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第18章 おじさんとじいさん
第230話
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深夜の騒ぎが収まったあと、じいさんは焚き火の残り香のように静かに店の椅子へ腰を下ろした。
誰も傷つかなかった。村人たちは何も知らずに眠っている。
それでも、じいさんは煙草に火をつける手を、わずかに震わせていた。
「……あの子らに、戦の影なんぞ見せとうなかったのう」
くぐもった声だった。
火花のような一瞬の出来事だったが、それでも“何かがあった”という重さは、じいさんの背中に残っていた。
「お前が止めなければ、もっと荒れてた」
俺が言うと、じいさんは短く息を吐いた。
「わしが、もう少し若ければのう……」
「だったら、やれ」
「……なにをじゃ」
「整えろ。まだまだ現役だろ、爺さん」
そう言って、俺は棚の奥から、小さな黒の陶器カップを取り出した。
注がれていたのは、特製のブレンド。深いローストに、細かく刻んだ古木の樹脂と、異界の葉のエッセンスを混ぜ込んだもの。
生成の瞬間から湯気が立ち、空気がわずかに震える。
「これは……」
「病、老化、負傷、ぜんぶ整う。だけど、寿命は変わらない」
じいさんは黙って、それを受け取った。
手に持った瞬間、煙草よりも深い香りが、掌を包んだ。
「……これは、薬ではないのう」
「嗜好品だ。飲みたいなら飲め。飲みたくないなら置いてけ」
「ふむ。ならば、ありがたく」
じいさんはカップを持ち上げ、鼻先で香りを嗅いだ。目を細め、そして一口、静かに啜った。
瞬間──空気が変わった。
皮膚がひとつひとつ、内側から張りを取り戻すように震えた。
深く刻まれていた目元の皺が、波紋のように薄れていく。
指先の節が伸び、血色が戻る。背筋が真っ直ぐに立ち、まるで骨格そのものが蘇ったようだった。
そして、何より──目の光が変わった。
澄みきった硝子玉のような光彩。若き日の気迫をそのままに秘めている。
じいさんは自らの手を見つめ、何度か拳を開いたり閉じたりして言った。
「……おぉ……指が震えておらん」
「それだけじゃない」
「魔法陣が、歪まぬ……線が、正しく引ける。これが……」
言いながら、じいさんは椅子から立ち上がった。
その動きに、迷いがなかった。重さも痛みもない。
足取りは軽く、まるで二十年、いや三十年若返ったかのようだった。
「どうだ」
俺が聞くと、じいさんはにやりと笑った。
「……これは、いかん。魔法が、使いたくてうずく」
「なら使えばいい。戦うためじゃなく、護るために」
「ふむ。昔は、守るふりをして壊しておったが……今は、そうではないのう」
「お前は十分、壊してきた。今度は、築け」
「ならば、やってみようか」
じいさんは杖をひょいと掲げた。
杖の先から、小さな光が浮かび、ゆっくりと空に溶けていく。
「……それにしても、この珈琲、罪じゃぞ」
「そうか?」
「身体が若返るだけでなく、心まで目覚める。まるで、忘れていた情熱が戻ってくるようじゃ」
「だから、嗜好品だって言ったろ」
「ふむ。ならば、癖になりそうじゃ」
「一杯しか出してない」
「そうか。では、丁寧に味わわねばな」
カップの底には、わずかに香りが残っていた。
じいさんはそれを、名残惜しむように指先でなぞった。
「この指で、もう一度、真円が引ける……いや、これなら、十重の詠唱陣すら再構築できるかもしれん」
「その気になれば、だな」
「……なったよ、レンジ」
「それはよかった」
じいさんは再び煙草を取り出した。指先の動きは、以前とは違う。無駄がなく、滑らかだ。
「煙が澄んでおるのう。頭が、妙に冴えている」
「そういうブレンドにした」
「お主という男は……まったく、ただの店主ではないな」
「俺は、ただコーヒーを淹れてるだけだ」
「それで人を目覚めさせる。こりゃ、立派な魔導行為じゃ」
「なら、俺は魔導士ってことか?」
「店主にして、魔導士。ま、名刺に書くには長いのう」
「書く気もない」
ふたりで煙を吐く。夜の空は明けかけていた。
じいさんはもう、老いた影を纏っていなかった。
ただ、ひとりの男として──立っていた。
誰も傷つかなかった。村人たちは何も知らずに眠っている。
それでも、じいさんは煙草に火をつける手を、わずかに震わせていた。
「……あの子らに、戦の影なんぞ見せとうなかったのう」
くぐもった声だった。
火花のような一瞬の出来事だったが、それでも“何かがあった”という重さは、じいさんの背中に残っていた。
「お前が止めなければ、もっと荒れてた」
俺が言うと、じいさんは短く息を吐いた。
「わしが、もう少し若ければのう……」
「だったら、やれ」
「……なにをじゃ」
「整えろ。まだまだ現役だろ、爺さん」
そう言って、俺は棚の奥から、小さな黒の陶器カップを取り出した。
注がれていたのは、特製のブレンド。深いローストに、細かく刻んだ古木の樹脂と、異界の葉のエッセンスを混ぜ込んだもの。
生成の瞬間から湯気が立ち、空気がわずかに震える。
「これは……」
「病、老化、負傷、ぜんぶ整う。だけど、寿命は変わらない」
じいさんは黙って、それを受け取った。
手に持った瞬間、煙草よりも深い香りが、掌を包んだ。
「……これは、薬ではないのう」
「嗜好品だ。飲みたいなら飲め。飲みたくないなら置いてけ」
「ふむ。ならば、ありがたく」
じいさんはカップを持ち上げ、鼻先で香りを嗅いだ。目を細め、そして一口、静かに啜った。
瞬間──空気が変わった。
皮膚がひとつひとつ、内側から張りを取り戻すように震えた。
深く刻まれていた目元の皺が、波紋のように薄れていく。
指先の節が伸び、血色が戻る。背筋が真っ直ぐに立ち、まるで骨格そのものが蘇ったようだった。
そして、何より──目の光が変わった。
澄みきった硝子玉のような光彩。若き日の気迫をそのままに秘めている。
じいさんは自らの手を見つめ、何度か拳を開いたり閉じたりして言った。
「……おぉ……指が震えておらん」
「それだけじゃない」
「魔法陣が、歪まぬ……線が、正しく引ける。これが……」
言いながら、じいさんは椅子から立ち上がった。
その動きに、迷いがなかった。重さも痛みもない。
足取りは軽く、まるで二十年、いや三十年若返ったかのようだった。
「どうだ」
俺が聞くと、じいさんはにやりと笑った。
「……これは、いかん。魔法が、使いたくてうずく」
「なら使えばいい。戦うためじゃなく、護るために」
「ふむ。昔は、守るふりをして壊しておったが……今は、そうではないのう」
「お前は十分、壊してきた。今度は、築け」
「ならば、やってみようか」
じいさんは杖をひょいと掲げた。
杖の先から、小さな光が浮かび、ゆっくりと空に溶けていく。
「……それにしても、この珈琲、罪じゃぞ」
「そうか?」
「身体が若返るだけでなく、心まで目覚める。まるで、忘れていた情熱が戻ってくるようじゃ」
「だから、嗜好品だって言ったろ」
「ふむ。ならば、癖になりそうじゃ」
「一杯しか出してない」
「そうか。では、丁寧に味わわねばな」
カップの底には、わずかに香りが残っていた。
じいさんはそれを、名残惜しむように指先でなぞった。
「この指で、もう一度、真円が引ける……いや、これなら、十重の詠唱陣すら再構築できるかもしれん」
「その気になれば、だな」
「……なったよ、レンジ」
「それはよかった」
じいさんは再び煙草を取り出した。指先の動きは、以前とは違う。無駄がなく、滑らかだ。
「煙が澄んでおるのう。頭が、妙に冴えている」
「そういうブレンドにした」
「お主という男は……まったく、ただの店主ではないな」
「俺は、ただコーヒーを淹れてるだけだ」
「それで人を目覚めさせる。こりゃ、立派な魔導行為じゃ」
「なら、俺は魔導士ってことか?」
「店主にして、魔導士。ま、名刺に書くには長いのう」
「書く気もない」
ふたりで煙を吐く。夜の空は明けかけていた。
じいさんはもう、老いた影を纏っていなかった。
ただ、ひとりの男として──立っていた。
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