75 / 243
第4章 おじさんとソロキャンプ
第75話
火が落ち着き、熾火だけがじんわりと辺りを照らしていた。
飯を終えたあとってのは、なぜこうもタバコが恋しくなるのか。
「そろそろ……あれの時間だな」
俺は腰を上げ、革袋からいつもの道具を取り出す。
コーヒー豆の麻袋を開くと、焙煎済みの豆がほのかに甘い香りを放った。
今回は、夜用にブレンドを少し変えてある。深煎りベースに、森で採れたハーブを軽くスモークしてブレンドしたものだ。
「香り……変わってる」
エルフがぽつりと呟いた。
その横顔に目をやると、耳が――ぴこ、ぴこ――と、控えめに、けれど確かに動いていた。
「夜の森と焚き火用に調整した。ほのかに燻製っぽくしてある。気分出るだろ?」
「……うん」
手早くミルで豆を挽き、手鍋に湯を沸かす。
滴下式でもいいが、今夜はあえてネルドリップで抽出した。
ゆっくりと、重力に任せて落ちていく黒い液体。
焚き火の橙と、夜空の紺に囲まれたその光景は、それだけで一つの景色だ。
「……できた。熱いから、気をつけて飲めよ」
俺は木製のマグに注ぎ、エルフに手渡した。
彼女は両手でマグを持ち、目を閉じてそっと香りを嗅ぐ。
ぴく。ぴこ。
耳が上下する。言葉よりよほど雄弁な反応だった。
「……いい匂い」
「口に合えばいいけどな」
俺は自分の分をゆっくり飲みながら、タバコの葉を取り出す。
こっちは、今回のために調合した特製。
深緑の草原で採れたリーフをベースに、焚き火の煙と共鳴するような、スモーキーな香りを加えた。
「煙草も、特別……?」
「ああ。キャンプってのは、特別な夜だからな」
一枚の葉を丁寧に丸め、火をつける。
ほのかに甘く、土と森を思わせる濃厚な香りが立ち上がった。
「吸ってみるか?」
エルフはしばらく迷った様子だったが、こくりと小さく頷いた。
火をつけて渡すと、恐る恐る口にくわえる。
ゆっくりと吸い、吐き出した煙に包まれた顔が、少しばかりとろんとしていた。
「……これが、人間の贅沢」
「そうだな。まあ、俺の贅沢ってやつだが」
耳がまた、ぴこぴこと揺れる。
本人は無表情を保っているつもりだろうが、あれでは感情丸出しだ。
「レンジ」
「ん?」
「また、作って」
「ああ。条件は同じだぞ」
「手伝う」
返事が早い。耳はすでに喜びの舞を踊っていた。
*
「じゃあ、行く」
それだけ言って、エルフの彼女――名前は聞いていない――は、火のそばに置いたマグを軽く戻して、すっと立ち上がった。
「気をつけてな」
「うん」
こちらを見もしないまま、彼女は背を向け、焚き火の光から闇へと滑るように姿を消した。足音ひとつ残さない、徹底した動きだった。
だが、あれは別に警戒心からってわけじゃない。あの耳の動き――さっきのタバコとコーヒーのときの反応を見れば、わかる。
あれで、たぶん、全力で気に入ってる。無口なだけで。
俺はくつろぎ用のローチェアに深く腰を落とし、もう一杯だけ残っていたコーヒーをカップに注いだ。湯気はさっきよりもやや控えめになっているが、香りはむしろ落ち着きを増している。
焚き火の薪がぱちりと弾ける音。草むらのどこかでカサ、と鳴る小さな気配。虫の羽音も、妙に心地いい。
「……ふぅ」
タバコにもう一度火を入れる。指先に巻いた手製の葉巻は、焚き火と同じスモーキーな香りを纏って、深く肺に染み込んでいった。
この時間がいいんだ。
誰もいない。誰にも話しかけられない。
仕事も、世間も、義務も、思い出す必要すらない。
「――これが、俺の贅沢だってんだろ」
口の端が自然と緩む。別に楽しいわけじゃない。ただ、自分で納得のいく時間を、自分の意志で過ごしてるというだけの、妙な満足感。
あのエルフ、また来るかもしれないな。
コーヒーもタバコも、一度気に入ったら、ああいう種族はわりと真面目にハマる傾向がある。来なきゃ来ないで構わない。来たら、まあ、一杯くらい出してやる。
「さて……」
タバコを灰皿代わりの小さな石皿に押しつけると、少し体を倒して、ブランケットを足に掛けた。
体温がほどよく保たれると、だんだんとまぶたが重くなる。
「このまま……寝るか。なんも考えず、ただ火を見て……」
夜風がひと吹き、頬を撫でた。
焚き火の中に、赤い芯だけが残っていた。
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
飯を終えたあとってのは、なぜこうもタバコが恋しくなるのか。
「そろそろ……あれの時間だな」
俺は腰を上げ、革袋からいつもの道具を取り出す。
コーヒー豆の麻袋を開くと、焙煎済みの豆がほのかに甘い香りを放った。
今回は、夜用にブレンドを少し変えてある。深煎りベースに、森で採れたハーブを軽くスモークしてブレンドしたものだ。
「香り……変わってる」
エルフがぽつりと呟いた。
その横顔に目をやると、耳が――ぴこ、ぴこ――と、控えめに、けれど確かに動いていた。
「夜の森と焚き火用に調整した。ほのかに燻製っぽくしてある。気分出るだろ?」
「……うん」
手早くミルで豆を挽き、手鍋に湯を沸かす。
滴下式でもいいが、今夜はあえてネルドリップで抽出した。
ゆっくりと、重力に任せて落ちていく黒い液体。
焚き火の橙と、夜空の紺に囲まれたその光景は、それだけで一つの景色だ。
「……できた。熱いから、気をつけて飲めよ」
俺は木製のマグに注ぎ、エルフに手渡した。
彼女は両手でマグを持ち、目を閉じてそっと香りを嗅ぐ。
ぴく。ぴこ。
耳が上下する。言葉よりよほど雄弁な反応だった。
「……いい匂い」
「口に合えばいいけどな」
俺は自分の分をゆっくり飲みながら、タバコの葉を取り出す。
こっちは、今回のために調合した特製。
深緑の草原で採れたリーフをベースに、焚き火の煙と共鳴するような、スモーキーな香りを加えた。
「煙草も、特別……?」
「ああ。キャンプってのは、特別な夜だからな」
一枚の葉を丁寧に丸め、火をつける。
ほのかに甘く、土と森を思わせる濃厚な香りが立ち上がった。
「吸ってみるか?」
エルフはしばらく迷った様子だったが、こくりと小さく頷いた。
火をつけて渡すと、恐る恐る口にくわえる。
ゆっくりと吸い、吐き出した煙に包まれた顔が、少しばかりとろんとしていた。
「……これが、人間の贅沢」
「そうだな。まあ、俺の贅沢ってやつだが」
耳がまた、ぴこぴこと揺れる。
本人は無表情を保っているつもりだろうが、あれでは感情丸出しだ。
「レンジ」
「ん?」
「また、作って」
「ああ。条件は同じだぞ」
「手伝う」
返事が早い。耳はすでに喜びの舞を踊っていた。
*
「じゃあ、行く」
それだけ言って、エルフの彼女――名前は聞いていない――は、火のそばに置いたマグを軽く戻して、すっと立ち上がった。
「気をつけてな」
「うん」
こちらを見もしないまま、彼女は背を向け、焚き火の光から闇へと滑るように姿を消した。足音ひとつ残さない、徹底した動きだった。
だが、あれは別に警戒心からってわけじゃない。あの耳の動き――さっきのタバコとコーヒーのときの反応を見れば、わかる。
あれで、たぶん、全力で気に入ってる。無口なだけで。
俺はくつろぎ用のローチェアに深く腰を落とし、もう一杯だけ残っていたコーヒーをカップに注いだ。湯気はさっきよりもやや控えめになっているが、香りはむしろ落ち着きを増している。
焚き火の薪がぱちりと弾ける音。草むらのどこかでカサ、と鳴る小さな気配。虫の羽音も、妙に心地いい。
「……ふぅ」
タバコにもう一度火を入れる。指先に巻いた手製の葉巻は、焚き火と同じスモーキーな香りを纏って、深く肺に染み込んでいった。
この時間がいいんだ。
誰もいない。誰にも話しかけられない。
仕事も、世間も、義務も、思い出す必要すらない。
「――これが、俺の贅沢だってんだろ」
口の端が自然と緩む。別に楽しいわけじゃない。ただ、自分で納得のいく時間を、自分の意志で過ごしてるというだけの、妙な満足感。
あのエルフ、また来るかもしれないな。
コーヒーもタバコも、一度気に入ったら、ああいう種族はわりと真面目にハマる傾向がある。来なきゃ来ないで構わない。来たら、まあ、一杯くらい出してやる。
「さて……」
タバコを灰皿代わりの小さな石皿に押しつけると、少し体を倒して、ブランケットを足に掛けた。
体温がほどよく保たれると、だんだんとまぶたが重くなる。
「このまま……寝るか。なんも考えず、ただ火を見て……」
夜風がひと吹き、頬を撫でた。
焚き火の中に、赤い芯だけが残っていた。
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
あなたにおすすめの小説
おばさんは、ひっそり暮らしたい
蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
神様の手違いで異世界転生した俺の魅了チートが、勇者のハーレムを根こそぎ奪って溺愛ハーレム作りました!
まさき
恋愛
ブラック企業で働き続けた俺が過労で倒れ、気づけば異世界に転生していた。
「手違いでごめんなさい」と神様に言われ、お詫びに貰ったのは【魅了】スキル——でも俺には使ってる自覚がない。
ただ普通に生きてるだけなのに、気づけばエルフが隣で微笑んでいる。
獣人族が耳を赤くしてついてくる。元魔王の娘が手料理を持ってくる。
そして10年かけてハーレムを作った勇者が、なぜか仲間を全員失っていく。
「手違い転生者に何故負けるんだああ!?」
社畜だった俺の、異世界溺愛ハーレム生活——ざまぁあり、甘々あり、笑いあり。
1話完結のオムニバス形式でお届けします!
【完結】転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~
きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。
前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。
スマホアプリで衣食住確保の異世界スローライフ 〜面倒なことは避けたいのに怖いものなしのスライムと弱気なドラゴンと一緒だとそうもいかず〜
もーりんもも
ファンタジー
命より大事なスマホを拾おうとして命を落とした俺、武田義経。
ああ死んだと思った瞬間、俺はスマホの神様に祈った。スマホのために命を落としたんだから、お慈悲を!
目を開けると、俺は異世界に救世主として召喚されていた。それなのに俺のステータスは平均よりやや上といった程度。
スキル欄には見覚えのある虫眼鏡アイコンが。だが異世界人にはただの丸印に見えたらしい。
何やら漂う失望感。結局、救世主ではなく、ただの用無しと認定され、宮殿の使用人という身分に。
やれやれ。スキル欄の虫眼鏡をタップすると検索バーが出た。
「ご飯」と検索すると、見慣れたアプリがずらずらと! アプリがダウンロードできるんだ!
ヤバくない? 不便な異世界だけど、楽してダラダラ生きていこう――そう思っていた矢先、命を狙われ国を出ることに。
ひょんなことから知り合った老婆のお陰でなんとか逃げ出したけど、気がつけば、いつの間にかスライムやらドラゴンやらに囲まれて、どんどん不本意な方向へ……。
2025/04/04-06 HOTランキング1位をいただきました! 応援ありがとうございます!
※AI学習禁止・無断転載禁止・無断翻訳禁止・無断朗読禁止
勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
ダンジョンを拾ったので、スキル〈ホームセンター〉で好き勝手リフォームします
ランド犬
ファンタジー
異世界に転移した佐々木悠人は、召喚でも勇者でもなかった。ただ迷い込んだ先で見つけたのは、王都を望む郊外にひっそりと口を開けるダンジョン。足を踏み入れた瞬間、発動したスキルは
――〈ホームセンター〉
壁を張り替え、部屋を増やし、畑や牧場、カフェまで作れる不可思議な力だった。
気ままに始めたリフォームは、もふもふなネコミミ獣人の少女との出会いをきっかけに、思わぬ変化を呼び始める。
拡張され続けるダンジョンの先で、悠人が作り上げる“住める迷宮”とは――?