如月を待つ

玉星つづみ

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2月29日(木)夕方

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 やっと放課後だ。早く如月きさらぎに会いたくて、誰よりも早く教室を出た。階段を駆け下りて、校舎の外に出る。

「わっ、びっくりした」

 誰かにぶつかりそうになって、慌てて立ち止まった。

「え、如月。迎えに来てくれたの?」

「うん。早くうたに会いたくて、来ちゃった」

 如月も私と同じ気持ちだったんだとわかったら、嬉しいようなこそばゆいような感じがした。

「ぎゅってしていい?」

「うん……いいよ」

 そう言って、私を抱き寄せた。
 如月とぴったり密着している。彼の柔らかい息がちょうど私の耳にかかってくすぐったい。こうするだけで心の底から満たされていくような気がした。

「ん、よし。行こっか」

「うん」

 如月が私から離れてしまって、それだけで寂しかった。明日から如月とは会えなくなるけど、私は大丈夫なんだろうか。

「今から寂しそうにしないでよ。オレはまだここにいるんだから」

「えっ、あ、そうだね……」

 そんなに顔に出ていたのか。きっと私は、寂しい気持ちが簡単に顔に出てしまうぐらい、如月のことが好きなんだと思う。

「二月の曇りの日って寂しいね。今日ぐらい晴れてくれてよかったのに」

「天気はオレの管轄じゃないから、さすがに変えれんなぁ」

 日が当たっていないから肌寒い。風が強くないのが唯一の救いだろうか。今日は、まだ二月なんだと感じられる気候だった。

 如月とふたり、川沿いを歩く。冷たい水が流れる音と、葉っぱの一枚もつけていないような並木が、たまらなく寂しかった。

「これ、桜並木だよね? 春にはきっと綺麗な桜が咲くんだろうね」

 隣では、如月が穏やかに笑っていた。桜が満開になった綺麗な姿を想像しているのかもしれない。

「そうだ。桜が咲いたら、写真撮っておいてよ。来年オレが来たときに見せてくれない?」

「それいいね、一緒にお花見してるみたいになりそう」

 最近はお花見とかあまりしなくなったけど、来年は絶対に桜を見に行こうと思った。いちばん綺麗な桜を如月に見せたい。

「夏は花火とか? オレ、ちゃんと見たことないんだよね」

「私もないよ。花火大会、行ったことない」

「マジ? じゃあ来年は見に行って、オレに感想教えてよ」

 花火かぁ。家の窓から少し見えたぐらいしか記憶にない。会場で見る花火はきっと綺麗なんだと思う。

「秋はたくさんあるよね。紅葉でしょ? それからお月見。あとハロウィンも」

 ハロウィンなら、毎年お菓子を作っている。お化けの形のクッキーとか、かぼちゃのプリンとか。一人で作って家族に食べてもらうだけだけど、意外と楽しい。

「あとは、クリスマスとお正月。どっちも楽しそう」

「駅前でイルミネーションとかあるかも。写真撮っておくね」

「本当? 楽しみぃ」

 私は季節の中だと冬がいちばん好きだ。寒いのより暑い方が苦手っていうのもあるけど、何よりイベントで盛り上がっているあの雰囲気が好きなのだ。

「そう考えたら、一年ってあっという間じゃん」

「まあ、そうかも」

 今まで十六年間生きてきて、一年長かったなと思った年はなかった。365日なんて、すぐに過ぎ去ってしまうのかもしれない。

「またすぐ会えるね」

 もし今日が終わってしまっても、来年また会える。如月にこれ見せたいなって考えながら過ごす一年はきっと、あっという間だ。
 そして来年の二月には、桜が綺麗だったよ、花火大会行ったよって、如月と思い出を共有するんだろう。考えたら、楽しみになってきた。

「詩。オレ、詩に渡したいものがあるんだ」

「なに?」

 立ち止まって、如月と向き合う。
 彼は持っていた紙袋を私に差し出した。

「はい、バレンタインのお返し」

「え、ありがとう」

 気になって、紙袋の中を見てみる。四角い箱だ。

「チョコレート専門店で勝ったチョコ。本当は有名店のとか渡したかったんだけど、よく知らなくて」

 箱を取り出してみる。書いてあるロゴに見覚えがあった。

「あ! これ美味しいとこだよ。前に買ったことあるんだけど、めちゃめちゃ美味しかった」

「そうなの? ならよかった」

 手作りの簡単なクッキーと失敗したマカロンが、まさかこんなのになって返ってくるなんて。

「え、いいの?」

「もちろん。詩のために買ってきたんだよ」

 嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。
 最近のバレンタインデーとかホワイトデーは、チョコレートじゃない別のお菓子をあげることも多いけど、如月はチョコレートを選んだ。私がチョコレートを好きだと言ったこと、覚えてくれていたんだ。

「ありがとう、大事に食べる」

 好きな人からもらえるチョコレートって、こんなに嬉しいんだ。チョコレートは食べたいけど、如月からもらったチョコレートを食べてしまうのは、なんだかもったいない気がしてしまう。

「あともう一つ、受け取ってほしい」

 そう言って如月が取り出したのは、小さな箱。黒くてつやつやした紙製のもの。中に入っているものは壊れやすいものなんだろうか、如月はその箱を丁寧に両手で持っている。

「それは?」

 彼は私の手のひらの上に箱を乗せた。思ったよりも重みがあった。

「開けてみて」

 私はそっと箱の蓋に手をかける。少しドキドキしながら、ゆっくりと箱を開けた。

「わ、綺麗……」

 中に入っていたのは、花の形のブローチ。中心に紫色の宝石が輝いていた。

「これってアメジスト?」

「そうだよ」

 ショッピングモールで見た色の薄いアメジストよりも、ずっと綺麗だった。かつて文子さんのものだったというネックレスについているアメジストより大きい。

「こんな綺麗なブローチ、本当に貰っちゃっていいの? 高かったでしょ」

 嬉しい反面、何のお返しも用意していないことに申し訳なくなった。

「ずっと前から、詩にこれをプレゼントしようって思ってた。これを買うためだけにアルバイトまで始めちゃって」

 アルバイトをしていたのはそのためだったの? 何か買いたいものがあるのかなとは思っていたけど、私へのプレゼントだったなんて。

「だから、受け取ってもらえなきゃ泣いちゃうよ」

 如月がそこまでしてこれをプレゼントしてくれたことが嬉しくて、思わず顔がにやけてきてしまった。

「でも私、何も返せるもの持ってない」

 今から買いに行くのは間に合わないし、買いに行って如月と過ごせる時間が減るのも嫌だ。如月が思いを込めて選んでくれたものだから、もちろん受け取るけど、やっぱり申し訳ない。

「じゃあ今日が終わるギリギリまで、ずっと一緒にいてよ」

「それだけでいいの?」

 そんなのだけで、このブローチの価値、それだけじゃなく如月の頑張りと、釣り合うような気はしなかった。

「んー……じゃあ、これも」

 ――瞬間、何が起きたのかわからなかった。
 如月の顔がぼやけて見えないぐらい近くにあった。大きな手が後頭部を包み込んでいる。そして、口元には、柔らかい感触。

「はっ!? え、き、キ……」

 如月はいたずらっぽく笑った。すぐに顔を前に戻して、先に歩いていく。

「待ってよ如月。今、何を――」

 よく見ると、如月の耳が真っ赤だった。歩き方もちょっと不自然な気がする。これは……照れている?
 やっぱり、さっきのは……キスだったんだ。まだ唇に感覚が残っている。あんなに柔らかいんだ。

「い、嫌だった?」

 珍しく如月が動揺していた。さすがにキスは、如月も恥ずかしかったらしい。

「嫌じゃないけど……びっくりした」

 顔が熱い。何か、よくわからない。唇同士が触れ合っただけ。なのに、どうしてこんなに恥ずかしいんだろう。
 そういえば、唇、乾燥してなかったかな。あんなに近づいて、口臭くなかったかな。今さらもう遅いけど、そんなことが気になってしまった。

「帰ろ、っか」

「そだね……」

 二人とも、話すのがままならなくなっていた。如月の顔は見れそうにない。今、彼の顔を見たら、力が抜けて歩けなくなってしまいそうだった。
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