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背信の道標

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 魔族は総意として基本的に、人間に対して好感を持たない。
 その表現は多々あり、水棲族のように関わりを絶ってしまう者、有翼人のように見下すもの様々である。
 木花人は魔族でありながら、人間にとっては最も印象の薄い敵だと言われていた。
 彼らは他の魔族のように人と動物の間のような形態を持たないため、完全に人の世の中に溶けこむ事が出来る。つまりは、人間の形態である限り、植物へと変身する瞬間を目撃でもしない限りは、彼らを木花人と判別する事は非常に難しい。
 そして植物形態の彼らと普通の植物を見極めるのも、非常に難しい。一説には現存する全ての植物は、元は木花人であったというものもある。
「まぁ実際そんな事は絶対にありませんよ。数は少ないですから」
 ウェルディスはにっこりと人の良い笑みを浮かべて言う。
 紅烏の飛行艇は、ウェルディスの知る木花人の集落へと向かっていた。仲間で集まって生活する習慣の無い木花人の、唯一の集落とされている。
 そこには、最も長い時を生きている木花人がおり、木花人に生まれた者は一度はこの地に足を運んで、彼の教えを受けるのだという。
「仲間意識は強いって話なのに、他に集落が無いっていうのは初めて聞いたな」
「えぇ、仲間意識というか……彼らには木花人は全て等しく同一の存在であり、故に集まらずとも全ては共にあるとか何とか」
「……意味わかんねぇ」
「右に同じぃ」
 ジンガとホルトが渋い顔をして言うと、ウェルディスは気にした様子も無く笑ってみせた。
「私もよくわかりません。とにかく彼らは種族をけなされる事を嫌がります。ホルトさん、生きて帰りたかったら、うっかり口を滑らせないでくださいね」
「へーへー」
 とても理解したような様子ではないが、ウェルディスはやはり気にしない。
 それよりも木花人に興味を持っているミィメーリィの質問に答えるべく身を屈めた。
 香里はホルトの様子を盗み見る。彼は相変わらずジンガ相手に軽口を叩き、殴りかかられるのを軽やかに避けていた。
 香里が木花人の集落に行きたいと言っても、ホルトは強く抗議せず従っている。文句を言っても仕方ないと諦められたのか、あるいは何か他の思惑があるのか、香里には皆目検討がつかない。
 今まででも、文句を言いながらもなんだかんだと自分や他の人たちを守り戦ってくれている。根拠の無い状態で疑う事はしたくない。
 仲間の全員が、彼に対して不信感を抱いている。だからこそ自分くらいは、信じていたいという気持ちもあった。
「俺の顔に何かついてる?」
 盗み見るだけのつもりが、凝視になっていたらしい。慌てて香里が弁解しようとするが、それを待たずにホルトが喋りだす。
「いやまぁ、あれよ。俺の格好良さに気づいちゃったんでしょ?」
「無いわー」
「無いですねー」
「無理だろ」
「寝言は寝てから言え」
「万年セクハラ魔をどう格好良いと思えば良いんだ?」
「アンタら俺の何を知ってるわけ!みんなして酷い!!泣いちゃう!!」
 それぞれの辛辣なコメントに、ホルトは嘘泣きを始めるが誰も相手にしない。
 その様子に香里は思わず苦笑する。
 ずっとこのままの関係であれば良いと思いながら。






 目的地である森に着くと、ウェルディスの先導に従い歩いた。
 ピオニアの他、紅烏の戦闘員が2名同行している。
 空から見た森は広大で、シオン山脈の麓に広がる森よりも遙かに大きい。その森の中に一つだけ、目立って高い樹があり、それこそが今回の目的地だとウェルディスは説明した。
 その樹に向かうのに最短距離が取れる地点に着陸し、森の中へと入った。
 細い獣道を、一列になって歩く。思っていたより日が差し込む隙間があり、香里の想像よりも遙かに明るかった。
「……いつの間にか王都から出てると思ったら、今度は木花人に会いたいとか言うしさぁ……」
 香里の頭の上で、ビルハがため息をつく。
「ご、ごめんね」
「……別に良いよ。僕は香里さえ無事ならもう文句言わない」
「ありがとう、ビルハ」
 おそらく渋い顔をしているであろうビルハの頭を撫でたが、特に反応は無かった。
 それから森の中をしばらく歩くと、木々の間隔が広がり更に明るくなっていく。木々の合間には、人の姿もあった。
 その姿は人と何も変わりなく、香里達を見ても特に何か反応する事も無い。
 更に歩を進める。目的はほどなく姿を現した。
 まずは根が見える。根は太く長く伸び、幹へと繋がっていた。その幹は周囲の樹の何倍もあり、首が痛くなるほど上を向いても、葉の隙間から空は見えない。
「こりゃ……すげぇ………」
 ジンガが心から感動した様子で呟いた。香里も同じ感想を抱きながら樹を見つめている。
 ただそこにいるだけで、神聖さを醸し出す樹に、一行はしばらく見入っていた。
「……これは珍しい客人だ」
 不意に知らない男性の声がして、あたりを見回す。
 その声の主らしき人物はどこにも見あたらない。しばらく探した後、香里は目の前の樹に視線を戻した。
「仲間以外の客は何十年ぶりかのう?」
「長老」
 ウェルディスが前に進み出る。香里にも、前に出るよう促した。
「そのお嬢さんは、伝承の聖女かね?」
 香里が身を竦めると、大樹は笑うように葉を揺らす。多くの葉が地面に積もった。
「安心おし。お嬢さんに危害を加えたりはせんよ。我々に危害を加えなければの」
「どうして……」
「解ったか?お前さんの頭に乗っているのは天使じゃろう」
 頭の上から寝息が聞こえる。こんな時でも暢気だ。
「長う生きてるといろいろ解るもんじゃよ」
「あの……」
「言わずとも良い。お嬢さんがここまで来たのは、戦いたくないからじゃろう?」
「……はい」
「そう。それはわしらとて同じ事」
 緊張を緩めろと言うように、風が優しく吹いて香里の頬を撫でる。風までは偶然だろうと思いながら、どこかでこの樹が起こしているのかもしれないと思ってしまった。それだけの神がかった雰囲気が、目の前の大樹にある。
「わしらは弱い。戦いになれば、何も出来ん。だからこそ、戦いが起こらなければ良いと思っておる」
「……」
「その姿はさぞ、他の種族には滑稽に映るじゃろうて。わしらとて、侮辱されれば許せぬ。だが……今、聖女を初めて目の前にして、それで良いのかと惑わされる」
 人間達が救世主と称え、守る聖女。
 突然違う世界から投げ出され、訳もわからぬまま、自分のために命が消えていくのを見守る宿命。
「思うにな、わしらは魔王と聖女に、戦う理由を押しつけておるのじゃよ。彼らがいたなら戦わねばならぬと」
「長老様、魔王が活動しているという話をご存じありませんか」
「魔王はすでに選ばれておる」
 その一言で、穏やかな空気が一変した。走った緊張を和ませようとしているのか、枝が揺れて葉を落とす。
「気をつけなさい、聖女よ。今代の魔王は深い憎悪に支配されながら、冷静さを欠いておらん。身分を隠してそなたの首を直接狙うかもしれん」
「…そんな……」
「……どうしてあんたは、そんな事をほいほい教えてくれるわけ?」
「言うておろう。わしは戦いたくない」
 ホルトが尋ねると、長老は即答した。
「危険も構わず、意志を確かめるためだけに我らの懐に飛び込んでくるこの娘やその仲間を、殺したいとは思わぬ」
 長老の言葉を受けても、香里の表情は青ざめるばかりである。ピオニアはウェルディスに香里を連れ出すよう視線で合図し、相手もそれに了解を返した。
 2人の姿が見えなくなると、ミィメーリィが長老を振り返る。
「お尋ねしたい事があります」
「なんだね?」
「長老様は、魔族を魔物に変える薬をご存じですか?」
 首を傾げているのか、葉が1カ所に固まって落ちた。
「薬は知らぬが……そんな病気があったのう」
「病気?」
「原因は解らんし治し方も解らん。何せ発症したら理性の無い化け物になり、仲間だった者達に襲いかかってくるのだから、殺すしかない」
 そしてその死体は皆、同じように砂に変わるのだという。研究が進まないのも仕方がない。
 ミィメーリィは今までに戦った、砂に変わった魔物の存在を思い返す。

 図書館での人狼。
 ラッサノーレでの猿獣。
 有翼人の集落周辺の羽根喰い。
 そしてこの間の、水棲族の王国の海悪魔。

「ただ、それらは大流行どころか発症も滅多に無い。生き残れば生殖活動を行い繁殖するとも言う。病気だと知っておる者も少ないのではないか?」
「海上の楽園でばらまかれた薬かなんかは、それを研究して作られたと考えた方が妥当かね……」
「……もしかしたら、なんだが」
 ミィメーリィが呟くように言うと、全員の視線が彼女に集まった。
「ボクらがクレシェラ図書館やラッサノーレで遭遇した魔物も、今回の海悪魔のように人為的に作られている可能性は無いだろうか」
「はぁ?」
「もしそうだったら……その人為的に魔物を作ってる犯人が、魔王だとしたら」
 香里がクレシェラ図書館にやってきたのは、彼女がエストレデルにやってきたと言っている日からそう間がない。
 一連の事の犯人が魔王なら、彼女がこの世界にやってきた時には、魔王にはそれだけの準備が出来ていた事になる。
 聖女が現れる前から、魔物が破壊工作をしているという慣例は、守られていた事になるのだ。
「……魔王にとって、魔族は仲間じゃねぇのかよ」
「それは微妙だな。現代の魔族達は、人間に対して理解を示す奴も少なくない。いつ裏切るか解らない者を、味方とは呼ばないだろう」
「魔物に仕立てあげて仲間を襲わせて、何様なんだよ!!」
 ジンガの握りしめた拳から、やり場の無い怒りが滲む。
「……落ち着きな。まだ魔王の仕業と決まったわけじゃない」
「そうだな……少し焦りすぎたみたいだ」
 ミィメーリィが謝ると、ジンガは気にするなと言いながら、力無く首を横に振った。
「しかしお手上げだね。犯人も解らないし、魔王の所在も不明。船に戻って対策でも考えた方が良いかもしれないね」
「そうだな。俺たちだけで考えても煮詰まるばかりだろう……って、あれ」
 ラカーシャは辺りを見回す。仲間もそれにつられて周囲を見た。そして気づく。
「ホルトの奴どこ行った?」







 大樹の広場から離れた場所に座り込み、香里は深いため息をつく。
 木花人の長老の語った事実は、じわじわと彼女の身に染み込んできていた。
 こうして仲間と共にある間にも、自分が狙われている。それは仲間を自分のせいで危険にさらしているのと同じ事。
 魔王が現れていない事を、まだ存在してないと同じ事だと認識していたのが、そもそも甘かったのだ。
 こみ上げてくるものを、水で押し戻そうとする。とりあえずは戻るのだが、また戻ってこようとするので、それを繰り返した。
「……横になれる場所を借りましょうか」
「いえ、大丈夫です」
「とても大丈夫には見えません。魔族の住処にいるのは嫌かもしれませんが」
「そういう事ではありません」
 香里がわずかに語気を荒らげると、ウェルディスは少し驚いた様子で彼女を見る。視線に気づいた彼女が謝罪すると、ウェルディスは首を横に振った。
「どうかお気になさらず」
「……すみません」
「気が紛れるかは解りませんが、昔話でもしましょうか」
 どこから取り出したのか、毛布を香里の肩にかける。
「その昔、と言っても10年も経っていませんが、バカな男がいましてね」
 その男は、騎士になるために剣の腕を我流で磨いていた。
 自分が人間であると思っていた彼は、当然のように王国を守る騎士に憧れを抱き、目指したのである。
 だが、騎士団は彼を拒絶した。
 彼には4分の1だけ、魔族の血が入っていたから。
 香里は特に合いの手を入れる事も無いが、ウェルディスも気にしない。聞いていようといまいと関係ないのだろうか。
「男は諦めて国に帰ろうとしましたがね、騎士団の者が現れてこう言ったんですよ」
 ある人間を探して殺してくる事が出来たら、騎士にしてやってもいい、と。
「いま思えば、成功しようがしまいが、騎士にするつもりなんかさらさら無かったのでしょうね」
 彼はその人間を探した。そして意外なほどあっさりと、その人間を見つける。
 自分が騎士になれなかった原因が、その人間の先祖に仕えていたのだ。
 その縁を辿り、彼はその人間に辿りつき、懐に忍び込む事に成功する。
「まぁそこまでは良かったんですけどね。気持ち悪いほど順調に標的の信頼を得て、安心しきった相手は殺す隙がありすぎまして」
 自分が騎士になれなかった話をすれば、親身になって聞いてくれる。
 それは、決して自分に限った事ではない。
 また道理の通らない事には全力で怒り、正そうとする。
 何より、自分が何者であろうと、拒絶する事は無かった。
 最初に自分を拒絶した騎士達に、標的を殺してまで取り入る必要があるのかと、疑問に思うほどに居心地の良い場所を、彼は手に入れていたのである。
「……惚れてしまったのでしょうね。簡単に言えば」
 ぽつりと呟く表情は、わずかに笑みを浮かべていた。
「……まぁそんな事で、彼は騎士団との契約を忘れる事にしました。どうせ騎士団も覚えてませんしね」
 しかし、彼女を手に掛けようと思っていた自分の中の事実だけは、どうしても消す事が出来なかったのである。
 そのために、彼は自分を戒めた。
 自分の抱いた思いを封じ、あくまで主従である事を守り続ける。
「いつ自分を許せるかは解りませんが……いつかは許せると良いのですが」
「……きっと大丈夫ですよ」
「つまらない話で申し訳ありませんでした。……気は少し紛れたようですね」
 香里はわずかに微笑みを返し、近づいてくる足音に気づいてそちらを向いた。ウェルディスも同様に。
「ホルトさん、どうかされました?」
「そりゃこっちの台詞ね。言ったでしょ。俺は君を守るのが仕事なんだから」
 素直に謝ると、ホルトは静かに頷く。機嫌が悪いわけではなさそうで、香里はほっと胸を撫でおろした。
「申し訳ありません。落ち着かれたようなので、そろそろ戻ろうかと思っていたのですが……」
「あーそう。別に戻ってくれなくて良いけど」
 ウェルディスが動くより先に、ホルトが香里の腕を掴んで引き寄せる。
 香里は突然の事に何が起きたか解らず、目を瞑って地面に転がった。事態を把握するため目を開いた瞬間、鮮血が散る。
 ホルトの剣が、ウェルディスの脇腹を深々と抉っていた。
「ウェルディスさん……っ!!」
 香里は反射的に彼に駆け寄る。治癒を唱えようとする目の前で、血にまみれた剣が、地面にうずくまるウェルディスの首に突きつけられた。
「それ以上やってごらん。こいつ殺すよ?」
 死んでしまった者を治癒する事は出来ない。
 それを指摘され、香里はただ黙って青ざめていた。ホルトは笑顔を見せる事なく、切っ先はウェルディスの首に食い込ませたまま、空いた手で香里を立たせる。
「いけません……逃げて、ください……!」
「あぁダメダメ。聖女様は目の前の命を見捨てられるほど薄情じゃないからぁ。……あんたも知ってるでしょ?」
 とっさに動けない様子のウェルディスから剣を外すと、ホルトは香里の手を引いて走りだした。
 香里と比べると、ホルトの全速力は恐ろしく速い。それでも身の危険を感じているためか、足がもつれたりする事は無かった。
 来た道を戻り、森を抜ける。そこには紅烏の飛行艇と、並んで別の飛行艇が置かれていた。
 船体に紋章の描かれた、騎士団の所有する飛行艇。
 騎士らしき者が、紅烏の飛行艇を牽制している。首領不在のためか、紅烏の統制は取れていない様子だ。
「はいご苦労。回収終わったよ」
「こいつらはどうしますか」
「聖女様を無事に守ってくれたから、まぁ何もしなくても良いよ。追いかけてきたら撃ち落とせ」
 許しの後に、容赦の無い冷たい声音。
 ホルトは香里の手を強く引きながら、飛行艇に乗り込む。かつて押し込められた事のある部屋に着くと、香里を投げるようにソファに座らせた。
「ホルトさん、どうして……!!」
「俺はね、君を守るのが仕事なの。君が戦争を止めちゃったら、俺の凄ーく大切な恩人に迷惑がかかっちゃうわけ」
「恩人……?」
「その人はねぇ、俺の事を助けてくれたの。とーっても良い人でね。魔族さえ全滅させりゃ戦争しなくて済むんだって言うんよ。もっともだと思うし……叶えてあげたいと思わない?大切な人の夢って」
 表情はとても無邪気な笑顔だが、香里はそれを受け入れる事が出来ない。
 恐怖に震える香里に対し、ホルトの表情は笑顔から変わらない。
「安心しなよ。君のやる事は何も変わらないさ」
 ホルトは扉に手をかけ、香里に背を向ける。
「お城の中で、おとなしくしてるだけ。君にはやる事も出来る事も……何も無い」
 呆然とする香里を残し、扉は閉まった。





 ホルトがいない事に気づいた頃、ウェルディスが血を流して倒れている事を知らせに大樹の広場に木花人が駆け込んできた。
 ピオニアが真っ先に動き、木花人に先導を頼み走り出す。
 彼の許に辿りついた時には、先に見つけていた木花人たちが彼の応急処置を終えていた。
「傷は剣によるものだと思われます」
 その一言で、嫌な予感が一行の胸の中をよぎる。
 ウェルディスの傍には、一緒にいるはずの香里の姿が無い。
「……お嬢様」
「ウェル!」
「申し訳、ありません……」
「負傷してる奴が何を謝るってんだい!!何があった!」
 そして予想していた事態が、事実としてウェルディスの口から語られる。
「ホルトが……聖女様をさらっていきました…」
 消えかけた語尾に、小さく謝罪の言葉が続いた。
「もういい、喋るな!」
「行き先は……」
「王都だろう」
「魔王が動いてるなんて話が出たら尚更な」
 再び意識を失った従者の傍らで、ピオニアは強く唇を噛む。しばらくの沈黙の後、彼女は立ち上がり同行している戦闘員を振り返った。
「コーブン!テシータ!」
「へい、お頭!」
 首領に呼ばれ、戦闘員2人は勇ましく背筋を正す。
「スワロウでこいつらを王都まで送ってやんな!」
 2人は飛び上がり、正した背筋を曲げた。
「あれはまだ試作品でやんす!航行にはまだ不安が…」
「それに、あれは5人乗るのがギリギリでがんす!お頭はどうされるんでがんすか!」
「あたしはウェルの容態が落ち着いてから、本隊を率いて王都に向かう。だがそれからじゃ確実に騎士団が王都に着くまでには間に合わない。追いつけるのはあれだけだろう」
 話が見えない3人は、言い合う双方を交互に見る。そんな3人の様子にも、言い争う彼らは気づいていない。
「ええい、これはあたしの命令だよ!あたしの命令が聞けないってのかい!!あんたたちはいつからそんな腰抜けになった!!!!」
「……そこまで言われちゃ黙ってらんねぇでやんす!」
「俺たちは紅烏!首領がそこまで言うのなら、この命を捨てる覚悟で戦うでがんす!」
 3人にはよく解らないうちに、双方の間で結論が出たようだ。
 2人の先導に従い、3人は走りだす。まずは紅烏の飛行艇の置かれた森の外へ向かって。
「……頼んだよ。お前たち…」
 誰にともなく呟いた後、ピオニアは胸の前で手を組み、目を閉じた。


………………


 どれほどの日を過ごしたかさえ、香里の意識の中には入ってこない。
 朝と夜の認識は薄く、王都に着くまでの日々が、薄いまま過ぎていった。
 ただずっと部屋の中にいて、与えられた食事を食べて、それなりに生活をしても、何も心に残らない。
「……私にはやる事も、出来る事も無い」
 何を思い上がっていたのだろう。自分は何も出来ないただの小娘だ。
 ピオニアにも自分は特別な力など持たないのだと諭されたばかりである。
 自分が木花人に会いたいなどとわがままを言わなければ、ウェルディスが負傷する事も無かったかもしれない。
 やってくる結果が同じなら、過程など何の意味も無いと自分は知っていたはずだ。
 自分の愚かさを思うと、涙も出てこない。
 不意に、飛行艇が大きく揺れた。今までに何度か体感したそれは、着地した事を示すものだろう。
 肯定するように、ホルトが扉から顔を出した。
「着いたよ」
 入ってくる彼に何も答えず、香里は立ち上がり荷物を抱える。ビルハは香里を心配する事に疲れて眠ってしまっていた。その頭を優しく撫で、荷物と共に抱える。
 外に出れば、王都の石畳を足の裏に感じた。以前着陸した場所より城に近い。馬車を必要としないほどの距離だ。
 槍を手にした騎士が4人、香里を囲む。ホルトが城へ向かうよう指示した瞬間、強い風が辺りに吹いた。
 思わず吹いてきた方を振り返ると、騎士団の飛行艇の傍らに、見慣れた3人の姿がある。
「皆さん!!」
 たまらずに叫び、走りだそうとする香里の行く手を騎士の手が遮った。兜に顔を覆われた相手の表情は解らないが、その鉄の面は何も語らないがゆえに拒絶を露わにしている。
「おうてめぇ、随分な事してくれるじゃねぇか」
 ジンガの大剣の切っ先が、まっすぐホルトを向いた。彼の周りには騎士が集まり、剣を構える。
「驚いたなぁ。あのでっかいのじゃ絶対追いつけないと思ってたのに」
「スクラップ寸前の最新技術のおかげでな」
「……最新なのにスクラップ?」
「本当にそういう感じだった」
「出来る事なら二度と乗りたくない」
「そりゃまぁ大層な事で。……もっとも」
 殺気立つ3人に対し、ホルトの表情はいつもの笑顔のままだ。その手がひらひらと振られると、騎士たちが3人を取り囲んでいく。
「乗りたくても乗れなくなっちゃうんじゃない?」
「ほざいてろ!!」
 ジンガが吼え走りだした瞬間に、それは起こった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
 ミィメーリィが突如悲鳴を上げる。ジンガの足は思わずといった様子で止まり、彼女を振り返った。
 見れば、耳を塞いで悲鳴を上げ続ける彼女と、その横で同じポーズですでに気絶しているラカーシャの姿。
 何が何だか解らない様子のジンガの目の前で、2人に剣が突きつけられる。
 香里にも何が起こったのか解らなかったが、一つだけ変化に気づいた。
 小さな音が鳴っている。それは不快な音ではない。彼女は学校で受けた聴力検査で聞く音を思い出していた。
 それが止むと、ミィメーリィの悲鳴も止む。彼女は荒い呼吸をしながら、まだ手で耳を塞いだままだ。
「おや、1人気絶したのか」
 男性の声がして振り返る。そこには凝った細工の甲冑を纏った騎士団長の姿があった。
 手には何か小さな機械を持っている。

「子供が痛がれば十分と思っていたが……まぁ良い」
「それ、完成していたんですか?」
「試作品だが、つい先日な。エンリカは優秀で助かる」
 ジュリアスは騎士に囲まれた3人の姿を見て、小さく笑った。ジンガは騎士に剣を突きつけられたまま、彼を強く睨みつけている。
「いま殺す必要は無い。牢に入れておけ」
「てめぇ……!」
「あぁ、下手に抵抗するな。言った事が嘘になる」
 ジンガは唇を噛みしめ、騎士に従い歩きだした。香里を見て、恨みのこもった視線に何かが混ざる。
 それが何かは香里には解らなかった。理解する前に、3人の姿は城の脇の入り口から中へ消えていく。
「今の何、って顔してる」
 ホルトの声に、香里ははっとして彼を振り返った。
「あれで魔族を判別するの。効果は……まぁ見ての通り」
 想像を絶する苦痛を魔族に強いる。その程度は、彼らがどれほど魔族の血を引いているかに影響するだろうと考えられているらしい。
「でもわんこが意識あって、あっちが即気絶なら、あいつは生粋の有翼人でわんこはハーフぐらいってこったなぁ。難儀だこと」
「有翼人だったのか」
「はい、翼は過去に失ってるようですが」
「それは難儀だな……これの前では人間に化ける事も出来ないのだから」
 2人は香里の前で非常に楽しそうに笑っているのだが、香里はまだ混乱したままだった。
 最初に見た時は物腰の柔らかい紳士に見えた男が、今はこれ以上ないほど悪人に見える。
「……あぁ、申し訳ない。寒空の下に聖女様を放っておくなど…」
 香里を囲んでいる騎士達が歩き出した。それに抵抗する事も出来ずに歩き始める。
「魔族に宣戦布告しよう。そして聖女を狙ってのこのこやってくる連中を全滅させ、真の平和と二度と愚かな戦争の起きぬ世界を作り出すのだ!」
 香里は内心思っていた。
 彼も魔王と呼ばれるにふさわしいのではないかと。


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