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第5章 おじさんと農業
第88話
「お、芽が出てるな」
しゃがみ込み、指先でそっと土を払うと、小さな新芽が顔を出していた。まだまだ細く頼りないが、色合いといい、茎の張りといい、申し分ない。
数日前に植えた“香り強化型ハーブ”。
見た目はバジルに近いが、葉に触れただけで指先に甘くスモーキーな香りが移る。
焙煎したコーヒー豆と合わせれば、どんなアロマを引き出せるか──想像するだけで楽しくなる。
「これでまた、ひとつ選択肢が増える」
独り言を洩らして、俺は腰を上げた。
この畑──いや、“実験区画”は、表から見えにくい店の裏手、屋敷と崖の間にある。
通りすがりの村人からも目につかない立地。俺の生活にはちょうどいい。
「客が増えるのも、噂が広がるのも、悪いことじゃないんだが……」
煙草をくわえながら、手入れ用の小鍬を肩に担ぐ。
だが、俺が本当に求めているのは、“他人の感動”じゃなく“自分の納得”だ。
誰が誉めようと貶そうと、満足できるかどうかは自分の舌次第。
この世界に来てから、それは変わっていない。
* * *
「レンジさん、なんか最近香りが変わりました?」
昼の営業が一段落した頃、常連の若い冒険者が首をかしげながら言った。
彼が頼んだのは、店で定番化しつつある深煎りタイプ──だが、今日はそこに新しい要素を一滴だけ加えてある。
「何が違うか、分かるか?」
「えっと……前より香りが“丸い”というか……あと、鼻に残る甘さが増してる気がします。間違ってます?」
「……正解だよ。よく分かったな」
一応、言葉にして返したが、表情は崩さない。
この手の変化に気づく奴は、実はかなり少ない。だがそれでいい。
万人に受ける味なんて、面白くもなんともない。
「また来ていいですか?」
「来るなとは言ってない」
肩をすくめると、彼は笑って店を出ていった。
入れ替わりで、村の若い女の子が入ってくる。こちらも定番の“まろやかミルクブレンド”狙いだろう。
ハーブの葉を一枚だけ、指でちぎってカップのふちに添えた。
熱気で香りが立ち上がり、彼女の目がぱっと見開かれる。
──自分の育てたものが、誰かの感覚を変える。
それ自体は悪くない。ただし、それを“他人にどう思われるか”という方向には絶対に転がさない。
* * *
夕方。煙草をくゆらせながら、畑の周囲を一周する。
育てているのは、数種類のコーヒー強化素材、焙煎補助材、香り用の果実や葉、吸引時の後味調整用ハーブなど──
用途はすべて“俺の一服”と“俺の一杯”のため。
「ふー……やっぱ、こいつが一番だな」
一服した煙が、鼻腔から脳髄を撫でる。
今日のブレンドは、自作の葉に加えて、実験中の花の乾燥片を練り込んだ試作品。
燃焼温度、香りの広がり、後味の変化。完璧とまではいかないが、ひとまず合格点だ。
採取→乾燥→加工→試喫という、完全に自分の中だけで閉じた“スモークライフ”。
誰にも頼らず、誰の評価も必要とせず、自分の嗜好に忠実でいる。
この自由こそが、俺の最高の贅沢だ。
「さて……明日は、葉の向きを調整してみるか。午前の光をもっと受けるようにな」
独り言を洩らしながら、畑の囲いを点検する。
今日も、誰も入っていない。侵入の形跡もない。
理想的な“実験環境”だ。
しゃがみ込み、指先でそっと土を払うと、小さな新芽が顔を出していた。まだまだ細く頼りないが、色合いといい、茎の張りといい、申し分ない。
数日前に植えた“香り強化型ハーブ”。
見た目はバジルに近いが、葉に触れただけで指先に甘くスモーキーな香りが移る。
焙煎したコーヒー豆と合わせれば、どんなアロマを引き出せるか──想像するだけで楽しくなる。
「これでまた、ひとつ選択肢が増える」
独り言を洩らして、俺は腰を上げた。
この畑──いや、“実験区画”は、表から見えにくい店の裏手、屋敷と崖の間にある。
通りすがりの村人からも目につかない立地。俺の生活にはちょうどいい。
「客が増えるのも、噂が広がるのも、悪いことじゃないんだが……」
煙草をくわえながら、手入れ用の小鍬を肩に担ぐ。
だが、俺が本当に求めているのは、“他人の感動”じゃなく“自分の納得”だ。
誰が誉めようと貶そうと、満足できるかどうかは自分の舌次第。
この世界に来てから、それは変わっていない。
* * *
「レンジさん、なんか最近香りが変わりました?」
昼の営業が一段落した頃、常連の若い冒険者が首をかしげながら言った。
彼が頼んだのは、店で定番化しつつある深煎りタイプ──だが、今日はそこに新しい要素を一滴だけ加えてある。
「何が違うか、分かるか?」
「えっと……前より香りが“丸い”というか……あと、鼻に残る甘さが増してる気がします。間違ってます?」
「……正解だよ。よく分かったな」
一応、言葉にして返したが、表情は崩さない。
この手の変化に気づく奴は、実はかなり少ない。だがそれでいい。
万人に受ける味なんて、面白くもなんともない。
「また来ていいですか?」
「来るなとは言ってない」
肩をすくめると、彼は笑って店を出ていった。
入れ替わりで、村の若い女の子が入ってくる。こちらも定番の“まろやかミルクブレンド”狙いだろう。
ハーブの葉を一枚だけ、指でちぎってカップのふちに添えた。
熱気で香りが立ち上がり、彼女の目がぱっと見開かれる。
──自分の育てたものが、誰かの感覚を変える。
それ自体は悪くない。ただし、それを“他人にどう思われるか”という方向には絶対に転がさない。
* * *
夕方。煙草をくゆらせながら、畑の周囲を一周する。
育てているのは、数種類のコーヒー強化素材、焙煎補助材、香り用の果実や葉、吸引時の後味調整用ハーブなど──
用途はすべて“俺の一服”と“俺の一杯”のため。
「ふー……やっぱ、こいつが一番だな」
一服した煙が、鼻腔から脳髄を撫でる。
今日のブレンドは、自作の葉に加えて、実験中の花の乾燥片を練り込んだ試作品。
燃焼温度、香りの広がり、後味の変化。完璧とまではいかないが、ひとまず合格点だ。
採取→乾燥→加工→試喫という、完全に自分の中だけで閉じた“スモークライフ”。
誰にも頼らず、誰の評価も必要とせず、自分の嗜好に忠実でいる。
この自由こそが、俺の最高の贅沢だ。
「さて……明日は、葉の向きを調整してみるか。午前の光をもっと受けるようにな」
独り言を洩らしながら、畑の囲いを点検する。
今日も、誰も入っていない。侵入の形跡もない。
理想的な“実験環境”だ。
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