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第1章 おじさんと異世界の人々
第20話
リリスの回復から数時間後。
案の定というべきか、領主ハロルドから「お礼がしたい」と声がかかった。
「夕食を共に、ぜひ──」
周囲の家臣たちも一斉に頭を下げる。
逃げ場なし、ってやつだ。
「……わかったよ」
面倒くせぇが、断れば角が立つ。恩を売った直後にそっぽ向くほど俺は無粋じゃねえ。
仕方なく承諾し、俺は館の豪華な食堂へ向かった。
◇
テーブルには、色とりどりの料理がずらりと並んでいた。
肉料理、魚料理、香草をふんだんに使ったサラダ、焼き立てのパンに、濃厚なスープ。
これが貴族の食卓ってやつか。
「ささ、レンジ殿。どうぞお好きに」
ハロルドが上機嫌で勧めてくる。
「……いただく」
俺は控えめに皿を取り、適当に口に運んだ。
──うまい。
素材も調理技術も一級品だ。
だが、何よりも。
気兼ねなく、自分のペースでコーヒーと煙草を楽しめるあの小屋に比べたら、やっぱり居心地は悪い。
◇
食事が一段落したところで、ハロルドが切り出した。
「レンジ殿」
「ああ」
「今回の件、本当に礼を尽くしたい。どんな望みでも、叶えよう」
周囲の家臣たちも、固唾を呑んで見守っている。
金か。
地位か。
名誉か。
……興味ねぇ。
俺は、淡々と口を開いた。
「金も、地位も、名声もいらねえ」
ハロルドの眉がぴくりと動く。
「……ほう。ならば、何を望む?」
「──俺の噂を管理してくれ」
「噂……?」
「ああ」
俺は続けた。
「下手に話が広まると、面倒ごとが増える。王族や貴族連中に目をつけられたら、平穏な暮らしは終わりだ」
「ふむ……」
「だから、レンジって名だけ広めるならまだいいが、細かいことまでは表に出すな」
「……」
ハロルドは、しばらく考え込み──やがて、重々しく頷いた。
「わかった」
「それと、もうひとつ」
「何だ?」
「貴族や王族と、俺が直接揉めそうになったとき──」
俺は指を一本立てた。
「風除けになってくれ」
「──任せろ」
ハロルドは即答した。
「わたしの名は、この国でもそれなりに通る。レンジ殿に無礼を働く者がいれば、必ず排除しよう」
その言葉に、周囲の家臣たちがざわついた。
ハロルド・カーネル。
この国でも屈指の発言力を持つ領主のひとりだ。
その後ろ盾を得たってことは──まあ、今後、かなり動きやすくなるだろう。
「……助かる」
俺はコーヒーカップを手に取り、静かに一口啜った。
深い苦味と、豊かな香り。
「──うまい」
思わず漏れた言葉に、ハロルドたちはなぜか安堵の息をついていた。
*
夕食が終わったあと、ひと休みしていると、館の侍女がやってきた。
「リリス様がお呼びです」
「ああ?」
「お礼を申し上げたいとのことです」
断る理由もない。俺は立ち上がり、案内されるままにリリスの部屋へ向かった。
◇
リリスは、ふわりとした白いドレスを纏い、ベッドの上に腰掛けていた。
頬の血色はすっかり戻り、かすかな笑みを浮かべている。
「──レンジ様」
お辞儀は、絵に描いたように丁寧だった。
「助けてくださって……本当に、ありがとうございました」
「別に。頼まれたからやっただけだ」
俺は気怠く返す。
リリスは、微笑んだまま、言葉を継いだ。
「でも……わたくし、あの日、目を開けたときに思ったのです」
「……何をだ?」
「世界は、こんなにも美しかったのだと」
言われて、窓の外をちらりと見た。
夜のリベールの街は、灯火に照らされ、ぼんやりと霞んでいる。
「……なるほどな」
リリスは、細い指でカップを持ち上げた。
テーブルには、あの特製ミルクコーヒーが置かれていた。
「これも……とても美味しくて」
「そりゃ、俺が作ったもんだ」
リリスは、くすりと笑った。
「レンジ様は、どのような方なのですか?」
「……ただの、煙草と珈琲が好きなオッサンだよ」
「ふふ」
小さく、鈴のような笑い声。
リリスの雰囲気は、まるで高原のそよ風みてぇに柔らかい。
だからだろう。妙な緊張も、苛立ちも、不思議と湧いてこない。
「もしよろしければ、また……いえ、無理にとは申しません。ただ──」
リリスは、ほんのりと頬を染めながら言った。
「また、お話しできる日が来れば……嬉しいです」
「気が向いたらな」
あくまで気軽に、淡々と答える。
それが、俺のスタイルだ。
リリスは、満足そうに微笑み、もうそれ以上何も言わなかった。
◇
翌朝。
まだ朝靄が残る時間帯、俺は館の前に立っていた。
送迎の馬車は用意されていたが、断った。
「歩く」
使者にそう言い残し、道を辿る。
煙草に火をつけ、深く吸い込みながら、ゆっくりと村への道を戻っていく。
リベールの街を抜け、開けた丘を越え、森林地帯へ。
この辺りの道は、もう馴染み深い。
空気もうまいし、誰にも邪魔されずに吸える煙草も格別だ。
俺には、やっぱりこういう時間が、一番合っている。
◇
マーレ村が見えてきたのは、昼過ぎだった。
変わらぬ、のんびりした田舎の風景。
小さな子供たちが走り回り、農夫たちが畑を耕し、牛たちが草を食んでいる。
「……やっぱ、こっちだな」
ぼそりと呟き、煙草を咥え直した。
俺の場所は、あの小屋だ。
うまい珈琲と煙草、そして好きな本。
それさえあれば、他に何もいらねぇ。
のんびりした歩調で、小屋への道を辿っていく。
案の定というべきか、領主ハロルドから「お礼がしたい」と声がかかった。
「夕食を共に、ぜひ──」
周囲の家臣たちも一斉に頭を下げる。
逃げ場なし、ってやつだ。
「……わかったよ」
面倒くせぇが、断れば角が立つ。恩を売った直後にそっぽ向くほど俺は無粋じゃねえ。
仕方なく承諾し、俺は館の豪華な食堂へ向かった。
◇
テーブルには、色とりどりの料理がずらりと並んでいた。
肉料理、魚料理、香草をふんだんに使ったサラダ、焼き立てのパンに、濃厚なスープ。
これが貴族の食卓ってやつか。
「ささ、レンジ殿。どうぞお好きに」
ハロルドが上機嫌で勧めてくる。
「……いただく」
俺は控えめに皿を取り、適当に口に運んだ。
──うまい。
素材も調理技術も一級品だ。
だが、何よりも。
気兼ねなく、自分のペースでコーヒーと煙草を楽しめるあの小屋に比べたら、やっぱり居心地は悪い。
◇
食事が一段落したところで、ハロルドが切り出した。
「レンジ殿」
「ああ」
「今回の件、本当に礼を尽くしたい。どんな望みでも、叶えよう」
周囲の家臣たちも、固唾を呑んで見守っている。
金か。
地位か。
名誉か。
……興味ねぇ。
俺は、淡々と口を開いた。
「金も、地位も、名声もいらねえ」
ハロルドの眉がぴくりと動く。
「……ほう。ならば、何を望む?」
「──俺の噂を管理してくれ」
「噂……?」
「ああ」
俺は続けた。
「下手に話が広まると、面倒ごとが増える。王族や貴族連中に目をつけられたら、平穏な暮らしは終わりだ」
「ふむ……」
「だから、レンジって名だけ広めるならまだいいが、細かいことまでは表に出すな」
「……」
ハロルドは、しばらく考え込み──やがて、重々しく頷いた。
「わかった」
「それと、もうひとつ」
「何だ?」
「貴族や王族と、俺が直接揉めそうになったとき──」
俺は指を一本立てた。
「風除けになってくれ」
「──任せろ」
ハロルドは即答した。
「わたしの名は、この国でもそれなりに通る。レンジ殿に無礼を働く者がいれば、必ず排除しよう」
その言葉に、周囲の家臣たちがざわついた。
ハロルド・カーネル。
この国でも屈指の発言力を持つ領主のひとりだ。
その後ろ盾を得たってことは──まあ、今後、かなり動きやすくなるだろう。
「……助かる」
俺はコーヒーカップを手に取り、静かに一口啜った。
深い苦味と、豊かな香り。
「──うまい」
思わず漏れた言葉に、ハロルドたちはなぜか安堵の息をついていた。
*
夕食が終わったあと、ひと休みしていると、館の侍女がやってきた。
「リリス様がお呼びです」
「ああ?」
「お礼を申し上げたいとのことです」
断る理由もない。俺は立ち上がり、案内されるままにリリスの部屋へ向かった。
◇
リリスは、ふわりとした白いドレスを纏い、ベッドの上に腰掛けていた。
頬の血色はすっかり戻り、かすかな笑みを浮かべている。
「──レンジ様」
お辞儀は、絵に描いたように丁寧だった。
「助けてくださって……本当に、ありがとうございました」
「別に。頼まれたからやっただけだ」
俺は気怠く返す。
リリスは、微笑んだまま、言葉を継いだ。
「でも……わたくし、あの日、目を開けたときに思ったのです」
「……何をだ?」
「世界は、こんなにも美しかったのだと」
言われて、窓の外をちらりと見た。
夜のリベールの街は、灯火に照らされ、ぼんやりと霞んでいる。
「……なるほどな」
リリスは、細い指でカップを持ち上げた。
テーブルには、あの特製ミルクコーヒーが置かれていた。
「これも……とても美味しくて」
「そりゃ、俺が作ったもんだ」
リリスは、くすりと笑った。
「レンジ様は、どのような方なのですか?」
「……ただの、煙草と珈琲が好きなオッサンだよ」
「ふふ」
小さく、鈴のような笑い声。
リリスの雰囲気は、まるで高原のそよ風みてぇに柔らかい。
だからだろう。妙な緊張も、苛立ちも、不思議と湧いてこない。
「もしよろしければ、また……いえ、無理にとは申しません。ただ──」
リリスは、ほんのりと頬を染めながら言った。
「また、お話しできる日が来れば……嬉しいです」
「気が向いたらな」
あくまで気軽に、淡々と答える。
それが、俺のスタイルだ。
リリスは、満足そうに微笑み、もうそれ以上何も言わなかった。
◇
翌朝。
まだ朝靄が残る時間帯、俺は館の前に立っていた。
送迎の馬車は用意されていたが、断った。
「歩く」
使者にそう言い残し、道を辿る。
煙草に火をつけ、深く吸い込みながら、ゆっくりと村への道を戻っていく。
リベールの街を抜け、開けた丘を越え、森林地帯へ。
この辺りの道は、もう馴染み深い。
空気もうまいし、誰にも邪魔されずに吸える煙草も格別だ。
俺には、やっぱりこういう時間が、一番合っている。
◇
マーレ村が見えてきたのは、昼過ぎだった。
変わらぬ、のんびりした田舎の風景。
小さな子供たちが走り回り、農夫たちが畑を耕し、牛たちが草を食んでいる。
「……やっぱ、こっちだな」
ぼそりと呟き、煙草を咥え直した。
俺の場所は、あの小屋だ。
うまい珈琲と煙草、そして好きな本。
それさえあれば、他に何もいらねぇ。
のんびりした歩調で、小屋への道を辿っていく。
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