毒の微笑

チャイムン

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8.ギリアン子爵長女アーシアの旅立ち②《最終話》

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 侯爵家の私的なお茶会、つまりアーシアとその祖父母だけのお茶会にたスリヤは度々招かれた。そこでは侯爵夫人キルシュと孫アーシアが手ずから作った茶菓が振舞われ、アーシア自らがお茶を淹れる家庭的なものだった。

 スリヤはアーシアへの思いをますます募らせ、ある日庭を共に逍遥した折にアーシアに求婚した。

「国に帰ったら正式に求婚の願いを出しますが、受けてくださいますか?」
 スリヤの問いにアーシアは微笑んで「はい」と頷いた。

 そのすぐ後に、エイダ侯爵家とギリアン子爵へにスリヤは「アーシアの社交界デビューのパートナーを務めたい」と願い出た。
 もちろん、両家に否やはなかった。

 シーラン王国では貴族の子女は十二歳で社交界にデビューして国王と王妃に目通りが叶わなくては婚約も結婚も許されない。
 もちろん、それ以前に婚約者候補が決まっていることも多く、その場合、婚約者がパートナーを務める。
 いない場合は親族が務める。
 この冬のカッツェのデビューにはアーシアがパートナーを務めることになっている。

 つまりデビューの場でスリヤがアーシアのパートナーを務めたことは、事実上の婚約内定の報告でもあったのだ。

 十八歳と十二の二人は社交界では、微笑ましく認められた婚約者同士だ。

 翌年王立学園の高等科へ飛び級入学したアーリアと穏やかながらも睦まじい交流を持った。
 まだままごとのような兄妹のような穏やかな感情ながらも、スリヤはアーシアと共に生きるならば幸福を得られるだろうと確信した。

 翌年の帰国後、正式にワレン王国からスリヤとアーシアの婚約の申し込みが届き、国同士の交流にとっても両者にとっても喜ばしいと国王は受諾した。
 受諾はしたが、いくつか問題が立ちふさがった。

 ますエイダ侯爵家が孫可愛さにすぐに国外に出すことを渋った。しかし、王命に逆らうことはできず、アーシアがまだ十三歳で幼いことをあげて婚儀はせめて十七歳になるまで待って欲しいと訴えた。

 そしてギリアン子爵家の爆発があった。
 ヨランダに焚きつけられたシンシアが大騒ぎの大暴れで反対したのだ。

「ずるい!アーシアはずるい!いつもいつもずるい!」
 まるでアーシアが生まれた時のヨランダだ。

 アーシアにとっては六歳差でお似合いと言える年の差だが、シンシアにとっては十歳差。
 キースがいくら
「シンシアには年頃になったらちゃんと婚約者ができるから」「十歳も年上で会ったことのない人なんだよ?」などと宥めても効果がない。

「王子様がいいの!おうじさま!!」
 他国語どころか自国語で自分の名前も書けない八歳の子供をどうして他国に嫁がせられるものか。

 この子供は体が大きく力が強かったため、使用人への被害が甚大だった。
 ありとあらゆるものを破壊せんばかりの大暴れに加え、何の咎もない使用人に物を投げつける、扇や習い始めた乗馬の鞭で叩く。


 下働きの下女が扇や鞭で叩かれている悲鳴に駆け付けたアーシアが度々止めに入ったが、その鞭で強かに打たれ顔を腫らす椿事が出来した。
 しかも祖父ホルヘルが訪問中の出来事だった。

 この時アーシアは打たれ続けながらも、シンシアの鞭を掴んで取り上げて彼女の太腿を加減して一度打ち
「まだ誰かを打つつもりならば覚悟しなさい」
 と鞭を振り上げて脅すと、シンシアは泣いて逃げ出した。

 アーシアが顔に傷を負ったことで、シンシアは鞭も扇も取り上げられ、乗馬のレッスンも断念を余儀なくされた。
 シンシアはホルヘルからきつく叱られ、アーシアは
「これから使用人に手を上げたら、同じことを私があなたにします」
 と宣言した。
 しかし自分に行われることは耐えたので、その後もこの時の悔しさでシンシアはアーシアにも殴る蹴るの暴行を行った。ホルヘルに知れることを恐れたキースが、王都の館から学園に通っていたアーシアを寮へ避難させ、シンシアとヨランダは領地に戻された。
 折しも社交のシーズンだったため、社交の場が大好きなヨランダはアーシアを恨んだ。

 実はヨランダもシンシアも表立っては粗暴な行いは知られていなかった。淑女らしい振る舞いができ、家人以外の他人の前ではおとなしやかに振舞っていたのだが、この一件で本性が外へ漏れてしまった。

 ワレン王国側ではそアーシアが十七歳まで婚儀を待つことを飲んだが、十四歳から十六歳の二年間、留学させることを条件に出した。
 第三王子であるスリヤだが、結婚後は王家直轄地を治める重職に就くことが決まっていたため、王族のままで臣に下らない決定がなされていたからだ。
 アーシアにワレン王国の王族としての礼儀作法、およびその他の教育が必須だと譲らなかった。

 と、これは表向き。

 ギリアン子爵家の内情、ヨランダとシンシアの悪評はワレン王国へ届き、特にシンシアがアーシアに鞭をふるった話がかなりの尾ひれをつけて。留学は彼女を守るためにスリヤが願い出たのだ。

 今、アーシアはこの時のことを思い出して息をふっと吐き、そっと微笑んだ。

 実はアーシアはわざと顔に鞭を受けたのだ。

(あの時はいちかばちかだったわ。大きな事件と衆目を集めなければ、いつまでも事がおさまらなかった。鞭は痛かったしその後のことも痛かったけれど、あのまま表面だけいい顔をしたまま王都に留まられては、わたくしの婚約は疵がつき、使用人への被害も酷いことになっていたもの)

 アーシアはおとなしく静かな性格の裏に、エイダ家とギリアン家、そしてアンシェラ家から受け継いだ苛烈さを秘めていた。
 ただヨランダやシンシアとは別の方向に向いていただけだ。

 自分の我儘を通すための攻撃ではなく、他を守るための手段としては多少の荒事は致し方ないとうい方向で。

 ヨランダとシンシアの目を欺くために、「仮」を申し出たのもアーシアだった。
 実質的には婚約は確定扱いだ。

 それを「仮」とするのは方便の他ならない。

「今はシンシアは八歳。まだ国交のなんたるかもよく理解していません。今は対外的に婚約者候補として母と妹に納得させ、妹がデビューしてから審議にかけるということにしていただけないでしょうか?」

 両国王にその旨上奏文を、スリヤには気心のしれた同士の悪戯めいた手紙をしたため、「仮」の婚約という体裁を整えたのだ。

 ワレン王国への留学から帰った頃には、シンシアは十に歳。分別がつくかもしれない。つかなくとも既に時遅し。
 婚儀の準備が始まるのだ。

 出来得ることなら、いやかなり高い可能性で起こるだろう。シンシアの爆発が。そしてヨランダのシンシア贔屓の暴走が。
 騒ぎは大きければ大きいほどいい。

 それを理由に「ヨランダとシンシアは気の病の療養のため、一時的に医療施設が充実した修道院行き」となることが、アーシアとエイダ侯爵家の間で準備されている。
「一時的」とは便利な言葉だ。「治癒」されなければ逗留は長引くのだ。
 おそらく生涯、修道院に留まることになるだろう。

 それは残していく弟カッツェへの置き土産だ。
 これによってカッツェは二十一歳になれば平らかにギリアン子爵家を継ぎ、父キースは隠居となる。

 アーシアは微笑む。

 ここから永遠に出られる。
 息苦しいこの国から。

 エイダの祖父母は大好きで尊敬している。しかし、自分への溺愛が他者を不安にさせるほど盲愛していることをアーシアは気づいていた。

 伯父であるハーランド伯爵ジムサとその長男ラリーが、ホルヘルを疑っていた。
 アーシアを手元に置くために養女にし、婿を取って侯爵家を継がせるのではないかと。

 そんな悋気の疑心暗鬼でひと騒動起きそうな時期でもあった。
 実際に留学前に、アーシアはエイダ侯爵家の養女になっている。侯爵令嬢として留学するのだ。
 それはシーラン王国の体裁のためである。

 侯爵令嬢ならば他国の王族との結婚にふさわしい。

 そしてギリアン子爵家の母と妹の手が届かなくなる。

 このままこの国で憎まれ続けるのはたまらない。

 気心の知れた人と、憧れの南の国で暮らすのだ。

 そう、アーシアの中にも「毒」がある。

 それは遅効性の猛毒だ。

 気づいた時には手遅れなのだ。
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感想 1

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みんなの感想(1件)

ゆう
2024.11.29 ゆう

すごい面白かった
違う話も読んでみたいです

2024.11.29 チャイムン

感想ありがとうございます。
これは投稿サイトに投稿し始めた初期のものなので、どうぞ他の作品も読んでいただけれると嬉しいです。

解除

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