勇者召喚に巻き込まれた俺は『荷物持ち』スキルしか貰えなかった。旅商人として自由に生きたいのに、伝説の運び屋と間違われています

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俺はリリを背中にかばいながら、目の前の貴族を冷静に観察した。年の頃は四十代だろうか。肥満気味の体に、これみよがしに高価な装飾品をじゃらじゃらとつけている。いかにもな成金貴族といった風体だ。

「失礼ですが、どちら様でしょうか。俺たちに何か御用ですか?」

俺が尋ねると、男は鼻を鳴らした。

「いかにも。儂はマルス子爵。この辺りを治める者だ。貴様、最近この辺りで名を上げている運び屋だな? 空間魔法の使い手だと聞いたぞ」

どうやら、俺の噂は思っていた以上に広まっているらしい。壊れた馬車を運んだ一件か、それとも迷いの森の一件か。どちらにせよ、面倒なことになった。

「人違いでは? 俺はただの旅の商人ですが」

「とぼけるな。その歳で、獣人の小娘を連れた空間魔法使いなど、そう何人もおるまい」

マルス子爵のねっとりとした視線がリリに向けられる。リリは怯えたように、俺の後ろで小さく身を震わせた。

「その小娘も、奴隷市場から逃げ出した品だと聞いているぞ。本来ならば、捕らえて元の持ち主に返すのが筋というものだ」

脅しか。この貴族、なかなか性格が悪いらしい。俺は内心で舌打ちしつつも、表情には出さない。

「それで、ご用件は何でしょう。子爵様」

「話が早い。貴様には、儂の荷物を王都まで運んでもらいたい。もちろん、ただとは言わん。成功すれば、金貨百枚をくれてやろう」

金貨百枚。確かに大金だ。だが、この男の態度が気に入らない。高圧的に命令すれば、誰でも言うことを聞くとでも思っているのだろうか。

「申し訳ありませんが、お断りします。俺は商人であって、運び屋ではありませんので。それに、これから王都へ向かうところではありますが、急ぎの旅でもありませんし」

「……何だと? 儂の依頼を断るというか。このマルス子爵の、だぞ?」

子爵の顔が怒りで赤く染まる。周りを囲む騎士たちが、一斉に剣の柄に手をかけた。一触即発の雰囲気だ。

「ノボルさん……」

リリが不安そうに俺の服の裾を掴む。俺は彼女の頭を軽く撫でて安心させると、子爵に向き直った。

「ええ、お断りします。俺は面倒ごとが嫌いなんです。あなたのような方に関わると、ろくなことにならなそうなので」

「き、貴様ぁっ! 無礼者めが! こいつらを捕らえろ! その小娘は奴隷商に売り飛ばし、男の方は逆さ吊りにしてくれるわ!」

子爵が金切り声を上げると同時に、騎士たちが剣を抜いて襲いかかってきた。数は六人。全員がしっかりとした鎧を身につけており、ただのならず者とは訳が違う。

だが、今の俺の敵ではない。

騎士の一人が振り下ろした剣を、俺はひらりとかわす。そして、その騎士が踏み込んでいる地面ごと、空間を切り取って収納した。

「なっ!?」

足場を失った騎士は、見事に体勢を崩して前のめりに倒れる。俺はすかさず、別の騎士の背後にその空間を「取り出し」た。突然現れた地面の塊に、後ろの騎士は足をもつれさせて派手に転倒する。

「うわっ!?」

「何が起こった!?」

残りの騎士たちが混乱している隙に、俺は次々と彼らの足元や攻撃の軌道上にある空間を切り取っては、別の場所に移動させる。

剣を振るえば、その剣先が全く関係のない方向から現れる。盾を構えれば、その盾が別の騎士の目の前に出現する。彼らは自分たちの攻撃で同士討ちを始め、あっという間に全員が地面に転がってしまった。

俺は一度も、彼らの体に触れてすらいない。

「……ひっ」

マルス子爵は、目の前で起こった超常現象に腰を抜かし、その場にへたり込んでいた。さっきまでの威勢はどこへやら、顔面は蒼白になっている。

「さて、子爵様。これで、俺がただの商人ではないことはお分かりいただけたでしょうか」

俺はゆっくりと子爵に近づく。彼は後ずさりしようとするが、足がもつれて動けないようだ。

「俺は、面倒は嫌いだと言いましたよね。あなた方は、俺にとって最大の面倒ごとです」

「ま、待ってくれ! わ、儂が悪かった! 命だけは……!」

「命を取るつもりはありませんよ。ただ、俺の邪魔をしないでいただきたいだけです」

俺はそう言うと、子爵の目の前に、先日迷いの森で収納した巨大な岩を取り出した。直径三メートルの岩が、何の予兆もなく突然出現する。その威圧感は相当なものだろう。

「この岩、あなたの馬車より大きいんですが、簡単に収納できるんですよ。あなたのその立派な馬車も、あなた自身も、跡形もなく消し去ることだってできるんです。どこかの森の奥深くにでも、捨ててきましょうか?」

俺がにっこりと笑いかけると、子爵は涙目で首をぶんぶんと横に振った。

「も、申し訳ありませんでした! もう二度とあなた方には関わりません! ですから、どうかお許しを!」

「よろしい。では、この話はなかったことに」

俺がそう言って踵を返そうとした、その時だった。

「お、お待ちください!」

子爵が必死の形相で俺を呼び止める。

「……まだ何か?」

「そ、その依頼、どうか、どうか受けてはいただけないでしょうか! もちろん、態度は改めます! 報酬も、弾みます! 金貨三百枚! いや、五百枚ではどうでしょう!」

さっきまでの尊大な態度は消え失せ、今はただただ必死に懇願してくる。どうやら、よほど重要な荷物を運びたいらしい。

金貨五百枚か。ルナハーブで稼いだ金とほぼ同額だ。断るには惜しい金額ではある。

「……なぜ、そこまでして俺に?」

「実は、運んでいただきたいのは、王都の魔術師ギルドにいる、私の娘に宛てた品なのです。しかし、それを快く思わない連中がおりまして……普通の運び屋では、道中で必ず襲われてしまう。あなたのその不思議な力があれば、誰にも知られずに、安全に届けてもらえるのではないかと……」

娘、という言葉に、少しだけ心が動いた。それに、このまま断って逆恨みされても面倒だ。一度、徹底的に力を示して言うことを聞かせた方が、後腐れがないかもしれない。

「……わかりました。その依頼、引き受けましょう」

「お、おお! 本当ですか!」

「ただし、条件があります」

俺は子爵に向かって、人差し指を一本立てた。

「まず、報酬は前払いで金貨五百枚。それと、依頼の詳細は全て正直に話していただきます。運ぶものが何で、誰が、何のために狙っているのか。隠し立ては一切許しません」

「わ、わかりました! 全てお話しいたします!」

「それから、道中の指示は全て俺がします。子爵、あなたは俺の客だ。客は、御者の言うことに黙って従ってもらいます。よろしいですね?」

「は、はい! もちろんです!」

こうして俺は、半ば強引に、しかし完全にこちらのペースで、マルス子爵の依頼を引き受けることになったのだった。

子爵の馬車に案内されると、中には厳重に封印された小さな木箱が一つ、置かれていた。

「運んでいただくのは、これです」

「中身は何です?」

「『星の涙』と呼ばれる魔石です。非常に希少で、高純度の魔力を秘めています。娘は高名な魔術師でして、近々、大規模な儀式を執り行うことになっておりましてな。その儀式の核として、この魔石が必要なのです」

なるほど。そんな貴重なものなら、狙われるのも無理はない。

「誰が狙っているんです?」

「……私の、政敵です。ラウダ伯爵という男でして。私の娘が儀式を成功させることで、王宮内での私の発言力が増すことを恐れているのです。奴なら、妨害のためにどんな汚い手でも使ってくるでしょう」

貴族の派閥争いか。いかにも面倒くさそうな話だ。

「わかりました。それで、この荷物を王都のどこへ届けますか?」

「王都の中央区にある、魔術師ギルド本部です。娘の名はセレスティーナ。ギルドマスターを務めております」

ギルドマスターの娘。相当なエリート魔術師なのだろう。

俺は木箱をスキルで収納した。子爵はその光景を見て、また小さく悲鳴を上げる。

「さて、それでは出発しましょうか」

「は、はい。では、馬車の準備を……」

「いえ、馬車は要りません。あなたも収納しますので」

「は……ええええええっ!?」

俺は子爵の悲鳴を無視して、彼と、気絶している騎士たち、そして馬車を丸ごとスキルで収納した。生物を収納するには本人の同意が必要だが、気絶していればその限りではない。まあ、子爵には同意してもらったようなものだろう。

「さて、リリ。行こうか」

「は、はい!」

俺たちは、再び王都を目指して歩き始めた。今度は、金貨五百枚という大金と、少しばかり厄介な荷物を抱えて。
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