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絢爛なる邂逅の都
しおりを挟む当初の予定とは大きくずれたものの、一行は騎士団所有の飛行艇で、フェルデクレートへと到着した。
エストレデルは、一つの大きな大陸とそれを囲む同じだけの海で出来ているとされている。
その大陸の中心に位置するのが、王都フェルデクレート。エストレデルに唯一の国家を統治する国王が住まい、全ての文化や物資がここに集まり、ここから世界に広がっていく。
とは言え、その世界の範囲はあくまで『人間』であり、おそらく王都の者達が思うより狭い。
そしてここは最も栄えた都市でありながら、もっとも狭量な都市とも言える。
何故ならばこの地に生きる人々の中には、種族の違いというものが強く認識されているのだ。差別が常識に含まれている。城を中心として広がる市街地は、ある境目から高い塀と堅牢な門を備え、外界から閉ざされていた。
塀の中に、人間以外が入る事は許されない。
「そんなわけだから、ここからアンタらともお別れだね」
飛行艇の発着場はいくつか備えられている。安い飛行艇は外周部近いが、騎士団が今回着陸した場所は門に近い。
もっとも、騎士団の施設は広大な城の敷地の中であるはずなので、この場で3人を下ろすためでもあるだろう。
発着場に着くなり、ホルトが言う。
降り立った場所は、香里が今までに見てきた街並みの中では、もっとも整理されているという印象があった。
騎士団に囲まれながら、旅仲間を振り返る。
「……ありがとうございました」
これが今生の別れでは無い。確定する事は出来ない。
だが、聖女である身の上を思えば、ここからどこかに出ていく可能性が少ない事は双方が予感している。
ミィメーリィが感極まったように涙を流し、突進するように香里に抱きついた。自分より小さな体を抱きしめながら、香里も目に涙を浮かべる。
「元気でね、みぃちゃん」
ミィメーリィは何度も頷いた。しばらくそうした後、ラカーシャがミィメーリィの肩を叩く。名残惜しい様子で、彼女は香里から離れた。
「じゃ、また会ったらそんときゃよろしくな」
「……はい!」
悲しむ様子を案じてか、ジンガが笑顔で言う。香里も応えるように笑顔で頷いた。
「じゃぁ、行こうか」
「はい」
ホルトの言葉で、騎士が先頭を歩き始める。それに続いて歩き始めた香里の耳に、後ろから足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
綺麗に舗装された石畳の道を少し歩くと、馬車と共に数人の騎士達が待機していた。
「乗って」
香里は戸惑いながらも頷き、入り口の開かれた馬車に乗り込む。シンプルながら快適な空間だが、香里は自分が客人であると自覚させられた。
馬車が走り始める。大きな揺れを伴ったが、それほど不快なものではなかった。
カーテンの閉じられた窓に視線を向けたまま、香里は微動だにしない。
「……寂しい?」
尋ねられて振り返る。ホルトがいつもより穏やかな笑みを浮かべて、香里を見ていた。
「…そう、ですね。もう知ってる方が、ホルトさんしかいらっしゃらないので」
「……じきに慣れるよ。そういうもんだろ?」
「……そうですね。………そうですよね」
香里の視線は、再び景色を映さない窓を向く。ホルトがそれ以上何か話しかけてくる事は無かった。
城までやってきた時には、もう夕方に近い時刻だった。
下ろされた場所はどうやら正面ではなく、裏手の入り口のようである。街よりも高い場所に建てられた城からは、街の景色が見渡せた。城の最上階からの眺めはきっと壮観なのだろう。
騎士の甲冑が一斉に動く音がして、香里は反射的に振り返った。騎士達は入り口から出てきた男性に敬礼をしている。ホルトも同様に。
長身のその男性は、騎士達の甲冑よりも装飾が複雑な鎧を身に付けていた。金色の髪は後ろできっちりと束ねられており、深い青の瞳は穏やかな色を湛えて香里を見ている。年齢による皺も浮かんではいるが、それはまるで計算されたように彼の造形を損なわず、威厳と同居する落ち着いた雰囲気を確たるものにしていた。
「貴女が、伝承の聖女か」
尋ねられ、香里はとっさに返事が出来ない。
彼女が戸惑っているうちに、ビルハが鞄から飛び出した。
「はいはいっ、その通りですっ!!」
穏やかな態度の相手に対し、ビルハの態度はあまりに噛み合わない。
男性は少し虚を突かれたような顔をしていたが、笑みを深くすると、ビルハに視線を合わせるように腰を屈めた。
「では、貴殿は何者かな?」
「僕は、神様から使わされた天使ですっ!!」
ビルハは自信満々に言い切る。男性は元の姿勢に戻り、考え込むようなポーズになった。
「これが天使、か……」
香里が不安そうな表情で男性を見つめると、男性はそれに気づいて笑みを戻した。
「あぁ、すまない。私はジュリアス・ベインディア。王国騎士団の騎士団長を務めている」
差し出された手を、素直に握り返す。
「わ、私は……香里と申します」
「そう堅くならず。……疑ったりはしていない」
思っていた事を当てられ、香里は目を見開いた。その反応も予想済みなのか、ジュリアスは笑みを深くする。
「ホルトが貴女を本物だと思ったのならば、私はそれを信じよう」
何と答えて良いか解らず、香里はとりあえず深く礼をした。
………………
「……やっぱり寂しいもんだな」
塀の外の雑多な街並みを歩きながら、ジンガがぽつりと呟く。
喧噪の中でも、隣にいる2人には伝わっていたが、すぐに返事をする事はしなかった。
「…覚悟はしてたつもりだったんだがな」
ラカーシャは、言いながらミィメーリィの頭を撫でる。彼女はまだ涙ぐんでおり、目は赤い。
ジンガも倣って、少し乱暴に撫でてやる。ミィメーリィはずれた帽子を直しただけで、文句も何も言わなかった。
その様子を見ていたラカーシャは、小さくため息をつく。
「……とりあえず、今日の宿を決めないとか」
「お?ジンガじゃねぇか!」
声と同時に、頭をどつかれてジンガがよろけた。彼は怒った様子も無く振り返り、笑みを浮かべる。
「スコット!ゼンジ!」
いかにも盗賊といった風貌の男たちが、ジンガの反応を見て満足そうに笑った。片方はジンガよりも大柄で、もう片方は目立って小柄である。
「オヤジの所を離れて以来だな、元気してっか?」
「ってバカは風邪引かねぇんだから元気に決まってるだろ」
「お前に言われる筋合いねぇよ」
気心許せる仲のようで、口調こそ乱暴だが、雰囲気は和やかだった。
ラカーシャとミィメーリィは顔を見合わせ、少し離れた所でその様子を見守る。
「ところで、お前こんな所で何やってんだ?」
「ん、まぁ……ちょっと用事があってな」
ジンガの歯切れの悪い様子に首を傾げるが、小柄な男の方が納得したように手を打った。
「あぁ、両親の墓参りかい?」
その言葉を聞いた瞬間、彼の顔から笑顔が消える。様子を見た大柄な男の方が、小柄な男を小突いた。
「あ、いや、あの」
「親の墓がどこにあるかなんて知らねぇよ」
「すまねぇ」
「じゃあ、俺らは仕事の打ち合わせがあるからよ。元気でやれよ」
「……あぁ。頑張れや」
大柄な男が話を切り上げると、ジンガは軽く手を振る。笑顔はなくなったままだったが、2人の姿が人波に消えると、離れていたラカーシャ達を振り向いた。
「おう、待たせたな」
「いや……」
「あいつら、昔一緒に仕事した仲間なんだよ。今は独立してっけどな」
何か尋ねるよりも先に、ジンガが話し始める。
聞きたい所には触れないが、2人はそれを指摘する事は無かった。
………………
国王とその家族が住まう城。数えるのも億劫なほどの数の人間が、この中で働いている。城の中には、騎士団の事務所や簡易宿舎が併設されており、香里はそこに通された。
騎士団長が香里を疑わないと言ったとはいえど、謁見までには準備も必要である。それはおそらく、数日かかるだろうとホルトが言っていた。
現在は会議室のような場所で、何をするでもなく大人しく座っている。
ふと窓の外に視線を向ければ、そこには小さな庭が広がっていた。色とりどりの花が咲き、無機質な石の世界を彩っている。立ち上がり、窓へ向かった。淡い色の花が多い。落ちてくる夕日の色と相まって、どこか懐かしい気持ちになっていく。
「お花がお好きですか?」
突然話しかけられ、驚いて振り返った。
そこにいたのは、赤い髪の少女。長い髪の毛の所々に、黒いメッシュが入っている。騎士の甲冑を身につけており、顔立ちからして年頃はそう変わらないだろうが、雰囲気は不相応に落ち着いていた。
ホルトといい彼女といい、騎士というのは普段から気配を消して生活しているのだろうかと香里は思った。
「すみません」
「いえ、こちらこそお待たせして申し訳ありません」
慇懃な礼に、香里はどうしていいのか解らなくなる。
その戸惑う様子に、少女は笑みをこぼした。
「申し遅れました、私はエンリカ・エクシャール。騎士団長の補佐役を任されております」
おそらくは秘書のようなものだろうと、香里は推測する。その大人びた雰囲気にも納得がいった。
「お部屋のご用意が出来ましたのでお迎えにあがりました」
「えっと……はい」
「どうぞ、こちらへ」
エンリカに導かれるままに、香里は部屋を出る。
すれ違う人たちが自分の姿を気にしている様子だったが、見ないように努力した。
「今までにも、何人か偽者が来る事がありまして」
「え」
「しかしご安心を。天使を連れていらしたのは貴女だけですから」
その天使は人の鞄の中でのんきに寝入っている。
「それが……理由なんですか?」
「そうですね。とりあえずの所は。でも私はお会いして納得しましたよ」
階段を上ってしばらく歩いた部屋の前で、エンリカは立ち止まる。腰から下げていた鍵束を取り出すと、中の一つを鍵穴に差し込んだ。
「納得……?」
「……貴女には気取った所が無い。仰々しい従者もいらっしゃらない。色々な事に戸惑ってらっしゃる。異世界から来た事を考えれば、そんなの当然ですものね」
部屋の扉が開き、エンリカが中に入るように勧める。導かれるまま中に足を踏み入れ、香里は呆然とした。
天蓋付きの寝台に、豪華な調度品。
物の質などに香里は無頓着な方だが、そんな香里が見ても部屋の内装は豪華の一言に尽きる。
広さは、バラッシャの集落に滞在した時の小屋の総面積とさほど変わらないように思えた。
「こちらで、謁見の準備が整うまでお過ごしください。食事は日に3度、あと3時のティータイムも係の者が運んで参りますので」
「え、ええええエンリカさん」
「リカ、とお呼びください。ここは騎士団が要人警護のために使っているお部屋になります。警備は万全ですから、安心してください」
香里の動揺を笑顔で流し、エンリカは動じない。
もう一度室内を振り返る。どう見ても落ち着いて寝られる状況には見えない。ここ数日、野宿や安宿で過ごす日が多かったからだろうとも思う。否、例え最初からここに通されたとしても絶対に落ち着ける環境ではない。何か言おうと振り返った時には、扉が閉まっていた。
夜も更け、世界が静かになっていく。
寝台に横たわりながら、香里は天蓋を見つめていた。
眠れない。旅の疲れも相当に溜まっているはずなのだが、慣れない環境のために余計に時間がかかっている。
寝返りを打った。窓にはぴったりとカーテンが閉められ、外の景色など見えない。
別れた旅の仲間達はどうしているだろう。最初からここまでの旅だったとはいえ、とても長い旅を共にしてきたような気がしていた。
それほどに、良い仲間だったのだと思う。
また会いたい。
思ってもきっと叶わないだろうと、どこかで思っていた。
この部屋に通された時からずっと奥に溜まっていた予感が、明確に言葉になる。
自分が聖女と認められたら、きっとここから出る事は出来ない。
ビルハが何度も強調していた。自分は旗印であり、戦う必要の無い存在。
それならば、戦わない者が陣の中心……城から出るわけがない。
上掛けを引き寄せて抱きしめる。無理矢理目を瞑った。
何も考えなければきっと眠れる。そう思った瞬間だった。
扉が開くような気配。風がわずかに通り抜ける。
気配だけで、音も何もしない。
だが香里は、身を固くした。誰かがそこにいるという確信を持って。
胸にあるはずの心臓が、耳元でうるさいほど鳴ってる気がした。
自分には身を守る術が無い。
そこまで考えて、気のせいかもしれないと思い直した。
振り返ってしまえば、それが気のせいだと解る。気のせいだったら、何も緊張する必要は無い。
自然に寝返りを打つように扉の方を向いて……闇に慣れた目が確かに室内に人影を捉えた。
「お静かに」
悲鳴を上げる前に、人影が言う。口元に人差し指を当てる仕草は、実に優美で自然なものだ。
声の低さから、男性である事はすぐに解る。闇の中で見えるシルエットは、細身で長身の姿を映していた。小脇に杖のような細長い物を抱えている。
「女性の寝所に入る無礼をどうかお許しください」
胸に手を当て、深く一礼した。その動きも優雅で無理が無い。
「あの、貴方は……」
「私はレッドクロウ家に仕える者。名をウェルディスと申します」
以後お見知り置きを、と言う彼に、香里は反射的に礼を返していた。
その反応に、目の前の男性が柔らかく微笑んだのが判る。
「聖女様、私の仕えるお嬢様が、貴女と会う事を望んでおられます。どうか何も言わず、私と共に来てはいただけないでしょうか」
こんな時刻でさえなければ、その申し出には何の違和感も無い。彼の態度は間違いなく従者のそれであり、それだけなら不審な所も無い。
だが現在は真夜中、しかも何も言わずという条件まで付けられている。
香里が迷っていると、男性が不意に動いた。扉を向き、抱えていた杖のようなものを手に握りなおす。
「……夜中にレディの部屋に入ってくるなんて、常識なさすぎるんじゃない?」
扉には、ホルトが立っていた。姿は昼間と変わらない。
「その言葉、そっくりそのままお返ししましょうか」
「俺は良いのよ。騎士なんだから」
口調は普段のそれだが、おそらく目は笑っていない。剣に手をかけているのが、シルエットでも解る。
「今夜のお食事はお気に召しませんでしたか」
「どうもそうみたい。最近美味い飯ばっかり食ってたからさぁ。あいつに感謝しとかないと」
「おやおや、それはそれは……困りましたね」
全く困った様子ではないが、彼の手は正確に動いた。持っていた杖が香里の首にぴたりと当てられる。
その冷たさで、持っていたのが杖では無く剣だと知った。
「てめぇ……!」
「あぁ、動かないでください。こう見えても私は小心者でして。変な動きをされたら驚いて……剣を引いてしまうかもしれませんから」
その『引く』が、納めるという意味で無い事は嫌でも理解出来る。
体を押さえられているわけではない。逃げれば良いのだろうが、香里はもはや動くどころか、言葉を発する事も出来ない。
ホルトの後ろから、甲冑を纏った騎士が4人ほど現れた。彼らを見たホルトの表情が一瞬綻んだが、その瞬間にその内の1人が彼の後頭部を殴りつける。
「ホルトさんっ!」
叫んで思わず身を乗り出し、首に刃が食い込む冷たさで我に返った。
呻く彼に、騎士はもう一度拳を振り下ろす。完全に気絶したのか、力無く床に倒れた。
「ウェルディスさん、こいつどうしますか?」
騎士の1人がウェルディスに尋ねた。彼はちらりと香里を見る。
「……人質にもならないでしょうが、まぁ殺して捨てるよりは連れて行きましょう」
「しかし……」
「彼は騎士団長にも信頼されているようですから。使いようによっては有利に働くかもしれません」
騎士達はそれ以上反論せず、ホルトの体を担ぐと扉から出ていった。
「あの……」
「大丈夫ですよ。殺しはしません。それは約束します」
安心していいものか悩む香里に、ウェルディスは再び微笑みかける。
「では、我々も参りましょう。お荷物はどちらに?」
香里は部屋の端にまとめておいた荷物を指さした。するとウェルディスはどこから出したのか、ガウンを香里の肩にかける。
「着替えている暇はありませんので、申し訳ありませんがそれで我慢してください」
指示通りに寝間着の上からそれを着込んだ。その間にウェルディスは荷物を回収する。
靴を履いて手招きされるままに扉に向かった。
昼間通った通路は、異様なほど静まり返っている。外へ向かう間に、通路で寝入っている騎士も何人か見かけた。
真夜中の王都は寒い。
ウェルディスに導かれるままに、裏口に繋がれた馬車に乗り込む。
馬車の内装は、一言で言うなら、赤い。金や白も使われているが、それも赤の引き立て役のような置き方で、申し訳程度しかない。
見る人によっては、完全に悪趣味の範囲である。
気絶しているホルトが寝ている席の正面に、香里とウェルディスが座っていた。当然ながら、入り口をウェルディスが塞ぐ形になっている。
「乱暴なやり方で連れてきてしまって申し訳ありません。……しかし、これしか方法が無かったのもまた事実だと、理解してください」
「方法?」
ウェルディスは頷く。馬車は街の外に向かって走りだしているようだ。
「貴女がここに着いてしまった以上、さらってくるしかありませんでした」
「……あの、なぜ、ですか?」
「お嬢様は……王国から追われる身ですので」
追われる身。
ならず者の類を連想して、香里は身の危険が迫っているのではないかと不安になった。
「お嬢様……我らが首領は、人間と魔族の戦争が起こる事を望んではおられません」
「……え」
「この世界の事実を貴女に直接お伝えしたいと」
王国から追われる身であり、こんな夜中に人をさらってくるように指示する人物……レッドクロウ家のお嬢様は、戦争を望んでいないと言う。
その言葉だけなら、自分と同じように平和を望んでいるとも思えた。
それを額面通りに受け取って良いものか解らない。
考え事をしている間に、馬車が止まった。
ウェルディスが先に出て、降りる香里に手を貸す。その姿は間違いなく訓練された従者だ。
礼を言いながら馬車を降りると、そこは飛行艇の発着場のようだった。その事実よりも、目の前にある飛行艇に目を奪われた。
深紅の飛行艇。
夜にも関わらずその姿は鮮やかである。さらに、大きさは騎士団が使っていたそれよりも遙かに大きい。
ウェルディスに促されるまま、その飛行艇に乗りこんだ。ウェルディスは背中にホルトを背負ったまま後ろを着いてくる。
「その左の部屋です」
指示されるままに、客室であろうその扉を開いた。
中の光景に驚いて固まる。
「カオリ!!」
眠そうに机に伏せていたミィメーリィが、香里の姿を見て目を輝かせた。
彼女の声に反応して、ソファの一つを占領していたジンガや座ったまま船を漕いでいたラカーシャが目を覚ます。香里の姿を見ると、表情を綻ばせた。
ミィメーリィは部屋に入ってきた香里に抱きつく。
「ど、どうしてみなさんが……」
「貴女の説得のために必要だろうと思いまして」
「ウェル、ご苦労だったな!」
横から聞こえた声に、ウェルディスが振り返り道を開けた。香里はミィメーリィを抱きしめたまま後ろを振り返る。
「アンタが伝説の聖女様かい?」
ウェルディスに声をかけたらしい女性は、にっこりと笑ってみせた。対する香里は唖然とする。
飛行艇の深紅と同じ色の髪。同じ色の豪奢なドレス。美人という言葉そのまま、という感じの顔立ちと美しく弧を描く赤の唇。
男物の黒のジャケットと頭の海賊のような帽子さえなければ、立派な貴婦人である。
「あたしはピオニア・フィー・レッドクロウ。ようこそ、我ら『紅烏』の船へ!!」
違和感を感じていた名前がようやく合致し、香里は混乱のあまり悲鳴を上げた。
………………
「さてと、落ち着いたかい?」
お茶を手に、香里はソファの上で縮こまっている。
首振り人形のように頷くと、目の前の女性が豪快な笑い声を上げた。
「そんなに怯えなくて良いって!取って食うってワケじゃないんだからさ」
「は、はぁ……」
目の前の女性……ピオニアは、堂々としすぎていると表してもおかしくないほどだった。とても王国に追われる身……魔族の味方をしているという紅烏の首領には、見えない。
昨夜の衝撃の出会いから一夜明け、香里だけが彼女の私室に呼び出されて現在に至る。ピオニアの横にはウェルディスが控えていた。
「男が迎えに行ったから怖かったろう?」
「お嬢様が行ったら騒がしすぎて失敗します」
「その呼び方は止めな。何回言わす気だい、全く……」
こうして正面から見ているだけでも、彼女が表だって悪人ではない事は理解出来る。
それだけに、王国に追われる立場というものが一致しない。
「本題に入ろうかね。……アンタは、聖女と魔王の戦争についてはある程度知ってるね?」
「……基本的なところは、多少」
「ふむ、じゃあ現在の状況をあたしが整理してあげよう」
ピオニアは椅子から身を起こして香里を見つめる。
「人間の旗印……聖女が現れた事は、首都や他の都市でも噂になってる。まぁ知りうる限り、ほとんどの町に広まってるな」
「……そんなに?」
「アンタにゃ解らんかもだけど、この世界の人間にとって聖女と魔王の伝承は知らない方がおかしい話だからね」
ただ疑問があってね、とピオニアは置く。
「過去の資料によれば、聖女は魔王が出てきた後に異世界からやってくるもんだってのよ」
「……でも、まだ魔王が出てきていない?」
相手は香里の言葉に満足そうに頷いた。
「しかもアンタの出現がこんなに広まってるのに、だ。まぁあたしからしたら都合が良いんだけど」
「どうしてですか?」
「決まってる。あたしは戦争が起きるのが嫌なんだよ」
ピオニアは自分の首飾りを外すと、香里に見せる。通貨よりも少し大きなメダルには、見た事の無い模様が刻まれていた。
「あたしは人間だが……これは水棲族との友愛を示した、先祖代々伝わる品だ」
「水棲族…水の中に住んでいる方々、ですか?」
「そう。その女王は広大な海の底で、たった1人で全ての水棲族を束ねている」
窓から見える景色には陸しかないが、彼女は海へ思いを馳せるように遠くを見つめている。
香里には、彼女が追われる背景がうっすら見えてきた気がした。
「共存を、訴えてらっしゃるんですね」
「……当たり前さ。種族が違うだ魔王だなんだ、そんな事でいちいち殺しあいなんかしてたまるかってんだ」
香里は確信する。
この人は、リュシエルと同じだ。
「王国はそういう連中は排除したいのさ。王都の壁は見ただろう?」
「はい」
「あいつらは、長い事勝ち続けたから人間が正しいなんて平気で言うだろうさ。そんな事無いって、子供だって解りそうなもんだろうけどね」
ただ違う所を挙げるとするならば、この人はすでに動き出している。
この世界の過った認識を正すために。
「まぁあたしの事は良いのさ。それより問題なのは、アンタが首都に入ると戦争の準備が始まっちまうってトコなんだよ」
ピオニア曰く、魔王がまだ現れていない事は、王国や人間達にとっては好都合でもある。
魔王というまとめる者がいなければ、魔族と呼ばれる彼らがまとまる事は無い。
そこに宣戦布告して各個に叩いていけば、魔族を滅ぼすのも夢ではないと考える者が多数いるのだという。
「甘いと思うけどねぇ……ま、宣戦布告しちまったら、まだ共存している所も共存できなくなっちまう。そうなったらもう戻れないさ」
「それを阻止するために、私を……」
「そういう事。最初はまんまと騎士のみなさんに妨害されちまったわけだけどね」
ピオニアは豪快に笑っていた。少しも気にしている様子は無い。
「まぁとにかく、アンタが共存派なのが唯一の救いだと思ってるんだよ。あの子らの話じゃ、協力してくれるんじゃないかって言ってたけど」
「もちろん、私に出来る事でしたら!」
「嬉しいねぇ。……とはいえ、アンタは例え伝承の聖女でも、それ以外は普通の女の子には変わりない。そうだろう?」
確かに、聖女として与えられた癒しの力以外に、香里は特別な力を持っていない。自分が身体能力に優れていると思った事も無い。
表情を曇らせる様子を見て、ピオニアが微笑む。
「安心しな。だから役に立たないって言う気はないよ。むしろ、無理はしてくれるなって言ってるのさ」
「……ピオニアさん」
「アンタが聖女だって事を抜きにしても、アンタが傷つけば悲しむ奴がいるだろ?」
ぱっと浮かぶのは、仲間達の顔。
思い上がりかもしれないが。
「とにかく、あたし達はこれから、水棲族の女王に会いに行く。それに、アンタもついてきてほしいのさ」
ピオニアの言葉に、香里は頷く。
「それじゃ、しばらく船でゆっくりしてなよ。目的地まではしばらくかかるからね」
「はい、ありがとうございます」
「……それはこっちの台詞さ。信じてくれて感謝するよ」
香里はピオニア達に深く礼をして、部屋を出た。
通路の来た道を戻り、仲間が待っているであろう部屋に向かう。
「じょーーーだんでしょぉぉぉぉぉぉぉ!!!!????」
扉の前に立った瞬間、ホルトの声が室内から聞こえてきた。
普段の声音とは違い、だいぶ焦っているようにも聞こえる。
「何でアンタらそんな話をホイホイ信じてるわけ!!」
「別に全部信じたわけじゃないさ。ただ何というか……実際に会った首領のイメージが違ったから気になって」
「あぁんもう!君だけはそんな変な事考えないって思ってたのにぃ!」
そっと扉を開くと、ソファの上を転がるホルトの姿が見えた。机を挟んで反対側のソファには、ミィメーリィとラカーシャが座っている。
ジンガは部屋の隅で武器の手入れをしているようだ。
「あぁっ、カオリちゃんお帰り!変な事されなかった!?」
「はい、とても親切な方でしたよ」
微笑むと、対照的にホルトの表情が沈んでいく。よく見ると両手が後ろ手に縛られていた。
「あぁ……終わった。なんかいろいろ……終わった」
「お疲れ。どうだった?」
「……最初は驚きましたけど、でも、とても優しい方ですね」
ソファで転がっているホルトを端に寄せ、ラカーシャが空いた所に腰掛ける。香里はミィメーリィの隣に座った。
「首領が女ってだけでも驚いたのに、人間と魔族は共存するべきだ!なんて言い出すんだもんなぁ」
「魔族の味方だという話も、彼女の存在を疎んだ王国が偏って伝えてるに過ぎないのだろう」
「そういえば、みなさんはどうしてこちらに?」
ミィメーリィとラカーシャは顔を見合わせる。
「……まぁ、宿屋で寝てたら拉致されたというか」
物騒な単語が出てきた事で、香里は目を見開いた。
「宿屋もグルだったみたいでな。首領直々に部屋まで迎えに来た」
「開口一番『聖女様さらってくるから手伝え!!』だからなぁ……」
「話聞きゃ、カオリなら協力したいって言いそうな話だったからな。急いでもねぇし良いんじゃねぇかって」
手入れを終えた武器をしまいながら、ジンガがまとめる。
「つまりみんなカオリちゃんに会いたかっただけでしょー?素直になっちゃえよぅ」
「さぁな」
「否定はしない」
「そうだな。ボクとしてはとても嬉しい」
それぞれがそれぞれらしい答えを返した。その様子に思わず香里も微笑む。
「はいはい解りましたよー。悪い子は俺だけですよー」
「あの、ホルトさん……」
「あ、途中で下ろしてもらおうかとか無しね」
ふざけた口調を引っ込め、真剣な目が香里を見た。
「この状況になってるのは俺のミスだし、俺が騎士である限りは、聖女である君を護衛する義務があるんだから」
「……はい」
「だから、俺の立場を思うなら、君の行く先に俺を忘れず連れていってください。よろしい?」
香里は小さく頷く。その答えに満足したのか、ホルトは再びやる気の無さそうな表情に戻ってソファに転がった。
「にしてもさぁー。何で俺だけ両手縛られたままなのよーぅ」
「危険人物だからだろ」
「やーだこんなんじゃカオリちゃんの護衛出来ないよー」
「あの……」
「気にするな。言うほど辛くないし、その気になりゃ自分で外せるだろ」
「何でそう思うんですかー?こぉんな華奢な美青年にそんな事が出来るなんて」
「縄の結び目見えないようにしっかり握っておいてよく言う」
ラカーシャに指摘され、ホルトが握りしめていた両手を解く。縄がゆるみソファに落ちた。
ホルトが剣を抜くより先に、ラカーシャの槍がホルトの首に突きつけられる。
「……おーこわ。本気でやるワケないじゃん」
「……そりゃ失礼」
鞘にかけていた手を緩め、肩を竦めてみせた。ラカーシャが武器を納めると、満足そうに笑う。
「……カオリちゃんも、そんな固い顔してないで」
ホルトに言われて、香里は自分が固まっていた事実に気づいた。隣を見ればミィメーリィが心配そうな顔で自分を見上げている。
「す、…すみません」
「良いの良いの、こっちこそごめんね? 驚かせちゃってぇ」
手を振りながらへらへらと笑ってはいるが、度々見せる殺気の滲んだ姿に慣れる事は無い。
「お前が変な動きするからだろうが」
「だって仕方ないじゃーん。問題が解決するまで自力で努力するのがポリシーだもん」
「そのポリシーはしばらく休ませとけ」
ジンガは立ち上がり大剣を背負い直した。
道すがらでホルトの肩を叩いてから、部屋の外へと出ていこうとする。
「どこ行くんだ?」
「外の空気吸ってくる。そいつみたく暴れたりしないから心配すんな」
剣はあくまで護身用だと言ってから、扉を閉めた。
部屋の中に沈黙が流れる。
「……大丈夫かな」
しばらくして、ミィメーリィがぽつりと呟く。
「あいつだってまさか飛び降りるような事は無いでしょ」
「そうじゃなくて、……ジンガは、獣人族が嫌いなんじゃなかったか?」
船内の移動中に、数人の獣人族を見かけていた。
見た目に分かりやすいのが獣人族なだけで、もしかすれば他の種族も多数混じっているのかもしれないが。
「……いや、まさかトラブルになるような事はしてねぇだろ」
「それこそ、あいつだってアホじゃないっしょ?」
「そうなんだけど……」
それっきり、ミィメーリィは口を閉ざしてしまった。
彼女なりに何か引っかかる事があったのかもしれない。
ホルトとラカーシャの顔を見比べ、香里は立ち上がる。
「カオリ?」
「私もちょっと、外の空気を吸いに行ってきます」
面々が止める間も無く、香里はさっさと部屋の外へ出た。見取り図を確認しながら通路を歩き、外へ出る。
屋内通路と違い、外の通路は当然ながら風が強い。偶然だが目当ての人物を見つけて、香里は彼に近寄る。
「ジンガさん」
「んあ?」
声をかけると、手すりに肘をついていた彼が無関心そうに振り返った。
「カオリ、どうした?」
「私も、外の空気を吸いに」
嘘は言ってないが、白々しい言葉である。
ジンガは特に不思議にも思わなかったのか、香里が隣に並んでも何も言わなかった。
「……居心地がさ」
「はい?」
「良いんだよ。カオリと、あいつらといると」
自分としては非常に嬉しい事を言われているのだが、表情が暗いために素直に喜ぶ事が出来ない。
「俺だって盗賊が天職だと思ってねぇけどさ」
悩んでいるのだろうか。
ジンガの今までの様子を見るに、彼の正義感は目立って強いように見える。
目の前で曲がった事が起こるのが我慢ならない。人情もある。弱い者を助けずにはいられない。それは香里を助けたあの時から明らかだ。
「……どうしたら良いんだろうな」
「……私、個人のワガママですけど」
力無く虚空をさまよっていた視線が、香里に定まる。
「私は、ジンガさんや皆さんと一緒に旅が出来て、とても嬉しいです。職業のご紹介が出来るわけではありませんけど、皆さんとずっと一緒にいられたら良いのにと……思います」
うまく言葉に纏まらなかった事を、香里は小さく謝罪した。ジンガはその様子に微笑むと、香里の頭を撫でる。
「ま、考えててもしゃーないやな!!」
さっきまでとは打って変わって、ジンガは明るい表情で伸びをする。いつもの様子に戻って、香里は顔には出さずに安堵した。
「今度は戦争の阻止、か。また話がでっかくなってきちまったなぁ」
「はい、……でも、まだ希望があるなら頑張ります」
「無理すんなよ」
「はい!」
………………
衝撃ばかりの出発から2日が経過した。
紅烏の構成員達とも、どことなく顔見知りになった頃、飛行艇は目的地へと到着した。
降り立った場所は、海岸。
目の前は広大な砂浜と、水平線。
逆を言えば、それ以外は何も無い。後ろを振り返っても平原がどこまでも広がっている。
「……で、ここどこなワケ?」
ホルトが疑わしげな表情で周囲を見た。
「正確にはここは目的地じゃないよ。手近な海岸に来たまでさ」
ピオニアの後ろでは、飛行艇の格納庫から積み荷を下ろす作業が進められている。
見る間にレールのような物が砂浜に向かって敷かれ、あっと言う間にそれが海へと繋がった。
構成員たちが一度格納庫に引っ込む。少しして、布に包まれた大きな固まりを引きながら出てきた。レールに乗ると、スムーズにそれが動き出す。
砂浜に入るより先にそれを覆っていた布が剥がされた。
あの飛行艇のどこに入っていたのかと思う大きさの帆船が姿を現す。海まで引き込まれると、碇を降ろしてそこに留まった。
「ちょっと型はレトロだけどね。中身は最新式だから心配しなくて良いよ」
どうやら見た目とは裏腹に、飛行艇並みの機動力を備えているようだ。船を前に呆然とする面々に、ピオニアは自慢げに語る。
「さぁて」
ピオニアは香里の肩を叩いた。
「お仲間は全員連れていく?」
「……はい、是非」
「よし、ウェル!あたしがいない間、船は任せたぞ」
「かしこまりました」
ウェルディスは深く一礼し、周囲にいた構成員たちも敬礼する。
船内も見た目を裏切らないデザインだ。しかしながら、ところどころに似つかわしくない文明の利器も置いてある。
「まぁ、1日とかからずに行けるだろう」
操舵室はさらに文明まみれだ。中身は最新式、という言葉を実感する。
その機械の傍らに、ピオニアは水の入った器を置いた。
何かと覗き込めば、彼女が常に身につけていたメダルが水に浸かっている。陽光の中、メダルには矢印が浮かんでいた。
「不思議だろ? 海水と光でそんなもんが浮き出てくるんだよ」
「……どこを示しているんですか?」
派手な音を響かせながら、船が動き出す。
「人が唯一入れる、水棲族の街」
船はメダルが指し示す方向へ、真っ直ぐに走り出した。
「あたしたちの先祖は、『海上の楽園』って呼んでたよ」
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