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米を研ぎながら、私は次に控える食材のことを考えていた。火のそばに置いた桶には、朝のうちに塩で揉んだ胡瓜と茗荷を冷やしてある。昼が過ぎれば、さっぱりとした一品を求める客が増える。飯の香りが重くならぬよう、合いの手を打つ菜は欠かせない。
「おし乃さん、この器は、漬物用ですか?」
良太が盆を抱えてこちらに声をかけた。手には小さめの平皿が三つ、濡れた布で拭きながら立っていた。
「そうです。あの形は胡瓜を斜めに盛るのにちょうどいい。汁も切れて、見た目も軽やかになります」
「器にも、向き不向きがあるんですね」
「器と菜の相性を考えれば、味が倍に広がります。逆に言えば、合わない器では、いい味も沈みます」
「道具と料理の関係……面白いですね」
「道具の声を聞くのも料理です。音、重み、手触り。全部、味のうちです」
私が桶から胡瓜を引き上げると、指先に冷たい感触が戻った。手の中で茗荷を割り、酢を少しだけ含ませて色を留める。塩気と酸味、それからほんのりとした香り。それを盛ると、器の中が一気に涼しくなったようだった。
「さあ、これも出しましょう。味噌汁と合わせれば、口が整います」
「はい」
良太が盆に器を載せて運ぶ姿が、すっかり板についてきた。ついこのあいだまで、ぎこちなかった動きが、今では流れるようになっていた。私は湯を足し、釜の炊き上がりを見極める準備をする。
表から、子どもたちの笑い声が聞こえてきた。戸を開ける音。駆け込んできたのは、紙芝居屋の銀ちゃんだった。背中の箱から棒菓子の匂いが漂っていた。
「おし乃さん、なんか、腹に入れてくれ!朝から声張りすぎて、もう喉が空っぽでさ」
「それはお大変でしたね。では、軽めにおにぎりと漬物を出しましょう」
「おにぎり!最高だ!」
私は釜から少し柔らかめの飯をよそい、手塩で握る。中には梅をひとつ。形は三角、けれど角を立てずに、丸みを残す。外で食べることを想定して、冷めても口当たりが崩れないように。
「はい、これを」
「うおー……これよ、これ。これでまた三本話せる」
「一口で頬張らず、喉に詰めないようにしてくださいね」
「へーい!」
銀ちゃんがかぶりついた瞬間、顔がほころぶ。そのまま外へ出て行き、すぐさま近所の子どもたちを呼ぶ声が聞こえた。笑い声と一緒に、「やわらぎ亭の飯は噺よりうまいぞ!」という叫びも混じっていた。
私はその声にくすりと笑いながら、米を研ぎ続けた。やがて、再びのれんが揺れる。今度は、履き慣れた草履の音。静かに入ってきたのは、先ほどの見知らぬ男だった。
「また、来てしまいました」
「いらっしゃいませ。お腹が空きましたか?」
「はい。さっきの飯が、帰り道に思い出されて。もう一度、口にしたくなって」
「では、違う献立でお迎えしましょう」
「ありがたい。さっきの味も、もちろんよかったが……今度は、違う一膳を楽しみたい」
「今日は、里芋と揚げの含め煮があります」
「いいですね。それを」
私は器を温め、炊きたての米を椀に盛る。芋はすでに味が染みていて、揚げもふくふくと煮汁を含んでいる。温めた汁を少しだけ張り、青菜を添えた。
男はまた、黙って箸を取り、ひと口運ぶ。噛み締めるたびに、口の奥で味が重なり合い、最後に表情がほぐれる。
「……これは、たまらない」
「芋は時間をかけて火を通しています。急ぐと崩れますから」
「崩れそうで崩れない。けれど、噛めばとろける。そんな絶妙な仕上がりだ」
「口の中で完成するよう、火を止めています」
「……なるほど。料理は、火を止めるところで決まるのか」
「はい。火を止めるときが、味の締めどきです」
男は深くうなずいてから、味噌汁を啜った。その音が、湯気のなかで自然に溶けていく。
良太がそっと裏から顔を出した。
「おし乃さん、炊き場、次の米、準備できました」
「ありがとうございます。では、今のうちに下ごしらえをしておきましょう」
「今日は何を?」
「小芋と大根の葉です。午後は、風が少し冷えてくるでしょう」
「わかりました」
良太が手桶に水を汲み、米を研ぎはじめた。その手つきも、音も、静かで、迷いがない。火を守る人間の手になっていた。私はその後ろ姿に目をやりながら、もう一度囲炉裏に向かった。
今度の釜も、いい音がしはじめていた。ぽこぽこと、米の息遣いが聞こえる。私はその音に耳を傾けながら、そっと火の加減を整えた。風が戸を鳴らし、外では町の音が続いていた。
「おし乃さん、この器は、漬物用ですか?」
良太が盆を抱えてこちらに声をかけた。手には小さめの平皿が三つ、濡れた布で拭きながら立っていた。
「そうです。あの形は胡瓜を斜めに盛るのにちょうどいい。汁も切れて、見た目も軽やかになります」
「器にも、向き不向きがあるんですね」
「器と菜の相性を考えれば、味が倍に広がります。逆に言えば、合わない器では、いい味も沈みます」
「道具と料理の関係……面白いですね」
「道具の声を聞くのも料理です。音、重み、手触り。全部、味のうちです」
私が桶から胡瓜を引き上げると、指先に冷たい感触が戻った。手の中で茗荷を割り、酢を少しだけ含ませて色を留める。塩気と酸味、それからほんのりとした香り。それを盛ると、器の中が一気に涼しくなったようだった。
「さあ、これも出しましょう。味噌汁と合わせれば、口が整います」
「はい」
良太が盆に器を載せて運ぶ姿が、すっかり板についてきた。ついこのあいだまで、ぎこちなかった動きが、今では流れるようになっていた。私は湯を足し、釜の炊き上がりを見極める準備をする。
表から、子どもたちの笑い声が聞こえてきた。戸を開ける音。駆け込んできたのは、紙芝居屋の銀ちゃんだった。背中の箱から棒菓子の匂いが漂っていた。
「おし乃さん、なんか、腹に入れてくれ!朝から声張りすぎて、もう喉が空っぽでさ」
「それはお大変でしたね。では、軽めにおにぎりと漬物を出しましょう」
「おにぎり!最高だ!」
私は釜から少し柔らかめの飯をよそい、手塩で握る。中には梅をひとつ。形は三角、けれど角を立てずに、丸みを残す。外で食べることを想定して、冷めても口当たりが崩れないように。
「はい、これを」
「うおー……これよ、これ。これでまた三本話せる」
「一口で頬張らず、喉に詰めないようにしてくださいね」
「へーい!」
銀ちゃんがかぶりついた瞬間、顔がほころぶ。そのまま外へ出て行き、すぐさま近所の子どもたちを呼ぶ声が聞こえた。笑い声と一緒に、「やわらぎ亭の飯は噺よりうまいぞ!」という叫びも混じっていた。
私はその声にくすりと笑いながら、米を研ぎ続けた。やがて、再びのれんが揺れる。今度は、履き慣れた草履の音。静かに入ってきたのは、先ほどの見知らぬ男だった。
「また、来てしまいました」
「いらっしゃいませ。お腹が空きましたか?」
「はい。さっきの飯が、帰り道に思い出されて。もう一度、口にしたくなって」
「では、違う献立でお迎えしましょう」
「ありがたい。さっきの味も、もちろんよかったが……今度は、違う一膳を楽しみたい」
「今日は、里芋と揚げの含め煮があります」
「いいですね。それを」
私は器を温め、炊きたての米を椀に盛る。芋はすでに味が染みていて、揚げもふくふくと煮汁を含んでいる。温めた汁を少しだけ張り、青菜を添えた。
男はまた、黙って箸を取り、ひと口運ぶ。噛み締めるたびに、口の奥で味が重なり合い、最後に表情がほぐれる。
「……これは、たまらない」
「芋は時間をかけて火を通しています。急ぐと崩れますから」
「崩れそうで崩れない。けれど、噛めばとろける。そんな絶妙な仕上がりだ」
「口の中で完成するよう、火を止めています」
「……なるほど。料理は、火を止めるところで決まるのか」
「はい。火を止めるときが、味の締めどきです」
男は深くうなずいてから、味噌汁を啜った。その音が、湯気のなかで自然に溶けていく。
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