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《榊原の十一郎の謎解き》 その四
しおりを挟む公方様とのご対面は、多大な緊張の中で執り行われた。
烏丸様の助力もあって、なんとか報告を成し遂げられたし、肝心の黒幕、力原野心様も江戸から夜逃げする寸前に、どうにかこうにか、捕らえることができた。その大捕り物に自分も参加して、夜通しいろいろと頑張ったのだが、ともあれ。
夜が明けて、ようやく、自分は念願の無職に戻ったのである。
太平、万歳。
……と、思ったのも束の間。
「おい、行燈男。江戸前のうなぎを食わせるがよい。先日のあれも美味かったが、せっかく江戸に来たのじゃ、本場の味も知りたい。毒を怖がる必要もなくなったしな」
榊原屋敷の自室で寝転ぶ自分に、ばたばたと駆け込んできた童女がいきなり馬乗りになって、我が儘を言った。
「……黒姫様、なんで我が家に?」
「たわけが。貴様がわたくしを江戸まで連れ出してきたのじゃぞ。滞在中はちゃんと面倒見るべきじゃろ。じいは御用金の帳簿に関する取り調べで、一ヶ月は動けんし」
それは……、まったくもってその通りである。面倒くさいが、仕方あるまい。
そのうち、烏丸様が黒葛家や来栖国をどうするか決めるだろうから、それまでは我が家で過ごしていただこう。
「しかし、昨日、わたくしの目の前で起こったことではあるが、松の大廊下で刃傷沙汰とはな。さすがは行燈男じゃ、後先考えておらん。かの有名な赤穂の大名、浅野内匠頭と同じふるまいで、大変、名誉なことじゃな」
「そうなんですか?」
黒姫様は、唇の端を歪めて「うむ」とうなずいた。
「赤穂浪士討ち入りで有名な大名じゃ。松の大廊下で吉良上野介を斬りつけたのが、赤穂事件の発端とされておる。江戸城本丸で斯様な狼藉、許されるわけもなく、浅野内匠頭は切腹になったのじゃ」
「……それと同じって、名誉じゃなくないですか」
「打ち首のほうが良かったか?」
どっちも嫌ですが。良くない話からは、視線を逸らすとしよう。ごほん、と咳を打つ。
「あおば」
呼びかけると、襖がすっと開き、あおばが顔を見せた。護衛の癖に、危険な童女を素通りさせた女である。
「うなぎを食いに行こう。せっかくだ、屋台や棒手振りじゃなく、浅草あたりの料亭で、本物の江戸前うなぎを堪能しようじゃないか」
「御意にございます。……時に御曹司、銭はございますか?」
「父上の財布から抜いてこよう。どれ……」
あおばがクナイを取り出したので、「冗談だよ」と弁明する。毒もすっかり抜けて、元気になった。
「なんじゃ、おまえ、あれだけの仕事をしたのに、無給なのか」
「雇い主の力原野心様が、捕まりましたからね。江戸城での斬った張ったについても、まあ、拙者が勝手にやったことですし……」
「ふん。あの男め、生き残った挙句、金も払わんか」
黒姫様が、うらめし気に唇を尖らせた。
そう、結局、力原野心は即日打ち首にはならなかった。大目付の役を追われはしたが、これまでの働きがあったこと、影響力があまりにも強いことから、永蟄居で許されたのだ。
「越後の牢屋敷から、死ぬまで一生涯出られんだけとは。甘い処置もあったものよ」
「そうですか? うなぎを食いに出ることもできないわけですし、つまんない人生になりますよ、たぶん」
「銭がない我々もまた、うなぎを食いに出ることができず、そこは力原様と同じでございますが、いかがいたしますか?」
どうするか、と悩んでいると、表から「おうい、十一郎」と声がした。父、朝時の声だ。
「なんですか」と表に顔を出すと、父が、鍵付きの木箱を抱えた男と対面していた。周囲には、甲冑で武装した男が四人。何事だ?
「こちら、烏丸与志信様からの褒美だそうだ」
と、言われて、大きさのわりに、やけに重たい木箱を受け取る。「では」と去っていく男達を尻目に、渡された鍵で木箱を開けば……。
「……ひとまず、料亭のお高いうなぎ飯を食うには、困らないね」
力原野心がてきとうに言い放ったであろう、百両の褒美。
それを下賜してくださるとは、烏丸様もなかなか太っ腹だ。
「ならば、はよう行くぞ、行燈男! うなぎが逃げる。にょろっと」
江戸の水路には山ほどうなぎが棲んでいるので、逃げられたところで問題はないのだが。
「おお、うなぎかい。いいねえ、父にも奢っておくれよ」
「父上だけは駄目です。なにがあっても」
唇を尖らせた父を放置して、三人でえっちらおっちら、浅草へ歩く。
「しかし、これでうなぎを食いに出られない力原様に、ざまあみろとは言えるわけですね」
「うむ。いっぱい食ってやる」
一歩、後ろを歩くあおばが「御曹司、黒姫様、ひとつ」と言う。
「恐れながら献言いたしますれば……、力原様は、この江戸の地から来栖国を操っていたようなお方でございます。越後での永蟄居で警戒を解くのは、早計かと」
「怖いことを言うなよ。あの黒幕が、まだまだ暗躍する気だっていうのかい」
「悪逆非道もまた、為せば成る……、でございますゆえ」
行動すれば、結果が出る。善いことも、悪いことも……、か。太平の世だというのに、まったく、厄介なことである。
黒姫様が歯を剥いて獰猛に笑った。
「なにかあれば、次こそは、あやつを首斬り浅右衛門の元に送り込んでやるのじゃ」
浅右衛門は処刑人だ。相変わらず、七歳の童女とは思えない発言ばかりする。
「じゃから、そのときは頼むぞ、行燈男と根暗女」
「……ええ。彼の者が悪行を為すときは、拙者達も善行を為しましょう。な、あおば」
「承知いたしました。必ずや、お役に立って御覧に入れましょう」
何度でも、悪行をくじく。それが、失われてしまった命への、数少ないはなむけなのだ。道具として使い潰される者がいなくなるまでは、自分も戦わねばなるまい。
辿り着いた浅草の料亭で、一番良いうなぎめしを三つ頼む。
通された二階の座敷からは、水路をせわしなく行きかう船や、道を歩き回る子供達が良く見えた。
穏やかな時間が流れる。何にも追われない、穏やかな時間が。
「ところで、実はもうひとつ、わからんことがあるのじゃが」
うなぎめしが半分ほど減ったところで、黒姫様が呟いた。
「父上は、どうして、わたくしに花押の束を持たせたのじゃろうか、と。しかも、帯に縫い付けて。それが、唯一残った疑問なのじゃ。どう考えても、黒鉄庵に持って入ったほうが安全じゃろう。いや、結果的には、そうではなかったが」
あおばは少し考えて、首を横に振った。
「やつがれには、わかりかねます。御曹司は、いかがでございますか」
「……そうだな。拙者は、ちょっとわかるかもしれない」
「申してみい、行燈男」
それでは、僭越ながら。
「ええと、推理ではない、ただの推測に過ぎませんけど……、黒勝様は、黒姫様に生きていてほしかったんだと思います」
「……生きて?」
「ええ、生き延びて。だって、そうじゃないですか」
唯一、力原野心に対抗できるかもしれない花押の束。それを娘に持たせた上で、来栖国の、そして、黒葛家のただ一人の忠臣、芥川三茶に託したのだ。
個人的な信頼関係はなかっただろうが……、彼の黒葛の血に対する忠誠は、たしかに、悪大名黒葛黒勝にも届いていたのだろう。
「もしも、害や責が黒姫様にも及ぶなら、これを使って交渉し、生き延びよ……、と。そういう、回りくどい遺言だったのではないでしょうか。権力に憑りつかれた、恐ろしい御仁だったのだとは思います。ですが……」
番外問、どうして、黒勝様は黒姫様に帯と花押を託したのか。
――解、黒姫様への愛情が、たしかに、そこにあったのだと自分は思う。
「……ふん。結局、それがわたくしを危険に晒してしまったあたり、失策まみれの愚かな父上らしい、いかにもありがちな動機じゃ」
黒姫様は、いつも通りの毒舌を、けれど、いつもよりもずいぶん寂しそうに、呟いた。
「阿呆の、たわけの、父上めが」
そして、居住まいを正し、正面に座る自分に向き直った。
「行燈男と根暗女……、いや、榊原の十一郎の謎時様と、鳥の一党の隠密、あおばずくよ」
急に様付けで呼ばれると、くすぐったいな。
自分達もまた、うなぎめしの膳の前で、居住まいを正す。
「此度の謎解きにて、わたくしに代わって愚かな父の仇を取って頂いたこと、感謝の念に堪えない思いにございます。この御恩は一生忘れず、榊原の家、御身、鳥の一党に何かあれば、我が身命を賭してお返しいたすことを、お約束いたします。……だから、要するに」
黒姫様は、恥ずかしそうにはにかんで。
けれど、まなじりに少しだけ涙を浮かべて、花咲くように微笑んだ。
「……ありがとなのじゃ」
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