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縁の糸紡ぎ

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 紅烏の本拠地は、見た目は山間の小さな村である。
 無論それは見た目だけの話だ。地下には巨大な飛行艇の格納庫と武器庫を備えた施設があり、紅烏の構成員が活動している。
 構成員の家族が暮らす居住区だけでも、集落としては相当な規模だ。そこに更に拡張し、有事のための特別避難施設も作られている。
 今回、首都から避難してきた人々は、居住区と特別避難施設を解放して迎え入れた。
 飛行艇に乗ったばかりの頃こそ恐々と接していた人々だったが、現在ではほとんどの人が紅烏に対して信頼のようなものを抱いている。
 同じく、魔族の存在に怯えていた人々も、少しずつ心を開きはじめていた。一番早く馴染んだのは子供達である。魔族である彼らの話に積極的に耳を傾け、また自分達の話に真剣に耳を傾けてくれる彼らに、種族の隔たりの不要さを感じたようだ。
 本拠地に着くまでの間にすっかり遊び相手として定着し、特に面倒見の良いロクセルドは、昼間は常に多くの子供達に囲まれていたようである。
 そんな事もあって、避難民である彼らは割とあっさり、紅烏の本拠地にしばしの居を構える覚悟を決めた。無論どうしても信頼出来ない、という者もいたが、彼らに関しては飛行艇の補給や点検が終了次第、希望する街に連れていく事が確定している。
「一度、図書館に戻りたい」
 避難民の処遇の事が片付き、今後をどうするかという話になると、ミィメーリィが真っ先に発言した。
 彼女の様子からして、一時的な帰郷を求めたという様子ではない。
「何か用があるのかい?」
「……何か、手がかりが無いかと思って」
 目を覚ました後、ミィメーリィは自らの身に起こった事を仲間から聞いていた。本人は変身している間の事は何一つ覚えていなかったし、なぜ変身する事が出来たのかも全く解らないという。そもそも、過去に変身が出来た事も無い。
 手がかりとは、自分の出自の事を言っているのだろう。香里たちが把握しているのは、彼女の育ての親と彼女の間に血の繋がりが存在しないという事だけ。そして、ミィメーリィが把握している事実もまた、それに加えて親子として過ごしてきた日々の思い出くらいしかない。
「ボクは、自分が獣人族である事を、生きていく上で必要な事だと思った事は無い」
 人間として育てられ、人間だけでなく多くの種族に囲まれて暮らしてきた自分に、種族など関係ないと思ってきたと、彼女は言った。
「だけど……それが、みんなを守る力になるなら、調べてみる価値があると思うんだ。自在に使う事が出来たら、それだけで魔王へ対抗するのに有利に働くかもしれない」
 仲間達は顔を見合わせる。香里はピオニアを振り返った。
「飛行艇を出す分には構わないよ。クルーも貸せる」
 自身は魔王攻略の準備とそれに伴う指示を出すために、ここにいる必要があるとピオニアは続けた。彼女に付き従うウェルディスも、彼女と共に行動するだろう。
「私、みぃちゃんと一緒に図書館に行きます」
 ミィメーリィが弾かれたように顔を上げた。
「まだ戦いに出るまでには時間がありますよね?」
「まぁそうだけど……ってアンタ、魔王と戦う気なの?」
「いけませんか?」
「いけないって事は無いけど……」
 ピオニアは決まり悪そうに面々を見渡すが、誰も助け船は出さない。
 それは全員が、この場にいる聖女を含むメンバーで魔王と戦う事に、どこか理論を越えて納得してしまっているからだろう。
 彼女が治癒の能力を持つ以外は普通の少女である事を、誰もが理解している。それでも、危険な戦いに赴く事を止められない。
 問いかけたピオニアですら困惑するほどに。
「準備の時間があるってんなら、あたし村に戻ってみんなの様子見てくるよ。もしかしたら魔王に乗せられちゃってる奴がいるかもしれないもん」
「……つか、お前、良いのか?」
「何が?」
「お前、カオリの味方になっちまってるけど」
 ニーナは腕を組み、眉間に皺を寄せる。
「良くはない。良くは無いんだけど……でもさ、あいつに従うのは、魔王とか聖女とか抜きにして、イヤ」
 それはもう気持ちいいほどに、キッパリと言い放った。聞いている周囲が脱力する。
「あいつ……イヤな感じがするんだよね。人間が憎いだけじゃないっていうの?」
「そう、あの女性も言ってたわ。有翼人でも人間でも、みんな死んでしまえば良い。そのために魔王に付いたんだって」
「……イかれた平和主義の次は自己中の独裁者が出てきたって事か?」
 ジンガの物言いに、各所から苦笑が漏れた。しかしその表現は、ある意味で的を射ている。
「その思想では、魔王の勝利で魔族なら平和に暮らせるという世の中にはなりそうにないですね」
「……俺たちも仲間の様子を見てきた方が良さそうだな」
 ロクセルドとリュシエルが顔を見合わせて頷きあう。
「ほんなら、俺は本職通り……ってだけじゃないけど、カオリちゃんとわんこの護衛に加わりますかね」
「ホルトさん……良いんですか?」
「良いの。……ってかさ、クレシェラ図書館とはいえ、さすがに護衛がいないと危ないと思うよ」
 香里は首を傾げるが、ラカーシャは同意を返した。
「元々は人種の差無く利用できた場所だしな。俺たちが行った時ですら、入り口付近とはいえ魔族もいたし」
「暴動の的になってたっておかしくないよ。周囲に魔族の集落もあるんだから」
 見る間に香里とミィメーリィの顔が青ざめていく。2人の頭を、ジンガが小突いた。
「ま、そうなってたらなってた時だ。とりあえず、行くんだろ」
 2人はすぐさま同意を返す。ジンガは満足そうに頷き、ピオニアを振り返った。
「んじゃま、早いとこ頼むわ」



………………



 悪い予感は当たるもので。
 クレシェラ図書館の周囲を、ぐるりと囲むように人垣が出来ている。それらは見る限り獣人族が多いようだ。獣形態になったものも、まだ人の姿であるものもいる。
「……子供も大人もじじいもばばあも、いる奴みんな来ましたー、みたいな雰囲気だな」
 ラカーシャがため息混じりに呟く。空から見下ろしたその姿は、明らかに異様な姿だった。
「ねぇ、あたしだけ先に下ろしてもらっていい?」
「大丈夫なのかよ」
 心配している様子のジンガに対し、ニーナは胸を張る。
「見た感じ知り合いがいるから、ちょっと話してみる。ダメだったら合図するから」
 言うが早いか、ニーナは早々に部屋を出ていった。ほどなくして、ピジョンが飛行艇から出発し、人垣のそばへ降りていく。
 ニーナが姿を現すと、獣人族達が一斉に彼女を向いた。話が始まってすぐに、獣形態だった者がその変身を解いていく。そして次第に、ニーナと話をした者から図書館を離れていくという流れが出来ていた。
「……わんこも得体が知れないと思ったけど、あの子も大概ね」
「匂いで種族を判別できる上に、人柄や考えまで見抜くからなぁ……」
「……それ獣人族の範囲超えてない?」
「味方で良かったよ、本当に」
 獣人族がほとんどいなくなった所で、ニーナが飛行艇に着陸可の合図を送る。それを見て、面々はピジョンに移動して下降した。
「お待たせ、みんな解ってくれたよ!」
 飛行艇から降りてきた面々に、ニーナは笑顔で言う。香里も笑顔につられて、彼女の頭を優しく撫でた。
「よく説得できたな」
「ん、あたしの鼻って信用されてるからね」
 自分の鼻を指さして得意げに笑う彼女に対し、男性陣は顔を見合わせる。
「聖女の味方をする気はないけど、もう少し魔王の出方を見てみるって言ってた。だから協力してもらうのはたぶん無理だろうけど、少しは時間が稼げると思う」
「ありがとう、ニーナ」
 更に誉められると、ニーナはますます機嫌を良くしたらしい。今にも踊り出しそうな様子である。
「じゃあ、あたしは一応みんなの様子を見てくるから。みんな、気をつけてね」
「ニーナも気をつけて」
 拳を握って空へ突き出してアピールした後、ニーナは森の中へ消えていった。
 その姿を見送った後、一行は門の閉じられた建物を見上げる。
 先ほどまで暴動の的となっていたためか、以前にも増して拒絶を露わにしていた。
「歓迎してもらえると良いけどねぇ」






 正面の玄関は、鍵がかかっているのか開く事は無かった。おそらくは獣人族を警戒しての事だろう。扉は重厚で、中に声が届きそうにもない。本来、来客が叩くべき小窓も完全にふさがれている。
 仕方ないので、ミィメーリィの先導に従い裏口へ回った。裏口には厨房に繋がる出入り口がある。うまくすれば、彼女と仲の良い料理長が開けてくれるかもしれない。
 それを期待してやってきたが、厨房にも人がいないのか、カーテンのわずかな隙間から覗いたそこは真っ暗だった。窓を叩いてみるも、反応が無い。
「どうしよう……」
「もう少し待ってみるか?」
「外を囲んでいた獣人族がいなくなった事には気づいているだろうからな」
 では待とうか、と結論が着いた瞬間、金属音が耳に届いた。そちらを見ると、ホルトが厨房の裏口の扉を開いている。手にはどこかで見た細い針金。
「開いたけど」
 長い沈黙の後、4人は顔を見合わせる。更にホルトの顔をしばらく見つめた。
「正面のでかい扉は無理そうだったからさ」
「いやまぁ……うーん…良いか?」
「後で料理長に謝っておこう……」
 ため息をつきつつ、ミィメーリィが先に中に入る。香里やラカーシャが続き、全員が入った頃には明かりが点いていた。
「ミィメーリィ!」
 正面から女性の声がして一斉にそちらに注視した。そこには初老の女性が、驚いた様子で立っている。
「料理長!」
「あぁ、心配したよ! 元気にしてたかい?」
 女性はその細腕からは想像もつかないほど、力強くミィメーリィを抱きしめた。ミィメーリィも、嬉しそうな様子で抱きしめ返す。
「しかし、どうやって入ってきたんだい?」
 瞬間にミィメーリィを始めとした面々の顔が強ばるが、すかさずホルトが前に出た。
「失礼しました。事が急を要するもので、元盗賊の彼に鍵を開けてもらいました」
 いきなり引き合いに出されたジンガは更に顔を強ばらせるが、話を合わせろと肘で小突かれ表情を戻す。
「貴方は……騎士さんで?」
「えぇ、彼女と聖女様の護衛を担当しております、ホルト・コーディエ・アレグレットと申します」
「そうなんですか……まぁここで話していてもおもてなしも出来ませんし、中へどうぞ」
 料理長が前を向いた隙に、ホルトは一行を振り返りにやりと笑った。もはや苦笑しか返せなかったが、誰も何も口には出さなかった。





 普段は一般客が利用する食堂。現在、客のほとんどが上の階に逃げているためか、人の姿は全く無い。
 テーブルの一つに、香里たちは座った。程なく、料理長がお茶菓子とポットを手に厨房から出てくる。香里たちと同じテーブルにつくと、現在の状況を話し始めた。
 魔王が首都を占拠した後から、図書館の様子も随分変わったらしい。
 まず、図書館の現在の館長が真っ先に図書館から逃げ出したという。その直後から獣人族が図書館を囲むようになったというので、すばらしい逃げ足の早さと勘の良さだ。
 前述の通り、利用者は少しでも獣人族の視線から逃れようと、上の階に避難している。宿泊施設や食堂もまともに稼働していない。獣人族に囲まれている間は、補給もままならないだろうと話していたらしい。
「しっかし、獣人族が引いていったのには驚いたよ。それも、聖女様のおかげですか?」
「いえ、お友達の獣人族の子が、説得してくれたんです。私は何も」
 料理長は感嘆のため息を漏らし、紅茶の入ったポットを手に首を振る。
「素晴らしいねぇ。人の繋がりって素晴らしいよ」
「は、はぁ……」
「前の館長さんに誘われて、ここに仕事に入った時から思ってたよ。やー素晴らしい」
 言いながら、空になったカップに紅茶を注いでいった。その早さにジンガが驚いた顔で彼女を凝視する。
「館長さんの娘さんも、獣人族の旦那さんといて幸せそうだったしねぇ。本当、種族なんて関係ないんだね……」
 目を閉じてしみじみと料理長は呟いた。それを聞いたミィメーリィは弾かれたように顔を上げる。視線に気づいた料理長は、そこでやっと自身の失言に気づいたようだった。
「……しまった」
「料理長、あの……」
「でも、あんたが気づいちまったら教えて良いって言われてたからね。こうなる運命だったんだろうね」
 料理長は1人で納得して頷いている。不安そうに彼女を見つめるミィメーリィ。その手を、香里が励ますようにそっと握った。
「……じゃあボクは……」
「前館長さんの娘さんの子供。……館長さんからしたら、孫に当たるね」
 ミィメーリィは、長いため息を吐き出す。
 しばらくの沈黙の後、料理長をまっすぐに見据えた。
「どうして、その事を隠していたんですか?」
「……実は、詳しい理由はあたしも知らないんだよ。ただ娘さんの旦那さんが……どうも特殊な立場の人だったらしくて、あんたが生まれる前には行方知れずになってたんだ」
 もしかしたらそれが関係しているのかもしれない、と料理長は言う。
「娘さんも、あんたを産んですぐ亡くなられてね。……元々病弱な子だったけれど、優しい良い子だったのに……」
 面々は顔を見合わせた。落胆した様子の料理長がそれに気づく事はない。
「……料理長」
「ごめんね、あたしも大した事は知らなくて」
「いえ、ありがとうございます。後はもう少し、父の部屋を調べてみます」
 料理長は納得した様子で頷いた。
「……どんな事があっても、あんたの家がここである事には変わりないからね」
 励ますように肩を叩き、彼女は笑って見せた。





 クレシェラ元館長の私室。うっすらと埃こそ積もっているが、室内の膨大な量の本は変わらずに一行を出迎えた。あまりの惨状に、初めて来たホルトだけは顔を歪めているが。
「前に泊まった時はとにかくいじらないようにと思ってたが」
「日記か何か出てくれば御の字だな」
 部屋の奥まで踏み込み、ミィメーリィは白衣の袖を捲りながら言う。彼女に続く香里やラカーシャがやる気満々なのを見て、ホルトはますますうんざりといった表情を浮かべた。
「こんだけ本があるのに、探すのが日記ぃ?」
「でも私事の記述がありそうというと探すなら日記になるだろ?」
「まぁそうだけどさぁー……」
 ホルトはぼやきながら、壁を覆う本棚から1冊本を抜き出す。本はよく見ると紐のようなものが付いており、本棚から抜けるぎりぎりまでしか動かせないようになっていた。
 それに気づくとほぼ同時に、本棚の上の方の棚が派手な音を立てて反転する。
 早すぎる展開に全員が動いた棚を凝視して固まった。一度互いに顔を見合わせ、再度棚を確認する。
 そこには、物入れらしき箱が一つあるだけだった。蓋には鍵穴が付いているが、それに使われるであろう鍵は見当たらない。
 ミィメーリィでは手が届かないため、ラカーシャがその箱を取って彼女に渡した。開けようと試みるが、やはり鍵がかかっており開くことは無い。箱は部屋に並んでいる一般的な技術書とほぼ同じサイズで、振ってみると中からは物が入っている事を示す鈍い音が聞こえる。
「鍵もここのどっかにあるんだろうな」
「こんな仕掛けが他にもあるのか?探してたら終わらねぇだろ」
「……父が、亡くなる間際に言ってた。部屋にある本は好きなだけ読めって」
 いずれは、仕掛けの施された本に手をかける日が来る。おそらくはそれを見越して、その言葉を残した。
「……しばらくは、悲しくてとても父の部屋に入る気になれなかったから、端から少ししか進んでいないんだ……」
「多分、彼だってこんなに早く知る日が来るとは思わなかったんだろう」
 ミィメーリィは悲しそうに本棚を見上げる。
 ジャンルを問わない、多くの書物が並んでいた。この世界の全ての本を集めんとした、この図書館の縮図であるかのように。
「いつか、この世の中にある全ての本を読み終えるのが夢だった」
 父はそう語ったのだと、ミィメーリィは呟く。
「でも叶わない。昔に比べて、たくさんの人が本を書くようになった。新しい本がたくさん生まれてくる。一生じゃ間に合わないって」
 だから少しでも、多くの本が多くの人に出会えるようにと願った。種族の隔たりなく、ジャンルの差別なく。
 その想いに共感した人々がいて、彼の変わりない想いがあって、この場所にこれだけの賑わいを得た。
「……ボクは今でも、父の願いを継ぎたいと思っている」
 そのために時間は無駄に出来ない。感傷に浸っている暇も無い。
 ミィメーリィは小さく謝罪を口にすると、ホルトに箱を手渡した。
「開けられないか?」
 ホルトはしばらく箱の様子を見た後、了解のサインを見せる。机に箱を置くと、針金を手に向き合った。
 少しの時間を置いて、先ほども聞いた金属音が部屋に小さく響く。
 開いた箱の中身を、ホルトは真っ先にミィメーリィに見せた。彼女が箱から手にしたのは、1冊の本。箱の中身はそれだけだった。
 ハードカバーの深い緋色の表紙には、金の文字で『伝承検証録』と書かれている。
 表紙を開くと、白紙のページとの間に一枚の絵が挟まっていた。
 茶色の長い髪の女性と、白髪の男性が微笑んでいる。男女は同じ年頃だろう。仲睦まじい様子で並んでいた。
 長い髪の女性が絵の中で着ている服は、香里がミィメーリィから借りて着ているものと同じである。つまりそれは絵の中の女性が、服の本来の持ち主……前館長の娘であることを示していた。
 ミィメーリィの頬を、涙が一筋伝う。彼女はすぐに自分の服の袖で涙を乱暴に拭った。
「みぃちゃん……」
「……この絵のために本を入れたんじゃないはずだ」
 絵を挟んだまま、ミィメーリィは次のページをめくる。
 伝承検証録の題名に違わず、題材となっているのは聖女と魔王の戦争、及びそれに伴う伝承の数々のようだ。目次には持ち主であった彼のメモ書きや、印のために付けたであろう下線が大量に残されている。
 特に『天使』の項目と『神託の塔』のページには多くの印が付けられていた。
「……ダメだ余計に意図がわからん」
「さすがにここで読んでいたら時間がかかる。戻りながらの方が良いかもしれない」
「ねー、神託の塔って何?」
 ホルトに訪ねられ、ミィメーリィは再びそのページを開いた。隙間という隙間にびっちり書かれたメモ書きを無視してミィメーリィが内容を掻い摘んで読み上げる。
 過去の戦争の際、魔王が拠点としていた城。縦に長い構造と、人間の王が住まう場所以外に城は認めないという考えから、人間たちの間では『塔』と呼ばれるようになった。ある種の要塞である。
 ある戦争で勝利した際、塔の上から城を建設する事で封印した。この記録をしている現在も、塔は城の奥深くに存在するという。
「あの城にそんなん埋まってるの?」
「お前も知らなかったんだ」
「……まぁ小隊長なんて所詮ぺーぺーですんで」
 ホルトは乾いた笑いを漏らし、動揺を隠していたが、ふとそれを引っ込めて面々に向き直った。
「魔王が城を占拠したのって、それが目的?」
 彼らの中に一つの答えが落ちる。
「要塞だったってんなら、そりゃ取り戻したいよな……」
「騎士団に潜りこみ、あの騎士団長の思惑通りに事が進んだ後、油断した所で聖女を始末。仮にそれが失敗しても、伝承の要塞は取り戻せるってわけか」
「うあああホンットやな女!あんなのにうまく利用されてたとか癪!!ホント癪!!!!」
「これはピオニア達にも早めに報告した方が良さそうだな」
 ラカーシャの言葉に、全員が同意を示した。
 ミィメーリィは箱を開き、本を戻そうとして手を止める。
「どうしました?」
 香里が尋ねるが、彼女は何も答えずに箱に手を入れた。
 側面の模様の部分が、箱の角からゆっくりと剥がれていく。よく見れば模様に見えたものは文字であり、箱の内壁に張り付いていた紙にびっちりと書き込まれていた。
 ミィメーリィは自分の目の前にそれを広げる。香里も覗きこむが、記号としてしか頭に入ってこない。
「暗号か?」
「子供の時にふざけて作ったものだ」
「なんて書いてある?」
「魔術の式だ。ちょっと面倒くさい。これも後回しだな」
 ミィメーリィは言いながら紙を綺麗に畳むと、本と共に箱に丁寧にしまいこんだ。元通り蓋を閉め、胸に抱える。
 仲間を振り返り、目を赤く腫らしながらも微笑んだ。
「ボクの用事も終わったし、行こうか」



………………



 作戦と呼ぶには、あまりにお粗末かもしれないと、ピオニアは最初に言った。
 何故かと言えば、早い話が『ほとんど正面突破』だからである。

 紅烏の諜報員が集めてきた情報は、首都の守りが強固である事を示す物ばかりだった。首都には魔王の存在を聞きつけた魔族達が集まり、城を囲むように配備されている。
 城に入られては困ると、言っているようにも見えるのだが。
 しかし最初に紅烏の面々が予想していた人数よりは、遙かに少ないのだという。
 現れるまでの魔王の活動があまりに水面下であったためか、魔族を排した人間たちの生活が結果的に魔族との距離を開かせたか、はたまた香里たちの活躍のおかげか。
 いずれにせよ、そこに侵入し魔王と対峙する事を考えている面々にとって、これほど好都合な事は無い。

 室内には、紅烏の構成員数人の他に、馴染みの面子が揃っていた。アルバートも仕事にひと段落ついたらしく、数人の騎士と共に合流している。
「この際、ピジョンを全部ダメにしてでも、城に特攻かけようかと思ってるんだ」
「っていうと?」
「囮代わりに、首都のあらゆる所に突っ込んでってもらう」
 ピオニアの話によると、ピジョンには単純な自動操縦機能が備わっているらしい。住民を救出した時の姿が、相手の印象にも残っていることだろう。囮にはうってつけだ。
「良い感じに混乱してきた所で、城のてっぺんから本隊が降りて魔王を探す、と」
「魔王の所在は、みなさんが言っていた神託の塔ではないかと思われます。陛下にお尋ねした所、城の中心部の地下深くに入り口があるそうです」
 ピオニアの言葉に、ウェルディスが付け加えた。
「ってな訳で、魔王様さえどーにかすれば、戦争も終わりだ。まぁ敵味方問わず、犠牲は少ないに越した事はない。無駄な殺生は控えておくれよ」
 自分が殺されそうな時に手加減する必要はないからね、ともピオニアは言う。香里は苦笑しながらそれを聞き、作戦に参加を示した面々を見回した。

 最初は、聖女として戦争を人間の勝利に導けとビルハに言われて始まった旅。
 今では種族を問わず仲間が集まり、戦争を食い止めようと動いている。
 それをビルハが咎める事は今の今までついになかった。止める事を諦めたのか、人間が敗北さえしなければどういう結果でも構わないのか、彼の真意は定かではない。
 尋ねても、香里さえ無事ならそれで良いと、いつか言っていた事を繰り返している。
 香里はそれを好意的に受け止める事にした。例え咎める事を言われたとしても、自分はともかく周囲の勢いは止まらなかっただろう。ビルハもそれを感じていたのかもしれない。
 今までを振り返れば長い旅路であった事は間違いない。けれど、香里には一瞬で過ぎた出来事のように思えた。
 もちろん、これからの戦いが今までと比べても一番辛い壁である事は間違いないだろう。
 まだ全て終わったわけではない。
 終わった後の世界で自分がどうなるかなど想像も及ばないが、それでも『勝利』の末にある『平和』という未来を確証も無く信じている。
 それを、大切な仲間達と共に、迎えられると。


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