229 / 243
第18章 おじさんとじいさん
第230話
深夜の騒ぎが収まったあと、じいさんは焚き火の残り香のように静かに店の椅子へ腰を下ろした。
誰も傷つかなかった。村人たちは何も知らずに眠っている。
それでも、じいさんは煙草に火をつける手を、わずかに震わせていた。
「……あの子らに、戦の影なんぞ見せとうなかったのう」
くぐもった声だった。
火花のような一瞬の出来事だったが、それでも“何かがあった”という重さは、じいさんの背中に残っていた。
「お前が止めなければ、もっと荒れてた」
俺が言うと、じいさんは短く息を吐いた。
「わしが、もう少し若ければのう……」
「だったら、やれ」
「……なにをじゃ」
「整えろ。まだまだ現役だろ、爺さん」
そう言って、俺は棚の奥から、小さな黒の陶器カップを取り出した。
注がれていたのは、特製のブレンド。深いローストに、細かく刻んだ古木の樹脂と、異界の葉のエッセンスを混ぜ込んだもの。
生成の瞬間から湯気が立ち、空気がわずかに震える。
「これは……」
「病、老化、負傷、ぜんぶ整う。だけど、寿命は変わらない」
じいさんは黙って、それを受け取った。
手に持った瞬間、煙草よりも深い香りが、掌を包んだ。
「……これは、薬ではないのう」
「嗜好品だ。飲みたいなら飲め。飲みたくないなら置いてけ」
「ふむ。ならば、ありがたく」
じいさんはカップを持ち上げ、鼻先で香りを嗅いだ。目を細め、そして一口、静かに啜った。
瞬間──空気が変わった。
皮膚がひとつひとつ、内側から張りを取り戻すように震えた。
深く刻まれていた目元の皺が、波紋のように薄れていく。
指先の節が伸び、血色が戻る。背筋が真っ直ぐに立ち、まるで骨格そのものが蘇ったようだった。
そして、何より──目の光が変わった。
澄みきった硝子玉のような光彩。若き日の気迫をそのままに秘めている。
じいさんは自らの手を見つめ、何度か拳を開いたり閉じたりして言った。
「……おぉ……指が震えておらん」
「それだけじゃない」
「魔法陣が、歪まぬ……線が、正しく引ける。これが……」
言いながら、じいさんは椅子から立ち上がった。
その動きに、迷いがなかった。重さも痛みもない。
足取りは軽く、まるで二十年、いや三十年若返ったかのようだった。
「どうだ」
俺が聞くと、じいさんはにやりと笑った。
「……これは、いかん。魔法が、使いたくてうずく」
「なら使えばいい。戦うためじゃなく、護るために」
「ふむ。昔は、守るふりをして壊しておったが……今は、そうではないのう」
「お前は十分、壊してきた。今度は、築け」
「ならば、やってみようか」
じいさんは杖をひょいと掲げた。
杖の先から、小さな光が浮かび、ゆっくりと空に溶けていく。
「……それにしても、この珈琲、罪じゃぞ」
「そうか?」
「身体が若返るだけでなく、心まで目覚める。まるで、忘れていた情熱が戻ってくるようじゃ」
「だから、嗜好品だって言ったろ」
「ふむ。ならば、癖になりそうじゃ」
「一杯しか出してない」
「そうか。では、丁寧に味わわねばな」
カップの底には、わずかに香りが残っていた。
じいさんはそれを、名残惜しむように指先でなぞった。
「この指で、もう一度、真円が引ける……いや、これなら、十重の詠唱陣すら再構築できるかもしれん」
「その気になれば、だな」
「……なったよ、レンジ」
「それはよかった」
じいさんは再び煙草を取り出した。指先の動きは、以前とは違う。無駄がなく、滑らかだ。
「煙が澄んでおるのう。頭が、妙に冴えている」
「そういうブレンドにした」
「お主という男は……まったく、ただの店主ではないな」
「俺は、ただコーヒーを淹れてるだけだ」
「それで人を目覚めさせる。こりゃ、立派な魔導行為じゃ」
「なら、俺は魔導士ってことか?」
「店主にして、魔導士。ま、名刺に書くには長いのう」
「書く気もない」
ふたりで煙を吐く。夜の空は明けかけていた。
じいさんはもう、老いた影を纏っていなかった。
ただ、ひとりの男として──立っていた。
誰も傷つかなかった。村人たちは何も知らずに眠っている。
それでも、じいさんは煙草に火をつける手を、わずかに震わせていた。
「……あの子らに、戦の影なんぞ見せとうなかったのう」
くぐもった声だった。
火花のような一瞬の出来事だったが、それでも“何かがあった”という重さは、じいさんの背中に残っていた。
「お前が止めなければ、もっと荒れてた」
俺が言うと、じいさんは短く息を吐いた。
「わしが、もう少し若ければのう……」
「だったら、やれ」
「……なにをじゃ」
「整えろ。まだまだ現役だろ、爺さん」
そう言って、俺は棚の奥から、小さな黒の陶器カップを取り出した。
注がれていたのは、特製のブレンド。深いローストに、細かく刻んだ古木の樹脂と、異界の葉のエッセンスを混ぜ込んだもの。
生成の瞬間から湯気が立ち、空気がわずかに震える。
「これは……」
「病、老化、負傷、ぜんぶ整う。だけど、寿命は変わらない」
じいさんは黙って、それを受け取った。
手に持った瞬間、煙草よりも深い香りが、掌を包んだ。
「……これは、薬ではないのう」
「嗜好品だ。飲みたいなら飲め。飲みたくないなら置いてけ」
「ふむ。ならば、ありがたく」
じいさんはカップを持ち上げ、鼻先で香りを嗅いだ。目を細め、そして一口、静かに啜った。
瞬間──空気が変わった。
皮膚がひとつひとつ、内側から張りを取り戻すように震えた。
深く刻まれていた目元の皺が、波紋のように薄れていく。
指先の節が伸び、血色が戻る。背筋が真っ直ぐに立ち、まるで骨格そのものが蘇ったようだった。
そして、何より──目の光が変わった。
澄みきった硝子玉のような光彩。若き日の気迫をそのままに秘めている。
じいさんは自らの手を見つめ、何度か拳を開いたり閉じたりして言った。
「……おぉ……指が震えておらん」
「それだけじゃない」
「魔法陣が、歪まぬ……線が、正しく引ける。これが……」
言いながら、じいさんは椅子から立ち上がった。
その動きに、迷いがなかった。重さも痛みもない。
足取りは軽く、まるで二十年、いや三十年若返ったかのようだった。
「どうだ」
俺が聞くと、じいさんはにやりと笑った。
「……これは、いかん。魔法が、使いたくてうずく」
「なら使えばいい。戦うためじゃなく、護るために」
「ふむ。昔は、守るふりをして壊しておったが……今は、そうではないのう」
「お前は十分、壊してきた。今度は、築け」
「ならば、やってみようか」
じいさんは杖をひょいと掲げた。
杖の先から、小さな光が浮かび、ゆっくりと空に溶けていく。
「……それにしても、この珈琲、罪じゃぞ」
「そうか?」
「身体が若返るだけでなく、心まで目覚める。まるで、忘れていた情熱が戻ってくるようじゃ」
「だから、嗜好品だって言ったろ」
「ふむ。ならば、癖になりそうじゃ」
「一杯しか出してない」
「そうか。では、丁寧に味わわねばな」
カップの底には、わずかに香りが残っていた。
じいさんはそれを、名残惜しむように指先でなぞった。
「この指で、もう一度、真円が引ける……いや、これなら、十重の詠唱陣すら再構築できるかもしれん」
「その気になれば、だな」
「……なったよ、レンジ」
「それはよかった」
じいさんは再び煙草を取り出した。指先の動きは、以前とは違う。無駄がなく、滑らかだ。
「煙が澄んでおるのう。頭が、妙に冴えている」
「そういうブレンドにした」
「お主という男は……まったく、ただの店主ではないな」
「俺は、ただコーヒーを淹れてるだけだ」
「それで人を目覚めさせる。こりゃ、立派な魔導行為じゃ」
「なら、俺は魔導士ってことか?」
「店主にして、魔導士。ま、名刺に書くには長いのう」
「書く気もない」
ふたりで煙を吐く。夜の空は明けかけていた。
じいさんはもう、老いた影を纏っていなかった。
ただ、ひとりの男として──立っていた。
あなたにおすすめの小説
おばさんは、ひっそり暮らしたい
蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
神様の手違いで異世界転生した俺の魅了チートが、勇者のハーレムを根こそぎ奪って溺愛ハーレム作りました!
まさき
恋愛
ブラック企業で働き続けた俺が過労で倒れ、気づけば異世界に転生していた。
「手違いでごめんなさい」と神様に言われ、お詫びに貰ったのは【魅了】スキル——でも俺には使ってる自覚がない。
ただ普通に生きてるだけなのに、気づけばエルフが隣で微笑んでいる。
獣人族が耳を赤くしてついてくる。元魔王の娘が手料理を持ってくる。
そして10年かけてハーレムを作った勇者が、なぜか仲間を全員失っていく。
「手違い転生者に何故負けるんだああ!?」
社畜だった俺の、異世界溺愛ハーレム生活——ざまぁあり、甘々あり、笑いあり。
1話完結のオムニバス形式でお届けします!
【完結】転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~
きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。
前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。
スマホアプリで衣食住確保の異世界スローライフ 〜面倒なことは避けたいのに怖いものなしのスライムと弱気なドラゴンと一緒だとそうもいかず〜
もーりんもも
ファンタジー
命より大事なスマホを拾おうとして命を落とした俺、武田義経。
ああ死んだと思った瞬間、俺はスマホの神様に祈った。スマホのために命を落としたんだから、お慈悲を!
目を開けると、俺は異世界に救世主として召喚されていた。それなのに俺のステータスは平均よりやや上といった程度。
スキル欄には見覚えのある虫眼鏡アイコンが。だが異世界人にはただの丸印に見えたらしい。
何やら漂う失望感。結局、救世主ではなく、ただの用無しと認定され、宮殿の使用人という身分に。
やれやれ。スキル欄の虫眼鏡をタップすると検索バーが出た。
「ご飯」と検索すると、見慣れたアプリがずらずらと! アプリがダウンロードできるんだ!
ヤバくない? 不便な異世界だけど、楽してダラダラ生きていこう――そう思っていた矢先、命を狙われ国を出ることに。
ひょんなことから知り合った老婆のお陰でなんとか逃げ出したけど、気がつけば、いつの間にかスライムやらドラゴンやらに囲まれて、どんどん不本意な方向へ……。
2025/04/04-06 HOTランキング1位をいただきました! 応援ありがとうございます!
※AI学習禁止・無断転載禁止・無断翻訳禁止・無断朗読禁止
勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
ダンジョンを拾ったので、スキル〈ホームセンター〉で好き勝手リフォームします
ランド犬
ファンタジー
異世界に転移した佐々木悠人は、召喚でも勇者でもなかった。ただ迷い込んだ先で見つけたのは、王都を望む郊外にひっそりと口を開けるダンジョン。足を踏み入れた瞬間、発動したスキルは
――〈ホームセンター〉
壁を張り替え、部屋を増やし、畑や牧場、カフェまで作れる不可思議な力だった。
気ままに始めたリフォームは、もふもふなネコミミ獣人の少女との出会いをきっかけに、思わぬ変化を呼び始める。
拡張され続けるダンジョンの先で、悠人が作り上げる“住める迷宮”とは――?