【完結】没落令嬢、異世界で紅茶店を開くことにいたしました〜香りと静寂と癒しの一杯をあなたに〜

旅する書斎(☆ほしい)

文字の大きさ
51 / 72

第51話

しおりを挟む
王都へ向けて「遠隔浄化の儀」を執り行ったあの日から、わたくしの日常は、表面上は変わらぬ穏やかさを保っておりましたけれど、その水面下では、常に遠い王都の気配を、そしてあの不吉な夢の残滓を感じずにはいられない、どこか張り詰めた日々が続いておりました。
わたくしは、以前にも増して注意深く、香草園や周囲の森の微細な変化に気を配っておりました。
鳥の声、風向き、ハーブたちの葉の色つや……。
その全てが、世界の調和を示すバロメーターのように感じられたからでございます。

幸いなことに、子どもたちは変わらず元気な笑顔でわたくしの小屋を訪れ、彼らの無邪気な笑い声は、わたくしの心に重くのしかかる不安を、しばし忘れさせてくれるかのようでした。
「香りの授業」も続けられており、その日は「色と香りの関係」について、子どもたちと一緒に探求しておりましたの。

「皆さま、この赤いローズヒップの実をご覧になって。
この鮮やかな赤色は、まるで生命力そのもののようですわね。
そして、その香りは、ほんのりとした酸味の中に、太陽の温かさを感じさせます。
赤い香りは、わたくしたちに元気や情熱を与えてくれることが多いのですわ」

「じゃあ、この青いコーンフラワーのお花は?」とミレーヌちゃん。

「ふふ、良い質問ですわね。
青色は、静けさや冷静さを思わせる色。
このお花の香りは、それほど強くはございませんけれど、どこか心をすうっと落ち着かせてくれるような、澄んだ気配がいたしますでしょう?
青い香りは、高ぶった気持ちを鎮め、思考を明晰にする手助けをしてくれますのよ」

子どもたちは、目を輝かせながら、様々な色のハーブや花を手に取り、その色と香りが織りなす不思議な関係に、夢中になっておりました。
その純粋な探求心に触れていると、わたくしの心もまた、束の間、穏やかさを取り戻すことができるのでございます。

けれど、そんな平穏な時間は、長くは続きませんでした。
その日の午後、村の猟師が、血相を変えてわたくしの小屋へと駆け込んできたのです。

「アナスタシアさま!
大変だ!
村はずれの森の様子が、どうにもおかしいんだ!」

「まあ、落ち着いてくださいまし。
一体、何がございましたの?」

「それが……。
森の動物たちが、姿を消しちまったんだ!
いつもなら、ウサギや鹿の足跡の一つや二つ、必ず見かけるっていうのに、今日は何一つねぇ。
鳥のさえずりすら、ぱったりと聞こえなくなっちまって……。
森全体が、まるで墓場みてぇに、しいん、と静まり返ってるんだ!
こんな気味の悪ぃことは、生まれてこのかた初めてだ……」

その言葉に、わたくしの心臓が、どきりと大きく鳴りました。
動物たちが姿を消し、鳥が鳴かなくなった森……。
それは、自然界が発する、最大の危険信号でございます。
何かが、この土地の生命の調和を、根底から脅かしている……。

「……アナスタシアさま……なんだか、怖いよ……」
子どもたちも、その不穏な空気を敏感に感じ取り、不安そうにわたくしの服の裾を握りしめました。

わたくしは、子どもたちを安心させるように、その小さな肩を優しく抱き寄せましたけれど、わたくし自身の研ぎ澄まされた感覚もまた、猟師の言葉を裏付けるように、これまで感じたことのない、冷たく、そして粘りつくような邪悪な「気」が、森の奥深くから、じわりじわりとこちらへ向かってきているのを捉えておりました。
それは、穢れた魔石が放つ波動の残滓とも、あるいは、あの夢で見た黒衣の人物が纏っていた、憎悪の気配とも似ております。

「皆さま、大丈夫ですわ。
わたくしが、必ずこの場所を守りますから。
あなたたちは、どうか小屋の奥に入って、静かになさっていて」

わたくしは、子どもたちを固く抱きしめた後、強い口調でそう言うと、彼らを小屋の中へと避難させました。
そして、わたくしは一人、静かに小屋の前に立ち、その見えざる敵の到来を待ったのでございます。

どれほどの時間が過ぎましたでしょうか。
ひた、ひた、と。
枯葉を踏む、複数の足音が、森の静寂を破って近づいてまいります。
やがて、木々の間から姿を現したのは、五人の人影でございました。
その者たちは、頭から足元までを、光を吸い込むような漆黒のローブで覆い、その顔を窺い知ることはできません。
けれど、そのローブの下から漏れ出してくる気配は、明らかに常人のものではございませんでした。
それは、生命の温かみを一切感じさせない、まるで死や腐敗を凝縮したかのような、不快で歪んだ魔力の淀み。
その気配に触れただけで、香草園のハーブたちが、恐怖に震えるかのように、その葉を微かに揺らすのが分かりました。

先頭に立つ一人が、一歩前に進み出ました。
その者の手には、黒曜石で作られた、禍々しい輝きを放つ杖が握られております。

「……ここが、かの“湖畔の香草師”の住処か。
噂に違わぬ、清浄な気に満ちた土地よな。
……だが、それも今日までだ」

その声は、まるで金属を擦り合わせたかのように不快な響きを持ち、嘲りと、そして冷酷な意志に満ちておりました。

「我らが主は、お前のような存在を、ひどくお嫌いになる。
自然なぞという曖昧なものに縋り、我らが絶対なる“力”の秩序を乱す、忌むべき異分子……。
その力を、我らが主のために差し出すか、あるいは、この土地もろとも消え去るか……選ばせてやろう」

やはり、彼らは王都からの刺客。
そして、あの穢れた魔石の力を操る者たちに違いございません。
彼らが放つ邪悪なオーラは、まるで毒のように周囲の空気を汚染し、わたくしの呼吸すらも苦しくさせるかのようでした。
恐怖に、足がすくみそうになります。
わたくしは、魔力もなければ、戦う術も持ち合わせてはおりません。
このままでは、わたくしも、この愛すべき小屋も、そして中にいる子どもたちも……。

けれど、わたくしが後ずさりかけた、その瞬間でございます。
わたくしの背後、香草園のハーブたちが、まるでわたくしを守ろうとするかのように、一斉に、その香りを力強く放ち始めたではございませんか。
浄化の力を持つセージとローズマリー、守護の力を持つアンジェリカとエルダーフラワー、そして、わたくしの決意に応えるかのように、湖畔に自生する全ての草花が……。
それら無数の清浄な香りが、一つの大きな渦となり、わたくしの身体を優しく包み込みました。
それは、見えざる、しかし何よりも強固な、香りの盾。
邪悪な気配に汚された空気が、その香りのヴェールに触れ、じりじりと浄化されていくのを感じます。

わたくしは、深く息を吸い込みました。
もはや、恐怖はございません。
あるのは、この場所を守り抜くという、静かで、しかし揺るぎない決意だけ。
わたくしの手には、ティーポットも、カップもございません。
けれど、わたくし自身が、今、この「静寂の香り亭」の、そしてこの土地の調和を司る、一杯の“お茶”そのものとなればよいのです。

「……お引き取りくださいまし。
この場所は、わたくしの大切な聖域。
あなた方のような、不調和な香りを持ち込むことは、わたくしが決してお許しいたしません」

わたくしは、静かに、しかし彼らの魂に直接響かせるかのように、はっきりとそう告げました。
黒衣の者たちは、わたくしを包む見えざる香りの力に一瞬たじろいだように見えましたが、先頭の男はすぐに杖を構え直し、その先端に、黒く禍々しい魔力を集束させ始めました。

「……面白い。
ならば、その清浄な気取りが、我らが主の“混沌の力”の前で、どこまで通用するか、試してやろうではないか……!」

男が杖を振り上げた、その瞬間。
わたくしもまた、わたくしの内なる全ての力――「極上調合」のスキルと、自然と共鳴する感覚、そしてこの土地を愛する心――を、一つに束ねるのでございました。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

出来損ないと追放された俺、神様から貰った『絶対農域』スキルで農業始めたら、奇跡の作物が育ちすぎて聖女様や女騎士、王族まで押しかけてきた

黒崎隼人
ファンタジー
★☆★完結保証★☆☆ 毎日朝7時更新! 「お前のような魔力無しの出来損ないは、もはや我が家の者ではない!」 過労死した俺が転生したのは、魔力が全ての貴族社会で『出来損ない』と蔑まれる三男、カイ。実家から追放され、与えられたのは魔物も寄り付かない不毛の荒れ地だった。 絶望の淵で手にしたのは、神様からの贈り物『絶対農域(ゴッド・フィールド)』というチートスキル! どんな作物も一瞬で育ち、その実は奇跡の効果を発揮する!? 伝説のもふもふ聖獣を相棒に、気ままな農業スローライフを始めようとしただけなのに…「このトマト、聖水以上の治癒効果が!?」「彼の作る小麦を食べたらレベルが上がった!」なんて噂が広まって、聖女様や女騎士、果ては王族までが俺の畑に押しかけてきて――!? 追放した実家が手のひらを返してきても、もう遅い! 最強農業スキルで辺境から世界を救う!? 爽快成り上がりファンタジー、ここに開幕!

婚約破棄された竜好き令嬢は黒竜様に溺愛される。残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ

水無瀬
ファンタジー
竜が好きで、三度のご飯より竜研究に没頭していた侯爵令嬢の私は、婚約者の王太子から婚約破棄を突きつけられる。 それだけでなく、この国をずっと守護してきた黒竜様を捨てると言うの。 黒竜様のことをずっと研究してきた私も、見せしめとして処刑されてしまうらしいです。 叶うなら、死ぬ前に一度でいいから黒竜様に会ってみたかったな。 ですが、私は知らなかった。 黒竜様はずっと私のそばで、私を見守ってくれていたのだ。 残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ?

出来損ないと虐げられた公爵令嬢、前世の記憶で古代魔法を再現し最強になる~私を捨てた国が助けを求めてきても、もう隣で守ってくれる人がいますので

夏見ナイ
ファンタジー
ヴァインベルク公爵家のエリアーナは、魔力ゼロの『出来損ない』として家族に虐げられる日々を送っていた。16歳の誕生日、兄に突き落とされた衝撃で、彼女は前世の記憶――物理学を学ぶ日本の女子大生だったことを思い出す。 「この世界の魔法は、物理法則で再現できる!」 前世の知識を武器に、虐げられた運命を覆すことを決意したエリアーナ。そんな彼女の類稀なる才能に唯一気づいたのは、『氷の悪魔』と畏れられる冷徹な辺境伯カイドだった。 彼に守られ、その頭脳で自身を蔑んだ者たちを見返していく痛快逆転ストーリー!

追放先の辺境で前世の農業知識を思い出した悪役令嬢、奇跡の果実で大逆転。いつの間にか世界経済の中心になっていました。

緋村ルナ
ファンタジー
「お前のような女は王妃にふさわしくない!」――才色兼備でありながら“冷酷な野心家”のレッテルを貼られ、無能な王太子から婚約破棄されたアメリア。国外追放の末にたどり着いたのは、痩せた土地が広がる辺境の村だった。しかし、そこで彼女が見つけた一つの奇妙な種が、運命を、そして世界を根底から覆す。 前世である農業研究員の知識を武器に、新種の果物「ヴェリーナ」を誕生させたアメリア。それは甘美な味だけでなく、世界経済を揺るがすほどの価値を秘めていた。 これは、一人の追放された令嬢が、たった一つの果実で自らの運命を切り開き、かつて自分を捨てた者たちに痛快なリベンジを果たし、やがて世界の覇権を握るまでの物語。「食」と「経済」で世界を変える、壮大な逆転ファンタジー、開幕!

無能令嬢、『雑役係』として辺境送りされたけど、世界樹の加護を受けて規格外に成長する

タマ マコト
ファンタジー
名門エルフォルト家の長女クレアは、生まれつきの“虚弱体質”と誤解され、家族から無能扱いされ続けてきた。 社交界デビュー目前、突然「役立たず」と決めつけられ、王都で雑役係として働く名目で辺境へ追放される。 孤独と諦めを抱えたまま向かった辺境の村フィルナで、クレアは自分の体調がなぜか安定し、壊れた道具や荒れた土地が彼女の手に触れるだけで少しずつ息を吹き返す“奇妙な変化”に気づく。 そしてある夜、瘴気に満ちた森の奥から呼び寄せられるように、一人で足を踏み入れた彼女は、朽ちた“世界樹の分枝”と出会い、自分が世界樹の血を引く“末裔”であることを知る——。 追放されたはずの少女が、世界を動かす存在へ覚醒する始まりの物語。

【読切短編】婚約破棄された令嬢ですが、帳簿があれば辺境でも無双できます ~追い出した公爵家は、私がいないと破産するらしい~

Lihito
ファンタジー
公爵令嬢アイリスは、身に覚えのない罪で婚約破棄され、辺境へ追放された。 だが彼女には秘密がある。 前世は経理OL。そして今世では、物や土地の「価値」が数字で見える能力を持っていた。 公爵家の帳簿を一手に管理していたのは、実は彼女。 追い出した側は、それを知らない。 「三ヶ月で破産すると思うけど……まあ、私には関係ないわね」 荒れ果てた辺境領。誰も気づかなかった資源。無口な護衛騎士。 アイリスは数字を武器に、この土地を立て直すことを決意する。 これは、一人の令嬢が「価値」を証明する物語。 ——追い出したこと、後悔させてあげる。

転生してきた令嬢、婚約破棄されたけど、冷酷だった世界が私にだけ優しすぎる話

タマ マコト
ファンタジー
前世の記憶を持って貴族令嬢として生きるセレフィーナは、感情を見せない“冷たい令嬢”として王都で誤解されていた。 王太子クラウスとの婚約も役割として受け入れていたが、舞踏会の夜、正義を掲げたクラウスの婚約破棄宣言によって彼女は一方的に切り捨てられる。 王都のクラウスに対する拍手と聖女マリアへの祝福に包まれる中、何も求めなかった彼女の沈黙が、王都という冷酷な世界の歪みを静かに揺らし始め、追放先の辺境での運命が動き出す。

【完結】聖獣もふもふ建国記 ~国外追放されましたが、我が領地は国を興して繁栄しておりますので御礼申し上げますね~

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
ファンタジー
 婚約破棄、爵位剥奪、国外追放? 最高の褒美ですね。幸せになります!  ――いま、何ておっしゃったの? よく聞こえませんでしたわ。 「ずいぶんと巫山戯たお言葉ですこと! ご自分の立場を弁えて発言なさった方がよろしくてよ」  すみません、本音と建て前を間違えましたわ。国王夫妻と我が家族が不在の夜会で、婚約者の第一王子は高らかに私を糾弾しました。両手に花ならぬ虫を這わせてご機嫌のようですが、下の緩い殿方は嫌われますわよ。  婚約破棄、爵位剥奪、国外追放。すべて揃いました。実家の公爵家の領地に戻った私を出迎えたのは、溺愛する家族が興す新しい国でした。領地改め国土を繁栄させながら、スローライフを楽しみますね。  最高のご褒美でしたわ、ありがとうございます。私、もふもふした聖獣達と幸せになります! ……余計な心配ですけれど、そちらの国は傾いていますね。しっかりなさいませ。 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ ※2022/05/10  「HJ小説大賞2021後期『ノベルアップ+部門』」一次選考通過 ※2022/02/14  エブリスタ、ファンタジー 1位 ※2022/02/13  小説家になろう ハイファンタジー日間59位 ※2022/02/12  完結 ※2021/10/18  エブリスタ、ファンタジー 1位 ※2021/10/19  アルファポリス、HOT 4位 ※2021/10/21  小説家になろう ハイファンタジー日間 17位

処理中です...