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深闇の足音、点の光明

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 闇に視界を奪われるのは、さほど珍しい事でもない。
 それに、小さいけれど明かりは点っている。闇というには薄い。
 入り組んだ牢屋の最奥の檻で、ジンガは鉄格子を挟んだ正面の壁を見つめていた。
 堅牢な石造りの牢屋は、とても素手で破れるものではない。構造は入り組んでおり、明かりの少なさも手伝って迷う事も少なくないだろう。
 入っている囚人は今の所ジンガ達だけのようで、牢屋は静まりかえっていた。見張りは牢屋と城の境目にしか置かれていない。
 同じ檻の中に、ラカーシャとミィメーリィも押し込まれている。ラカーシャは今も気絶したままだ。
「……すまない」
 ミィメーリィがぽつりと呟く。2人は牢屋に入れられてしばらく無言だった。
 それは気まずさゆえのものだが、険悪な雰囲気を示すものではない。
「……何で謝んだよ」
「ボクがあんな風にならなければ……」
「こいつだって気絶してんだぜ。どの道無理だったさ」
「でも、ボクは」
「気にすんな」
 ジンガがミィメーリィの頭を乱暴に撫でる。彼女はそれに対して何も言わない。
「……ごめん、本当に……」
「良いんだよ。それより、お前だって辛いんじゃねぇのか。……寝とけよ。何かあったら起こしてやる」
「………うん、ごめん…」
 ミィメーリィは帽子を脱いで髪の毛を解き、メガネを帽子に包んで抱くと、ラカーシャの隣に丸まった。
 ほどなくして寝息が聞こえてくると、ジンガは再び正面の壁を見つめる。
 行けばどうにかなると、どこかで思っていた。
 ホルトにも何か事情があり、本当は味方でいてくれると信じようとしていた。
 実際はそんな事実はどこにも無い。予想外の事態に対応できない自分の未熟さを、思い知らされただけだった。
 どこかで忘れようとしていた、彼らとの種族の違いをこんな形で突き付けられる事になるとは、思ってもみなかった。例えここから逃げる事が出来たとして、ホルトの上司らしき男が持っていたあれをどうにかしないと、ミィメーリィやラカーシャは何も出来なくなる。
 物理的なものなら壁になれるが、あれから守ってやる事は自分には出来ない。
 相手に対して、自分はあまりに無力だ。
「……ちくしょう」
 ぽつりと口をついて出る。壁に反響する事もないほど小さな声で。
 しばらく闇を見つめ、ふと後ろを振り返る。
 目を閉じている2人の顔を見つめた。目を覚ました様子は無い。再び正面を向く。
 もう一度同じ言葉を呟き、顔を俯けた。


………………


 呆然とした様子で椅子に座り、香里は何をするでもなく虚空を見つめていた。
 居室は、最初に王都にやってきた時と同じ場所である。緊張と僅かな悲しみだけがあった最初とは違い、今はごちゃごちゃした感情が渦を巻き蠢いていた。
「……カオリ、大丈夫?」
 頷こうとしたが、首は意に反して横に振られる。膝の上のビルハは、悲しそうに目を細めた。
「……僕は、こうする事が正しい形だと思ってるよ……でも、…でも……何でだろ。変だよ……」
 人間で言えば、唇を噛みしめている様子に見える。香里は優しくその頭を撫でた。宥めるように背中を撫でると、起こしていた体を丸める。
 自分がここに閉じこめられ、戦争が始まるだけなら、最初から予定されていた生活だと受け入れられた。理不尽に亡くなる命も、かつて元の世界にいた時のように、どこか遠い場所の事と気にしないで済んだだろう。
 けれど結果的に……予定に無かった3人まで捕らえられてしまった。どんな扱いを受けるかなど、想像できない。したくない。
 私が余計な事さえしなければ。
 不意に扉がノックされ、香里は顔を上げた。何も答えないでいても、扉の前の気配が動いた様子は無い。
「……どうぞ」
 小さく言うと、扉が開いた。
 顔を出したのは、鉄仮面の騎士。
「……ご機嫌いかが?」
 入ってきた瞬間の表情は冷たいものだったが、香里の姿を見ると僅かに笑った。
「……えぇ」
「……機嫌悪そうだね」
 香里が目を逸らすと、目敏く指摘する。ホルトに飛びかかろうとするビルハの身体を、香里は掴んで押さえた。小さく呻いた気がしたが、それに気を配る余裕は無い。
「天使さま、首絞まってるけど」
 反射的に手を離すと、ぱたりと香里の膝の上に倒れた。息はしている。
「……裏切られたとか、思ってる?」
「いいえ」
「まともに話したくないくらい俺の事キライになったワケ?」
「いいえ、そんな事」
 尚も目を逸らしたままの香里の肩を、ホルトの手が掴んだ。
「……話す時は人の目ぇ見て話せって教わらなかったかなぁ!?」
 明らかな苛立ちの滲んだ視線と、香里の怯えた視線がぶつかる。
「ねぇ、どう?腹立った?悲しい?」
「……ホルトさん」
「うん?」
「その質問には、何の意味もありませんよね」
 香里の発した言葉は、限りなく断定に近い疑問だった。
 ホルトの視線が揺らぐ。怯えていた香里の視線が、今度は無感情なものへと変わっていた。
「……何その目。……あんたそんな顔もするんだ」
「……さぁ、どんな顔をしてるか、自分では解らないものですから」
 そういえば学校で似たような状況になった事があると、香里は他人事のように思い浮かべていた。いつの事だったかと思いだそうとしたが、何も思い浮かばない。
 ホルトの手が離れる感触で、意識は思考から現実へと戻ってきた。彼は香里に背を向けており、表情は見えない。
「……3日後」
「はい」
「3日後に、魔族への宣戦布告を行う。城のバルコニーからね。あの3人、その時の見せしめと牽制に……処刑するつもりだから」
 香里は息を飲んだ。それを気配で察したのか、ホルトが香里を振り返る。表情は見た事の無い苦笑。
「どうする事も出来ないだろうけど、一応、言っておく。いきなりよりは……いや、何でもない」
 緩く頭を振ると、彼は早足で扉に向かっていく。
 扉の前で足を止めた。
「俺、何でこんな事を言ってるのかな」
「……」
 自分でもよく解らないと、彼は呟く。
 香里の視界にはその表情は入らないが、いつもの彼の様子とは明らかに異なっていた。
「俺は」
 迷ったように一度口を閉ざし、しばらくの間を置いて続ける。
「母親を自分の手で殺してる」
 香里は表情を変えなかった。驚かなかったわけではない。だがその反応をする事が相手に対して失礼ではないかと思った。
「……ね、あんたはどう思う?」
「何がでしょう」
「悪い奴だと思わない?」
「………事情によるのではないでしょうか。世間では」
「……模範解答をどうもありがとう」
 扉に手をかけ、ぽつりと呟く。
「……あの人と同じよーな答え」
 その真意を尋ねるより先に、ホルトは扉を開き、外へと出ていってしまった。
 静寂が戻ってくると、香里の脳裏に、先ほど思いだそうとしていた風景が蘇る。
 その不愉快な世界をさっさと閉じると、膝の上のビルハをベッドに寝かせるべく立ち上がった。



………………


 ジンガが目を覚ました時には、日が昇っていた。寝るつもりは無かったのだが、つい眠ってしまったようだ。
「……おはよう」
「おう、おはよう」
 ミィメーリィの挨拶に、振り返らず答える。立ち上がって伸びをすると、天井に手が当たった。
 2人の方を振り向いて座り込む。ラカーシャはまだ目を覚まさない。
「……まだ目ぇ覚めないのか」
 ミィメーリィが小さく頷く。
「……何でこんなに差が出るんだろう………」
「わからねぇ、が……食らう度にこうなるなら、安易に脱出しようとか言えねぇよな」
 少女の小さな手が、彼の顔にかかる髪を払った。瞬間、瞼が震え、うっすらと目が開く。
 緩慢な動作で起きあがると、周囲を見回した。しばらく固まった後、2人に視線を戻す。
「……おはよう?」
「おう」
「おはよう」
 まだ意識がはっきりとしていないのか、彼の表情にはいつもの覇気が無い。
 気の抜けた挨拶を交わした後、2人は彼が気絶している間にあった事を説明した。その間に彼の意識も覚醒したようだが、あまりの内容に眉間には深い皺を刻んでいる。
「……とんだ秘密兵器もあったもんだな」
「全く同感だ。魔族と人間を見分ける道具としては優秀なようだし」
「正直……俺もまだ違和感があるからな……これだけ気絶させられりゃ、殺すのも楽だろうさ」
 人間側が先制の有利を訴えるのも分からなくは無い。魔族の全滅も夢では無いかもしれない。騎士団に純粋な人間しか在籍していない事を思えば尚更だ。
「このままだと戦争おっぱじめるんじゃねぇのか?」
「もちろんそうだろうな。聖女は戻ってきたし、連中はやる気だったみたいだし」
「……ボクたちは、助けるどころか、彼女がここから動けない理由になってしまった……どうにかしないと」
「そうだな。それに、紅烏だって黙ってはないだろうし」
 ラカーシャが、落ち込んでいる様子のミィメーリィの頭を撫でた。
 王都まで3人を送った2人には、合流場所に戻らなかったら本隊への合流を優先するように伝えてある。
 ほどなく奪還の失敗はピオニアに伝わり、彼女も外から出来る限りの行動を起こすだろう。
「捕らえられているからには俺らも、何かしらの方法で処分されるだろうしな」
「処分?」
「まぁ……あの様子だと俺らの存在は都合悪いだろうし、聖女をさらったとか何とか罪名付けて死刑、とか……」
 ラカーシャの言葉に、2人の表情はより暗くなった。
「……冗談じゃねぇよ」
「あぁ。だがどんな理由であれ、ここから全員出される時が最大の好機とは思うな」
「好機?」
「逃げるチャンス」
「……つったって、あれ使われたらどうするんだよ」
 ジンガが憮然として言い放つ。ミィメーリィとラカーシャは顔を見合わせた。
 しばらくの沈黙を置いて、ラカーシャが口を開く。
「その時は、お前1人でも逃げろ」
「…………はぁ?」
「3人共倒れより、誰か1人でも生き残った方が良いに決まってる」
「そういう話じゃ…」
「場所によるかもしれないが……でもジンガならあれは効かないんだから、十分に可能性は」
「いい加減にしろよ!!!!」
 2人は身を竦ませ、怒鳴った仲間を見た。彼は2人の肩を強く掴む。
「何でそんな簡単に犠牲になるとか言うんだよ!!諦めてんじゃねぇよ!!」
 感情に任せた言葉に対し、2人の表情は冷ややかなものだった。
「……俺はこういう事は言いたくないけどな、少なくとも俺は、自分が足を引っ張った事を後悔してる」
「……だったら何だよ」
「逃げられるかもしれなかったお前を、ここまで道連れにした責任を感じてる」
 徐々に力のゆるんできた手を、ラカーシャは振り払う。
「自分が死ぬのは嫌だが、自分のせいで仲間が死ぬのはもっと嫌だ。助けられるもんなら助けたいし、その努力は怠る気もない」
「……ボクも、ジンガには生きててほしい。その可能性が一番高いし、……人間である君が、ここで殺される事に何の意味も無い」
 ミィメーリィの小さな手が、肩を掴むジンガの手に重なる。
「……全員が助かる方法なんて、そんな都合良くあるわけない。ボク達に許される方法の中には、少なくとも今は存在してない」
「一生恨んでくれても構わない。全部お前に押しつけるのと同じだしな」
 ジンガの手が、力無く地面に落ちた。
 2人は落ち込んだ様子の彼を見つめる。
「……理屈じゃ解ってるけどよ」
 ぽつりと呟く。彼にしては珍しい、覇気の感じられない声音。
「……んな事、割り切れるかよ。納得出来る方がおかしいだろ……!」
 責めるでもなく、彼の言葉はそこで終わり、ジンガは仲間に背を向けた。


 その会話からしばらく後、見回りの騎士によって、処刑される日付が決まった事が3人に知らされた。
「こうあっさり先を決められるとな。どうしようもねぇっつーか……」
 ラカーシャは苦笑混じりに言うが、背中を向けて聞いているジンガの雰囲気は暗い。
 騎士からの宣告から半日が経過し、夜の闇も深くなっている。
 その間、ミィメーリィとラカーシャは、覚えている限りの内部構造を元に、脱出できるかどうかを検討していた。牢屋の頑丈さに自信でもあるのか、見回りの回数は数日後に死刑にされる身にしては少なく、それは好都合だったと言える。
 2人の議論に、ジンガは一切の口を挟まなかった。聞いていたかすら定かではない。
 そのジンガが足音に顔を上げた。もはや耳に慣れた、騎士の具足の音。しかしながら、見回りは先ほどやってきて異常が無い事を確認していったばかりである。
 何事かと、3人は無意識に身を固くしていた。
 牢屋の前に現れた騎士は2人。どちらも見回りに来る騎士とはやや異なる甲冑を身につけていた。少し身分が上に当たるのだろう。騎士は口元に嘲笑を浮かべて、牢屋の中を見回していた。何事か小声でやり取りしてから、片方が持っていた鍵を牢屋に差し込む。
「そこの髪の長いの」
 牢屋の中に入ってきた騎士が、ラカーシャを指さした。その手で外に出るように促す。ジンガが何事か言おうとするのを、ラカーシャは手で制した。騎士に従い、牢屋を出ていく。足音が遠ざかっていくのを、2人は訝りながら見送った。
「……何だってんだ?」
「さぁ?」
 彼としては、何か情報を持ち帰る気で出ていっただろうと、ミィメーリィは続けた。
 それからまたしばらく沈黙が流れる。再び足音が聞こえてくるまで、2人は微動だにしなかった。
 2人して鉄格子ぎりぎりまで顔を寄せ、やってくる人物を見る。やってきた足音は2人、ラカーシャと見慣れない騎士だ。
 騎士は黒か濃い茶色の髪で、顔立ちからして歳は中年に近いだろう。纏っている甲冑は、先日目にした騎士団長の物に近い。
 牢屋の正面まで来た騎士は、入り口の鍵を開けるとラカーシャを中に入れた。ついでのように、手に持っていた袋を扉の傍にいたジンガに手渡す。
「こっそり食えよ。見つかったら面倒だから」
 言われて中身を見ると、水の入った容器と食料が幾つか入っているのが解った。ジンガは袋をラカーシャに手渡しながら、小声で尋ねる。
「あいつ何」
「んー……まぁ、ピンチを救われたっていうか……」
 歯切れの悪い返事と曖昧な苦笑に、ジンガは首を傾げた。
「まぁ気にするな若人よ。俺ぁ躾のなってない部下を叱っただけだからよ」
 尚も問いただそうとするジンガを遮ると、3人のいる牢屋の正面にどっかりと腰を下ろす。
「俺はアルバート・ヴェルツェン。まぁしがない騎士の1人だな」
 彼の複雑な細工の甲冑を見ると、その言葉に語弊がある事は否めないが、相手の意図が解らないために3人ともそれを指摘する事は避けた。
「お前さん達や聖女様が、戦争を止めたいって言ってるって聞いたもんだからな。俺も興味があって」
「……それがどこまで本気かは疑わしいトコだけどな」
 ジンガの敵意を隠さない言葉にも、アルバートは気にした様子は無かった。むしろそんな態度を楽しんでいるようにすら見える。
「まぁ、言葉だけのやり取りで信用してほしいって方が難しいだろうな」
「それが解っているなら、何故」
「……俺の古い友人の遺志を継いで、って所か」
「友人……ですか」
「あぁ。王都にも出入りしていた商人でな。グレイ・ベルシスって男だ」
 名前を聞いた瞬間、3人の態度が目に見えて変わった。ラカーシャとミィメーリィはジンガに視線を向け、当のジンガは鉄格子を掴みアルバートに詰め寄る。
「アンタ……親父を知ってるのか!!??」
 3人の反応に驚いていたアルバートは、その問いを受けて立ち上がった。鉄格子に顔を寄せているジンガの顔をまじまじと見る。
「……君は、まさか…」
「俺はジンガ・ベルシス!同姓同名の別人でもなけりゃ、グレイは俺の親父の名前だ!!」
「……生きて、いたのか……!!」
 今度はアルバートが鉄格子を掴んだ。
「頼む、教えてくれ!12年前、君の家で何があったんだ!?君のご両親に何が起こった!!」
 アルバートの勢いに押され、ジンガは思わずといった様子で鉄格子から離れる。
 話が見えてこないために、旅の仲間の2人は珍しく戸惑っている様子のジンガと、真剣な様子のアルバートを何度も見比べた。
「あの、一体……?」
 ミィメーリィが思わずといった感じで纏まらない疑問を口にする。
「……12年前、王都に住む商人夫婦が、何者かによって惨殺された。犯人は判らず、彼らの唯一の子供は、その事件以来行方不明」
「……その子供が…」
 2人の視線はジンガに向いた。彼は何も言わず、ただアルバートを凝視している。
「あぁ。……驚いたよ。言われてみれば、髪や目がマリア……君のお母さんと同じ色だ」
 アルバートは懐かしむように目を細めた。すぐに真顔に戻ると、戸惑っている様子のジンガに同じ質問を繰り返す。
「頼む、協力してくれ。事件の当事者は、あとは当然ながら君か犯人しかいない。犯人はどんなだった?争った理由は?」
「理由なんて……わかんねぇよ。……ただ」
 引きずり出された記憶が溢れ出す事を恐れるように。
 彼の手は自分の頭を押さえ込む。
「……家に来たのは、騎士が2人。確かに騎士の……普通の、人間の姿だったんだ。それが狼みたいになって……両親を殺した」
 彼はそれを、両親を驚かせようと隠れていたクローゼットの中で見ていた。
 息を殺して、震えながら。
 虫よけの芳香剤や、暴れた時に割れた母親の香水瓶のおかげで、彼が匂いで見つかる事は無く、彼だけが難を逃れた。
「けどよ。……事件を知らせた騎士は、誰も聞いてなんかくれなかった。完全に人間になりすませる獣人族なんかいない、騎士の中にも獣人族はいない、お前の思い違いだ、ってな」
 事件は普通の獣人族による強盗事件とされた。しかも犯人の捜索などは全くされないまま、闇に葬られたのである。
「……見間違うはずがねぇんだよ。こちとら毎日のように見てた騎士の甲冑だぜ?……恥ずかしながらあの頃は、あんな下衆な連中とは知らずに憧れてたんでな」
「……おかしい。獣人族が人間に対して殺人を犯したのなら、過剰報道するならまだしも握りつぶすなんて……」
「お嬢ちゃんもそう思うだろう?俺も同じ事を思ったんだ」
 アルバート曰く、グレイ・ベルシスという商人は、人間と魔族の共存の可能性を訴えている者の1人だった。
 そんな人物が魔族の手によって殺されたなら、魔族側は人間との共存を望んでいない事を示している、と言われてもおかしくない。
 それは人間至上主義の首都に於いて、味方を鼓舞しても不利に働く事は無いだろう。
「……何か、不都合があったって事だよな」
「だから俺も、出来る限り調べてみたんだ。子供は行方不明になっていたし、事件を無かった事にしろという上の命令にも疑問があった」
 しかし、調査は騎士団上層部からの圧力で強制的に打ち切られた。
「調べるだけでクビにするなんて脅されるんだぜ?もはや怪しめって言ってるようなものだろ」
「……確かに」
 ミィメーリィは難しい顔で考え込んでいる。その様子に気づいたアルバートは彼女に声をかけた。
「どうかしたか?」
「……どうして、そのグレイさんは殺されなくてはならなかったのかと思って。それと……」
 彼女の視線は、ちらりとジンガを見る。
「狼みたいな、って言ってたけど……」
「……あぁ。…図書館にいたあいつ……人狼だったと思う。確か2本足で歩いてた……」
「通常の獣人族は大体……」
「獣形態は四足歩行だ。狼の獣人なら、それに例外は無い」
 人狼は、頭数が多いとは言えないが、狼を率いる上位の魔物として知られていた。
 しかし、それへの変化が2名ほぼ同時に、そう都合良く起こるものかと言われれば、簡単に肯定は出来ない。
 何より、ジンガが見た騎士は、見た目は紛れもなく人間だったという。狼の獣人族が人狼へと変化するのならば、さすがに外見的な特徴を覚えているはずだ。
「……まさか、騎士団の関係者が…?」
「けど、12年も前の話だぞ? そんな前から動いてたっつーのか?」
「けど、騎士団……それも上層部に、あの薬の関係者がいる可能性は高いと思う」
 捕らえられた罪人が拘留される事も無く、どこかに連行されているのだと、ラカーシャを連れていった騎士達が話していたという。
 それを何よりも裏付けるのが、現在の人気のないこの牢屋の状態だ。
「……それを指示してるのは、おそらくうちの大将……騎士団長だ」
 3人が一斉にアルバートを見る。
「うちの騎士団長さん、胡散臭い研究所に随分投資してるみたいでな。……その薬って、どんなものだ?」
 ミィメーリィが、仮定である事を先に言ってから、魔族を魔物に変える病気が存在する事、それを人為的に起こしている者がいる可能性が高い事を説明した。
「……なるほどな。捕らえられる罪人には魔族も少なくない。実験台には丁度良いんだろう」
「まさか、あいつが魔王だなんて事はねぇよな」
「いや、それだけは無いだろう。騎士団長は徹底した人間至上主義だからな」
 逆を言えば、魔族や魔物は幾ら殺しても何の呵責も無い。そんな恐ろしい説明をアルバートはさらりとした。
「……イヤな感じだな。少なくとも騎士団長じゃないにしたって、その側にはいるかもしれないんだろう?」
「けれどまず、本当に研究をしていたのが騎士団長なのかどうかを確かめないと」
「まぁその役は俺が頑張ってみるとしようか。どうせ君たちじゃ確かめようもない」
 僅かな明かりでも判るほど無精髭の目立つ顎を撫でながら、アルバートは立ち上がる。
「まぁそれとなく奴に探りも入れてみる。この12年、そのために我慢してきたんだしな」
 牢屋の中の面々を見渡し、頷いた。
「もどかしいかもしれないが、充電だと思って待っててくれ」
 足音が遠ざかり、聞こえなくなると、ジンガは仲間の方を向く。
「……どう思う?」
「どう、って……俺は信用できる人だと思うが」
 ラカーシャが肯定的な返事を返すと、ミィメーリィも頷いた。ジンガは難しい表情で俯く。
「どうした?」
「いや……親父の知り合いだと思ったら、つい嬉しくなっちまってよ。一方的に信用しちまったけど……」
「気にする事は無いだろう。どちらにせよ、ボクらは外にも出られない。味方である可能性を信じるしかない」
 彼が味方であれば、全員が生きて帰る可能性も無ではないかもしれない。仮にそうでなかったとしても、状況がさほど変わるわけでもない。
「それにしても、妙な所で繋がっちまったな…」
「……墓、って、そういう意味だったんだ……」
「……まぁな」
 頭の後ろで手を組み、鉄格子にもたれかかる。
「騎士は話聞いちゃくれねぇし、帰ろうと思ったら家にはいつの間にか入れないしよ。そしたらオヤジ……盗賊団の頭領が拾ってくれて」
 懐かしんでいるような表情だが、どこか寂しそうでもあった。
「ていうか、俺の話なんかどうでも良いだろ!辛気くさい顔すんな!」
「お前だって今日の昼に辛気くさい顔してただろうが」
「……もし、騎士団の中に魔王の関係者が隠れてたら、カオリの命が危ない……」
 ミィメーリィが沈んだ表情をすると、ジンガが慌てた様子で手をさまよわせる。
「……でも、その可能性は低いんじゃないか?騎士団には魔族の血が少しでも入ってたら所属できないって話は有名だし」
「そう、かな……そうだと良いけど」
 ラカーシャは励ますように軽く彼女の肩を叩いた。しかし彼女の表情は不安そうに沈んだままである。
「とにかく、今は待ってるしかないな。……とりあえず寝るか」
「あぁ。アルバートさんがどこまで協力してくれるかは判らないが、体力は温存しておいた方が良い」
 いつ何が起きるか判らない。そして、いつ何が起きても対応できる必要がある。
 ある意味、牢屋という場所は安全だ。突然何かに襲われる可能性は割と低い。少なくともならず者が突然入ってくる可能性は無に等しい。3人は見張りの騎士を信用する事にして、各々好きなように床に丸まって休んだ。


………………


 処刑と宣戦布告のその日まで、香里は聖女として式典での準備に追われていた。反抗する様子は無いが元気も無い彼女に対して、世話に来る者達は機械的に仕事をするだけで励ましも無い。
 もっとも、気休めなど言われた所で、沈みきった彼女の心を浮かせる事など出来はしないだろうが。
 準備も何も無い間は、呆然として過ごしていた。ただ椅子に座って虚空を見つめ、思考を完全に止める。最初の頃こそビルハも話しかけていたが、何の効果も無い事を知ると、無言で傍にいるだけの時間を過ごすようになった。
 香里からすれば、囚われの身であろうとなかろうと、彼女の『暇な時間』の過ごし方には少しの変化も無い。
「失礼します」
 不意にノックと声がかかり、香里はそちらに顔を向けた。いつも通りの声音で許可を出すと、エンリカが扉から顔を出す。
 椅子から微動だにしない香里には面食らった様子だったが、すぐにいつもの調子を取り戻して彼女に向かった。
「慣れない事で大変かと思いますが、もうしばらくの辛抱ですので」
「何かご用でしょうか」
「え。……いえ、ただ、…元気が無いように思えましたので」
 エンリカは曖昧な笑顔と共に言う。
 騎士団長の補佐役である彼女が、香里の捕らえられた(彼らからすれば保護だが)経緯を知らないはずが無い。
 香里は無感情な視線を彼女に向け、口元だけに笑みを浮かべる。
「どう元気になれば良いのか解りません」
「……私には、どうする事も……あの」
「謝っていただく必要はありません。あなた方のお仕事ですから」
 言葉に詰まるエンリカに対し、香里は変わらない。
 その様子をビルハが不安そうに見守っている。
「……貴方は、優しい方ですね」
「そんな事は無いと思いますが、誉めていただきありがとうございます」
 少し笑ったかと思えば、言葉が終わると元に戻り、虚空に視線を漂わせた。無視をされた方がまだ居心地も良いだろう。
「……奇跡が起こる事を、お祈りしています」
 エンリカはそれだけ言うと、香里に一礼して退室した。
 香里は言葉をかける事もなく、扉が閉まる音を聞いても動かない。
 ただ、膝の上に置かれた手には徐々に力が籠もり、部屋着に大きな皺を作っていった。


………………


 充電していろと言われたとはいえ、そして出来る事が無いからと言って、寝てばかりいるわけにもいかない。それは、生き物としてそういう構造になっている。
 差し入れのパンをかじりながら、ジンガはぼんやりと壁を見つめていた。
 すでに時刻は昼に近いだろう。自分の置かれている状況を思えば、空腹などほとんど感じない。
 しかし処刑の日が明日に迫っている。唯一と思われる脱出の機会のためには、体力を少しでも蓄えておく必要がある。空腹を感じないからといって、食事をしないわけにはいかない。
 溜息を吐きながら食事していたミィメーリィが、突然立ち上がった。壁際から反対側の鉄格子の傍まで逃げるように移動する。
「おい、あんまりそっちに寄るなよ」
「あ、ごめん。じゃなくて、いきなり埃が降ってきたんだが……」
 ミィメーリィの視線を追って、2人も天井を見た。
 丁度その瞬間、大きく天井の石がずれる。
 見間違いかと何度も見直したが、天井は徐々に大きく口を開けていった。ついに明確に人の手が現れて石を取り除く。
 開いた場所から、手の主が逆さまに顔を出した。
「おう、生きてるかー?」
「おっ……!」
 叫びかけたジンガの口を、2人がかりで塞ぐ。
 猫の耳を持つ少女は、3人の無事を確かめると、音も無く牢屋へと降り立った。
「ニーナ……どうしてここへ?」
「紅烏の頭領だって姉ちゃんに呼ばれたんだ。聖女さまやみんなの知り合いをかき集めてるみたい」
 処刑と宣戦布告の日時は、城にいる内通者によってピオニア達にもたらされた。彼女は香里達の旅路を遡り、協力者を探していたという。ニーナは偶然ラッサノーレに来ていた時にピオニアに会い、事の経緯を聞いたのだと3人に説明した。
「姉ちゃんも、行動するなら処刑当日だろうって言ってたよ。とにかく様子を見てくるように言われて、あたしが来たんだ」
「にしたって、どうやってこの場所が……?」
「大体の地図は教えてもらった。あとは近くに来たら、みんなの匂いがしたからすぐ解った!」
 無邪気な笑顔が、陰気臭い牢屋にもわずかな光をもたらす。
「……ここから出るのは、難しいだろうなぁ」
「ん、ジンガ兄ちゃんはだいぶ無理。姉ちゃんなら入るかもしれないけど、外までが長いから体力的に辛いと思うよ」
 よく見れば、彼女の姿は埃にまみれ汚れていた。狭い隙間を潜ってきたのだから当然だろうが、彼女の苦労を思わせる。ラカーシャが頭を撫でてやると、ニーナは再び嬉しそうに笑った。
「少しは希望が見えてきたな」
「なぁ、……カオリの所には、行けるか?」
 ジンガが尋ねると、ニーナは迷い無く首を横に振った。
「あそこはすっごい警戒態勢だよ。隠れるのも難しいと思う。一応、これで行けないかやってみたけど、あそこまで通じてなかったんだ」
「そうか……」
 不意に、ニーナの耳がぴくりと動く。その変化を尋ねる前に、ニーナは入ってきた穴へと音もなく戻っていった。
 首を傾げていると、足音が一つ近づいてくるのが3人の耳にも届く。3人は何事も無かったかのように床に座り、食料の入った袋を隠した。
「おう、元気か」
 アルバートが笑顔で声をかける。3人がそれぞれ返事を返すと、満足そうに頷いて正面に座った。
「……で、そこにいるのはお仲間か?」
 指さした先には、ニーナが入っていった穴。そこからニーナは迷わず顔を出した。
「ニーナ……」
「なんで逃げなかった?」
「おっちゃん、良い人の匂いがしたから。見逃してくれるだろうし」
 再びニーナは床に降り立つ。
「匂い?」
「ん。ジンガ兄ちゃんと似た感じの匂い」
「……そうか」
 アルバートはどこか嬉しそうな苦笑を浮かべた。対するニーナは、小さく首を傾げる。
「何を手伝えば良いの?」
「は?」
「……匂いだけでそこまで解るのかい、君は」
「んーん、なんかそんな気がしただけ」
 ニーナはにんまりと笑った。3人は騎士と獣人族の少女のやりとりを奇妙な気分で見守っている。
「……資料探しを手伝ってほしい。詳しい話は外でしようか」
「解った。……じゃ、そゆ事でね、みんな」
 にっこり笑って手としっぽを振ると、再び音もなく穴の中へ戻っていった。石がゆっくりと戻されていく。それが完全に元の位置に納まった頃、ジンガはアルバートを振り向いた。
「資料探しって?」
「研究資料さ。なかなか研究所に入れてくれないんでね、どうしたもんか考えてたんだ」
「……彼女に探しに行かせるつもりですか?」
 ラカーシャの心配そうな声音に、アルバートは余裕の表情で返す。
「あの子なら出来るだろう。身軽さと鼻の良さは天下一品みたいだし」
「ですが……」
「まぁ研究施設の稼働は昼間だけだから、危険が無いように夜に忍び込んでもらおうとは思ってる」
 そう言いながら、懐に手を入れた。飴玉の包みを人数分取り出すと、鉄格子の隙間から投げわたす。それぞれが礼を言うと、嬉しそうに笑った。
「礼儀正しくて結構。…もし失敗するような事があれば、俺が命に代えてでも助け出すさ」
「……アルバートさん」
「俺は、ジンガが戻ってきた今が最大のチャンスだと思ってる。これを逃したら、騎士団に在籍する意味も無い、そんな気がしてるんだ」
 3人の処刑を回避する事が最優先。
 その後、魔族を魔物へと薬の出所が、騎士団長が入れ込んでいるという研究所であるかどうか確かめる。それの是非次第では、12年前の事件の犯人の事も、何かの手がかりが掴めるかもしれない。
 香里を魔王の手から保護する方法を探さなければならない。騎士団に魔王の手先が混ざっている可能性を考えると、城も安全とは言いがたい。
「とりあえずこっちでも警備は増やしてるが、身内にいたんじゃ解らないからなぁ」
「何となくだけど、……宣戦布告まで、魔王は動かないと思う」
「何でそう思う?」
「もし騎士団に魔王やその手先がいたとして、戦いに勝ちたいだけなら、香里が王都にやってきた時にすぐに襲ってると思うんだ」
 しかし保護されてから今日までに、香里が襲撃されたという話は無い。
「宣戦布告の際には人が多く集まる。魔王が何かするなら、その時を狙った方が存在を誇示出来る」
「魔王ってのは妙な所で目立ちたがりなんだな」
「まぁ、仮に聖女を始末出来なくても、人間側の出鼻は挫けるし。魔王になろうってくらいだから、それなりに自己顕示欲の強い奴がなるんだろう」
「そういや、聖女が違う世界から飛んでくるって話はよく聞くけど、魔王がどうやって選ばれてるのかは曖昧だな」
 人間2人の視線が、魔族である2人に向く。2人は互いに顔を見合わせると、ほぼ同時に肩をすくめた。
「え、わかんねぇの」
「何かしら優秀である事が条件らしい。それ以外に明白な理由は聞いた事が無い」
「カオリ曰くは、魔族というもの自体が、このエストレデル独特のものらしい。だから、この世界の者である事は間違いないだろうと思う」
 疑問の解決にはならないが、これ以上の答えも無い。
 どこか釈然としないものを感じながらも、ジンガはアルバートに向き直った。
「ま、何はともあれ明日だな。今日はしっかり身体を休めておけ。どのタイミングで事が動くか解らないからな」
 3人は力強く頷く。
 明日行動を起こさなくては、宣戦布告がなされ、聖女と魔王の戦争……あるいは、人間による魔族の虐殺が始まってしまう。
 同時に、3人の命も明日で決まる。
 時間は確実に流れていき、次の朝が少しずつ迫っていた。


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