独身おじさんの異世界おひとりさまライフ〜金や評価は要りません。コーヒーとタバコ、そして本があれば最高です〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第1章 おじさんと異世界の人々

第20話

リリスの回復から数時間後。

案の定というべきか、領主ハロルドから「お礼がしたい」と声がかかった。

「夕食を共に、ぜひ──」

周囲の家臣たちも一斉に頭を下げる。

逃げ場なし、ってやつだ。

「……わかったよ」

面倒くせぇが、断れば角が立つ。恩を売った直後にそっぽ向くほど俺は無粋じゃねえ。

仕方なく承諾し、俺は館の豪華な食堂へ向かった。



テーブルには、色とりどりの料理がずらりと並んでいた。

肉料理、魚料理、香草をふんだんに使ったサラダ、焼き立てのパンに、濃厚なスープ。

これが貴族の食卓ってやつか。

「ささ、レンジ殿。どうぞお好きに」

ハロルドが上機嫌で勧めてくる。

「……いただく」

俺は控えめに皿を取り、適当に口に運んだ。

──うまい。

素材も調理技術も一級品だ。

だが、何よりも。

気兼ねなく、自分のペースでコーヒーと煙草を楽しめるあの小屋に比べたら、やっぱり居心地は悪い。



食事が一段落したところで、ハロルドが切り出した。

「レンジ殿」

「ああ」

「今回の件、本当に礼を尽くしたい。どんな望みでも、叶えよう」

周囲の家臣たちも、固唾を呑んで見守っている。

金か。

地位か。

名誉か。

……興味ねぇ。

俺は、淡々と口を開いた。

「金も、地位も、名声もいらねえ」

ハロルドの眉がぴくりと動く。

「……ほう。ならば、何を望む?」

「──俺の噂を管理してくれ」

「噂……?」

「ああ」

俺は続けた。

「下手に話が広まると、面倒ごとが増える。王族や貴族連中に目をつけられたら、平穏な暮らしは終わりだ」

「ふむ……」

「だから、レンジって名だけ広めるならまだいいが、細かいことまでは表に出すな」

「……」

ハロルドは、しばらく考え込み──やがて、重々しく頷いた。

「わかった」

「それと、もうひとつ」

「何だ?」

「貴族や王族と、俺が直接揉めそうになったとき──」

俺は指を一本立てた。

「風除けになってくれ」

「──任せろ」

ハロルドは即答した。

「わたしの名は、この国でもそれなりに通る。レンジ殿に無礼を働く者がいれば、必ず排除しよう」

その言葉に、周囲の家臣たちがざわついた。

ハロルド・カーネル。

この国でも屈指の発言力を持つ領主のひとりだ。

その後ろ盾を得たってことは──まあ、今後、かなり動きやすくなるだろう。

「……助かる」

俺はコーヒーカップを手に取り、静かに一口啜った。

深い苦味と、豊かな香り。

「──うまい」

思わず漏れた言葉に、ハロルドたちはなぜか安堵の息をついていた。



夕食が終わったあと、ひと休みしていると、館の侍女がやってきた。

「リリス様がお呼びです」

「ああ?」

「お礼を申し上げたいとのことです」

断る理由もない。俺は立ち上がり、案内されるままにリリスの部屋へ向かった。



リリスは、ふわりとした白いドレスを纏い、ベッドの上に腰掛けていた。

頬の血色はすっかり戻り、かすかな笑みを浮かべている。

「──レンジ様」

お辞儀は、絵に描いたように丁寧だった。

「助けてくださって……本当に、ありがとうございました」

「別に。頼まれたからやっただけだ」

俺は気怠く返す。

リリスは、微笑んだまま、言葉を継いだ。

「でも……わたくし、あの日、目を開けたときに思ったのです」

「……何をだ?」

「世界は、こんなにも美しかったのだと」

言われて、窓の外をちらりと見た。

夜のリベールの街は、灯火に照らされ、ぼんやりと霞んでいる。

「……なるほどな」

リリスは、細い指でカップを持ち上げた。

テーブルには、あの特製ミルクコーヒーが置かれていた。

「これも……とても美味しくて」

「そりゃ、俺が作ったもんだ」

リリスは、くすりと笑った。

「レンジ様は、どのような方なのですか?」

「……ただの、煙草と珈琲が好きなオッサンだよ」

「ふふ」

小さく、鈴のような笑い声。

リリスの雰囲気は、まるで高原のそよ風みてぇに柔らかい。

だからだろう。妙な緊張も、苛立ちも、不思議と湧いてこない。

「もしよろしければ、また……いえ、無理にとは申しません。ただ──」

リリスは、ほんのりと頬を染めながら言った。

「また、お話しできる日が来れば……嬉しいです」

「気が向いたらな」

あくまで気軽に、淡々と答える。

それが、俺のスタイルだ。

リリスは、満足そうに微笑み、もうそれ以上何も言わなかった。



翌朝。

まだ朝靄が残る時間帯、俺は館の前に立っていた。

送迎の馬車は用意されていたが、断った。

「歩く」

使者にそう言い残し、道を辿る。

煙草に火をつけ、深く吸い込みながら、ゆっくりと村への道を戻っていく。

リベールの街を抜け、開けた丘を越え、森林地帯へ。

この辺りの道は、もう馴染み深い。

空気もうまいし、誰にも邪魔されずに吸える煙草も格別だ。

俺には、やっぱりこういう時間が、一番合っている。



マーレ村が見えてきたのは、昼過ぎだった。

変わらぬ、のんびりした田舎の風景。

小さな子供たちが走り回り、農夫たちが畑を耕し、牛たちが草を食んでいる。

「……やっぱ、こっちだな」

ぼそりと呟き、煙草を咥え直した。

俺の場所は、あの小屋だ。

うまい珈琲と煙草、そして好きな本。

それさえあれば、他に何もいらねぇ。

のんびりした歩調で、小屋への道を辿っていく。
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