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紅の烏と紺碧の水宮

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 船はしばらく何の問題も無く走り続けた。朝に出発して、すでに昼を過ぎ夕刻になろうとしている。
 甲板で潮風に吹かれながら、流れていく雲を眺めていた。何せ、周りには海原しか無く、空以外の風景にあまり変化が無い。
「カオリ、前!」
 ミィメーリィに呼ばれ、香里は進行方向を向いた。
 水平線の向こうに、何か建物のような物が見え始めている。それは見る間に近づいてきた。
 急いで操舵室に戻ると、他の仲間も集まってきている。その間にも建物へと近づいていた。
 その建物は、今まで香里が見てきたどんな建物とも異なって見えた。
 空へ向かって先細りになった、瑠璃紺の塔。テントのような滑らかに湾曲した白い屋根が連なり、塔はそれを突き抜けるように立っている。外壁は海よりも深く青い。
 建物に近づくと、船はゆっくりとその周囲を回る。船着き場を見つけると、そこに船を漬けた。
「……船旅お疲れ。降りるよ」
 ピオニアに促され、外へと急ぐ。
 船を下りると、海上と変わらない風が吹いていた。ピオニアは船を固定し、面々を振り返る。
「忘れ物はないかい?」
「あ」
「おや?」
「ビルハを置いてきてしまいました」
「良いんじゃねえの?あいつは今回いなくても」
 彼はまだ鞄の中でぐっすり眠っているだろう。紅烏の飛行艇にいたと思ったらまた違う船にいるわけだから、さぞ驚くだろうが。
 だが取りに戻る時間がもったいないとも思うし、いた所で何か変わるとも正直思えない。
「大丈夫かい?」
「……はい。大丈夫です」
 思い直して、ピオニアに返す。彼女は少し戸惑った表情を浮かべた後、意を決して建物の方を振り返った。
「さぁて、女王陛下へ謁見と行きましょうか」





 建物の中には、人気が全く無かった。内装も外観と同じように青と白で彩られている。通路は吹き抜けになっており、奥には滝が見えた。現在地は高い階層のようで、通路は下の方にも幾つかある。一番下は海水が溜まっているようで、滝もそこに注いでいた。
 非常に美しいのだが、ところどころ荒れている。
「……おかしいねぇ」
 室内を見渡しながら、ピオニアが呟くように言った。
 海上の楽園という言葉と、現在のこの雰囲気が全く一致しない。
 ピオニアは懐から銃を取り出すと、弾を確認して再び前を向いた。
「水棲族の方が、いらっしゃるはずですよね?」
「少なくともあたしはそう聞いてる」
 通路は壁の奥に向かって伸びている。ピオニアは後ろに続く面々と視線を合わせた後、先頭を歩いていく。
 すると間もなく前方から、騒がしい足音と悲鳴が聞こえてきた。
 その方向に向かって、ピオニアとジンガが同時に走りだす。
「ちょ、アンタら!!」
 ホルトが叫びながら剣を抜く。水飛沫の上がる音と共に、何かが通路に飛びかかってきた。
 それは、緑色の鱗に全身を覆われた生き物。魚のような形の頭に、水掻きのついた手。
 威嚇するように甲高い声を上げたそれは、通路の手すりにへばりついている。通路に上がる前に、ホルトがその両手を斬った。それは最下層の海の中に落ちていく。
「走れ!!」
 ラカーシャが叫び、香里たちの背中を押した。彼の槍は、鋭い歯を覗かせる化け物の口を深々と貫く。そうしている間にも、化け物は次々に通路に飛びかかってきた。
 香里たちの前をホルトが先行する。前を塞ごうとする化け物を確実に屠った。ミィメーリィの放つ魔術の稲妻が、ホルトの背中を狙った1匹を貫く。
 化け物の1匹が甲高い声で叫ぶと、戦っていた化け物が一斉に海へと戻っていった。荒い呼吸をしながら、それを見送る。残された死体も、やがて砂に還った。
「……逃げた?」
「みたいだな」
 視線を先行していた2人の方へ向ける。2人は悲鳴の主であろう人物を庇いながら、こちらに向かってきていた。
「大丈夫だったか?」
「どうにかな。カオリ、治癒頼む」
 ジンガが庇っていた人物を香里の正面に押しやる。
 その人物は女性だった。艶やかな黒い髪に縁取られた顔立ちは幼く、香里ともあまり年齢は変わらないように見える。
 だが彼女の耳元には、明らかに人には無いものがあった。
 魚のヒレ。
「あああ……ありがとうごぜぇますだぁ……」
 怪我は擦り傷の類が多く、さほど難しい術でなくても済んだのだが、治癒を施された女性の方は感激している様子である。
「よがっだぁ……レッドクロウの人に救われるなんで、これぁ奇跡だぁ…」
 泣いている事を抜きにしても、その言葉はかなり訛っているようだった。今まで何も意識せずとも会話ができていただけに、香里は内心驚く。
「一体何があったんだい?あんたの名前は?」
「わだずは、シュリ言います」
 深々と礼をしてから、シュリはピオニアを真っ直ぐに見つめた。
「実はさっきの化け物に、ここを乗っ取られてしまったんだす」
 深く長いため息の後、彼女は事情を説明しはじめた。
 この海上の楽園は、地上から出入りする水棲族の玄関口になる。
 水棲族のすむ国は、ここから専用の通路を辿った先、海底にあるためだ。海底から直接海へ出る事が難しい者もいるため、海上の楽園が利用されている。
 しかしながらつい一昨日、現れた化け物によりここを占拠された。
 不運な事にその時、化け物に対処できるだけの戦士がここには滞在しておらず、化け物は楽園にいた水棲族を食い荒らした。
 それでも多くの水棲族は海底の国へと逃げ込み難を逃れた。女王はある程度の避難が終わった所で、海上の楽園と国を繋ぐ通路を閉鎖するよう命令した。
「……で、アンタはなんでここに?」
「わだずは、外に助けを呼ぼうと思って出てきたんす」
 ここが非常事態になっている事など、外から来る水棲族は知らない。
 そして、海底王国の現在の警備隊では、数が足りない。
 そこで彼女は外へ向かい、外の水棲族に危険を知らせると同時に、助けを求めようと考えた。
「……無茶すんな、お前」
「でも、誰かが動がねがったら、いつまでも外に出られんよ!!」
 一同は顔を見合わせ、再びシュリを見た。
「で、外はすぐそこなワケだけど」
「あのっ!!」
 言いかけたジンガの腕を、シュリが掴む。嫌な予感がしたホルトはそこから目を逸らした。
「お願いでずっ、わだず達を助けてください!!」
 後ろでホルトが頭を抱えて座り込む。ラカーシャが励ますように肩を叩いた。





 シュリは海上の楽園での案内も申し出てくれた。
 目下の目標は化け物、水棲族は海悪魔と呼んでいる魔物を全滅させる事なのだが、数がわからない限りどれほど戦えば良いのかも検討がつかない。
 シュリに案内され奥に進む間も、海悪魔は度々襲いかかってきた。大抵は海からの奇襲攻撃なのだが、今の所は成功していない。
「しっかし、一体どこから湧いてきたんだかねぇ」
 ピオニアが銃の弾を込めながら言う。
 シュリ曰くは、少なくとも自分の人生の中で、海悪魔のような生き物が目撃された事は無かったらしい。
 年かさの仲間に聞くと、何十年かに一度、目撃された例はあるが、ここまでの大量発生は文献に残る過去にも例は無いのだという。
 通路は段々と海面に近づいていく。とはいえ本来の海面よりも遙か下にあるため、正しくはとっくの昔に海の中だ。
 不意に横から何かが倒れる音がする。見れば、扉が半開きになっていた。
 ジンガが慎重にそれを開く。
 そこは武器庫のようだった。壁には無数の銛と小型の盾が並べて飾られている。奥を覗くと、男性が部屋の隅にうずくまっていた。剥き出しの腕にはヒレがある。
「大丈夫が!?」
 シュリが声をかけると、男性は顔を上げた。怯えていた表情が安堵に緩む。
「姫様!!」
 聞き慣れない単語に、思わず顔を見合わせた。
「姫様、お逃げください!」
「大丈夫、この人達が助けて……」
「あぁ、あぁ!あと少し早ければ飲みはしなかったのに……」
 2人の会話は繋がらない。シュリが首を傾げて近づこうとするのを、ジンガが腕を掴んで止めた。
 水棲族の男の様子がおかしい。
 視線が段々と定まらなくなり、体が大きく震えだす。それと共にヒレのある腕に緑色の鱗が浮き始めた。
 断末魔のような悲鳴をあげながら、男は自分の体を抱きしめうずくまる。やがて人の形だった頭部が化け物のそれに代わり、水棲族にあった人の面影は無くなった。
 ゆっくりとこちらに顔を向けたのは、海悪魔。
 シュリが悲鳴を上げると同時に、かつて水棲族の男だった海悪魔が甲高い叫びをあげる。
 飛びかからんと構えた瞬間、弾丸がその頭を貫いた。
 血を流し、そのまま地面に膝を着く。やがて全身が砂へと代わり、小さな山を作った。
「……これが、正体なんてねぇ……」
 銃を下ろしながら、ピオニアが呟く。
 シュリは砂の山の傍らにひざまづき、涙を流した。
「……酷い……」
 泣いているシュリの脇を、ミィメーリィが通り過ぎる。部屋の隅に捨てられていた小瓶を拾い上げた。
「……あと少し早ければ飲みはしなかった」
 ミィメーリィが小瓶を手に振り返る。彼女の視線を追うと、部屋のそこかしこに同じような小瓶が転がっていた。彼女の持つ小瓶には何か液体が先ほどまで入っていた痕跡が見られるが、他の物は完全に乾いている。
「薬品か何かか?」
「そこは分析でもしない限り解らないな。……専門分野じゃないからしたくても出来ないが」
 ミィメーリィが部屋の隅に小瓶を放り投げる。
「だがあれにかつて入っていた物が海悪魔へ変異を引き起こしたのなら、誰かの意思が現状へ導いた事になるな」
「……何てこった」
「一体……一体誰が…」
 誰もその問いに答える事は出来ない。シュリの涙は砂の山へ落ち、染み込んでいく。
「……だが、水棲族である事は間違い無いだろう。水棲族は長く外との関わりを絶っているんだ」
「仲間にそげな事する奴ぁいねぇ!!」
「だが実際起きてるじゃないか!!」
 ピオニアの強い反論に、シュリは身を竦めた。ジンガが間に立つ。
「言い争ってる場合じゃねぇ。……これからの犠牲を無くす方が大事だ」
 2人は言葉を無くし、俯いた。
「ねぇ、……嫌な予感してきた」
「奇遇だな、俺もだよ」
「……どうされました?」
 ホルトとラカーシャが顔を見合わせていると、ミィメーリィが前に出る。
「あれを飲んでた水棲族が、国に避難した中に紛れていたらどうなる?」
「いやそれ以前に、避難した先にも同じ物がバラ撒かれてたら」
 一部の顔が青ざめた。
「でも、わだずが出た時には……」
「こいつみたいに後生大事に持ってやがった奴がいたらどうする?」
 シュリの顔色が一層青くなっていく。ジンガがその肩を掴んだ。
「こんな所で話してる場合じゃねぇ!!急ぐぞ!!!!」






 水棲族にとっての首都、1人の女王により統治された海底王国。
 水棲族にも様々な種類があれど、彼らが君主として敬うのは、この海底王国に住む女王のみ。
 海底王国へと足を踏み入れるのは、海に住む水棲族だけではない。時には淡水の中にしか生きられない水棲族も、女王への謁見を望みやってくる。
 そのために海底王国はドーム状の膜に覆われ、海上の楽園を始めとする供給機関から大気を内に取り込んでいる。
 膜を自由に出入り出来る水棲族は数少ない。地上での形態を持つからこそ、大気の中でも生活が出来る。何より、外敵が少ないために平和であるため、素早く逃げる必要も無かったのだ。

 通路を隔てる隔壁を解除し、一行は海底王国へと降り立った。
 隔壁は元に戻してきたが、その必要は無かったかもしれないと誰もが思った。
 水棲族が海悪魔から逃げまどっている。あまりの惨状に、シュリは声も上げられずにその場にへたりこんでしまった。
 香里がそれを気遣う。ジンガ達は、目の前で襲われている人々を助けに向かった。
『酷い……誰が…誰がこんな事を……』
 水棲族の固有言語なのか、シュリの呟きを香里が理解する事は出来なかったが、それが落胆を意味している事はなんとなく解る。
 しばらく沈黙していたかと思うと、シュリは顔を上げて急に立ち上がった。
『お母様!!!!』
 叫ぶと、香里が止めるのも聞かずに走り出す。それに気づいた面々は彼女を追い、香里もそれに倣った。
 彼女の姿は、最も大きな建物へ吸い込まれていく。香里たちもそれに続いた。シュリの背中を追いかけながら、襲いかかってくる海悪魔も退ける。
 その足が止まった時、一行は広い空間に辿りついていた。どこまでも白と青で出来た内装。奥に据えられた雛壇の最上段に、男女の姿が見える。
 玉座に座る女性と、彼女に槍を突きつける男の姿が。
『お母様から離れて、ルベル将軍!!』
 シュリが叫ぶと、男……ルベルは笑みを深くする。彼も水棲族なのだろう。身を包む黒い甲冑の隙間からヒレが覗いていた。女性の方も、シュリと同じ所に魚のヒレが付いている。
「これはこれは姫様。もう彼らに食われてしまったかと思っておりましたよ」
 言葉は丁寧だが、その内容は失礼極まり無い。
「彼らは若い女の肉が大好物ですからな……」
『ふざけないで!!全部あなたのせいなのですか!!??』
「おや、これは心外ですね。私は手伝いをしただけですよ」
 シュリが何を言っているのかは相変わらず解らない。だがルベルの方はまるで香里達にもわざと聞かせているように、こちらに理解出来る言葉を使い続ける。
「かつて我々が滅ぼした、レッドクロウ家への贖罪の手伝いをね……!」
「ほう、なるほど?」
 ピオニアが先頭に進み出る。ルベルの視線がピオニアへと移った。
「レッドクロウの差し金って事かい」
「そうだともさ」
「っかー、酷い奴もいたもんだねぇー」
「あぁ、だが仕方ない。我々はそうされても文句の言えぬ過去があるからな」
「はぁ。で、アンタにそんな事頼んだ覚えは、あたしにゃさっぱりないんだけど?」
 ルベルの表情が固まる。刹那、驚きに染まり、自分の手を見た。
 彼の手にあったハズの槍が、いつの間にかピオニアの手にある。ピオニアの右手には、鞭が握られていた。
 彼女は槍を投げ捨てると、鞭を地面で打ち鳴らす。
「あたしはピオニア・フィー・レッドクロウ!!誇り高き紅の翼を持つ、レッドクロウ家の14代目当主だ!!!!」
 その名を聞き、玉座に座っていた女性の表情が変わった。今まで何があろうと動じない様子だったのが、目を見開き彼女を見つめている。
「残念ながらレッドクロウは王国に滅ぼされて、逃げ延びた当主以外は一族郎党皆殺しさ!!さぁ答えな!このあたしに悪行なすりつけやがったクソ野郎はどこのどいつだい!?」
 その声は空間を震わせ、ルベルをまっすぐに射抜いた。
 ルベルはしばらく彼女を見つめた後、おもむろに笑いはじめる。
 その狂気じみた笑い声に、面々は自然と無言になった。それにも構わず笑い続ける。
「これは驚いた。まさか本当に生き残りがいたとはな……」
 ルベルはゆっくりと雛壇を降りてきた。全員が身構える。
「中立を守るなどとふざけた事を言い出さなければ、こんな事にはなりませんでしたよ、女王陛下」
「………」
「……全ては、我らが魔王様のために!!」
 ルベルは懐から小瓶を取り出し、それを掲げてから中身を飲み干した。
 一行の驚きの表情を見て、満足したように笑う。
 間もなく、全身が変異し始めた。苦悶の声を上げながら、表情はまだ笑顔を保っている。甲冑の下の肌が青く変わり、顔も人に近かったそれが異形へと変貌した。
 彼の姿は、他の海悪魔と異なっている。鱗は青く、頭は魚に近いとはいえど、別の生き物に変わっていた。腕は明らかに長くなっている。
 ルベルが甲高い叫び声を上げた。それと共に、そこかしこから海悪魔が現れる。
「まぁどっから出てくんのかねぇこんなにさぁ!!」
 飛びかかってきた海悪魔の口を、ホルトの剣が迷い無く貫いた。砂に変わるより先に、そばへ迫っていた1匹に叩きつける。
 ジンガは真っ直ぐにルベルに向かった。もはや水棲族としての面影を残さない彼は、威嚇の叫びを上げジンガに飛びかかる。
「カオリ、おいで!」
 ピオニアが香里の腕を掴んで走り出した。銃弾が海悪魔を牽制する。
 目指すのは女王がいる雛壇。水棲族の女王は、魔術を用いて海悪魔を退けている。
 雛壇の上に香里を上らせた。
「いいかい、そこから動くんじゃないよ!」
 そう念を押したピオニアは、すぐに戦いの中へと戻っていく。女王に迫る海悪魔を銃で撃ちながら走っていった。
 ジンガの背中に飛びかかる海悪魔が、雷の魔術に撃ち落とされる。起きあがろうとするそれにラカーシャがトドメを刺した。前後から飛びかかってきた相手を横に避けて衝突させ、素早く頭部を貫く。
 倒しても倒しても、入ってきた場所以外の入り口があるのか、そこかしこから新たな海悪魔が現れた。
「…埒が明かねぇ……」
 誰にともなく呟き、ラカーシャは再び走り出す。ミィメーリィに迫る海悪魔に体当たりするように槍を刺した。
 砂に変わる中、槍を左手に持ち替えて右手で剣を抜く。襲ってくる相手の目を剣で潰し、呻く間に槍が胸を貫いた。
「シュリ、こっちだ!」
 ピオニアが叫ぶと、ジンガが背中に庇っていたシュリをそちらに押しやる。シュリを狙ってルベルの手が伸びるも、ジンガの剣が邪魔をした。
「お前の相手はこっちだろうが」
 切り落とされた手首が砂に変わる。再びの雄叫び。
 鞭のようにしならせながら腕を振り回す。大剣で庇うが、それごと弾き飛ばされた。素早く受け身を取り、追撃を転がって避ける。
 ルベルが声を上げると、それぞれに戦っていた海悪魔が一斉にジンガを見た。その異様な光景に、一瞬ジンガも気圧される。海悪魔達が、ジンガに向かって走りだした。既に至近距離にいた者は、その自由を奪おうとつかみかかる。
「くっそ……!」
 大剣が振るわれる度に一体ずつ砂に変わってはいくものの、数が多い上に減らしてもすぐに新しい者が加わる。
 その間に、ルベルがゆっくりとそこに向かって歩き始めた。
「あのバカは……」
 ラカーシャは槍を構え、狙いを定める。
「荒れよ神風、竜巻となりて愚者を吹き飛ばせ」
 詠唱と共に、槍が風を纏った。ラカーシャがそれを上に投げる。
 槍は意志を持つように、ジンガの目の前に垂直に落下した。何体かの海悪魔が槍に貫かれ絶命する。
 その槍を中心として、風が吹き荒れた。ジンガも含めた周囲の者を壁や天井に叩きつける。吹き飛ばされた海悪魔がルベルに激突し、歩みが止まった。
「……お、お前なぁぁ……」
「文句は後で聞く。早くしろ!」
 壁に体を預けていたジンガが、舌打ちして大剣を握りなおす。
 ルベルも体勢を整えて再び歩み始めた。それがすぐに止まる。
「逃がさないよ、クソ野郎」
 ピオニアの鞭がルベルの首をしっかりと捕らえていた。ルベルは外そうともがくが、しっかりと巻き付いたそれが外れる気配は無い。
 前から迫ってくるジンガを牽制するように、手の無い腕を振り回した。単調なそれをジンガは難なく避け、懐に潜り込む。
 大剣がその体を抉り、斬り裂いた。それと前後して、ピオニアの銃から放たれた弾が頭部を貫く。
 振り上げた腕から、砂へと変わり始めた。それに伴い、海悪魔達が撤退していく。
 完全に砂に変わる頃には、部屋には静寂が訪れていた。
「……終わった?」
「みたいだな」
 ミィメーリィの呟きに、ラカーシャが剣をしまいながら答える。それを合図に、部屋の中を安堵のため息が埋め尽くした。
 香里は雛壇から駆け下り、負傷している仲間の治療に当たる。それが終わる頃、入り口から慌ただしい足音が近づいてきた。
『女王陛下、姫様もご無事で!!』
 水棲族の兵士達は、雛壇の上の2人に安堵した後、床に座り込んでいる香里達に気づいて武器を構える。
『お止め。その方々はわたくしと娘の命の恩人です』
 透き通った声。女王の言葉に、兵士達は武器を納めて彼女を見上げる。
『その様子では、外は……』
『海悪魔達は先ほど一斉に撤退を始めました。現在、生存者の確認を急いでおります』
『ではそちらに、お前達も助力を』
『はっ!!』
 兵士達は敬礼をし、すぐさま入り口に向かって走り出した。その足音が遠ざかると、女王の視線は香里達を向く。
「どうか無礼をお許しください。そして……本当にありがとう」
 深く礼をする所作は優雅の一言に尽きる。女王はゆっくりと顔を上げ、面々を見渡した。
「わたくしは現在の水棲族の女王、レメーディアと申します。わたくしと娘を救っていただき、本当に感謝しています」
「え、じゃあアンタ本当にお姫様なワケ?」
 異種族の王族を前にしても態度の変わらないホルトに、ラカーシャとミィメーリィから同時に肘鉄が入る。呻きながら後ろに下がっていくホルトの代わりに、ピオニアが前に進み出た。
「クイーン・レメーディア」
 ピオニアは玉座の女王をまっすぐに見つめた後、その場にひざまずいた。
「止めてください、ピオニア」
「ですが……」
「わたくしとあなたは対等の立場です。それはずっと……レッドクロウが滅ぼされた後も、変わってはいません」
 しばらく考えた後、ピオニアは立ち上がる。女王はその姿に満足そうに微笑むと、玉座から立ち上がり降りてきた。
「わたくし達はずっと、後悔してきました。……あなた方が王国に滅ぼされた時、わたくし達の援軍は、あまりにも遅すぎて間に合わなかった」
 女王が語るには、今から百年ほど前の事。
 種族を越えた友情を結んだ人間と水棲族がいた。
 人間は当時、王国主導の世の中で勢力を拡大しつつあったレッドクロウ家の次期当主。
 水棲族は見識を広めるために地上へ来ていた、水棲族の次期女王。
 2人はお互いを認めお互いを信頼し、やがてそれぞれが約束されていた立場に立つと、自然とそこに互助の関係が出来上がった。その課程で、レッドクロウ家は人間で唯一、水棲族と貿易を行えるようになったのである。
 人間と魔族の対立構造は不変のものだ。海へ出れば水棲族に船を沈められ、山へ行けば有翼人や獣人族、木花人が邪魔をする。人間はその隙間を縫うように自然の利益を得て、魔族達は人間の文明を厭いながら時に奪った。
 そんな状況だけに、海の恵みによる利益をレッドクロウ家が何のリスクも払わず事実上独占する状態は、王国にとって面白い事ではない。
 そしてそれが、彼らを滅ぼす口実となってしまった。
 王国はレッドクロウ家を『魔族と手を組み王国転覆をもくろむ反逆者』として、一族を捕らえ処刑するように指示した。彼らの屋敷には王国騎士団が大挙して押し寄せ、その場にいた者を皆殺しにしたという。
 その知らせが届き、女王が援護を送った時には、全てが終わっていた。女王はその事を嘆き悲しみ、貿易の継続を求めた王国の要求を拒否し、以降人間に対して水棲族の都が開かれる事は無く現在に至っている。
「わたくし達にとって、人間は怖い生き物でした……意に添わねば仲間すら、事実の無い罪を押しつけ、何の情けも無く殺してしまう……」
 それでもその時の女王が、レッドクロウとの間に繋いだ絆は本物だったと信じていると、女王は語った。
「ただ、王国を信用する事はどうしても出来ませんでした。かと言って、人間と戦う事もしたくなかったのです。その気持ちを仲間に告げたのですが……そのせいで、このような事になってしまったのですね」
「全ては我らが魔王様のために、だったか」
「……魔王は現れていないもんだと思っていたが、もしかして水面下では動き出しているのか?」
「解りません。ルベル将軍が何を思っていたのか、何を知っていたのか……」
 ルベルや水棲族を海悪魔の姿へ変えた薬らしき液体の事も、レメーディアは皆目検討もつかないのだと言う。
「ですが、少し仲間たちにも聞いてみましょう。わたくしには見えなかった事も、他の誰かが知っているのかもしれませんから」
「ご協力に感謝します」
「いいえ、……わたくしの不用意な発言が、仲間を犠牲にする事態を招いてしまいました。その贖罪に、少しでもなれば良いのですが」
「クイーン……」
 力無く微笑む姿に、ピオニアもうまく言葉が返せない様子で俯いた。
 しばらく視線をさまよわせた後、はっとした様子で顔を上げる。
「……クイーン・レメーディア。曾祖母からの伝言をお伝えしていませんでした」
 レメーディアは少し呆気に取られた様子だったが、すぐに手振りで続きを促した。
「親愛なる水棲族の女王よ、我が一族が滅ぼうとも我らの絆は不滅なり、ゆえに決して、我らの滅ぶ事を悔いるなかれ」
「……それは…」
「……こっちも気にしてないから気にするなと、言いたかったようです。言い回しは仰々しいですが」
 女王は瞳から一滴の涙をこぼし、ピオニアに微笑んだ。
「これでやっと……わたくし達も前に進めるかもしれません」
 ピオニアも微笑み返し、レメーディアに手を差し出す。それを女王は握り返した。
「わたくし達は、レッドクロウ家の再興に協力いたしますわ」
「ありがとうございます。ついでにもう一つ」
 魔王と聖女の戦争を止めたいと考えている事を、ピオニアはレメーディアに打ち明けた。香里も加わり、自身が聖女である事を説明し、ピオニアの意見に同調している事も告げる。
 レメーディアはそれを黙って聞いていた。話が終わると微笑んで頷く。
「解りました。わたくしにどこまで民を導けるかは解りませんが……戦争をしたくないのは私も同じ。そちらにも、出来る限り協力いたします」
 穏便に話が終わり、香里は胸を撫でおろした。レメーディアに一礼すると、彼女は優しい微笑みを浮かべている。
「あなたが聖女で良かったと、わたくしは思います。あなたの行く道に、神のご加護がありますように……」





 海悪魔に荒らされ宿泊する場所が無いため、一行は見送られながら海底王国を後にした。環境は言い訳であって、復興を進める女王の心労を思えば、残っている事で気を使わせてしまう方が悪いだろうと結論したのである。
 海底王国と海上の楽園を繋ぐ通路まで女王と姫が見送りに来るという事態に、周囲は兵士で囲まれるわ見物の水棲族がやってくるわで通路前はごったがえした。
 あのような事があっても、水棲族達の表情は明るい。まだ真相を知らないのもあるだろうが、危機が去り女王と姫が無事である事が、彼らに十分な安心感をもたらす事なのだと示している。
 海上の楽園からも海悪魔の姿は消えていた。香里達が通過した時には兵士たちが後かたづけの真っ最中で、女王を救った恩人だと通達が為されたのか、敬礼や会釈をする者も少なくなかった。
 船へと戻り、もと来た海岸まで船は走り出す。時刻は既に夜になっていた。
 海上の楽園は、絶えず海を移動している。そのため出発時には、海岸までの距離がかなり広がっていた。
 他の仲間が船室で仮眠を取る中、香里はこっそりと操舵室に向かう。中を覗くと、ピオニアが真面目な顔で前を見つめ、機械を動かしていた。
「……寝ときなよ。責任もって海岸まで戻るからさ」
「いえ、あの、お礼をと……」
「……言わなきゃいけないのはこっちの方さ。いや、謝らなきゃいけない、かな?」
 香里が首を傾げると、ピオニアは笑いを漏らす。
「いやね、女王様が魔王の味方だったらアンタの首でも差しだそうかなと思ってたのよ」
 彼女の目的はあくまで、曾祖母の伝言を現在の女王に伝える事だった。
 香里を連れてきたのは自分の信念のためでもあるが、いざという時に無事に帰れるように手土産にするためだったという。
「ありがとうね、本当に。あたし達の事、信じてくれて」
「いえ、こちらこそ連れ出していただいてありがとうございました」
 水棲族の女王と出会う事も、魔王が動き始めているかもしれないという情報を得る事も、紅烏が香里をさらわなければ無かったかもしれない。
 戦争など望んでいない人がいる。魔王に心酔し、仲間や自分を異形に変えてまで戦いを望む者がいた。
 そしてそれはきっと、水棲族だけに限った事ではない。
「それと、お願いがあるんです」
「お願い?」
「木花人の方に、お知り合いはいらっしゃいませんか?」
 香里は現在までに、木花人以外の3つの種族とは出会っている。そして彼らの中に、話せば解ってくれる者や戦争を望んでいない者がいる事も知った。
 となれば当然のように、木花人にも興味が湧く。それが火急に必要な事とは香里も思っていないが、首都へ戻れば軟禁状態になる事を思うと、どんな理由でも今のうちに世界を見ておきたいという気持ちも強かった。
 とはいえ自分の欲求に対し事態は深刻なので、通らなければそれで良いとも思っている。消極的な興味だ。
 ピオニアは少し眉を顰めて考えた後、唸りながら言う。
「紅烏のクルーにも今のトコいないしなぁ……ウェルなら何か知ってるかもしれないけどねぇ」
「ウェルディスさんですか?」
「そ。あいつは確か木花人の……クォーターだかなんだかだったと思うから」
 穏やかな彼の姿を思い浮かべた。最初に説明された木花人のイメージには確かに近い。
 ふとある事を思い出してピオニアに向き直る。
「ウェルディスさんは、ピオニアさん付きの従者……なんでしょうか?」
「ん、あぁそうだよ。あいつのじいさんか誰かが、逃げ延びたうちのひいばあさんの従者だったんだと。よくそんな縁で転がり込んでくるわなぁ」
「お嬢様って呼ばれるのも、だからなんですね」
 香里は何の気もなく言ったつもりだったが、ピオニアは彼女を振り返って睨みつけた。それに驚いて身を竦ませると、ピオニアは前を向いて長いため息をつく。
「……いやね、この年になってお嬢様は無いだろうって、いっつも言うんだけどさ。聞いちゃくれなくてね。今更、名前で呼ばれても困るっちゃ困るけど!?でも……ほら、まぁその……あれだ…って、何どうしたの」
「いえ、ピオニアさんはウェルディスさんをとても大切になさってるんだなって」
 ピオニアの顔が一気に耳まで真っ赤になった。意図していなかった香里は、予想外の反応に首を傾げる。
「ま、まぁほら大切な従者だし!?……あ、ほらもう夜遅いから!寝なさい!ね!!??」
「あ、はい。おやすみなさい……」
 半ば無理矢理、操舵室から追い出された。閉まった扉を前に、香里は首を傾げる。
 いろいろと理解出来ない事項はあるが、香里はそれを考えるのを止めて、素直に寝る事にした。


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