29 / 100
29
しおりを挟む
「金さん、また地味な格好でいらっしゃいましたね」
店に入ってきたのは、いつものように町人に扮した遠山金四郎、金さんだった。
「ははは、おし乃さんには敵わんな。これでもずいぶんと気を使っているつもりなんだが」
「いえいえ、お召し物は庶民的でも、その佇まいと眼光は隠せませんよ」
「参ったな。おし乃さんの観察眼には、いつも驚かされる」
金さんはそう言いながら、いつもの席に腰を下ろした。
「今日は何がいただけるかな?実は、昨夜からおし乃さんの飯が恋しくてならなかったんだ」
「それは光栄です。今朝は、焼き油揚げと大根おろしに、しじみの味噌汁をご用意しておりましたが、金さんでしたら、何かお好みのものをお作りしましょうか?」
「いや、それがいい。気取らない、そういう朝餉が一番だ。それに、おし乃さんの選ぶ献立に間違いはないからな」
「ありがとうございます。では、すぐに支度いたしますね」
良太が金さんのためにお茶を淹れている。その所作も、以前とは比べ物にならないほど落ち着いていて、見ていて安心感がある。
「良太君も、すっかり逞しくなったな。最初に来た時とは、まるで別人だ」
金さんが良太に声をかけると、良太は少しはにかみながら頭を下げた。
「金四郎様のおかげでございます。いつも気にかけていただき、感謝しております」
「はは、俺は何もしていないさ。おし乃さんの飯と、君自身の努力の賜物だよ」
金さんの言葉は、いつも人を勇気づける。彼がこの店に運んでくるのは、ただ空腹を満たすためだけではないのだろう。
「さあ、金さん、お待たせいたしました」
膳を運ぶと、金さんは満足そうに頷いた。
「うん、これだ。この香り、この湯気。これが江戸の朝だよな」
まずは味噌汁を一口。そして、ご飯と焼き油揚げを交互に口に運ぶ。その食べ方は、いつ見ても本当に美味しそうで、見ているこちらも幸せな気分になる。
「…ふぅ、染みるな。このしじみの味噌汁は、五臓六腑に染み渡るようだ。昨夜の酒が、すっと抜けていくのがわかる」
「それは良かったです。しじみは肝臓に良いと申しますからね」
「ああ、それにこの焼き油揚げと大根おろし。単純なようでいて、奥が深い。油揚げの香ばしさと大根の辛味が絶妙だ。おし乃さんの手にかかると、どんな食材もこうして輝き出すのだから、大したものだよ」
「恐れ入ります。食材が持つ本来の味を引き出してやることが、私の役目ですから」
金さんは黙々と食べ進め、やがて満足そうに息をついた。
「ごちそうさまであった。いや、実に美味かった。これで今日の仕事もはかどりそうだ」
「お役に立てて何よりです」
「ところで、おし乃さん。最近、この深川界隈で、腕のいい料理人がいると噂になっているのを知っているかな?」
金さんの言葉に、私は少し首を傾げた。
「いえ、存じ上げませんでしたが…どちら様のことでしょう?」
「それがな、どうやら『やわらぎ亭』のおし乃さんのことらしいのだよ」
「まあ…」
思いがけない言葉に、私は少し驚いた。私の料理が、そんな風に噂になっているとは。
「先日、とある会合でな、食通で知られるご隠居が、深川にそれは見事な一膳飯屋があると話していてな。聞けば、元武家の娘が一人で切り盛りしている店で、その料理は派手さはないが、じんわりと心に沁みる味わいだと絶賛していたのだ」
「それは…身に余る光栄です」
「いやいや、当然のことだよ。おし乃さんの料理は、それだけの価値がある。そのご隠居も、近々お忍びで訪ねてみたいと話していたぞ」
「そうですか…いつお客様がいらっしゃっても恥ずかしうないように、精進いたしませんとね」
金さんはにっこりと笑った。
「その必要はないさ。おし乃さんは、今のままで素晴らしい。ただ、あまり無理はしないようにな。おし乃さんが倒れてしまっては、江戸の町から楽しみが一つ減ってしまうからな」
「お心遣い、痛み入ります。大丈夫ですよ、私には良太君もおりますし」
私の言葉に、良太が力強く頷いた。
「はい!おし乃さんをお支えするのが、私の役目です!」
「頼もしいな、良太君」
金さんは満足そうに頷くと、懐から銭を取り出し、膳の脇に置いた。
「さて、そろそろ行くとするか。おし乃さん、良太君、今日も美味い飯をありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました。お気をつけて」
金さんを見送ると、店の空気がまた少し変わったような気がした。嬉しい噂は、やはり心を弾ませる。けれど、それに浮足立つことなく、私はいつものように、目の前の一膳に心を込めるだけだ。
「良太、そろそろ次の釜の準備を始めましょうか。今日は、少し多めに炊いておいた方が良さそうね」
「はい、おし乃さん!腕が鳴ります!」
良太の元気な声が、朝のやわらぎ亭に心地よく響いた。
昼餉の支度に取り掛かろうとした矢先、店の戸ががらりと開いた。
「おし乃さん!大変だ!」
息を切らして飛び込んできたのは、八百屋の忠吉だった。その顔は青ざめ、ただならぬ様子がうかがえる。
「忠吉さん、どうしたんです?そんなに慌てて」
「それが…うちの、うちの娘のお花が…!」
忠吉は言葉を詰まらせ、額の汗を手の甲で拭った。
「お花ちゃんが、どうかしたのですか?」
「今朝から、熱が高くて、うなされてるんだ!医者にも診てもらったんだが、風邪だろうとは言うものの、薬を飲んでも一向に良くなる気配がなくてな…。食欲も全然なくて、水さえも喉を通らないようなありさまで…」
忠吉の声は震えていた。一人娘のお花ちゃんを、どれほど心配しているかが痛いほど伝わってくる。お花ちゃんはまだ五つになったばかりの、それは可愛らしい女の子だ。
「何か、何かお花が口にできるものはないだろうかと思って…おし乃さんのところなら、何か知恵を貸してくれるんじゃないかと思って、飛んできたんだ!」
「落ち着いてください、忠吉さん。お花ちゃんの具合、詳しく聞かせていただけますか?」
私は忠吉を店の奥の上がり框に座らせ、熱いお茶を一杯出した。良太も心配そうに、私たちの傍に控えている。
「熱は高いけれど、咳や鼻水は?お腹の具合は?」
「咳も鼻も出てねえんだ。腹も、別に痛がってる様子はねえ。ただ、ぐったりしていて、時々魘されるように泣くだけで…」
「そうですか…。食欲がない時は、無理に食べさせてもいけません。でも、水分だけは摂らせないと…」
私は少し考えた。熱が高く、食欲がない。けれど、他に目立った症状がない。こういう時、下手に薬味の強いものや、消化の悪いものは逆効果になる。
「忠吉さん、お花ちゃんは、甘いものは好きでしたよね?」
「ああ、大好きだ。特に、葛湯とか、そういうとろりとした甘いものが…」
「それなら、良いものがあります。すぐに作りますから、少し待っていてください」
私は炊き場へ向かうと、棚から葛粉と上白糖を取り出した。そして、昨日仕込んでおいた梅干しの中から、一番熟れて柔らかそうなものを選び出す。
「良太、小鍋に湯を沸かしてくれる?それから、この梅干しの種を取って、裏ごししておいて」
「はい、おし乃さん!」
良太はすぐに湯を沸かし始め、梅干しの処理に取り掛かった。私は葛粉を少量の水で溶き、沸いた湯に少しずつ加えながら、手早く練り上げていく。焦がさないように、だまにならないように、火加減に細心の注意を払いながら。
葛が透き通るような美しい飴色になり、とろりとした良い塩梅になったところで火から下ろす。そこへ、裏ごしした梅肉と上白糖を加え、ゆっくりと混ぜ合わせた。ふわりと梅の甘酸っぱい香りが立ち上る。
「これを、お花ちゃんに」
私は出来上がった梅葛湯を小さな椀によそい、忠吉に差し出した。
「これは…?」
「梅葛湯です。葛は体を温め、消化も良い。梅の酸味は食欲を刺激し、殺菌効果も期待できます。甘くて口当たりも良いですから、きっとお花ちゃんもこれなら少しは口にしてくれるかもしれません」
「おお…!ありがとう、おし乃さん!本当にありがとう!」
忠吉は梅葛湯の入った椀を、まるで宝物のように大切に両手で受け取った。
「冷めないうちに、早くお花ちゃんのところへ。そして、これを飲ませる時も、焦らず、少しずつ、優しく声をかけながらあげてくださいね」
「わかった!本当に、何てお礼を言ったらいいか…!」
忠吉は何度も頭を下げると、梅葛湯を抱えて飛ぶように店を出て行った。
「お花ちゃん、良くなるといいですね」
良太が心配そうに呟いた。
「ええ、きっと大丈夫よ。子供の回復力は、大人が思うよりずっと強いものですから」
そうは言ったものの、やはり気がかりではある。忠吉の必死な顔が目に焼き付いていた。
昼餉の支度をしながらも、どこか気持ちが落ち着かない。どうかお花ちゃんが、あの梅葛湯を口にして、少しでも元気を取り戻してくれますように。そう願わずにはいられなかった。
そんな私の心配をよそに、昼どきのやわらぎ亭は、いつものように賑わいを見せていた。常連の職人たちが、額に汗して働く合間に、おし乃の飯で腹を満たしに来る。
「おし乃さん、今日の煮物、絶品だな!味がしっかり染みてて、飯が進むぜ!」
「ありがとうございます。今日は少し濃いめの味付けにしてみました」
「姐さん、ここの漬物、どうしてこんなに美味いんだい?家で漬けても、こうはいかねえよ」
「それは、愛情を込めているからですよ」
客たちの威勢の良い声と、美味しそうに飯を頬張る顔。それらが、私の心を少しずつ和ませてくれる。この店は、やはりこうでなくては。
店に入ってきたのは、いつものように町人に扮した遠山金四郎、金さんだった。
「ははは、おし乃さんには敵わんな。これでもずいぶんと気を使っているつもりなんだが」
「いえいえ、お召し物は庶民的でも、その佇まいと眼光は隠せませんよ」
「参ったな。おし乃さんの観察眼には、いつも驚かされる」
金さんはそう言いながら、いつもの席に腰を下ろした。
「今日は何がいただけるかな?実は、昨夜からおし乃さんの飯が恋しくてならなかったんだ」
「それは光栄です。今朝は、焼き油揚げと大根おろしに、しじみの味噌汁をご用意しておりましたが、金さんでしたら、何かお好みのものをお作りしましょうか?」
「いや、それがいい。気取らない、そういう朝餉が一番だ。それに、おし乃さんの選ぶ献立に間違いはないからな」
「ありがとうございます。では、すぐに支度いたしますね」
良太が金さんのためにお茶を淹れている。その所作も、以前とは比べ物にならないほど落ち着いていて、見ていて安心感がある。
「良太君も、すっかり逞しくなったな。最初に来た時とは、まるで別人だ」
金さんが良太に声をかけると、良太は少しはにかみながら頭を下げた。
「金四郎様のおかげでございます。いつも気にかけていただき、感謝しております」
「はは、俺は何もしていないさ。おし乃さんの飯と、君自身の努力の賜物だよ」
金さんの言葉は、いつも人を勇気づける。彼がこの店に運んでくるのは、ただ空腹を満たすためだけではないのだろう。
「さあ、金さん、お待たせいたしました」
膳を運ぶと、金さんは満足そうに頷いた。
「うん、これだ。この香り、この湯気。これが江戸の朝だよな」
まずは味噌汁を一口。そして、ご飯と焼き油揚げを交互に口に運ぶ。その食べ方は、いつ見ても本当に美味しそうで、見ているこちらも幸せな気分になる。
「…ふぅ、染みるな。このしじみの味噌汁は、五臓六腑に染み渡るようだ。昨夜の酒が、すっと抜けていくのがわかる」
「それは良かったです。しじみは肝臓に良いと申しますからね」
「ああ、それにこの焼き油揚げと大根おろし。単純なようでいて、奥が深い。油揚げの香ばしさと大根の辛味が絶妙だ。おし乃さんの手にかかると、どんな食材もこうして輝き出すのだから、大したものだよ」
「恐れ入ります。食材が持つ本来の味を引き出してやることが、私の役目ですから」
金さんは黙々と食べ進め、やがて満足そうに息をついた。
「ごちそうさまであった。いや、実に美味かった。これで今日の仕事もはかどりそうだ」
「お役に立てて何よりです」
「ところで、おし乃さん。最近、この深川界隈で、腕のいい料理人がいると噂になっているのを知っているかな?」
金さんの言葉に、私は少し首を傾げた。
「いえ、存じ上げませんでしたが…どちら様のことでしょう?」
「それがな、どうやら『やわらぎ亭』のおし乃さんのことらしいのだよ」
「まあ…」
思いがけない言葉に、私は少し驚いた。私の料理が、そんな風に噂になっているとは。
「先日、とある会合でな、食通で知られるご隠居が、深川にそれは見事な一膳飯屋があると話していてな。聞けば、元武家の娘が一人で切り盛りしている店で、その料理は派手さはないが、じんわりと心に沁みる味わいだと絶賛していたのだ」
「それは…身に余る光栄です」
「いやいや、当然のことだよ。おし乃さんの料理は、それだけの価値がある。そのご隠居も、近々お忍びで訪ねてみたいと話していたぞ」
「そうですか…いつお客様がいらっしゃっても恥ずかしうないように、精進いたしませんとね」
金さんはにっこりと笑った。
「その必要はないさ。おし乃さんは、今のままで素晴らしい。ただ、あまり無理はしないようにな。おし乃さんが倒れてしまっては、江戸の町から楽しみが一つ減ってしまうからな」
「お心遣い、痛み入ります。大丈夫ですよ、私には良太君もおりますし」
私の言葉に、良太が力強く頷いた。
「はい!おし乃さんをお支えするのが、私の役目です!」
「頼もしいな、良太君」
金さんは満足そうに頷くと、懐から銭を取り出し、膳の脇に置いた。
「さて、そろそろ行くとするか。おし乃さん、良太君、今日も美味い飯をありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました。お気をつけて」
金さんを見送ると、店の空気がまた少し変わったような気がした。嬉しい噂は、やはり心を弾ませる。けれど、それに浮足立つことなく、私はいつものように、目の前の一膳に心を込めるだけだ。
「良太、そろそろ次の釜の準備を始めましょうか。今日は、少し多めに炊いておいた方が良さそうね」
「はい、おし乃さん!腕が鳴ります!」
良太の元気な声が、朝のやわらぎ亭に心地よく響いた。
昼餉の支度に取り掛かろうとした矢先、店の戸ががらりと開いた。
「おし乃さん!大変だ!」
息を切らして飛び込んできたのは、八百屋の忠吉だった。その顔は青ざめ、ただならぬ様子がうかがえる。
「忠吉さん、どうしたんです?そんなに慌てて」
「それが…うちの、うちの娘のお花が…!」
忠吉は言葉を詰まらせ、額の汗を手の甲で拭った。
「お花ちゃんが、どうかしたのですか?」
「今朝から、熱が高くて、うなされてるんだ!医者にも診てもらったんだが、風邪だろうとは言うものの、薬を飲んでも一向に良くなる気配がなくてな…。食欲も全然なくて、水さえも喉を通らないようなありさまで…」
忠吉の声は震えていた。一人娘のお花ちゃんを、どれほど心配しているかが痛いほど伝わってくる。お花ちゃんはまだ五つになったばかりの、それは可愛らしい女の子だ。
「何か、何かお花が口にできるものはないだろうかと思って…おし乃さんのところなら、何か知恵を貸してくれるんじゃないかと思って、飛んできたんだ!」
「落ち着いてください、忠吉さん。お花ちゃんの具合、詳しく聞かせていただけますか?」
私は忠吉を店の奥の上がり框に座らせ、熱いお茶を一杯出した。良太も心配そうに、私たちの傍に控えている。
「熱は高いけれど、咳や鼻水は?お腹の具合は?」
「咳も鼻も出てねえんだ。腹も、別に痛がってる様子はねえ。ただ、ぐったりしていて、時々魘されるように泣くだけで…」
「そうですか…。食欲がない時は、無理に食べさせてもいけません。でも、水分だけは摂らせないと…」
私は少し考えた。熱が高く、食欲がない。けれど、他に目立った症状がない。こういう時、下手に薬味の強いものや、消化の悪いものは逆効果になる。
「忠吉さん、お花ちゃんは、甘いものは好きでしたよね?」
「ああ、大好きだ。特に、葛湯とか、そういうとろりとした甘いものが…」
「それなら、良いものがあります。すぐに作りますから、少し待っていてください」
私は炊き場へ向かうと、棚から葛粉と上白糖を取り出した。そして、昨日仕込んでおいた梅干しの中から、一番熟れて柔らかそうなものを選び出す。
「良太、小鍋に湯を沸かしてくれる?それから、この梅干しの種を取って、裏ごししておいて」
「はい、おし乃さん!」
良太はすぐに湯を沸かし始め、梅干しの処理に取り掛かった。私は葛粉を少量の水で溶き、沸いた湯に少しずつ加えながら、手早く練り上げていく。焦がさないように、だまにならないように、火加減に細心の注意を払いながら。
葛が透き通るような美しい飴色になり、とろりとした良い塩梅になったところで火から下ろす。そこへ、裏ごしした梅肉と上白糖を加え、ゆっくりと混ぜ合わせた。ふわりと梅の甘酸っぱい香りが立ち上る。
「これを、お花ちゃんに」
私は出来上がった梅葛湯を小さな椀によそい、忠吉に差し出した。
「これは…?」
「梅葛湯です。葛は体を温め、消化も良い。梅の酸味は食欲を刺激し、殺菌効果も期待できます。甘くて口当たりも良いですから、きっとお花ちゃんもこれなら少しは口にしてくれるかもしれません」
「おお…!ありがとう、おし乃さん!本当にありがとう!」
忠吉は梅葛湯の入った椀を、まるで宝物のように大切に両手で受け取った。
「冷めないうちに、早くお花ちゃんのところへ。そして、これを飲ませる時も、焦らず、少しずつ、優しく声をかけながらあげてくださいね」
「わかった!本当に、何てお礼を言ったらいいか…!」
忠吉は何度も頭を下げると、梅葛湯を抱えて飛ぶように店を出て行った。
「お花ちゃん、良くなるといいですね」
良太が心配そうに呟いた。
「ええ、きっと大丈夫よ。子供の回復力は、大人が思うよりずっと強いものですから」
そうは言ったものの、やはり気がかりではある。忠吉の必死な顔が目に焼き付いていた。
昼餉の支度をしながらも、どこか気持ちが落ち着かない。どうかお花ちゃんが、あの梅葛湯を口にして、少しでも元気を取り戻してくれますように。そう願わずにはいられなかった。
そんな私の心配をよそに、昼どきのやわらぎ亭は、いつものように賑わいを見せていた。常連の職人たちが、額に汗して働く合間に、おし乃の飯で腹を満たしに来る。
「おし乃さん、今日の煮物、絶品だな!味がしっかり染みてて、飯が進むぜ!」
「ありがとうございます。今日は少し濃いめの味付けにしてみました」
「姐さん、ここの漬物、どうしてこんなに美味いんだい?家で漬けても、こうはいかねえよ」
「それは、愛情を込めているからですよ」
客たちの威勢の良い声と、美味しそうに飯を頬張る顔。それらが、私の心を少しずつ和ませてくれる。この店は、やはりこうでなくては。
31
あなたにおすすめの小説
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
【完結】『江戸一番の菓子屋と嘘つき娘』
月影 朔
歴史・時代
江戸日本橋の片隅に佇む、小さな甘味処「春告鳥」。
そこで看板娘として働くおみえは、笑顔と真心で客を迎える、明るく評判の娘だ。
しかし彼女には、誰にも言えぬ秘密があった――
おみえは、心優しき店主夫婦に拾われた孤児なのだ。
その恩に報いるため、大好きなこの店を守るため、「江戸一番」の味を守るため、おみえは必死にもがく。
これは、秘密と嘘を抱えた一人の娘が、逆境の中で真心と向き合い、家族や仲間との絆を通して成長していく感動の物語。
おみえは、大切な春告鳥を守り抜くことができるのか?
彼女のついた嘘は、吉と出るか、それとも凶と出るか?
江戸の町を舞台に繰り広げられる、涙と笑顔の人情譚。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
元Sランク受付嬢の、路地裏ひとり酒とまかない飯
☆ほしい
ファンタジー
ギルド受付嬢の佐倉レナ、外見はちょっと美人。仕事ぶりは真面目でテキパキ。そんなどこにでもいる女性。
でも実はその正体、数年前まで“災厄クラス”とまで噂された元Sランク冒険者。
今は戦わない。名乗らない。ひっそり事務仕事に徹してる。
なぜって、もう十分なんです。命がけで世界を救った報酬は、“おひとりさま晩酌”の幸福。
今日も定時で仕事を終え、路地裏の飯処〈モンス飯亭〉へ直行。
絶品まかないメシとよく冷えた一杯で、心と体をリセットする時間。
それが、いまのレナの“最強スタイル”。
誰にも気を使わない、誰も邪魔しない。
そんなおひとりさまグルメライフ、ここに開幕。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる