如月を待つ

玉星つづみ

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2月2日(金)

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 今日も学校帰りにおばあちゃん家に行った。
 おばあちゃんはちょうど出かけるところだったようで、玄関で鉢合わせた。

「おばあちゃん、どっか行くの?」

「あら、うたちゃん。ごめんねぇ、お隣さんにおすそわけをしに行くところなのよ。中で待っていてちょうだい」

 そう言われたので、私は家へ上がる。リビングへ繋がるドアを開いて、目を見張る。

 いた。昨日の、チャラそうな男。

 目が合った。昨日と同じように逸らされるかと思ったが、今日は違った。

「それ、君に渡ってたんだ」

 男がここにいたことにも、話しかけてきたことにも驚いて、私は何も言えなかった。
 お母さんに連絡……それよりもお兄ちゃんのほうが頼れそうか? それとも、警察に通報する? 番号は、何だったっけ。

「てことは、今年からは君のとこで世話になるわけね」

 彼は立ち上がって伸びをすると、こちらに近づいてくる。

 やばい、やばい。どうしよう。逃げなきゃ。
 とにかく外に出ようと振り返ると、そこには閉じられたドア。

「ふぎゃっ!?」

 思いっきり顔からぶつかり、その場に崩れ落ちる。

「え、何してんの? 大丈夫?」

 顔を覗きこまれて、恐怖のあまり声も出なくなってしまった。
 彼の瞳は、あまり見ない色だった。紫。ちょうど昨日、おばあちゃんからもらったネックレスと同じ色。

「もしかして、オレのこと見えてる?」

 見えてるって、なんでそんなこと聞くんだろう。そりゃあ、見えてるに決まってる。

「あー、怖がらせてる感じ? それとも見えてない?」

「あ、えっと」

「やっぱり見えてる!? え、マジぃ?」

 私が言葉を発した瞬間、彼は嬉しそうに、口を手で覆って驚いていた。

「名前! 名前、なんていうの?」

「う、詩……」

「詩ちゃん? そっか、そうなんだ。可愛い名前だね」

 怖そうな人だと思っていたのに、無邪気な瞳で見つめられて、私はこの男が何なのかとか、いろいろ訳がわからなくなっていた。

「詩ちゃんは、こずさんの孫?」

「そうだけど……」

「やっぱりぃ? 若い頃にそっくりー」

 おばあちゃんの若い頃って、彼のような若い人が知るわけがない。それとも、おばあちゃんにアルバムを見せてもらったんだろうか。私には見せてくれたことないのに?

「詩ちゃん、トランプで何かゲームしない? 神経衰弱か、ババ抜き。それか――」

「ちょっと待って。あなたは、誰なの?」

 男は目を見開いて、「そっか、わからないんだ」なんてブツブツ呟いた。私の方を見て、ニコと笑みを浮かべる。

「オレはね、二月の精霊だよ」

「はぁ」

 おばあちゃんと同じこと言ってる。そうやっておばあちゃんを騙して、お金を払わないと不幸になるだ何だと言って、お金を騙し取る作戦だったのか?

「詩ちゃんの家系は代々、二月の精霊の受け入れをしてくれてるんだよ」

「何それ?」

「要は、二月の精霊のホームステイ先になってくれてるってこと」

 全くわからない。というか、彼の話には信憑性が全くない。
 やっぱり警察に通報しようか。

「てか、二月の精霊って何よ……」

「二月を司る精霊だよ」

「いやそれ説明になってないから」

 風の精霊とか、火の精霊とかなら、まだわかる。けど、二月の精霊って、微妙な感じの嘘に騙されるわけがないだろう。いや、むしろわかりにくいほうが騙しやすいんだろうか。

「そうだ、詩ちゃん。昨日、ここ来てたよね? オレの指輪知らない?」

「指輪?」

 あ、思い出した。そういえば、昨日、男が忘れて行ったものを私が回収しておいたんだ。

「これのこと?」

「あ、それ! マジで助かった!」

 彼はそれを自分の指にはめ、ふにゃりと笑った。

「これ、そのネックレスとお揃いなんだよ」

 彼は私の首元を指差した。アメジストのネックレス。昨日、おばあちゃんからもらったもの。おばあちゃんが喜ぶかなと思って、身に付けてきたのだ。高校の制服とは全然合っていない。
 男の指輪にも、同じアメジストがはめ込まれている。でもデザインは、私のはシンプルで、彼のはゴツい。おそろいには見えない。

 でも、一つだけ。彼が少し寂しそうな顔をしたのが気になった。すぐにヘラヘラした笑顔に戻ったけど。

「あの」

「ん?」

 何だか、彼は詐欺師とか、犯罪者じゃないような気がしてきた。こんな無垢な瞳ができる人が、犯罪なんてできるだろうか。
 いやいや、おばあちゃん家にいるチャラそうな男なんて、不審極まりない。絶対、何かある。

「出ていってください。じゃないと、警察に通報しますよ」

「えぇ」

 しゅんと眉が下がる。悲しそうな彼の様子に、申し訳なくなってくる。
 でも、これで本当に犯罪者で、おばあちゃんがそれに巻き込まれるなんてことがあったら、それこそ後悔する。

「オレ、怪しい者じゃないから」

「いやどう見たって怪しいでしょ」

「どうしたら信じてくれる?」

「あの話を信じろって無理でしょ」

 彼はガックリと項垂れた。やっぱり申し訳なくなってきた。

「あなたの名前は?」

 一言、そう聞くと、彼はぱっと顔を輝かせた。感情表現が豊かな人だな、と思った。そういう演技じゃないことを祈りたい。

「オレは」

 そこまで言って、彼は首を傾げる。

「二月の、妖精」

「それは聞いた」

「でも、それ以外に呼び名なんてないよ?」

 なんだよそれ。せっかく聞いてあげたのに。嘘でもなんでも言っときゃいいのに。

「じゃあなんて呼べばいいの?」

「……妖精さん?」

「なんかヤダ」

「なんで」

 妖精というのは、小さくて可愛いイメージだ。彼は身長が高めで遊んでいそうな男。妖精には見えない。

「詩ちゃんが決めてよ」

「は?」

「ダメ?」

 思わず低い声が出たと思ったけど、彼は気にしていないようだった。
 私はため息をつき、考える。

「二月って如月だっけ? じゃあ如月きさらぎね」

「如月、如月かー。いいじゃん、響きがいい」

 適当だったのに、思ったより喜ばれてしまった。二月って本当に如月で合ってたかな。

「響きがいいといえば、詩ちゃんの名前もだよね。うたちゃん、ってマジで可愛い」

「それはどうも」

「誰が付けたの?」

「お父さん」

「え、詩ちゃんのお父さんってことは…… 幸司こうじ!? あいつセンス良かったんだ」

 お父さんのことまで知ってるとか、本当に何者? 気持ち悪いとさえ思ってしまう。
 まさか本当におばあちゃんの知り合い? それか、お父さんの会社の後輩……にしては、お父さんに「あいつ」とか言ってるし、ないか。

「あ、詩ちゃん危ない!」

 不意に、頭を引き寄せられた。

 背後で、扉が開く音がした。それと、彼の腕越しに伝わってくる衝撃。

「いてっ」

 かなり勢いよく開いたから、相当痛かったんだと思う。彼は痛そうに腕をさすっている。

「は、詩? 何してんの、座り込んで。邪魔なんだけど」

「お兄ちゃん乱暴すぎ。もうちょっと静かに開けれないの?」

 おばあちゃんが帰ってきたのかと思ったら、お兄ちゃんだった。最悪。

「てか誰もいねーの? ばあちゃんは?」

「え?」

 見えてない、のか? 目の前にいるのに?

 お兄ちゃんは、知らない男に対して、何も突っ込まなかった。お兄ちゃんが来て、私は少し……ほんとにちょこっとだけ、安心したというのに。

「詩ちゃん、大丈夫だった?」

 さっと血の気が引いた。お兄ちゃんには見えなくて、私だけが見えている。彼は一体、何なのだろう。
 怖い。不審者も怖いけど、私は幽霊とかそういうよくわからないものの方が怖かった。

「詩、なんか顔色わるくね?」

「え、え? あなた、なんなの? なんでお兄ちゃんには見えないの?」

 如月は、ニコリと笑った。

「だから、二月の精霊だってば」
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