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第11章 おじさんと壊れたリュート
第151話
朝が来た。特別なことは何もない、いつも通りの朝だ。目を覚まし、煙草に火をつけて一服。
少し冷えた空気が肺に入ってくる感覚が悪くない。珈琲を淹れる準備をしながら、いつもより少しだけ目線を横にずらすと、昨日置いたリュートが視界に入る。
特に意味はない。ただ目に入ったというだけだ。けれど、視界の片隅にあるだけで、どこか気になって仕方ない。道具というのは、手を入れた瞬間から持ち主に馴染んでくるものだ。それが楽器でも、鍋でも、鉈でもな。
珈琲が湯気を上げた。カップに注ぎ、一口。苦味の中に酸味、香りもきちんと立っている。何も問題はない。今日の出来も完璧だ。
「……さて」
俺はリュートを手に取った。毎朝の流れに、この行動が自然に組み込まれるようになっていることに、自分でも少しだけ驚く。興味があるわけじゃない。趣味にしたつもりもない。ただ、朝のこの時間に、珈琲と煙草の隣にリュートがある。それだけだ。
膝に乗せて、指を置き、軽く弦を弾く。音が響く。澄んでいる。手を入れた分だけ、音は素直になっている。強くも、弱くもなく、俺が出したいと思った音が、ほぼそのまま返ってくる。それが、なんとも言えない手応えになっていた。
リズムを取る。短く、単純なパターンで。右手の指が自然に動き、音を生む。左手は弦を押さえ、音程を変えていく。考えなくても、指が勝手に次の位置へと移っていく。こういうとき、俺は何も考えない。ただ音が鳴る、それだけを聞いている。
ああ、なるほど──音というのは、思っていたよりも邪魔にならないもんだな。
ふとそんなことを思った。
珈琲の香りが鼻をくすぐる。煙草の灰が、灰皿の中で微かに崩れる音がした。そこに、リュートの音が重なる。
悪くない組み合わせだ。
音にも、香りにも、余計なものはいらない。必要なのは、ちょうど良い加減と、濁らせない手入れだけだ。俺が淹れる珈琲も、巻く煙草も、余計な味は排除している。だからうまい。
リュートも同じだ。凝った演奏なんて必要ない。ただ、自分の指が生み出すリズムと、響く音。それで十分。
三つの要素──珈琲、煙草、リュート。今、目の前に全部揃っている。
ああ、やっぱり俺は、これでいいんだな。
リュートを弾きながら、もう一口珈琲を飲んだ。苦味と香りが口の中に広がり、リュートの音がそれに重なるように響く。意識して演奏しているつもりはないのに、自然と音が続いていく。
途中、煙草に手を伸ばし、火をつける。吸い込む煙と一緒に、音の響きが肺の奥に染みる気がした。
この音に何か意味があるわけじゃない。感情を込めているわけでもない。ただ、心地よい。誰に聴かせるでもなく、誰のためでもない。ただ俺のために、俺の指が音を鳴らしている。それが妙にしっくり来た。
珈琲の湯気が立ちのぼるなかで、弦を撫で続ける。朝の空気、珈琲の香り、煙草の煙、リュートの音。その全てが混ざり合って、店の中を満たしていく。
俺は演奏を止めた。音が途切れる。代わりに、煙がゆっくりと上昇していくのが目に入る。
ふう、と息をついた。
そして、カウンターに戻って椅子に腰掛けた。
「……結局、これで十分だ」
少し冷えた空気が肺に入ってくる感覚が悪くない。珈琲を淹れる準備をしながら、いつもより少しだけ目線を横にずらすと、昨日置いたリュートが視界に入る。
特に意味はない。ただ目に入ったというだけだ。けれど、視界の片隅にあるだけで、どこか気になって仕方ない。道具というのは、手を入れた瞬間から持ち主に馴染んでくるものだ。それが楽器でも、鍋でも、鉈でもな。
珈琲が湯気を上げた。カップに注ぎ、一口。苦味の中に酸味、香りもきちんと立っている。何も問題はない。今日の出来も完璧だ。
「……さて」
俺はリュートを手に取った。毎朝の流れに、この行動が自然に組み込まれるようになっていることに、自分でも少しだけ驚く。興味があるわけじゃない。趣味にしたつもりもない。ただ、朝のこの時間に、珈琲と煙草の隣にリュートがある。それだけだ。
膝に乗せて、指を置き、軽く弦を弾く。音が響く。澄んでいる。手を入れた分だけ、音は素直になっている。強くも、弱くもなく、俺が出したいと思った音が、ほぼそのまま返ってくる。それが、なんとも言えない手応えになっていた。
リズムを取る。短く、単純なパターンで。右手の指が自然に動き、音を生む。左手は弦を押さえ、音程を変えていく。考えなくても、指が勝手に次の位置へと移っていく。こういうとき、俺は何も考えない。ただ音が鳴る、それだけを聞いている。
ああ、なるほど──音というのは、思っていたよりも邪魔にならないもんだな。
ふとそんなことを思った。
珈琲の香りが鼻をくすぐる。煙草の灰が、灰皿の中で微かに崩れる音がした。そこに、リュートの音が重なる。
悪くない組み合わせだ。
音にも、香りにも、余計なものはいらない。必要なのは、ちょうど良い加減と、濁らせない手入れだけだ。俺が淹れる珈琲も、巻く煙草も、余計な味は排除している。だからうまい。
リュートも同じだ。凝った演奏なんて必要ない。ただ、自分の指が生み出すリズムと、響く音。それで十分。
三つの要素──珈琲、煙草、リュート。今、目の前に全部揃っている。
ああ、やっぱり俺は、これでいいんだな。
リュートを弾きながら、もう一口珈琲を飲んだ。苦味と香りが口の中に広がり、リュートの音がそれに重なるように響く。意識して演奏しているつもりはないのに、自然と音が続いていく。
途中、煙草に手を伸ばし、火をつける。吸い込む煙と一緒に、音の響きが肺の奥に染みる気がした。
この音に何か意味があるわけじゃない。感情を込めているわけでもない。ただ、心地よい。誰に聴かせるでもなく、誰のためでもない。ただ俺のために、俺の指が音を鳴らしている。それが妙にしっくり来た。
珈琲の湯気が立ちのぼるなかで、弦を撫で続ける。朝の空気、珈琲の香り、煙草の煙、リュートの音。その全てが混ざり合って、店の中を満たしていく。
俺は演奏を止めた。音が途切れる。代わりに、煙がゆっくりと上昇していくのが目に入る。
ふう、と息をついた。
そして、カウンターに戻って椅子に腰掛けた。
「……結局、これで十分だ」
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