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蕪の皮を剥く手を止めず、私は鍋の火の加減を片目で確認した。火が落ち着いていれば、煮ものは音を立てずに深く味を含む。午の刻を過ぎたばかりのやわらぎ亭には、いつもの午後よりも少しだけ熱気があった。米が三度炊かれた日には、店も私の動きも、自然と軽くなる。
「おし乃さん、蕪の葉も一緒に使いますか?」
良太が盆を片手に、炊き場の様子を見に来た。
「はい。葉は湯がいて、刻んで炒めておきましょう。ご飯に添えれば、それだけで一膳になります」
「はい。刻みは細かめに?」
「大きさを揃えることが先です。細かいかどうかは、炊きたての飯を見て決めます」
「なるほど……」
彼はすっと盆を置いて、裏へまわった。私も蕪の皮を剥き終えると、半月に切り揃え、だしを張った鍋にそっと並べた。火を入れると、蕪の白さがだんだんと透けていく。その変化を見ていると、時が少しゆるやかに流れる気がした。
裏口から湯気が立ちのぼり、良太が刻んだ蕪の葉を湯がいて持ってきた。
「おし乃さん、色が飛ばないように火を止めるとき、氷水がいいと聞きました」
「氷があれば、ですね。水でも充分。ただ、手早くが肝心です」
「さっき、隣の桶屋さんが氷を届けてくれました。ほら、これ」
手のひらにのせられた小さな氷の塊は、午の陽の中できらきらと光っていた。私はその氷を受け取り、湯がいた葉をさっと冷やす。
「これなら、色も味も残ります」
「少しだけ、塩を振っていいですか?」
「はい。塩は見えるところで。隠れてしまうと、味が死にます」
良太が蕪の葉に塩をふり、菜箸で混ぜる手元を見守る。私は煮ていた蕪の鍋を火から下ろし、湯気を浴びると、外からまた足音がした。
「こんにちは、おし乃さん!」
元気な声と一緒に入ってきたのは、お初だった。朝に続いて、今日三度目の来訪だった。
「お初さん、また来たのですか」
「お母ちゃんがね、やっぱりやわらぎ亭の炊き込みご飯を食べたいって。夕方には家に客が来るの。だから、今のうちに頼めるかって」
「では、蕪と葉の炊き合わせに、ちりめんじゃこを混ぜて一膳お作りしましょう」
「うれしい!絶対喜ぶと思う」
「それと、漬け物も添えましょう。今朝の胡瓜、もう食べごろです」
「お母ちゃん、胡瓜が一番好きなのよ。昔、塩漬けの胡瓜だけで飯三杯いったって自慢してた」
「それは、良い舌をお持ちですね」
私は一合分の炊き込みご飯を用意し、小さな折に盛りつけた。香りを逃さないよう、蓋を閉める前に海苔を細く刻んであしらう。お初は大事そうにその包みを抱えて、満面の笑みで帰っていった。
「……良いですね。ああいう笑顔を見ると、米を炊いててよかったなって思います」
良太がそう言いながら、米を研ぐ手を再び動かした。
「それが、私の言ってきた“炊く意味”です」
「はい、ようやくわかってきた気がします」
彼の手つきに迷いがなくなってきたのは、ただ技を覚えたからではない。火と水と、米と客。それぞれの流れを一つに見るようになったからだろう。
私が囲炉裏の火を見直していると、戸の外で静かな声がした。
「失礼いたします」
のれんの向こうから入ってきたのは、朝のあの男。三たびの来訪。今度は迷いのない足取りだった。
「ようやく時間が取れました。今度こそ、ゆっくり味わいたくて」
「どうぞ。炊きたての飯と、蕪の含め煮がございます」
「それをお願いします」
私は器を温め、炊きたての蕪の炊き合わせをそっと盛る。味の滲んだ汁を少し張り、葉を添えて色を引き立てる。飯はふっくらと、香りが立つ程度に軽くよそう。
男は静かに箸を取り、ひと口、口に運んだ。
「……やはり、来てよかった」
「ありがとうございます」
「この味……どこかで食べた記憶があります。けれど、それが思い出せない。でも、思い出せないことが心地いい」
「記憶に残すより、記憶から零れる味の方が、舌に残ります」
「それだ。……そう、それなんです」
良太が後ろからそっと炊き場に近づいてきた。私の目線の先を辿るように、客の食べ方を見ていた。口に運ぶ角度、噛む速さ、箸の動き。どれも、よく見ていた。
男が膳を下げたあと、立ち上がる前に、私の方へ静かに頭を下げた。
「今度は、誰かを連れてまいります。……その人にも、この味を食べさせたくて」
「ありがとうございます。席はいつでもございます」
男が去ったあと、良太がぽつりと漏らした。
「不思議な人ですね。言葉のひとつひとつに、芯がある」
「舌が整っていれば、言葉も整います」
「……料理が、整えるんですね」
「料理というより、食べ方が人を表します。だからこそ、私たちは“食べる人”をよく見るんです」
良太がうなずいた。炊き場の火はまだ安定していた。今夜まで、まだ数釜は炊ける。私は次の米を盆にとり、研ぎに入った。
「おし乃さん、蕪の葉も一緒に使いますか?」
良太が盆を片手に、炊き場の様子を見に来た。
「はい。葉は湯がいて、刻んで炒めておきましょう。ご飯に添えれば、それだけで一膳になります」
「はい。刻みは細かめに?」
「大きさを揃えることが先です。細かいかどうかは、炊きたての飯を見て決めます」
「なるほど……」
彼はすっと盆を置いて、裏へまわった。私も蕪の皮を剥き終えると、半月に切り揃え、だしを張った鍋にそっと並べた。火を入れると、蕪の白さがだんだんと透けていく。その変化を見ていると、時が少しゆるやかに流れる気がした。
裏口から湯気が立ちのぼり、良太が刻んだ蕪の葉を湯がいて持ってきた。
「おし乃さん、色が飛ばないように火を止めるとき、氷水がいいと聞きました」
「氷があれば、ですね。水でも充分。ただ、手早くが肝心です」
「さっき、隣の桶屋さんが氷を届けてくれました。ほら、これ」
手のひらにのせられた小さな氷の塊は、午の陽の中できらきらと光っていた。私はその氷を受け取り、湯がいた葉をさっと冷やす。
「これなら、色も味も残ります」
「少しだけ、塩を振っていいですか?」
「はい。塩は見えるところで。隠れてしまうと、味が死にます」
良太が蕪の葉に塩をふり、菜箸で混ぜる手元を見守る。私は煮ていた蕪の鍋を火から下ろし、湯気を浴びると、外からまた足音がした。
「こんにちは、おし乃さん!」
元気な声と一緒に入ってきたのは、お初だった。朝に続いて、今日三度目の来訪だった。
「お初さん、また来たのですか」
「お母ちゃんがね、やっぱりやわらぎ亭の炊き込みご飯を食べたいって。夕方には家に客が来るの。だから、今のうちに頼めるかって」
「では、蕪と葉の炊き合わせに、ちりめんじゃこを混ぜて一膳お作りしましょう」
「うれしい!絶対喜ぶと思う」
「それと、漬け物も添えましょう。今朝の胡瓜、もう食べごろです」
「お母ちゃん、胡瓜が一番好きなのよ。昔、塩漬けの胡瓜だけで飯三杯いったって自慢してた」
「それは、良い舌をお持ちですね」
私は一合分の炊き込みご飯を用意し、小さな折に盛りつけた。香りを逃さないよう、蓋を閉める前に海苔を細く刻んであしらう。お初は大事そうにその包みを抱えて、満面の笑みで帰っていった。
「……良いですね。ああいう笑顔を見ると、米を炊いててよかったなって思います」
良太がそう言いながら、米を研ぐ手を再び動かした。
「それが、私の言ってきた“炊く意味”です」
「はい、ようやくわかってきた気がします」
彼の手つきに迷いがなくなってきたのは、ただ技を覚えたからではない。火と水と、米と客。それぞれの流れを一つに見るようになったからだろう。
私が囲炉裏の火を見直していると、戸の外で静かな声がした。
「失礼いたします」
のれんの向こうから入ってきたのは、朝のあの男。三たびの来訪。今度は迷いのない足取りだった。
「ようやく時間が取れました。今度こそ、ゆっくり味わいたくて」
「どうぞ。炊きたての飯と、蕪の含め煮がございます」
「それをお願いします」
私は器を温め、炊きたての蕪の炊き合わせをそっと盛る。味の滲んだ汁を少し張り、葉を添えて色を引き立てる。飯はふっくらと、香りが立つ程度に軽くよそう。
男は静かに箸を取り、ひと口、口に運んだ。
「……やはり、来てよかった」
「ありがとうございます」
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