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赤毒花の舞踏曲

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 紅烏の小型飛行艇『ピジョン』は、8艘の飛行艇に別れて格納されている。
 最後に香里達を助けに来た2艇は、同じ飛行艇所属の個体だったようで、飛行艇の上で面々は再会を果たした。
「わんこわんこと勝手に呼んではいたけど……よもや本当にわんことは」
 ジンガに背負われたミィメーリィに対して、ホルトは感心した様子で呟く。
 船室のソファに座っている香里の隣に、ミィメーリィを寝かせた。香里は自分の膝にミィメーリィの頭を乗せる。
 ピオニアとウェルディスは他の飛行艇との連絡のため室内にはいない。ニーナは壁際で丸くなっており、ラカーシャは香里の向かいのソファに座っている。
「しばらく休めれば良いけどな。あの様子じゃ、連中追ってきそうだし……」
「ねぇみんな」
 ラカーシャの言葉を、扉の傍に立っていたホルトが遮った。何事かと注目が集まる中、ホルトは深々と頭を下げる。
「ごめん」
 周囲の長い沈黙の後、ジンガとラカーシャが全く同じ音で同時に口を開く。
「はぁ?」
「はぁ?」
 ニーナも事情が解らないので首を傾げており、香里は突然の事に呆然となった。
「馬鹿に踊らされて迷惑かけたから、ごめん」
 ジンガとラカーシャは顔を見合わせ、同時に立ち上がる。
 無言のまま、頭を下げているホルトの顔を上げさせた。彼の表情は真剣そのもので、香里も口にした謝罪が本気の言葉である事を理解する。
 ジンガの手がホルトの顔に伸びた。仮面の無い右の頬を、思い切り抓る。
「いたたたた!」
「お前はアホか」
 一文字ずつ強調するような調子で言い放つと、手を離した。痛みのためか涙目になったホルトはジンガを見つめる。
「アホかって……でも俺が余計な事したせいでこんな事になったんじゃないか」
「んな事はどーでも良い。第一、謝ってどうにかなることか?」
 言葉に詰まるホルトの額を、拳で小突いた。
「その後は味方だったじゃねぇか。俺はそれで十分だ」
 元いた壁の方に戻ろうとする相手に、ホルトは尚も食い下がろうとするが、ラカーシャに同じ場所を抓られて悲鳴を上げる。
「同感だ。が、俺も痛い想いはしたからこれくらいはさせてもらう」
 赤く腫れた頬を押さえるホルトに、ラカーシャは表情を変える事無く言った。相手の反応を待たずに踵を返し、ソファに戻る。
 ホルトはしばらく何か言おうとしていたが、結局は言葉が出ない様子で俯いた。しばらくの沈黙の後、ホルトは無言で扉に手をかける。
 その瞬間、勢い良く扉が開き、ホルトの手が弾かれた。
「みんな、大丈夫だった!?」
 真っ先に飛び込んできたリュシエルは、面々の無事な姿を見てほっと息を吐く。後ろにはロクセルドとピオニア、ウェルディスが続いていた。
 全員が室内に入った所で扉を閉める。
「騎士団の方とも連絡が取れたよ。とりあえず今は首都周辺の人間たちの避難に追われてるそうだ」
 エンリカ率いる魔王の軍勢は、空となった城を占拠し、首都全体を支配下に置くために行動しているらしい。
 それに対し、王国騎士団はアルバートが指揮を執り、魔族から民衆を保護している。騎士団の伝令が駆けまわり、首都に比較的近い街に避難者受け入れと警備強化の要請を通達しているが、どれほど協力が得られるかは予想出来ない。
「何せ人間社会の中枢に近い騎士団に魔王が紛れ込んでいたってんだからねぇ。他の街の中枢にだって魔王派がいないって保証は無い」
「そういえば、この艇はどこに向かってるんだ?」
「とりあえずは、あたしたちのアジトにね。受け入れも……まぁどうにか大丈夫だろう」
 その返答に、話を聞いていた一部はぎょっとした様子でピオニアを見た。紅烏は人間の間には『魔王派、または人間を嫌う者の集まり』として知られている。そのような本質が存在しない事を知っている者は、本当に交流のあったごく一部のみだ。
「おい……それ、大丈夫だったのか?」
「あぁ、ちょっと騒がれたけど、陛下が説得してくださったよ」
 やはり多少人々には混乱があったようだが、間近で全てを見ていた国王並びに王族達が民衆に呼びかけた。
 救出された事、彼らに敵意が無い事は紛れもない事実だと。
 その言葉は他の飛行艇にもすぐに通達され、各飛行艇で起こっていた騒ぎは一度収まった。
 国王自身も紅烏に不信感があるような様子ではあったが、自分達が自力では逃げられない空の上にいる事を考えたら、従う方が良いと思ったのかもしれない。ピオニアに対しても『民の無事を最優先にしてほしい』と申し出た。
「あの人が今の国王で良かったよ。これなら体勢を整えるのも、魔王に戦いを挑むのも難しくないさ」
 ピオニアの言葉に、香里の表情が僅かに曇る。
 現在の状況を思えば、避けられない事は理解していた。このまま放っておいても魔王達がこちらに危害を加えてこない道理は無い。
「せめて種族間の戦争が避けられれば良いんだがな」
「そこはどうだろうね。今の状況は見ようによっては魔王が優勢だ。魔王に付いた方が良いと思う奴は増えてると思うよ」
「人間が魔族に対して優勢だと確信していた要素も、今回ぜんぶ壊してきてしまいましたしねぇ」
 聖女や国王が無事である事は、人々にとって無二の希望になる。
 しかしながら、首都が魔族に制圧されているという現状は良いものではない。
「……とにかく、今は体を休めた方が良さそうだな。いつ向こうが襲ってくるかしれねぇし」
 言いながら、ジンガは床に寝ころぶ。特にそれに対する抗議も無く、適当に話を切り上げてピオニアとウェルディスは部屋を出ていった。
 香里は眠ったままのミィメーリィの頭を撫でながら、ふと顔を上げてリュシエルを見る。
「リュシエルさん、古代種って何の事かご存じありませんか?」
 リュシエルは少し驚いたような顔をした後、いつもの微笑みを浮かべて答えた。
「現存する魔物のどれとも一致しない……不思議な特徴を持つ魔族の事よ」
 リュシエルは立ち上がると自身の翼を広げる。
 空の色をした、薄い羽根。この世のものとは思えない美しさのそれ。
「私も、古代種だと言われてるわ」
 存在自体は、魔族の中で語り継がれてきた。
 バラッシャの集落にも、記録に残されている限りそこそこの頻度でいたらしい。
 ただし両親の遺伝なのかは解明されていない。記録上、その古代種が伴侶や親になる事はあっても、古代種自身の親は解らない……大抵は出自が不明だった。
 それはリュシエルも例外ではない。彼女は赤子の頃に、集落の外で拾われたのだという。
「我々の間では、古代種は神の遣いの一部であるとされ、大切にされている。並外れた能力を持つものが多いのも確かだ」
「……って、わんこも古代種だってあの女言ってたけど」
「確かに、あの外見の魔物は見た事ないな。どっちかっていうと……」
 ラカーシャの視線が、自称天使に向けられた。天使は香里の肩に乗り、鼻提灯を伸縮させながら眠っている。
「なんでこういう時に寝てるかな……」
「こういう時っつか、いっつも寝てないか?」
「案外寝たフリだったりしてな」
 タイミング良く鼻提灯が割れるが、起きる気配は全く無い。『もう食べられないよ~』などとお決まりな寝言を言いながら眠っている。
「俺よく知らないんだけど、わんこってクレシェラ図書館の館長の縁者なんだろ?」
「ミィメーリィ自身は、血の繋がりが無いって言ってたと思う」
 そういった点でも、古代種の特徴とは合致している。ホルトの頭の上には、まだ疑問符が浮かんでいた。
「でもあいつ、機械の反応の程度を見てるとハーフっぽいんだよね。古代種ってなんか、純粋に魔族なイメージなんだけど」
「えっと……?」
「だって、獣人族で能力が高いっつったら、運動神経に全部行くでしょ。でもわんこってさ、お世辞にも運動神経が良いとは言えないじゃん」
 生活環境の影響は否めないが、確かにミィメーリィは同世代の人間と比べても劣るかもしれない。獣人族とは比べるべくもない。魔術や学問に関して見ても、努力の結果以上の何かは見受けられない。無論、その努力はもっと評価されても支障が無いほどなのだが。
 同種族の同環境下で周囲より突出していたリュシエルの例とは、かけ離れているように感じられる。
「何か、事情があるかもしれないと、仰るんですか?」
「……いやあの、裏切り者の勘なんて、信用しなくて良いけどふぎぎぎぎ」
 卑屈な発言を、ラカーシャが相手の頬を抓ることで遮る。
「でも、その勘はずれてないかもしれないぞ」
「え?」
 ラカーシャは手を離し、仲間を振り返った。ホルトは何かぶちぶちと文句を言っていたが、すぐに口をつぐむ。
「孤児の中でミィメーリィだけ特別扱いっておかしいと思うんだよ」
「古代種だったからじゃなくて?」
「あそこの館長さんは、そんな事で贔屓するような人じゃなかったと思う」
「何でそう言い切れるわけ?」
「会った事あるから」
 香里は、確かそんな事を言っていた、と思い浮かべる。
 あそこでミィメーリィと出会う以前、クレシェラ図書館に立ち寄った事があると。おそらくはその時に会ったのだろう。
 ミィメーリィがラカーシャに懐いている様子なのも、もしかしたらそれが関係しているのかもしれない。
 ふと疑問が浮かび、それを口にしようとした瞬間、轟音と共に激しく視界が揺れた。
 それが意味するのは、飛行艇全体の揺れ。
 一瞬にして会話が消え、ジンガが身を起こす。剣を手に取ると部屋の扉へ向かった。後に続こうとする仲間を振り返る。
「ミィメーリィもまだ寝てるし、香里はここにいた方が良い。あと何人かここに残ってくれ」
 それに最初に頷いたのはニーナだった。すぐに居場所を香里の傍に変える。
「じゃあ、俺も残ろう。というか……」
 ラカーシャの視線は、ロクセルドに向いた。彼は無言で武器を手に取る。それを見たリュシエルも立ち上がった。
「私も行くわ」
「え、いやリューは」
「だって、空の上なら相手は有翼人かもしれないじゃない。それなら、私もいた方が役に立てるわ」
 その意見に異議は無い。幼なじみ2人は複雑そうな表情だが。
 ホルトも残る意志を示し、メンバーが決まるとジンガは早々に扉を開けて飛び出した。
 先ほどのような大きな揺れは無いものの、ずっと耳慣れない音が響いている。悲鳴のような声が遠くから聞こえた。
 慌ただしくなるほどに、香里の胸に不安が募る。祈るように手を組み、目を閉じた。



………………



 通路では、混乱した人々が右往左往していた。対処に向かおうとしている紅烏の面々の行く手を塞いでいる。
 飛行艇全体が揺れているのならば、故障でもない限りは外に原因がある可能性が高い。そして故障であった場合に縁の無いジンガたち3人は、人々の間をすり抜けながら、外へ繋がる扉まで到達した。開けようとした瞬間、別の方向が騒がしくなる。顔を見合わせる事すらせず、3人はそちらへ走った。
 騒ぎの中心は、船員たちを収容する大部屋。現在は保護された人間たちがいる所だが、そこにいてはならない人の存在を見つける。
 背中に翼を持つ、見慣れぬ人物が2人。そして、本来なら個室にいるであろう王族達。おそらく民衆を見舞うためにこの部屋にやってきていたのだろう。タイミングが悪かったようだ。
「あら、勇者様のご到着かしら?」
 見慣れぬ有翼人の女性の方が口を開く。漆黒の翼に、同じ色の髪。色は喪服のような黒でありながら、デザインは貴婦人のようなドレス。閉じたパラソルを手に、女性は場違いな微笑みを浮かべた。
 ジンガは無言で王族と有翼人達の間に入る。彼の前には、リュシエルとロクセルドが立った。
「あらあらまぁまぁ。裏切り者の古代種さんまでいらしたの?足を引っ張るためにわざわざご苦労な事ね」
「裏切り者?」
「人間の味方をするなんて裏切り者じゃないの。貴女に有翼人としての誇りは無いのかしら?」
 嘲笑を含んだ女性の言葉に、リュシエルの表情は変わらない。
「そりゃ、隣のあんちゃんにも言える事だがな」
 女性の隣にいる、蝙蝠の翼を生やした男が言う。服装は豪奢な女性とは対照的に、ずいぶんと奇抜な物だった。所々すり切れたような衣服のそこかしこに鎖が付いている。身の丈ほどあろうかという柄の長い鎌を担いでいた。
「いたずらに他人の命を奪う事を、誇りに基づく行為と評するならば、俺はそれに従う気は無い」
「ははっ、人間なんかこっちを生き物だと思った事もねえだろ?」
 同意を求めるように、男が周囲の人間達を見回す。視線を向けられた人々は竦み、壁にぴったりと背を付けた。怯えた反応に満足したようで、男は不気味に笑う。その視線が一箇所に定まった。
 視線の先には、子供を必死に抱きしめる母親の姿。
 男が動いた瞬間、ロクセルドも動き出していた。男の鎌が、ロクセルドの槍に阻まれる。鎌の切っ先は、親子に振りおろされる事なく止まった。
 金属の擦れあう不快な音が続くが、両者は少しも譲らない。
「何が良いのかねぇ、人間助けてさ!種族が違うってだけで、こいつら感謝もしないんだぜ!」
「……善行は、見返りを求めてするものではない」
 ロクセルドの槍が、男の鎌を押し返す。
「自らの義のために行うものだ!」
 戦士の声が空間を打った。一瞬男も気圧されるが、すぐに調子を取り戻す。
「古くさい頭してんなぁ」
「何とでも言え。俺から見ればお前の考えの方がよほど古くさい」
 構えはしないものの、ロクセルドの視線は怒りを伴って男を見据えた。男はそれに動じた様子も無く、同行者であろう女性を見る。
「マルシア、どうするよ?」
「好きにすれば?」
 マルシアは興味なさそうな様子だが、男はその答えに満足そうに笑った。翼が数度はためく。
「あんちゃんよぉ、俺らは有翼人なんだから外でやろうや」
「……良いだろう」
 不気味な笑顔のまま、男は外への出口に向かった。ロクセルドも警戒しながら、その後ろを歩く。
 扉が閉まると、マルシアの口から盛大なため息が漏れた。
「男って面倒ね……強い奴を見ると戦いたくなるって言うんだから」
 早く済ませたいのに、とマルシアは呟き、パラソルを掲げる。その支柱の先端はまっすぐにリュシエルに向けられた。
 派手な銃声とほぼ同時に、声が部屋に響きわたる。
 仕込み銃から放たれた無数の弾は、何を貫く事もなく地面に落ちた。風だけが通りすぎる。
「……あら、なかなかやるみたいね」
「卑劣な方にほめられるのは好きじゃないわ」
 リュシエルの口から出たわかりやすい嫌悪の言葉に対し、マルシアの表情が歪む。
「腹が立つわね……虫も殺さないような顔してるぶりっこって大嫌いよ」
「確かに無用な殺生は嫌いね。それが普通の感覚だと思うけど?」
 マルシアの表情が更に歪んだ。余裕の笑顔はどこにもなく、苛立ちは誰の目にも明らかである。
 リュシエルの方はというと、こちらは何の表情も浮かんでいない。強いて言うなれば、言葉の端々に相手への憐憫がほのかに浮かんでいた。
 相手が何を怒っているのか解っていない様子でもある。
 パラソルを構え直すマルシアに対して、リュシエルは銃口を塞ぐように片手を上げた。
「何のつもりよ!?」
「ここでは皆さんの迷惑になるから、私たちも外へ出るべきだと思うわ」
「迷惑だ?こっちは好都合よ!」
「あら、人の事を散々言った割に、貴女に有翼人の誇りは無いのね」
 マルシアが、呆気に取られたような表情になる。リュシエルは動じず、普段の彼女からは考えられないような、挑発的な口調で続けた。
「私が古代種だから勝てないって、最初から実力外の有利を確保して戦うなんてかわいそうな人。私の集落にはそんな人いなかったわ」
「なんですって……」
「貴女がどうして私を嫌いかなんて火を見るより明らかだけど、その上で逃げるのはどうかしら。プライドが無いと見られてもおかしくないんじゃないかしら」
「黙りなさい!」
 周囲は緊張しているが、リュシエルの表情は変わらない。マルシアの方は明らかに取り乱している。
「じゃあ外に出ましょうか。ね」
「……良いじゃない、挑発に乗ってあげるわ」
 マルシアはパラソルを抱え、外へと向かった。リュシエルはその後に続いて歩き出す。途中でジンガをちらりと見て、いつものように微笑んだ。ジンガも小さく頷いて返す。
 扉が閉まると、少しだけ室内の緊張が緩んだ。ジンガは頭を掻きながら、彼女が消えた扉を見る。
「……守られるだけのお姫様じゃないって事か」



………………



 有翼人の戦士と歌姫。
 戦士は歌姫を守りながら戦い、歌姫は戦士の力を高めるために歌う。
 男女それぞれに合った役割というものが存在し、彼らはそれを全うしてきた。
 無論、長い歴史の中には、戦士の役割に長けた女性、歌姫の特性を持った男性もいる。古代からのしきたりを守る種族ながら、そういった者には能力に見合う役割に就く事が許された。
 何故なら、彼らのそれは才能の向き不向きを明らかにするための努力が、正当な評価をされていたからである。
 有翼人という種族の大半が、自らを高める事に貪欲であり、同時にそのための努力を惜しまないという傾向があるのだ。そして彼らには、その努力を基盤とした確固たる自信が備わっている。
 故に、彼らの大半は他種族に対して高圧的である事が多い。そこに実力が伴わないものの存在もないではないが。

 ただし、この傾向に合致しない有翼人も存在する。
 同じ有翼人からは差別される傾向にある、黒い翼の者たち、そして奇形の翼を持つ者たち。
 集落から追放される事が大半の彼らは、いつしか迫害される者たちで集落を作り、そこに落ち着いた。
 奇形や黒い翼は、多くは他種族との間に子をなすと生まれてくると言われ、また片親が黒い翼であれば生まれてくる子は全て黒い翼になると伝えられている。
 この2点を覆した例は今の所は無い。




 リュシエルは目の前に浮かぶ黒髪の女性を見ながら、どうしたものかと考えていた。
 とりあえず外に出す事を優先したは良いものの、出来る事なら傷つけずに帰ってもらいたい。彼女の髪と翼を見ていると、幼なじみが遠き日に失った翼を思い出す。日の下でつやつやと煌めいていた、綺麗な黒い翼。
『あんなに綺麗な羽根なのに、どうしてみんな嫌いなの?』
 そう尋ねた彼女に対し、育ての親は何か決まり悪そうな顔で色の事を諭したが、どうしても理解には至らなかった。
 常に思うのだ。彼と自分の羽根に何の違いがあるのだろう、と。
「……さぁて、望み通り外には出てあげたけど?」
「……お願いがあるの。このまま帰っていただけないかしら」
 マルシアの表情が意味が解らないと言う代わりに歪む。言葉の意味を頭が理解するにつれて、その表情は怒りに染まっていった。
「バカにするのも大概にしなさいよ!!」
 銃口がリュシエルを捉える。吹きあげた風が、飛び出す弾丸を弾道からさらっていった。
「出来る事なら貴女とは戦いたくないの」
「……はぁ?」
「貴女を見てると、大事な幼なじみを思い出すから」
「何言ってるの?」
「私に貴女を完全に理解する事は出来ないけれど、だからといって無闇に傷つけたいとも思わないわ」
 彼女の態度から嫌でも察する事実。
 黒羽根として、迫害されてきたであろう過去。
 彼の受けてきた不当な扱いを、辛く苦しい毎日を知っている。自分がそれを支えるにはあまりに無力だった事も。
 せめて、説得する事が出来れば。
「……さすが、大事にされてきた古代種は言う事が違うわね」
 怒りを通り越し、憎悪を露わにしたマルシアは言い放つ。
「傷つけたいと思わない?上から目線で結構ですこと。下等な黒羽根の気持ちなんか理解する気は最初から無いでしょう?何が傷つける事かも知らないくせに!!」
 リュシエルの視線は、濁る事なく真っ直ぐにマルシアを見つめた。向けられた銃口は怒りに震えているが、憎き敵を向いたままである。
「有翼人も、人間も!私を理解しないものはみんな死んでしまえば良いのよ!そのために私はエンリカに付いたんだもの!!」
 長く続く銃声。それを覆うような、長い歌声。
 吹き続ける風は、リュシエルに向かう銃弾を一つ残らず高い空へ打ち上げた。
 弾切れを示す鈍い音がすると、マルシアは舌打ちして弾を懐から取り出す。その視線はリュシエルを睨んでいたが、リュシエルには全く動じた様子が無い。
「理解なんか誰にも出来ないわ。その人にはなれないもの」
 マルシアは手を止めかけるが、すぐに作業に戻った。
「時折、思うの。もし、私の羽根の色の方が、忌み嫌われる色だったらどうしただろう、って」
 異端の羽根である事は変わらないのに、何故か決められていたために崇められる事を、ずっと疑問に思っていた。
 虐げられる者たちが疑問に思うのと、同じように。
 同じ姿が、村の中に1人もいないのは同じなのに。
 そんな下らない事のために。
「きっと何も出来なかったわね。根性無いもの。だから、そうやって怒る事が出来て、行動出来る貴女の事、とても凄いと思うわ」
 自分は甘えている。
 自分は世界を変えようなどとは思えない。
 自分で出来るのは、自分の周囲に思い出したように訴えかける事だけ。それが、精一杯。
 だから純粋に尊敬出来る。
 周囲の力を借りながらも、慣例を砕き平和のために奔走した少女も。
 苦しみを理解し、変わろうとしている人も。
 痛みのまっただ中にありながら誰を恨む事も無く、前に進み続ける彼も。
「でもね」
 絶対に正しい事など、世界には無い。
 けれど安易に誰かを傷つける事を肯定するのは、彼女を傷つけてきた全てを肯定するのと何ら変わりない。
 彼女も苦しかっただろう。多く傷ついて、怒りも多く抱いただろう。それを許す事は出来ないだろう。
 だが、許す事が出来なかったら、自分が苦しかったら何をしても良いなんて道理は、違う悲劇を生むだけだ。
 マルシアの銃口が再びリュシエルを向く。
「私、貴女の事、嫌いだわ」
 虫も殺さないような、と表された女性の顔は、強い嫌悪に歪んでいた。
 それを見たマルシアの反応が、一瞬遅れる。
 引き金が引かれるよりも先に、澄んだ音が空に響きわたった。
 高く打ち上げられていた弾丸は、重力に従っていたはずのその落下速度を速める。鋭く研ぎすまされた風は火薬の爆風と変わらぬ速さを生み、無数の弾丸は真っ直ぐにマルシアを貫いた。
 マルシアの悲鳴が空に響きわたる。リュシエルは落ちていく彼女を見つめたまま動かない。
 その姿が景色に溶けこみかけた時、一対の翼が彼女の元へ飛び出した。蝙蝠の翼は彼女を抱え、高度を保ったまま上昇する事無く視界から消える。
「大事ないか」
 声に振り返ると、ロクセルドが槍を手に佇んでいた。大きな外傷が見あたらない事に安堵しながら、リュシエルは癒しの歌を歌う。傷がふさがった事を確認してから、にっこりと微笑んだ。
「この通りよ」
 相手も微笑みを返し、リュシエルの髪を撫でる。
 どちらとも無く、飛行艇を追うべく動き出した。飛行艇の軌道に残る風を頼りに、翼を動かす。
「……ねぇロクス」
 ロクセルドがリュシエルを振り返る。彼女の方は彼を見る事なく続けた。
「あの人たち……魔王の一派は、ただ人間を滅ぼせば良いと思っているワケじゃないみたいね」


………………



 こういう姿を現す言葉があったはずなのに、全く思い出せない。
 部屋の中をぐるぐる徘徊するラカーシャの姿を見て、香里はぼんやりとそんな事を考えていた。飛行艇の航行も安定しており、部屋の中の雰囲気も随分と落ち着いている。
 3人が部屋を飛び出した後、ジンガが先に戻ってきた。彼は有翼人の2人が襲撃者を外に誘い出した後、飛行艇内に彼ら以外の襲撃者がいないかどうかを確認して、戻ってきたのだという。
 飛行艇の異常も襲撃者が駆動部に攻撃したせいだという事が判った。幸いにも壊されたのは代替が利く部品で、そちらは紅烏のクルーたちの手により程なく収束した。
 襲撃者と交戦中であろう2人が心配なのか、ラカーシャはその話を聞いてからずっと部屋を徘徊している。時折扉や窓を見つめては、再びぐるぐると歩き回った。
「……熊かっつの」
 ジンガの呟きに、ホルトが吹き出す。言われたラカーシャも足を止めるが、それでも落ち着かない様子なのには変わりない。
「そんなに心配しなくても、あの2人なら大丈夫だろ。お前が一番信頼してなくてどうするんだよ」
 再び言葉に詰まる。長い沈黙の後、決まり悪そうにラカーシャは呟いた。
「……ロクスはともかく、リューは……」
 語尾は珍しくごもごもとはっきりさせずにごまかしている。だが言わんとする事はジンガとホルトにも伝わった。ホルトは納得した様子だが、ジンガは哀れみの視線をラカーシャに向けている。
「……お前が思ってるほどボケてねぇぞ、あいつ」
「へ?」
「たっだいまー!」
 ラカーシャが聞き返そうとした瞬間、扉が勢い良く開いた。リュシエルは入ってくるや否やラカーシャに抱きつく。
「な、お、おか……」
「あれ、ロクセルドのおっさんは?」
「今、紅烏の首領さんに報告に行ってるわ。すぐ戻ってくるハズよ」
 ホルトに笑顔で返した後、リュシエルはラカーシャの髪に頬ずりした。抱きつかれた方は言葉にならない声を漏らしながら固まっている。
「……そろそろ離してやんなよ」
「ん、あらごめんなさい」
 顔を真っ赤にしたラカーシャは、首をぶんぶんと横に振った。そんな彼の様子を、リュシエルは優しく見つめる。
「……あなたは、違うものね」
「んあ?」
「ううん、何でもないの。私の友達にラカーシャがいてくれて良かったって、それだけ!」
 友達、の部分がラカーシャの胸を派手にぶち抜いたが、発言した本人がそれに気づく様子は無い。
 リュシエルは今も眠り続けるミィメーリィに気づくと、香里の正面に座った。
「ずっと眠っているのね……」
「こっちが何も出来なかった攻撃を全部防いでたし、変身も含めて負担が大きかったのかもしれない」
 獣人族の獣形態への変身は、多くが幼い頃に言葉より早く修得しているのが通例だ。それが自在になるまでには少しかかるが、それでも十歳を越えるまでには大半が自由に変身できるようになる。
「もしわんこがハーフだとして、変身に負担がかかるとかあるの?」
「んー、どうだろ。うちの村にはハーフっていなかったからなぁ。初めて変身したのも、ちっさい頃だからわかんないし」
 良い答えが出ず、部屋から言葉が消えた。
 その沈黙を破ったのは、小さな呻き声である。全員がその声の主を見た。彼女はうっすらと目を開き、面々をぼんやりした瞳で見つめている。
「みぃちゃん……?」
「う?うー……」
 香里の膝で何度か顔を擦った後、ゆっくりと彼女は起きあがった。大きなあくびを繰り返し、ソファに座り直す。
 そうしてしばらくして、部屋を見回す。隣の香里に視線を戻して、問いかけた。
「ここ、どこ?」
 全員から一斉に、安堵のため息が漏れた。


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