「私達はどちらかというと、その黒い液体を譲渡じょうとしたとされる男性? なるものに、底気味悪い不気味さを覚えたわ」

「外場の日記に出てきた、『最初は得体が知れなかったが――』に始まる人物ですね」

 頷く琴船であるが、これだけの断片的な情報では雲を掴む様な話なのは、互いにわかっていた。

「――霊装能力者でしょうか?」

「それもわからない。けど念のためにと、霊装協会本部にこのような事例が過去に無かったか、問い合わせたの」

「わざわざ本部にですか?」

 珍しく神薙から驚きの声がこぼれ漏れるが、それも無理なかった。なぜなら、スウェーデンにある霊装協会本部は、あらゆる意味で先進的であったためだ。
 施設設備や研究精度、登用人材および財源力のすべてにおいて秀でていた。本部に所属するということは、会員として一目置かれることと同義であるほどである。

「――えぇ、すると本部から応答で、『原文や資料を全て送って欲しい』との通知が来たくらいなの。そこで、現地で説明のために、わざわざ支部長が英訳した資料を持って渡航した始末なのよ」

「だから支部長が不在だったんですか」

 自分が提出した資料が、何やら大事おおごとになっていると今更ながら気づき、妙な気分を味わう神薙であった。

「でも、とりあえずはお手柄よ。今回の報告は霊装協会の振興と、引いては幻核生物の撲滅へのヒントになるかもしれない」

「――手柄?」

 調子良く会話していた神薙の声量が、不図ふずに落ち込む。そう、神薙はあの日の夜の光景を思い出す。
 悲痛な表情で絶叫する外場、うごめく怪異、そしてその妻の人物画を通して垣間見た過去へ、涙した星宮の姿を。

「? どうかしたの、神薙君?」

「――これは偶然の産物であり、俺の手柄なんかじゃ、ありえませんよ」

「えっ?」

 手柄に偶然も必然も無いのかもしれないが、少なくとも神薙にとって、誰かの犠牲の上に成り立って得た手柄など、微塵も価値を感じられなかった。
 遠い日の彼の過去が、そんな理念を、ゆるしはしないのであった。

「神薙君。あたし何かNGワードを踏んじゃった?」

「――いえ、こちらこそすみません。それより、二つ目の要件をお願いします。望月所長をわざわざ使いに寄越したくらいですから、そちらが本題でしょう?」

 見透かす様な神薙の言葉に、むしろ期待通りといった琴船は、手早く二つ目の案件の説明へと移っていった。

「話が早くて助かるわ。――これを見て」

 さっきとは全く異なる紙資料が手渡される。今度は日本語であった。

「これは、死亡診断書の写しですか?」

 二通あるそれらは、何ヵ所もが黒塗りされていていた。市役所などで見られる公文書公開請求に似通っていると思う神薙であったが、手順と得られた結果に、違和感イレギュラーを覚える。

「こんなもの。よく手に入れられましたね」

「んふふっ。方法は営業秘密だけどね」

 逆に知りたくもないです、っと手帳を取り出す神薙へ、琴船があらましを話し出す。

「……市内在住の八十三歳の女性と五十四歳の男性それぞれが、二ヶ月前と一週間前に、心臓発作で亡くなったの」

 資料に目を走らせつつ、神薙はペンを握る。

「(心臓発作自体、稀とは言え誰にでも起こりうる突発的な心疾患ではあるが)――二人が心筋梗塞や狭心症を患っていたとの記録は?」

「無いわね。だからこそ不審に思っているの」

「なるほど。次の質問です。年齢も性別も異なる二人ですが、死因に関係しそうな共通点等はありますか?」

 その問いに対し、琴船もいくつかの資料をめくりつつ、溜息を吐く。

「無いわね。共通点として、二人とも亡くなる当日、市内の山裾やますそにあたる|竹黙ヶ原《ちくもくがはら)を訪れていたくらいよ」

「竹黙ヶ原、ですか―」

 神薙は、その膨大な知識の束を瞬時に紐解く。
 竹黙ヶ原という名称ではあるが、標高は市街地より二百メートル以上の位置にある、国有林の極一部である小高い竹林であった。林内は起伏が激しく、竹を主体とした木本類が密集しているため、林外および林内において、視界が得られにくい土地柄であった。

「(筍の季節でもあるまいに)なぜ、亡くなったお二人はその場所を訪問していたのですか?」

「八十三歳の女性は重度の認知症を患っていて徘徊癖はいかいぐせがあったみたい。自宅の近くの山へ行っていたのも、分からなくはないわ。――五十四歳の男性は、県の林業試験場の技官で、仕事の傍らに」

 神薙のせた薄黄色の手帳が次々に黒く塗りつぶされていく。そして琴船は、最も気になる点を告げる。

「死因と直接の原因は無いとされているけど、備考欄に、両遺体の鳩尾みぞおち部分に、径0.2ミリメートル、深さ三センチメートルの、刺創しそうがあったとの記載があるわ」
 神薙のペンが止まる。
 優しい温かな密室にて唸る琴船が、逆に問い掛けてくる。

「そもそも本当に心臓発作? っていうか、司法解剖はしたのかしら?」

「――日本では、刑事事件絡みで無ければ司法解剖は行われないのが通例です。というのは、で無い限り、遺族は遺体を傷つけることに反対し、行われません。あと、こう言った場合は病理解剖が名称として適当ですよ」

 なるほど、っと椅子にもたれかかる琴船は、だが神薙の知識の深さにさほど驚いていない動静であった。

「もし、この鳩尾の刺創が死因だとしたら?」

「医学に詳しくはありませんが、おそらく鳩尾にこの径とこの深さの針を使い、心臓発作を起こす様な薬を注入することは、現代技術では困難な様に思えます」

「――含みがある言い方ね」

 ペンを顎に当てながら、神薙を見据える琴船は、黙して答えを待つ。

「えぇ。非常識レアケースとのののしりを覚悟であれば、異常存在の結晶たる幻核生物については、その範中はんちゅうに含まれません」

「――了解。神薙君の推論が的外れでなければ、協会の出番ということでどうとでもなりそうね。先手を打っておいて正解だったわ」

 見切り発車な琴船の発言に、神薙は問いかける。

「先手、ですか?」

「岸堂君にお願いして、手掛かりを探してもらってるの。竹黙ヶ原と言っても、かなり広いじゃない?」

「――なるほど。この様な案件であれば、条件次第であいつの霊装は役に立ちますね」

「そういうこと♪」

 壁に掛けられたアナログの時計を見るに、時刻は十二時を刻んだ所であった。

「現調(※現地調査の略語)の前にこちらも一点あります。星宮の性転換の件については、なにか進展はありましたか?」

 僅かに目を見開く琴船は、眉毛を八時二十分の方向へと下げる。

「ごめんなさいね。色々と照合してはいるんだけど――」

 そう言いつつ、やはり大息いきを吐く。
 星宮の女体化の件は、類を見ない大事おおごとと言えた。戸籍の変更や、身内の記憶補正など、ある意味において霊装教会所属の能力者を総動員した異例事態でもあった。
 しかし、入口も不明であれば、出口も行方不明のままであった。

「――いえ、確かに例を見ない事例ですからね。引き続きお願いします」

 音をたてて席を立つ。

「他に質問はない?」

 色褪せた書類棚を軽く眺めた後、神薙は。

「今回の件、岸堂から情報を受け取ったら、俺単独で任せてもらって構いませんよね?」

「……ん~、その辺は現場判断に任せるかなぁ」

 幻核生物が元凶と思しき案件は、霊装能力者が二人以上で臨むのが原則であった。しかし戦闘系霊装能力者は、有事の際の対応力の高さから、免除になることがある。
 特に神薙は、相手が危険と事前に察知すると、単身で依頼をこなそうとする癖があった。琴船が、そんな彼の、その背負いすぎる背中に明るい声をかける。

「あ。お昼まだだったら一緒に食べ行く?」

「時間が惜しいので遠慮します。夜までに戻らないと、うるさいのがいるので」

「えぇ~っ! やっだぁ~。星ちゃんとクリスマスなんて、いつからそんな深い仲になっ」

 バタン。
 やや、というかかなり乱雑に扉が閉められた後、室内には静寂が戻る。
 部屋に残った琴船。相変わらず窓辺から差す日光は弱いが、長時間照らされ続けたため、机の上はほんのりと暖かかった。

「頭の回転は早いし、腕も立つしで申し分ないんだけど、もうちょっと誰かを頼るってことを学んだ方がいいわねぇ~」

 書類をめくりながら、管理職はひとり、そうちった。
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