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第20話
わたくしは棚の上に並べた香草瓶のひとつを手に取り、ほんの少し蓋を開けて香りを確かめましたの。
鼻腔をくすぐるのは、乾いたクローバーの甘さと、かすかに焦げたようなヒースの香ばしさ。
焚き火の煙に包まれた“野薫”は、わたくしのいつもの調合にない、素朴でありながら強い個性を持っておりました。
「この香り……乾燥ではなく、火に当てることで生まれる深み。これは面白くなってきましたわね」
小屋の奥の引き出しから、未使用の記録帳を取り出し、今日の焙煎香草について書きつけてまいります。
素材の組み合わせ、煙の種類、抽出時間、湯温、そして感じ取った香りの層。
ページの隅には、子どもたちの感想も添えて記録しておきますの。
「“ちょっと苦いけど、あとから甘い”──ふふ、わたくしも同感ですわ」
記録帳にさらさらとペンを走らせる作業は、まるで香りを文字に閉じ込めるような心地がいたしますの。
頭の中には、もう次の調合が浮かびはじめておりました。
“火と風の輪舞(ロンド)”──そんな名がふさわしい一杯が、今にも形になりそうでしたの。
そこへ、軽やかな足音が近づいてまいりました。
「アナさま! また煙が出てる!」
「まあ、また焙煎をなさっていらっしゃるのかしら。では、差し入れにまいりましょうか」
茶葉と干果実を詰めた籠を片手に、小屋を後にして森の小道を進みますと、昨日と同じ場所で、同じように焚き火が揺れておりました。
「ごきげんよう。昨日は素晴らしい香りをありがとうございました」
「あら嬢ちゃん、また来たのかい」
「そのお礼に、ひとつ調合したものがございますの。お口に合えば幸いですわ」
わたくしは小さなポットを取り出し、“火と土の約束”を淹れて差し出しましたの。
女性はじっとカップを見つめ、そして口元に運んで──ひと口。
「……なるほど。あたしの焚き火が、ちゃんとお茶になってる」
「ええ、香りをいただいたのですから、それをわたくしなりに整えさせていただきましたの」
「おもしろい子だねぇ。ほら、こっち来てごらんよ」
誘われて焚き火の前に座ると、藁で編まれた椅子の座り心地が意外にも柔らかく、煙が目にしみないよう上手に風が逃げる向きに設けられておりました。
「うちは代々、こうやって香草を燻して売ってきたんだよ」
「焚き火で香草を──それはずいぶん貴重な技術でございますわ」
「だけどもう誰も継がない。今は鍋で煮出して瓶に詰めて、あとは売るだけ。手間をかけた香りの違いに気づく人なんて、減る一方さ」
「それは少し、寂しいことですわね」
「だから、あんたみたいな子がいてくれると、少し希望が湧くよ」
「光栄ですわ。わたくしも、香りにはまだまだ学ぶことが多うございますもの」
「その学びを続けられるかどうかだよ。香りってのは、急げば逃げるし、欲張れば混ざりすぎる」
「まさに、その通りですわ」
女性は焚き火の火加減を見ながら、藁の袋から新たな草束を取り出しました。
「これは、焼かずに干しただけ。比べてごらん」
渡されたクローバーを手に取り、鼻を近づけます。
軽く、青みが残り、ほんのりと甘い。
けれど昨日の燻しと比べると、香りの奥行きがやや浅く感じられましたの。
「火を通すと、表情が深くなる。でも干すだけなら、素材そのままの素直な香りが残る」
「なるほど……それなら、二種類を合わせるという手もございますわね」
「おお、それだ。両方のよさを生かすってやつか」
「調合する際に、香りの芯として干し草を据え、仕上げに燻しの香りを重ねれば、輪郭が整いますわ」
「それ、あんたの店で出せばいい」
「では、こちらの焙煎草を少し、分けていただけますかしら?」
「好きなだけ持っていきな。どうせ余るからねぇ」
「それはありがたいことですわ。今度はぜひ、“朝露と火の記憶”という名で仕上げてみますわ」
「またうまい名前つけるもんだね。あたしにはできない芸当だよ」
「ふふ、それもわたくしの調合の一部でございますの」
焚き火の香りが衣に移り、わたくしのスカーフに淡く残りました。
帰り道、その残り香を嗅ぎながら、新たな調合の構成が頭の中で形を成していくのを感じましたの。
土、草、火、風、そして……水。
ああ、そうですわ。
水の香り──これだけは、まだわたくしの調合に不足している要素でしたの。
小屋に戻ってすぐ、棚の奥から“湖底香”と呼ばれる、かつて王都で一度だけ手に入れた貴重な香草のサンプルを取り出しました。
それは淡く湿った香りで、抽出の仕方を誤るとすぐに香りが飛んでしまう、繊細きわまりない素材ですわ。
「この香りが、“火”の香りと融合したら……どれほどの奥行きになるかしら」
火と水、相反する香り。
けれど、それゆえに調和させたときの深さは格別のものになる予感がいたしました。
わたくしは新しい記録帳を開き、“試作名:深淵の香”と書き記し、素材の一覧を丁寧に並べてゆきましたの。
それから、再び火を起こし、試作に入る準備を整えておりましたとき──
「アナさまーっ! お客さんがきたよーっ!」
小屋の外から聞こえた声に、わたくしは一度だけ筆を置き、立ち上がりましたの。
「ふふ、香りは風に乗るもの。誰かを連れてくることもございますわね」
次の調合も、その出会いに合わせて、変えてゆけばよろしゅうございます。
香りは、交わるからこそ面白い。
それが、わたくしの店の流儀でございますの。
鼻腔をくすぐるのは、乾いたクローバーの甘さと、かすかに焦げたようなヒースの香ばしさ。
焚き火の煙に包まれた“野薫”は、わたくしのいつもの調合にない、素朴でありながら強い個性を持っておりました。
「この香り……乾燥ではなく、火に当てることで生まれる深み。これは面白くなってきましたわね」
小屋の奥の引き出しから、未使用の記録帳を取り出し、今日の焙煎香草について書きつけてまいります。
素材の組み合わせ、煙の種類、抽出時間、湯温、そして感じ取った香りの層。
ページの隅には、子どもたちの感想も添えて記録しておきますの。
「“ちょっと苦いけど、あとから甘い”──ふふ、わたくしも同感ですわ」
記録帳にさらさらとペンを走らせる作業は、まるで香りを文字に閉じ込めるような心地がいたしますの。
頭の中には、もう次の調合が浮かびはじめておりました。
“火と風の輪舞(ロンド)”──そんな名がふさわしい一杯が、今にも形になりそうでしたの。
そこへ、軽やかな足音が近づいてまいりました。
「アナさま! また煙が出てる!」
「まあ、また焙煎をなさっていらっしゃるのかしら。では、差し入れにまいりましょうか」
茶葉と干果実を詰めた籠を片手に、小屋を後にして森の小道を進みますと、昨日と同じ場所で、同じように焚き火が揺れておりました。
「ごきげんよう。昨日は素晴らしい香りをありがとうございました」
「あら嬢ちゃん、また来たのかい」
「そのお礼に、ひとつ調合したものがございますの。お口に合えば幸いですわ」
わたくしは小さなポットを取り出し、“火と土の約束”を淹れて差し出しましたの。
女性はじっとカップを見つめ、そして口元に運んで──ひと口。
「……なるほど。あたしの焚き火が、ちゃんとお茶になってる」
「ええ、香りをいただいたのですから、それをわたくしなりに整えさせていただきましたの」
「おもしろい子だねぇ。ほら、こっち来てごらんよ」
誘われて焚き火の前に座ると、藁で編まれた椅子の座り心地が意外にも柔らかく、煙が目にしみないよう上手に風が逃げる向きに設けられておりました。
「うちは代々、こうやって香草を燻して売ってきたんだよ」
「焚き火で香草を──それはずいぶん貴重な技術でございますわ」
「だけどもう誰も継がない。今は鍋で煮出して瓶に詰めて、あとは売るだけ。手間をかけた香りの違いに気づく人なんて、減る一方さ」
「それは少し、寂しいことですわね」
「だから、あんたみたいな子がいてくれると、少し希望が湧くよ」
「光栄ですわ。わたくしも、香りにはまだまだ学ぶことが多うございますもの」
「その学びを続けられるかどうかだよ。香りってのは、急げば逃げるし、欲張れば混ざりすぎる」
「まさに、その通りですわ」
女性は焚き火の火加減を見ながら、藁の袋から新たな草束を取り出しました。
「これは、焼かずに干しただけ。比べてごらん」
渡されたクローバーを手に取り、鼻を近づけます。
軽く、青みが残り、ほんのりと甘い。
けれど昨日の燻しと比べると、香りの奥行きがやや浅く感じられましたの。
「火を通すと、表情が深くなる。でも干すだけなら、素材そのままの素直な香りが残る」
「なるほど……それなら、二種類を合わせるという手もございますわね」
「おお、それだ。両方のよさを生かすってやつか」
「調合する際に、香りの芯として干し草を据え、仕上げに燻しの香りを重ねれば、輪郭が整いますわ」
「それ、あんたの店で出せばいい」
「では、こちらの焙煎草を少し、分けていただけますかしら?」
「好きなだけ持っていきな。どうせ余るからねぇ」
「それはありがたいことですわ。今度はぜひ、“朝露と火の記憶”という名で仕上げてみますわ」
「またうまい名前つけるもんだね。あたしにはできない芸当だよ」
「ふふ、それもわたくしの調合の一部でございますの」
焚き火の香りが衣に移り、わたくしのスカーフに淡く残りました。
帰り道、その残り香を嗅ぎながら、新たな調合の構成が頭の中で形を成していくのを感じましたの。
土、草、火、風、そして……水。
ああ、そうですわ。
水の香り──これだけは、まだわたくしの調合に不足している要素でしたの。
小屋に戻ってすぐ、棚の奥から“湖底香”と呼ばれる、かつて王都で一度だけ手に入れた貴重な香草のサンプルを取り出しました。
それは淡く湿った香りで、抽出の仕方を誤るとすぐに香りが飛んでしまう、繊細きわまりない素材ですわ。
「この香りが、“火”の香りと融合したら……どれほどの奥行きになるかしら」
火と水、相反する香り。
けれど、それゆえに調和させたときの深さは格別のものになる予感がいたしました。
わたくしは新しい記録帳を開き、“試作名:深淵の香”と書き記し、素材の一覧を丁寧に並べてゆきましたの。
それから、再び火を起こし、試作に入る準備を整えておりましたとき──
「アナさまーっ! お客さんがきたよーっ!」
小屋の外から聞こえた声に、わたくしは一度だけ筆を置き、立ち上がりましたの。
「ふふ、香りは風に乗るもの。誰かを連れてくることもございますわね」
次の調合も、その出会いに合わせて、変えてゆけばよろしゅうございます。
香りは、交わるからこそ面白い。
それが、わたくしの店の流儀でございますの。
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