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水を張った盆の中で、米がきらきらと踊る。冷たさの中に芯を残して、指先の抵抗が変わるまで研ぐ。良太が静かに脇で見守っているのがわかった。炊き場に立つ時間が長くなるにつれ、彼の気配は道具のように馴染んできた。
「おし乃さん、炊きこみには、この米を使いますか?」
「ええ。風が止んだので、今の米が一番穏やかに炊けます」
「椀は、さっきの浅めのやつで?」
「違います。次は深め。蓋をしたとき、香りが残るように」
「了解です」
炊き場の向こうでは、次の鍋が湯気を立てはじめていた。今度の献立は、山椒味噌で和えた大根と、胡麻の香りを移した焼き豆腐。夕刻に近づく頃は、香りの立つものを欲しがる人が多い。空腹より、疲れの方が勝る時間だからだ。
良太が椀を拭き、私は味噌を練る。山椒の実をすり潰し、白味噌に少しの砂糖と酒を加える。強すぎず、甘すぎず、舌に残るように加減する。炊いた大根はすでに下味を含ませてあるので、あとは和えるだけ。
「香り……すごいですね、この味噌」
「立てすぎると、他の味を隠します。だから、香らせるのは一瞬です」
練った味噌に大根を和え、焼いた豆腐と並べて器に盛る。良太が見ているので、あえて説明はしない。盛り付けは見て覚えるもの。器の形、菜の流れ、空白の分量。それらを直感で掴んでいく。
ちょうどそのとき、戸が開いた。入ってきたのは、今朝来た仕立て屋の親方だった。若い者が持ち帰った折詰が気に入ったのだろう。
「よぉ、やわらぎ亭。うちの小僧がえらく褒めてな。ちょいと味を確かめに来た」
「ありがとうございます。夕餉の支度ができております。少々、香りのある一膳ですがよろしいですか?」
「いいとも。香りが立つってことは、気も立つってこった」
私は一礼し、用意した大根と豆腐の一皿に、炊きたての飯、味噌汁を添える。飯は少し固めに炊いてある。香りが立つ料理には、柔らかすぎる米は馴染まない。
親方はぐっと椀を手に持ち、まずは味噌汁を啜った。そのあと、ゆっくりと大根に箸を運ぶ。
「……おう、こう来たか」
「合い口はいかがですか?」
「味噌が立ってるのに、豆腐がそれを吸ってる。大根が橋渡しになってる。上出来だ」
「ありがとうございます」
「それに、この飯。芯があるのに、固くない。米の炊き分けができてる店は信用できる」
「うちの見習いが、本日の水加減を決めました」
「ほう。そいつは目がいい」
良太が照れたようにうなずく。私は次の椀の支度にかかる。今度は芋の炊き合わせ。香りではなく、舌に残るぬくもりを添える。
親方が食べ終える頃、もう一人客が現れた。さきほどの謎の男だった。今日は少し薄暗い着物をまとい、目元にわずかな疲れが見える。
「三日目。今度は、連れてきました」
連れていたのは、歳のころ五十前後の男。身なりは控えめだが、腰の据わった立ち姿に風格がある。目が合った瞬間に、私は何も尋ねず、器を取りにかかった。
「やわらぎ亭の味、どうしても食べさせたくて」
「ありがとうございます。椀をふたつ、お作りします」
「献立は?」
「炊きたての芋の含め煮と、大根葉の混ぜ飯。味噌汁は、刻み葱と胡麻です」
「理想的です。彼の胃にも優しい」
私は深めの椀を温め、芋を一つずつ手で並べる。煮崩れはないが、角が丸くなっていて、口当たりが穏やかになる。飯はしっかり混ぜて、最後に刻み海苔を少し添えた。
ふたりの男は並んで座り、黙って箸を取った。湯気が二人の間に揺れ、静かな音だけが続いた。
「……これは、うまい」
「やわらぎ亭の名は、伊達じゃないな」
「ありがたいお言葉です」
良太が炊き場の奥で、何も言わず、ただその様子を見ていた。湯気の中で、彼の目が何かを確かに掴もうとしているのがわかった。私は次の釜の準備にとりかかりながら、炊き場の火がまだ落ち着いていることに満足していた。
「おし乃さん、炊きこみには、この米を使いますか?」
「ええ。風が止んだので、今の米が一番穏やかに炊けます」
「椀は、さっきの浅めのやつで?」
「違います。次は深め。蓋をしたとき、香りが残るように」
「了解です」
炊き場の向こうでは、次の鍋が湯気を立てはじめていた。今度の献立は、山椒味噌で和えた大根と、胡麻の香りを移した焼き豆腐。夕刻に近づく頃は、香りの立つものを欲しがる人が多い。空腹より、疲れの方が勝る時間だからだ。
良太が椀を拭き、私は味噌を練る。山椒の実をすり潰し、白味噌に少しの砂糖と酒を加える。強すぎず、甘すぎず、舌に残るように加減する。炊いた大根はすでに下味を含ませてあるので、あとは和えるだけ。
「香り……すごいですね、この味噌」
「立てすぎると、他の味を隠します。だから、香らせるのは一瞬です」
練った味噌に大根を和え、焼いた豆腐と並べて器に盛る。良太が見ているので、あえて説明はしない。盛り付けは見て覚えるもの。器の形、菜の流れ、空白の分量。それらを直感で掴んでいく。
ちょうどそのとき、戸が開いた。入ってきたのは、今朝来た仕立て屋の親方だった。若い者が持ち帰った折詰が気に入ったのだろう。
「よぉ、やわらぎ亭。うちの小僧がえらく褒めてな。ちょいと味を確かめに来た」
「ありがとうございます。夕餉の支度ができております。少々、香りのある一膳ですがよろしいですか?」
「いいとも。香りが立つってことは、気も立つってこった」
私は一礼し、用意した大根と豆腐の一皿に、炊きたての飯、味噌汁を添える。飯は少し固めに炊いてある。香りが立つ料理には、柔らかすぎる米は馴染まない。
親方はぐっと椀を手に持ち、まずは味噌汁を啜った。そのあと、ゆっくりと大根に箸を運ぶ。
「……おう、こう来たか」
「合い口はいかがですか?」
「味噌が立ってるのに、豆腐がそれを吸ってる。大根が橋渡しになってる。上出来だ」
「ありがとうございます」
「それに、この飯。芯があるのに、固くない。米の炊き分けができてる店は信用できる」
「うちの見習いが、本日の水加減を決めました」
「ほう。そいつは目がいい」
良太が照れたようにうなずく。私は次の椀の支度にかかる。今度は芋の炊き合わせ。香りではなく、舌に残るぬくもりを添える。
親方が食べ終える頃、もう一人客が現れた。さきほどの謎の男だった。今日は少し薄暗い着物をまとい、目元にわずかな疲れが見える。
「三日目。今度は、連れてきました」
連れていたのは、歳のころ五十前後の男。身なりは控えめだが、腰の据わった立ち姿に風格がある。目が合った瞬間に、私は何も尋ねず、器を取りにかかった。
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「献立は?」
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ふたりの男は並んで座り、黙って箸を取った。湯気が二人の間に揺れ、静かな音だけが続いた。
「……これは、うまい」
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「ありがたいお言葉です」
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