おさかなごっこ

ちょこ

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◇◇◇イナダ◇◇◇

◇9◇ 労働

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 周囲に注意をして歩くと、バイト募集の貼り紙は至るところにあった。駅までの道の電柱に、電車の中のドア脇に、路上で手渡されるティッシュの中にも、スタッフ募集と書かれた紙が入れられている。ときどき行く雑貨屋や洋服屋の入口にも、レジ横の壁にも、詳細はスタッフまで、と書かれている。

 ショップ店員とか、かっこいいよなぁ、と思う。全身新作の洋服を纏い、髪型もアクセサリーもコーディネートして、みんなにお手本を示しているような感じだ。芸能人なんじゃないかと思うくらいキレイな人もいっぱいいる。

「ああ、けど無理かなぁ。あんなキラキラした存在感、私にはないものなぁ」

 リアルに想像してみると珠子の腰は引けた。いつかはあんなふうになってみたい、という気持ちがないわけではないけれど、すぐには難しいと思う。

 渋谷、新宿、と買い物をするでもなく歩いてまわって得た結論はそれだった。仕事はあるのに自分にはハードルが高い。それを見せつけられたようで、なんだかどっと疲れていた。
 うん、わかった。今日はもうここまでにしよう。珠子の足は自然と帰路をたどり始めていた。地元に帰る。今の珠子の、新しくできた地元に。
 駅に降りるとホッとする。すでに、帰る場所、となっているのが不思議な気がする。ここが自分の居場所なのだと、大げさかもしれないけれど感じる。少なくとも、この街の一員になったのだと思う。サトミ先輩の部屋のある、この街の一員に。
 ああ、そうだ、今日はサトミ先輩出かけてるんだった。疲れて止まっていた頭が動き出したのか、珠子は急に思い出した。どうしよう、スーパーに寄っていこうかな。そう思うと、ものすごくお腹が空いた気がしてきた。
 なんやかんやと食事の心配もしてくれるサトミ先輩のことだから、冷蔵庫いっぱいに食材が入っていたりするのだろうけれど、これからなにかを作るという気力は沸かなかった。作れる料理のレパートリーがそんなにはない、というのもあるけれど。

 あ、そうだ、コロッケを買って帰ろう。思い付いて、駅とマンションのちょうど真ん中くらいにあるスーパーに寄り道した。

 夕方の混雑した時間帯なだけあって、お惣菜売り場は大盛況だった。次々と運ばれてくる、できたての揚げ物やお弁当が、みんなの購買意欲をかき立てている。珠子もコロッケ三種盛り、なんていう大きなパックを手にしていた。そうしてホカホカのコロッケを手に、レジ待ちをしているとき、袋詰めをするサッカー台のある壁に貼られた派手なポスターが、珠子の目に留まった。バイト募集の貼り紙だ。未経験者歓迎、高校生可、とある。

 高校生でもオッケーなんだったら、私でも採用されるかな。ショップ店員を目指すにしろ、販売系のバイト経験はぜったいに必要だと思う。軽くなっていく一方だと感じるお財布を手に、珠子はそんなことを考えていた。


「品出しや検品が主な仕事となります。一日中、どこかしらの棚の商品が少なくなるから、出しても出しても終わらないって感じになっちゃうんだけど、大丈夫かしら?」

 大丈夫です、以外に言うべき言葉は思い付かなかった。

「お惣菜作りの下準備のお手伝いなんかをお願いすることもあるけど、調理はイヤだとかある?」

「大丈夫です。あ、でもお料理はあんまりしたことがなくって……」

「それこそ大丈夫だから安心して。接客は、そうだな、初めてならまだ止めておきましょう。慣れたらお願いするかも」

 スーパーのバイトはあっさりと決まった。

 面接をしてくれた、おだやかな店長が、そのときやるべき仕事を指示してくれる。「これできるかな」、「やっておいてくれるかな」、とマリのお母さんがマリに用事を頼むときの感じで。そしてそれは店長だけでなく、働いている人みんながおんなじ雰囲気だった。

 アットホームとはこのことだろう。出勤するたびに、知り合いの家にお手伝いに来ている感じだな、と珠子は思った。思いながら赤いエプロンをする。肩ひもを背中で交差させ、腰のあたりで結ぶエプロンだった。ボタンは一つもなく、ポケットもない。平べったいエプロンが業務用のエプロンなのだと珠子は認識した。

 最初に覚えたのは、じゃがいもの皮むきだった。このスーパーのオリジナルコロッケはファンの多い人気商品なのだと店長が胸を張る。家庭科の調理実習で作ったコロッケとほとんど変わらないやり方で、毎日、数えきれないくらいのコロッケが作られていた。おばあちゃん、正確にはオーナーのお母さん、が社員やアルバイトを何人か従えて、夕ご飯の準備みたいな顔をして作っている。

「力を抜いて軽―く、テンポよく、がコツよ」

 じゃがいもを手の中で回すようにしてピーラーを当てていく方法を、おばあちゃんから教わった。

「うまい、うまい! リズムがあっていいわね」

 おばあちゃんに褒めらえて調子に乗った珠子は、次々にじゃがいもを手に取り、すぐに皮むきの腕を上げた。出勤すると同時に、「お手伝いに来てくれる?」と、おばあちゃんから声がかかるまでになった。

 皮むきが終わると、今度は店内の空きの多い棚を探して歩き、商品を運んで補充する。一日数時間のバイトは想像よりもあっというまで、一日どころか一週間も、すぐに過ぎてしまった。


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