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2月23日(金)
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リビングには、お母さんと、お兄ちゃんと、それからお父さん。家族全員が一緒に朝ごはんを食べながらテレビを見ていた。
今日の朝ごはんは、お兄ちゃんが珍しくやる気を出して作ったベーコンエッグ。ちょっと焦げているけど、それなりに美味しかった。
「ごちそうさま」
食器を片付けに台所へ行く。
ちらりと如月を見た。図々しくソファーでくつろぎながらテレビを見ている。
如月にはいろいろと聞きたいことがある。まず駅前で人を突き飛ばしたという噂の件、それから昨日の猫の件。如月は悪い人じゃない……と思いたいけど、昨日の出来事は私も見てしまった。
自室で如月とゆっくり話そうと思って、如月の肩を軽く叩く。
「どうしたの?」
家族に見られないようにしながら、私の部屋がある二階を指差した。
如月は首を傾げる。
なんで伝わらないの。それとも、伝わっているけどわからないふりをしているだけ? 如月なら十分にありえることだ。
でも今、口で説明したら絶対に家族にも聞こえてしまう。どうやって如月を連れて行こう。
そうだ。手を掴んで引っ張っていけばいい。そう思ったけど、如月はびくともしなかった。私をからかっているのか、ニコニコと笑みを浮かべるだけだった。
もういいや。如月から話を聞くのは後にしよう。
如月の手を離し……離……離せない。如月が私の手をギュッと握っているせいだ。やめてほしい。強く握られるのは痛いし、今は如月とは手を繋いでいたくない。
「ごめん、嫌だった?」
如月はぱっと手を離す。
やっぱり、人が嫌がるようなことはしないんだよね、如月って。じゃあ昨日のも勘違いだったのかな。駅前で人を突き飛ばしたってのも。
わからない。わからないから不安だ。こんな風に如月を疑っちゃうのも嫌な気分だった。
如月から一人分空けて、ソファーに座る。することもないから、テレビに目を向けた。
「うわー、誘拐事件だって。怖いなぁ」
お父さんが言った。
「父さんも小さい頃に誘拐されそうになったことがあるんだよな」
「マジかー」
お兄ちゃんが本当に驚いているのか疑わしいような口調で言ったからか、お母さんが「何その反応」と言いたげにお兄ちゃんを見た。
お父さんが誘拐されそうになったって、そういえば初めて聞く話だ。お父さんは自分の話をほとんどしない。
「見た目が怖い男の人に、すごい力で腕を引っ張られてな。なんとか逃げ出せたけど、あれは怖かったな」
「あれ、なんかそれ聞いたことある」
それまで関心がなさそうに朝ごはんを食べていたお母さんが、顔を上げて言った。
「あっ、誘拐犯って紫の髪の人だったって言ってなかった? 近くのカフェの店員によく似てる」
「そうそう、それだよ」
近くのカフェの店員? それって、どう考えても如月のことだ。
「てかあのカフェの店員やばいよな。あの髪で飲食店はないわ」
お兄ちゃんも如月のこと知っているのか。
まあ、そうだよね。あのカフェ、家から近いからよく行くし、お母さんとお父さんはよくあの店でデートしているっぽいし。
「あの店員さん、見れば見るほど誘拐犯そっくりで、ちょっと怖いんだよ」
すぐそばに本人がいるとはつゆ知らず、お父さんはそんなことを言った。
「えー、オレ怖くないよ。ねぇ、詩?」
今は如月が少し怖い。だから頷けなかった。如月のことがよくわからない。人を突き飛ばしたとか、猫をいじめたとか、もうわけがわからない。
「いやぁ、あのまま連れていかれていたら、何をされていたことか……」
お父さんは軽く笑った。だけど、誘拐されそうになった当時は、きっと笑えないぐらい怖かっただろう。
私は誘拐されそうになった経験なんてないけど、小学校の時、学校帰りに知らない人から挨拶されて少しドキリとしたことはある。不審な人に気をつけようと学校から言われたときは、なおさら。
「はは、別に危害を加えるつもりじゃなかったんだけどな」
「……え?」
唐突な如月の言葉に、心臓がどきりと動くのを感じた。そこからブワーッと、気持ちの悪い寒さが広がる。
如月を見た。彼もこっちを見て、ニッコリと笑った。それに何の意味が含まれているのか、私にはわからなかった。
「誘拐されそうになったのって、ちょうどこの時期だったな」
この時期って、つまり、二月ということだろうか。それなら……思いたくないけど、そういうことになってしまう。
お父さんを誘拐しようとしたのは、如月なんだ。何の理由があってか知らないけど、お父さんを怖がらせたのは、如月なんだ。
でも、別に危害を加えるつもりじゃなかったと本人は言っているし、何か事情があったんだと思う。如月のことだから、何か理由があって、優しさから……きっとそう。
「オレ、バイトあるからそろそろ行くね」
「あ、ちょっ」
声をかけようとしてしまい、慌てて口を塞ぐ。代わりに、如月の腕を掴んで引き留める。
「なぁに? 寂しいの?」
違う、そういうのじゃない。思わず掴んだ腕を離してしまった。
「すぐ帰ってくるから。ね?」
いや違うから。私は、ただ如月と話がしたいだけだ。
彼も私の態度を見てなんとなく察しているのか、それ以上はからかってこなかった。
「行ってくるね」
私が頷くと、如月は出かけて行った。
アルバイトなら行かないとだし、仕方ない。如月とはいつだって話せる。それに、別に急ぎの話じゃない。ただ、如月への不信感はずっと残ったままだけど。
でも聞いてちゃんと正直に話してくれるのかは、微妙だ。後ろめたいことがあれば嘘をついて隠すだろう。如月は私みたいに嘘が下手なわけじゃない。むしろ、上手いんじゃないかって思う。だから、嘘をつかれたら私には見抜けない。
この際、嘘つかれても何でもいいから、とにかくこのモヤモヤを晴らしたい。どうせ二月が過ぎたら来年まで会えないんだから、正直もう何でもいい。とりあえず、この胸のつっかえを取り除きたいだけだ。
「そういえば、あのカフェの店員。昨日、小さい子と話してるのを見たんだよね」
「は?」
お兄ちゃんの言葉に驚いて、思わず声が出た。
何それ、どういう状況? 誘拐……じゃないよね。迷子とか、だよね。うん、きっとそう。
「いや、さすがに大丈夫でしょ。カフェの前だったし、あんな場所で誘拐なんてするわけないって」
「だ、だよねー……」
心臓がバクバクしている。
もうやだ、なんで如月に関する疑わしい話がこんなに出てくるの? 如月のことを疑ってしまうのも嫌だし、不信感を抱いたまま如月と接するのも嫌だ。
早く如月と話して、気持ちをすっきりさせちゃいたい。
「お兄ちゃん、あのさ。きさ……じゃなくて、カフェの店員さん、小さい子と何話してた?」
「さあ? でも、何か渡しているように見えたけど」
怖い……というか、不安なのか。今まで信じていた如月が、本性は見た目通りの悪い人なんじゃないかって、不安で仕方ない。
駅前で人を突き飛ばしたのは、本当に如月? 如月なら、何があったの?
動かない猫をいじめているように見えたのは、本当は何をしていたの? あの後、猫をどこに連れて行ったの?
お父さんを誘拐しようとしたのはなんで? 腕を引っ張って怖がらせた理由は?
お兄ちゃんが見た、小さい子と話していたっていうのは、どうして? 誘拐しようとはしてないよね。その子は迷子の子だったの? 何を話していたの?
いくら考えても答えが出るわけがなかった。だって私は如月じゃない。本当のことは、如月にしかわからない。
如月が帰ってきたら、いろいろ話を聞こう。きっと全部誤解だ。だから、大丈夫。
そう思ったのに、如月は、夜遅くまで帰ってこなかった。
今日の朝ごはんは、お兄ちゃんが珍しくやる気を出して作ったベーコンエッグ。ちょっと焦げているけど、それなりに美味しかった。
「ごちそうさま」
食器を片付けに台所へ行く。
ちらりと如月を見た。図々しくソファーでくつろぎながらテレビを見ている。
如月にはいろいろと聞きたいことがある。まず駅前で人を突き飛ばしたという噂の件、それから昨日の猫の件。如月は悪い人じゃない……と思いたいけど、昨日の出来事は私も見てしまった。
自室で如月とゆっくり話そうと思って、如月の肩を軽く叩く。
「どうしたの?」
家族に見られないようにしながら、私の部屋がある二階を指差した。
如月は首を傾げる。
なんで伝わらないの。それとも、伝わっているけどわからないふりをしているだけ? 如月なら十分にありえることだ。
でも今、口で説明したら絶対に家族にも聞こえてしまう。どうやって如月を連れて行こう。
そうだ。手を掴んで引っ張っていけばいい。そう思ったけど、如月はびくともしなかった。私をからかっているのか、ニコニコと笑みを浮かべるだけだった。
もういいや。如月から話を聞くのは後にしよう。
如月の手を離し……離……離せない。如月が私の手をギュッと握っているせいだ。やめてほしい。強く握られるのは痛いし、今は如月とは手を繋いでいたくない。
「ごめん、嫌だった?」
如月はぱっと手を離す。
やっぱり、人が嫌がるようなことはしないんだよね、如月って。じゃあ昨日のも勘違いだったのかな。駅前で人を突き飛ばしたってのも。
わからない。わからないから不安だ。こんな風に如月を疑っちゃうのも嫌な気分だった。
如月から一人分空けて、ソファーに座る。することもないから、テレビに目を向けた。
「うわー、誘拐事件だって。怖いなぁ」
お父さんが言った。
「父さんも小さい頃に誘拐されそうになったことがあるんだよな」
「マジかー」
お兄ちゃんが本当に驚いているのか疑わしいような口調で言ったからか、お母さんが「何その反応」と言いたげにお兄ちゃんを見た。
お父さんが誘拐されそうになったって、そういえば初めて聞く話だ。お父さんは自分の話をほとんどしない。
「見た目が怖い男の人に、すごい力で腕を引っ張られてな。なんとか逃げ出せたけど、あれは怖かったな」
「あれ、なんかそれ聞いたことある」
それまで関心がなさそうに朝ごはんを食べていたお母さんが、顔を上げて言った。
「あっ、誘拐犯って紫の髪の人だったって言ってなかった? 近くのカフェの店員によく似てる」
「そうそう、それだよ」
近くのカフェの店員? それって、どう考えても如月のことだ。
「てかあのカフェの店員やばいよな。あの髪で飲食店はないわ」
お兄ちゃんも如月のこと知っているのか。
まあ、そうだよね。あのカフェ、家から近いからよく行くし、お母さんとお父さんはよくあの店でデートしているっぽいし。
「あの店員さん、見れば見るほど誘拐犯そっくりで、ちょっと怖いんだよ」
すぐそばに本人がいるとはつゆ知らず、お父さんはそんなことを言った。
「えー、オレ怖くないよ。ねぇ、詩?」
今は如月が少し怖い。だから頷けなかった。如月のことがよくわからない。人を突き飛ばしたとか、猫をいじめたとか、もうわけがわからない。
「いやぁ、あのまま連れていかれていたら、何をされていたことか……」
お父さんは軽く笑った。だけど、誘拐されそうになった当時は、きっと笑えないぐらい怖かっただろう。
私は誘拐されそうになった経験なんてないけど、小学校の時、学校帰りに知らない人から挨拶されて少しドキリとしたことはある。不審な人に気をつけようと学校から言われたときは、なおさら。
「はは、別に危害を加えるつもりじゃなかったんだけどな」
「……え?」
唐突な如月の言葉に、心臓がどきりと動くのを感じた。そこからブワーッと、気持ちの悪い寒さが広がる。
如月を見た。彼もこっちを見て、ニッコリと笑った。それに何の意味が含まれているのか、私にはわからなかった。
「誘拐されそうになったのって、ちょうどこの時期だったな」
この時期って、つまり、二月ということだろうか。それなら……思いたくないけど、そういうことになってしまう。
お父さんを誘拐しようとしたのは、如月なんだ。何の理由があってか知らないけど、お父さんを怖がらせたのは、如月なんだ。
でも、別に危害を加えるつもりじゃなかったと本人は言っているし、何か事情があったんだと思う。如月のことだから、何か理由があって、優しさから……きっとそう。
「オレ、バイトあるからそろそろ行くね」
「あ、ちょっ」
声をかけようとしてしまい、慌てて口を塞ぐ。代わりに、如月の腕を掴んで引き留める。
「なぁに? 寂しいの?」
違う、そういうのじゃない。思わず掴んだ腕を離してしまった。
「すぐ帰ってくるから。ね?」
いや違うから。私は、ただ如月と話がしたいだけだ。
彼も私の態度を見てなんとなく察しているのか、それ以上はからかってこなかった。
「行ってくるね」
私が頷くと、如月は出かけて行った。
アルバイトなら行かないとだし、仕方ない。如月とはいつだって話せる。それに、別に急ぎの話じゃない。ただ、如月への不信感はずっと残ったままだけど。
でも聞いてちゃんと正直に話してくれるのかは、微妙だ。後ろめたいことがあれば嘘をついて隠すだろう。如月は私みたいに嘘が下手なわけじゃない。むしろ、上手いんじゃないかって思う。だから、嘘をつかれたら私には見抜けない。
この際、嘘つかれても何でもいいから、とにかくこのモヤモヤを晴らしたい。どうせ二月が過ぎたら来年まで会えないんだから、正直もう何でもいい。とりあえず、この胸のつっかえを取り除きたいだけだ。
「そういえば、あのカフェの店員。昨日、小さい子と話してるのを見たんだよね」
「は?」
お兄ちゃんの言葉に驚いて、思わず声が出た。
何それ、どういう状況? 誘拐……じゃないよね。迷子とか、だよね。うん、きっとそう。
「いや、さすがに大丈夫でしょ。カフェの前だったし、あんな場所で誘拐なんてするわけないって」
「だ、だよねー……」
心臓がバクバクしている。
もうやだ、なんで如月に関する疑わしい話がこんなに出てくるの? 如月のことを疑ってしまうのも嫌だし、不信感を抱いたまま如月と接するのも嫌だ。
早く如月と話して、気持ちをすっきりさせちゃいたい。
「お兄ちゃん、あのさ。きさ……じゃなくて、カフェの店員さん、小さい子と何話してた?」
「さあ? でも、何か渡しているように見えたけど」
怖い……というか、不安なのか。今まで信じていた如月が、本性は見た目通りの悪い人なんじゃないかって、不安で仕方ない。
駅前で人を突き飛ばしたのは、本当に如月? 如月なら、何があったの?
動かない猫をいじめているように見えたのは、本当は何をしていたの? あの後、猫をどこに連れて行ったの?
お父さんを誘拐しようとしたのはなんで? 腕を引っ張って怖がらせた理由は?
お兄ちゃんが見た、小さい子と話していたっていうのは、どうして? 誘拐しようとはしてないよね。その子は迷子の子だったの? 何を話していたの?
いくら考えても答えが出るわけがなかった。だって私は如月じゃない。本当のことは、如月にしかわからない。
如月が帰ってきたら、いろいろ話を聞こう。きっと全部誤解だ。だから、大丈夫。
そう思ったのに、如月は、夜遅くまで帰ってこなかった。
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