禁断介護 老いた木に咲く若花

ニッチ

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一本目 おさわりは禁止だよ?

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「い、いひひっ。か、花梨かりんちゃんの、白パンツ」

「――えっ? ひゃぁ!」

 穏やかなはずの秋の土曜日のお昼下がり、つい出てしまった大声は、築何十年の木造の家の壁に吸い込まれた。年季の入った台所の流し台に立つ私は、驚きで黒のポニーテールを大きく揺らした。
 くたびれて黄ばんだエプロン姿のまま、濡れた指で背後の制服スカートを抑えた。困りながらも振り返り、目線を降ろす。

「こ、こら。ダメだってば、お爺ちゃん!」

「ひ、ひひっ」

 古びた傷だらけ木床の上には、白い髪に白い眉、さらに白い鼻毛のお爺ちゃんが屈んでいた。今年で九十歳になるしわだらけの灘吉なだきちお爺ちゃんは、何が嬉しいのかニタニタ笑っていた。ヨレヨレの白のシャツに白の股引パッチという、オシャレとは真逆の格好で。

「あんよ(※幼児語で足の意味)も、キレイキレイ」

 し、しかも見るだけじゃなくて、骨ばった手を――ひゃん――す、スカートの中のふくらはぎへと、伸ばされちゃう。

「も、もぅ」

 ハァァ~。義理とは言え中学三年生の孫娘わたしに、常日頃いつもこんなことしてくるんだもん。スキンシップ? いいえセクハラです。
 まぁ、認知症をわずらっているもんねぇ。ちょっと口で言ったくらいではわかってくれないし、かと言って足蹴あしげになんてもちろん出来ないし。

「いひ、ひひっ」

 絡むみたいな視線と細い指先のせいで。急いで残りのお茶碗とお椀を洗おうとするけど、その間もお爺ちゃんの指が少しずつ――んんっ――登ってきちゃう。
 ひざ上、太腿ふとももと、まるで毛虫が樹の幹を登るみたくゆっくりと――ひゅん!

「(い、いくら私がお爺ちゃんっ子だったからって)ちょっとお爺ちゃ……きゃぁ!」

 モニュ。
 しし、信じらんないっ。パンツの上からお尻を揉み撫でるなんてっ。し、しかも味わうみたく、モニモニ、って。うぅ、なんか痴漢にされているみたいでやだぁ。

わわ。花梨ちゃんのお尻、ったか柔わわ」

 無邪気な顔と声だけど、邪気丸出しの行為を行うお爺ちゃんには溜め息しか出ない。蛇口を止めて、エプロンで水気みずけを取りながら、さすがに限界と。

「んもぅ、ダメだっでばぁ!」

 その手を振り払うみたく半回転して、大きな声を出してしまう。

「ひっ」

 ビクリッ。
 ――あっ。縮こまるみたく震えるお爺ちゃんは、両手でそのシワだらけの顔をおおった。細い目をさらに細めて、唇をへの字にしつつまるでこの世の終わりみたく、消え入りそうな声で。

「ごめ、ごめ。ごめん花梨、ちゃん。いぐ、ひぐぅ」

 ――ズキン。
 怒られた幼児よりも落ち込むお爺ちゃんを見て、胸の痛みを感じる私は、慌ててしゃがんで寄り添う。右手でその骨ばった背中をシャツの上から撫でて、左手で髪を耳後ろへ揃えつつ、顔を近付ける。

「ご、ごめんねお爺ちゃん。大声出しちゃったね。花梨が悪かったね」

 罪悪感に包まれながら謝る。
 市の訪問職員の人が言っていた。『ここ二年くらいで、幼児的な言動が、より顕著けんちょになって来ています』って。別にお爺ちゃんが、なりたくてこうなったわけじゃないのに。

「……花梨ちゃん。ボク、嫌い?」

 小さくてつぶらな黒い瞳で私をのぞき込む。

「ううん。大好きだよ! そうじゃないならこんな風に、毎週土曜日に来たりしないよ~」

 パンツが見えても、臭う息が間近で当たっても全く気にもせず、笑顔で元気づける。

「じゃあ。イイコイイコして、して?」

 そう言って上半身をこっちへかたむけてくると、シミだらけのおでこが近づいて――ムニュウ――制服の胸の部分をへこまされる。
 私は同い年の女友達と比べて胸が大きいのが、コンプレックスだけど、こういう時だけは役に立ってくれた。お爺ちゃんはさらに私の腰のくびれに手を回してきて、顔面を胸に押し付けて――んっ――けどこれ以上は怒れないかぁ。
 窮屈きゅうくつな姿勢だけど、仕方なくお爺ちゃんの後頭部に左手を軽く添える。白髪すら薄くなった頭頂部はもはや地肌だった。む、胸に押し付ける力が思ったより強くて、倒れそうになるのを、こらえながらゆっくりと。

「灘吉お爺ちゃんは、と~ってもいい子だねぇ」

 そう言って落ち込んでいるお爺ちゃんを元気づけると、不思議と胸の奥がほんわりと温かくなることがあった。

「えへへぇ。花梨ちゃんすき、だいしゅきぃ」

 モニュ、ムニュ。な、何だかもう元気一杯って感じだけど、気にしない、気にしない。
 ポロン、ポロロン♪

「もう。午後三時かぁ」

 ずっと昔からある壁掛けの時計が、時報のオルゴールを鳴らしたため、顔だけを上げた。
 色褪いろあせ、ぎこちない動きの壁掛け時計は、お婆ちゃんと結婚した年に一緒に買ったという年代物らしい。まるで古いお話に出てくるみたいなのに、一度として壊れることなく、この家に時と音を刻み続けた――。

 ……私、村居花梨むらいかりんは地元の公立中学に通う、いたって普通の三年生だった。友達は多くも少なくもなく、成績は国語が少しできる以外は普通で、どっちかと言うと気は弱い方だった。顔や体に関しても、オッパイが大きい以外は平均的な女子だと思っている。女友達からは『スタイルいいよね』と言ってもらえることもあるけど、男子達には陰で下ネタを言われたり、大人の男の人にはジロジロ見られたりと、むしろ悩みの種だった。
 シングルファーザーだったお父さんは、私が五歳の時に、今のお義母かあさんの家へ婿入むこいりした。私の旧姓は田所たどころだけど、村居へ変わったのも、都会からこの地方都市へと越してきたその年だった。四人兄妹きょうだいの末っ子のお義母さんはとても真面目でいい女性ひとで、市の役場に勤めていた。
 お盆や年末年始には親族一同、灘吉なだきちお爺ちゃんと、今はもう亡くなった小春こはるお婆ちゃんと過ごすため、この家に集まってご飯を食べたりするのが習わしだった。ここは古い家だけど広くて、昔ながらのしっかりした造りだった。初めて訪れたその日から、不思議と落ち着けたのを、今でも覚えている。
 でも再婚当初、親族の中でも新参者だった私とお父さんを、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、何かと気に掛けてくれた。特に私なんて、血の繋がりの無い孫なのに、ボール遊びやお勉強、また将棋なんかの昔の遊びも教えてくれたりと、いつもいつも可愛がってくれた。今でも胸に残っている、豪快で愉快な優しいお爺ちゃんの笑顔が、みんな大好きだった。
 ――けれども、お婆ちゃんが五年前に亡くなってから、お爺ちゃんは急に元気が無くなった。それだけじゃなく、家族や親族へ辛く当たる様になってしまった。
『ワシの遺産が目当てなんだろ!』
 何て事を叫んだりする様になって、次第に親族が集まることも、気に掛けることも減っていった。長男にあたる叔父さんは特にお爺ちゃんと怒鳴り合うことが多くなって、とても怖かった。お世話役をたらい回しする内に、末っ子のお義母さんの出番が多くなっていった。
 大変そうなお義母さんを見続けて、小学校高学年くらいから学校が休みの日、たまに私も手伝う様になっていった。だって、お爺ちゃんが変わってしまっても、お爺ちゃんとの想い出は変わらないから――。そうこうして半年経ったある日、珍しく笑顔なお義母さんが、『花梨ちゃんがいると、お爺ちゃんの機嫌がいいの』なんて言われて、悪い気はしなかった。何よりあれだけ目にかけてくれた、皆の中心にいたお爺ちゃんが、いつも独りで寂しく過ごしていることに、胸が痛んだ。
 でも中学生になるくらいから、お爺ちゃんの私の身体を見る目つきが、少しずつ変わっていくのに気付いた。お義母さんは気にしなかったけど、胸やお尻や脚へ視線を飛ばして、さらに今日みたく二人っきりになると――エッチなお触りもしてくるようになった。
 嫌だなぁ、と思う半面、寂しさをまぎらわせるためとも感じた。あれだけ仲の良かったお婆ちゃんがいなくなって、近所付き合いも無くなり、身内に会う機会も減っていって……。

 ピンポーン。

「わっ、と」

 お爺ちゃんの肩を揉んでいるとインターホンが鳴った。おそらくお義母さんが来てくれたんだ。
 玄関へ迎えに行こうよ、っとお爺ちゃんを誘うと、さっきまでの表情とは打って変わって、途端に石みたいく硬くなった。仕方なく荷物をまとめて、私一人で向かった。

「お義母さん」

「ありがとう花梨ちゃん。いつも通り、晩御飯はお父さんと食べてね」

 バトンタッチをする形で、玄関から庭へと出た。
 ――昔に比べたら荒れている庭だけど、秋風で柔らかく揺れる秋桜コスモスの奥では、金木犀キンモクセイが穏やかな香りを散らしていた。にれの木の隙間から差し込む夕日が、私の網膜を軽く焼く中、外門を開けて出る。長い髪を揺らして振り返って、家を見上げた。
 灰色の古い漆喰で塗られた家は築五十五年が経った今ても、ドッシリと構えていた。鬼瓦もしっかりしていて、今でもお爺ちゃん達の想い出を守っている。
 自転車のカギを外した直後、家の中からお爺ちゃんの怒鳴り声が聞こえた気がした。少し迷いつつも、宿題や友達とチャット会話をする約束を思い出して、ペダルを足裏で踏み始めた……。
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