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第15章 おじさんと静寂
第194話
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しばらく何もせずにいた。
火も落としてある。煙草の火も、珈琲の湯気も、すっかり静まり返ったまま、俺はただ、椅子に深く腰を沈めていた。
静寂というのは、自然と向き合うんじゃなく、自分と向き合う行為に近い。
「……さて」
と、小さく呟いて、足を組み直す。
床の感触を確かめるように踵で軽く押し、呼吸をひとつ深くした。
目は閉じない。ただ視点をぼやかす。
椅子に座ったまま、肩の力を抜いて、背筋だけは整える。
変に力んでは駄目だ。かといって、寝てしまうような脱力でもない。
意識の輪郭を狭める。
音が消える。
風が消える。
光すら、視界の端で霧のように滲んでいく。
「…………」
自分の呼吸だけが、遠くで響いているように聞こえた。
一つ、二つ、三つ。
数える必要はない。だが、自然と呼吸に回数が乗ってくる。
吸って、止めて、吐く。
そのたびに、頭の中の雑音が一つ、また一つと落ちていく。
前世の記憶、仕事のこと、街の喧騒、村の声、あらゆる思考の切れ端が、水面の泡みたいに消えていく。
「……悪くない」
声にならない声が、胸の奥でほどけた。
何も考えない状態というのは、意識して目指すとむしろ遠ざかる。
だが、何か一つの感覚に集中していると、ふとした瞬間にたどり着ける。
今の俺は、まさにそこにいた。
耳元で風が通る。だが、気にならない。
空気の震えが皮膚を撫でる。それすらも、自分の感覚の延長だ。
俺はただ、ここにいて、ここに在るという事実だけを感じていた。
そこには意味も価値もない。ただ、そうしていること自体が完結している。
煙草に火をつける。
動作は一切変わらない。
炎が揺れて、紙が焦げて、葉が燃える。
その香りが肺に入り、脳をくすぐる。
ゆっくりと煙を吐き出す。
空気に溶けるように、紫煙が広がっていく。
その軌道すら、思考の一部のように感じられた。
煙の動きに視線を合わせて、ただ眺める。
余計な意味付けを排除して、純粋な現象として捉える。
火の粒、空気の揺れ、温度差による昇り。
全部、理屈じゃなく、肌で理解する。
「……ふう」
再び深く呼吸し、肩がわずかに落ちた。
椅子の背もたれに身を預けて、首筋に風が当たるのを感じる。
それすらも、心地いい。
煙草を灰皿に落とし、指をひと撫でする。
動作は遅く、滑らかに。
動きにノイズを混ぜないこと。
そうすると、心の流れまで整理されていく。
今度は目を閉じる。
完全に、視覚を遮断する。
耳に入るのは、微かな木の軋み。
遠くで小枝が落ちた音。湖の水が揺れた気配。
すべてが、意識の外から流れ込んでくる。
それを受け入れつつ、自分の中心だけは動かさない。
そのバランスを保つことが、静かに座るという行為の本質だ。
「……このまま、どこまで行けるかだな」
独り言のように口が動いたが、言葉の意味はない。
意識が深く沈んでいく。
底があるようで、ない。
光があるようで、暗い。
温度があるようで、無である。
そこには、なにもない。
だからこそ、心地いい。
自分自身すら、輪郭がぼやけていく。
ふと、目を開けた。
感覚が現実に引き戻される。
風が強くなっていた。
木の葉が舞い、光が少しずつ角度を変えていた。
どれだけの時間が過ぎたのかはわからない。
だが、体の内側が確かに軽くなっていた。
思考の澱が削ぎ落とされ、脳が深呼吸したような感覚。
「……十分だ」
俺は立ち上がり、煙草の葉をもう一度巻くことにした。
今なら、香りのわずかな違いも、鮮やかに感じられる気がしたからだ。
火も落としてある。煙草の火も、珈琲の湯気も、すっかり静まり返ったまま、俺はただ、椅子に深く腰を沈めていた。
静寂というのは、自然と向き合うんじゃなく、自分と向き合う行為に近い。
「……さて」
と、小さく呟いて、足を組み直す。
床の感触を確かめるように踵で軽く押し、呼吸をひとつ深くした。
目は閉じない。ただ視点をぼやかす。
椅子に座ったまま、肩の力を抜いて、背筋だけは整える。
変に力んでは駄目だ。かといって、寝てしまうような脱力でもない。
意識の輪郭を狭める。
音が消える。
風が消える。
光すら、視界の端で霧のように滲んでいく。
「…………」
自分の呼吸だけが、遠くで響いているように聞こえた。
一つ、二つ、三つ。
数える必要はない。だが、自然と呼吸に回数が乗ってくる。
吸って、止めて、吐く。
そのたびに、頭の中の雑音が一つ、また一つと落ちていく。
前世の記憶、仕事のこと、街の喧騒、村の声、あらゆる思考の切れ端が、水面の泡みたいに消えていく。
「……悪くない」
声にならない声が、胸の奥でほどけた。
何も考えない状態というのは、意識して目指すとむしろ遠ざかる。
だが、何か一つの感覚に集中していると、ふとした瞬間にたどり着ける。
今の俺は、まさにそこにいた。
耳元で風が通る。だが、気にならない。
空気の震えが皮膚を撫でる。それすらも、自分の感覚の延長だ。
俺はただ、ここにいて、ここに在るという事実だけを感じていた。
そこには意味も価値もない。ただ、そうしていること自体が完結している。
煙草に火をつける。
動作は一切変わらない。
炎が揺れて、紙が焦げて、葉が燃える。
その香りが肺に入り、脳をくすぐる。
ゆっくりと煙を吐き出す。
空気に溶けるように、紫煙が広がっていく。
その軌道すら、思考の一部のように感じられた。
煙の動きに視線を合わせて、ただ眺める。
余計な意味付けを排除して、純粋な現象として捉える。
火の粒、空気の揺れ、温度差による昇り。
全部、理屈じゃなく、肌で理解する。
「……ふう」
再び深く呼吸し、肩がわずかに落ちた。
椅子の背もたれに身を預けて、首筋に風が当たるのを感じる。
それすらも、心地いい。
煙草を灰皿に落とし、指をひと撫でする。
動作は遅く、滑らかに。
動きにノイズを混ぜないこと。
そうすると、心の流れまで整理されていく。
今度は目を閉じる。
完全に、視覚を遮断する。
耳に入るのは、微かな木の軋み。
遠くで小枝が落ちた音。湖の水が揺れた気配。
すべてが、意識の外から流れ込んでくる。
それを受け入れつつ、自分の中心だけは動かさない。
そのバランスを保つことが、静かに座るという行為の本質だ。
「……このまま、どこまで行けるかだな」
独り言のように口が動いたが、言葉の意味はない。
意識が深く沈んでいく。
底があるようで、ない。
光があるようで、暗い。
温度があるようで、無である。
そこには、なにもない。
だからこそ、心地いい。
自分自身すら、輪郭がぼやけていく。
ふと、目を開けた。
感覚が現実に引き戻される。
風が強くなっていた。
木の葉が舞い、光が少しずつ角度を変えていた。
どれだけの時間が過ぎたのかはわからない。
だが、体の内側が確かに軽くなっていた。
思考の澱が削ぎ落とされ、脳が深呼吸したような感覚。
「……十分だ」
俺は立ち上がり、煙草の葉をもう一度巻くことにした。
今なら、香りのわずかな違いも、鮮やかに感じられる気がしたからだ。
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