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《密室城》 その七

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「……十年前、黒勝が家督を継いだのは、先代の黒葛黒忠様が亡くなられたからだ。同時に、黒勝の兄君、義黒様も亡くなられた。ある時を境に体調を崩され、熱にうなされる日が続き、そのまま復調なさることなく。お二人とも、同じようにな」
「流行り病か」
「対外的には、そう触れが出された。だが、実際は違う。ありゃ、毒だったんだ」

 毒? 先代の当主と、後を継ぐ長兄が同時に毒を盛られたとなると、それってつまり……、黒勝様が父親と兄に毒を盛って、家督を継いだってことか?
 それはもう、謀略の類じゃないか。
 おみつさんの言葉を思い出す――、この国じゃ、そんな不祥事、当たり前。

「咎められることなく家督を継がれた以上、黒勝様がなにかした……、という証拠は、なかったのでございますね?」

 あおばの問いかけに、小四郎はうなずいた。

「当時、家臣どもが相当に調べたからな。臣下は皆、黒勝を疑い、調べに調べ、けれど埃ひとつ出てこなかった。芥川のじじいは、黒勝が潔白だと判断せざるを得なかったのさ」
「芥川様自身、そう判断せざるを得なかっただけで、そう思っているわけではないのでございますか。では、幕府に上告すればよかったのでは」
「言えるわけがないだろう。黒葛家の恥を、よそ様に語るなんて……、あの黒葛家唯一の忠臣には、無理だ。だから、芥川のじじいは、次代に託すことにしたのさ」
「次代? ……ああ、その頃はまだ、子息がいたんだっけ。黒康様だったか」

 小四郎は鼻を鳴らして笑った。

「そうだ。意気地なしの、ぼんくらの黒康さ。やつは実父である黒勝よりも、叔父や祖父に懐いていたからな。いずれ黒康が家督を継ぐ、それまで耐え忍べばいいだけ……、とじじいは考えていたんだろう。だがな、黒勝はじじいが思う以上に、おかしかったんだ」
「……黒勝様は、いったいなにを?」
「権力に憑りつかれた老人の暴走ってのは、恐ろしいもんでな。たとえ子であれ、権力を渡してなるものか、と思ったんだろう。……黒康は毒を盛られた」

 息を呑む。それはもう、おかしいどころではない。家督を継がせ、家を紡いでいくことが、大名にとっての最重要事項だと言ってもいい。なのに、己一代の権威に固執して、実子に毒を盛った?

「幸い、大事には至らなかったが、黒康は死にかけた。当寺、黒康は世継ぎになったこともあって、江戸の来栖藩邸にいたんだ。来栖とは七日の距離がある。黒勝がやった、命じたという証拠はまたしても出なかったが、それゆえに不気味だった。だから……」

 髭面の男は、一胴七霊の鞘を、そっと撫でた。

「……黒康は、江戸の藩邸を抜け出した。自分には背負えねえ、黒勝とは戦えねえ、と逃げたのさ。それが逐電の真相だ。九年前の話になる」

 聞き終わって、そっと息を吐く。この国には、重たい話が多すぎる。だけど、つまり、小四郎が言う、黒勝様が恐れた祟りとは。

「黒忠様と、義黒様の祟りだと? 毒を盛られ、誅殺されたお二人の霊が祟っている……、小四郎殿は、そう考えているのかい」
「俺はそう思っている。黒康の呪いって線でもいいが、意気地なしのぼんくらじゃ、なかなか成功せんだろう」

 先ほどからそうだけど、小四郎は黒康様に対してずいぶんと当たりが強いな。

「その話をしてくれたお人とは、黒康様ご本人でございますね? 人となりに詳しいようでございますが、いま、いずこにおられるかはご存知でございますか?」
「違う名前を名乗ってはいたよ。だが、来栖について詳しすぎたからな。本人だと思うぜ。今は薩摩あたりにいるんじゃないか?」

 小四郎は木刀を持ち直して、素振りを再開した。

「俺はよ、来栖が乱れていると知って、その話を思い出したから来たんだ。あわよくば黒勝を脅そう、そうでなくとも……、まあ、なんだ。取り入って、銭を稼げるかとな。実際、祟りを恐れる黒勝に、一胴七霊なんてほら話が通用した」
「雇われるに至る経緯はわかったが、当日はどうだった? 黒鉄庵の中には入ったか」
「いや、入れなかった。事前に教えられた井戸の抜け道を通り、天守の黒鉄庵に登って……、だが、黒鉄庵の前で帰されたんだ」
「それじゃ、黒勝様と面をあわせてはいないんだな」

 鋭い素振りが、道場を鳴らす。

「返事はあったよ。『今日はもうよい』ってな」
「ご本人だという確証は? 黒葛黒勝様の声だったか?」
「ああ、本人だった。間違いねえ」

 また、素振りの音が鳴る。
 小四郎の素振りは、意外と言ってはなんだが、線の通った立派なものだった。正眼ではなく、八相の構え。時折混ざる力強い気迫は、九州あたりで学んだ気風だろうか。道場剣術に、実践剣術を重ねて塗ったような、厚みを感じる。

「俺はな、やっぱり祟りだと思うぜ。黒忠様と、義黒様の祟り。筋の通った話じゃねえか。俺の一胴七霊はほら話だが、祟りそのものは本当だったんだ。そうじゃなきゃ、下手人がわからんような殺され方にはならねえだろう」

 再度、素振りの音。
 ……自分としては、小四郎が本当のことを言っているようにも、嘘を言っているようにも、どちらにも思えた。そもそも、ほら話で取り入った……、というのが、不思議だ。語り口も、違和感があるように思うし。しかし、その違和感がどこか、わからない。
 悩んでいると、あおばが「ところで」と問いかけた。

「笹木様、お聞かせいただきたいのでございますが」
「なんだい、隠密のお嬢さん」
「笹木様は、芥川様とお会いになったことはございますか?」
「……いや、会ったことねえ。苦労人だって話は聞いていたからよ、勝手に同情してはいるがな。ああいう男にこそ、幸せになってもらいたいもんだ」

 素振りが唸る。

「では、自分を売り込んだ際は、御家老を通さなかったのでございますね?」
「そうだ。それが、どうかしたかい」
「どうやって、売り込んだのでございますか。黒勝様は、たいそう猜疑心の強いお方だったようでございますが」
「……門前の雑兵に、文を届けるよう頼んだんだよ」
「その方は? お名前はおわかりですか?」
「分配金貰って、もうどっか行っちまっただろ。改易なんだろ? 名は知らん。城から出てきた奴に銭を握らせて、適当に頼んだだけだからな」

 それで、その雑兵は大名の黒葛黒勝様にに文を届けたのか。あの城、いくらなんでも警備がざるすぎないか?

「黒勝様とのやりとりは、その文を通して、でございますか。幾度ほど?」
「ああ、全て文でおこなった。二度か三度か、その程度だ」
「文はどこに?」

 ぶん、と素振りの音に力みが入る。少し、いらだっているらしい。

「そんな内容の文、置いておくわけがねえだろう。すべて燃やしたよ。密約の文は、残さねえ。基本だろう。もういいか? 質問だらけだな」
「ええ、結構でございます。行きましょうか、御曹司」
「え? もういいの?」

 まだ、なにか引っかかるような気がするが……。ああ、そうか。さっきと同じ技か。

「わかった。失礼するよ、小四郎殿」
「ああ。次は立ち合いを頼むぜ」

 あおばに促されるまま、道場の出入り口に向かう。草履に足を突っ込んだところで、あおばがふっと振り返った。やちよ婆のときと同じように。

「ああ、そうです。もう一つだけ。文だけで遣り取りをされていたのであれば、黒鉄庵の中から聞こえた声が、黒勝様ご本人だとはおわかりにならないはずでは?」

 ひゅい、と。小四郎の素振りが、乱れた。切っ先がぶれ、空気を鳴らす音が歪んだのだ。はっとする。そうか、違和感の元は、そこか。

「……いいや、あれは黒勝だった。権力者らしい、人を見下した、いやな声音だったよ」
「そうでございますか。それでは」

 それ以上はなにも追及することなく、自分達は道場を出た。

「いいのかい、あれで。明らかに嘘をついているとわかったのに」
「だからこそ、でございます。あれ以上は、なにも語ってはくれないでしょう。嘘をついているとわかっただけで、成果は上々かと」
「やちよ婆のときといい、いまといい、帰りがけにあんな質問をするなんてね。不意を突く話術も、忍びの技かい? さすがだよ、あおば」

 我が竹馬の友は、ふわりと微笑んだ。

「いいえ。あれはただ、やつがれの性根が悪いだけでございます。不意を突かれた皆様方の反応は、格別でございますね」

 ……本当に性根が悪いな。でも、やはり反応を見ていたらしい。不意を突かれた人間は、用意した嘘や建前やごまかしを、上手に扱えなくなるものだ。
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