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◇◇◇イナダ◇◇◇
◇11◇ネオン
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「へー、これがウワサのサトミの妹? かわいいね!」
「高校生だっけ?」
「名前は? なにちゃん?」
バイトを終えて帰宅すると、サトミ先輩の友達が集まっていた。
「ちょっと、これ、なんて、タマちゃんのこと呼ばないでよ、もうーっ」
サトミ先輩は騒ぎ立てる友達を諌めつつ、課題提出の準備をするために大学の友人が来たのだと教えてくれる。
「へー、タマちゃんっていうんだ。どこ行ってたの?」
「バイト?」
質問はあちこちから飛んでくる。誰に答えればいいのかわからず、珠子はただ頷いた。
「なんのバイトしてんの?」
続く質問者は一人だけだった。
「スーパーのアルバイトです」
「そりゃまた地道だね。かわいいんだからもっと効率よく稼げばいいのに。いまどきみんなそうしてるよ」
「まあ、気持ちはわかるけどね。スーパーとコンビニはバイト初心者の定番だし」
「学生じゃないんだよね。だったら、もっとこう、ショップ店員とか、探したらいいのに」
具体的なことを答えると、全員が同時に口を開くようだ。好きなことを好きなように言い始める。取り囲まれて、じろじろ見られ、わぁわぁと騒ぎ立てられる。これが大学生のノリなのか、東京のノリなのか、慣れない雰囲気に珠子はドギマギする。
それに、みんなってなに? みんなが効率よく稼げるの? 珠子の頭の中は、はてなマークでいっぱいになった。
「そうだ、明日試しに来てみる?」
一人がそう言うと、他の人たちも一斉にサトミ先輩を見た。
「うちらみんないるし、いいよね、サトミ?」
「うーん、タマちゃんがいいならいいけど、お酒飲ませたりなんてしないでよ」
「へーき、へーき、任せといて」
「聞くだけじゃ、どんなバイトかわからないでしょ? ちょっと試しに連れていってあげる!」
一瞬で話は決まっていた。話の内容に珠子は全くついていけなかったけれど、後から確認すると、サトミ先輩の友達たちがやっているバイトを、珠子も試してみることになっていた。
駅前で待ち合わせをした。珠子が着くとすぐに、サトミ先輩の部屋で会った3人の女子大生もやってきて、繁華街のど真ん中、立ち入ったことのない小路をぐんぐん奥へと、珠子を連れていった。こじんまりとしたビルを、エレベーターで5階にあがる。薄暗い廊下が外見よりもずっと長く続いていて、そこはただの、ガランとしたマンションのようだった。
「店は6階にあるんだけどさ、ここで準備してくよ」
広めのワンルームに入る。部屋全体がクローゼットのようで、いくつも設置されたハンガーラックに、ワンピースやドレスがずらりと並んでいる。
「変身ごっこだと思って、好きなのを選んでよ」
好きなもの、と言われても、ふだん珠子が着るような服は一着もなかった。サイズだって書かれているわけでもなく、なにをきっかけに選んでいいのか、見当もつかない。
あんまり派手じゃないのがいい、かな。まごまごしながら、できるだけ淡い色のドレスを手に取ってみるものの、とてもシンプルと呼べるようなデザインではない。
じゃあ、装飾が少なそうなものに、と見てみると、今度は胸元が大きく開いていたり、やけに深いスリットが入っていたりするものばかりだ。すぐに、珠子が着ることのできる服なんて一つもなさそうだと悟った。
どうしよう。どうしてこんなところに来ちゃったんだろう。頭の中は後悔の念が渦巻き、珠子の手は完全に止まってしまった。
「決められない? よし、じゃあ、うちらが決めてあげる!」
この部屋に一緒に入った、サトミ先輩の友達三人が、救いの手を差し伸べてくれた。それぞれがすでに、フワフワ膨らんだワンピースと、するりと身体の表面を流れる触り心地の良さそうなドレスに、もうとにかく胸、としか思えない肩を出したドレスに着替えている。
どれも私には着られない。珠子は逃げ出したくなった。実際にはとても逃げたりできないので、ああいうのを着なければならないのか、と落ち込むだけなのだったけれど。
そんな珠子に手渡された服は、ちょっと系統のちがうものだった。これでもかというくらい、胸元にはレースが重ねられ、例えるならば王子様のブラウスのようなもので、その下に、短すぎないタイトスカートがくっついていた。これもまた自分ではぜったいに選ばない部類の服ではあるけれど、けっしてキライではない。
「着替えたらすぐこっちに座って。お化粧してあげるから」
「髪もちょっと巻いてあげる」
言われるがまま、されるがままに任せる。あっというまに、珠子ではない珠子が完成していた。
「いいじゃん、いいじゃん。じゃあ、最後にこれ書こう!」
照れくさくなるくらいに褒められながら、珠子はカードとペンを受け取った。ヒロイン候補、と肩書だけが印刷された名刺みたいなカードだ。
「名前はどうする? タマちゃん、別の名前って持ってる? 持ってないよね? そうだな、キャリーとかどう?」
「いいんじゃない? そうしなよ!」
訊いておいて返事を待たずに話を進める。これも大学生のノリなのだろうか。まあ、いいんだけど、どうやら、ここでの珠子の名前が決まったらしかった。
「それぜんぶに、キャリーって書いて」
30枚くらいのカードを手書きの名刺にするのだという。よりにもよって、キャリーというのは、カタカナで書きづらい名前だった。5枚目以降は、なにを書いているのか、文字があっているのかまちがっているのか、わからなくなるまま、とにかく書いた。
そして出来上がったカードを手に、階段を上って店に向かう。
店はカジュアルクラブ、と言うらしい。高級クラブのまねごとをアルバイトがする。まねごとゆえ、比較的料金は手ごろで、友達感覚の接客が気軽に楽しめる、というのが客側の利点。ホステスやキャバクラ嬢のように美を磨かずとも高い時給が得られるバイト、というのが働く側の利点らしい。
入店したら、黒服のお兄さんに指示されたテーブルへ行く。にこやかに挨拶する先輩たちに続いてお客さんにカードを渡し、ソファの端に座る。
「へー、候補ちゃんか。よろしくねー」
手慣れた様子で珠子の名刺を受け取った男が言う。
「慣れるまでは、言われたことをオウム返ししていればいいから」
メイク途中に教わったことを思い出し、珠子も返事をする。
「ハイ、こちらこそ、よろしくお願いします」
「ほっほーっ、ういういしーっ」
軽いノリと高いテンションにびっくりした。そしてそれは挨拶だけではなく、ずーっと続く。
すぐに珠子はどうしたらいいのか、わからなくなった。言葉はポンポンと飛び出してきて、話題はくるくると変わった。考える暇もない。聞いているだけでせいいっぱいだ。そして慣れるまもなく30分で、別のテーブルへの移動を指示される。
そうやって、珠子はただただ話を聞いていた。3時間で5テーブルを、初めは先輩たちに、そのあとは知らないお姉さんたちにくっついていって、カードを渡して、挨拶し、話を聞いて渡り歩いた。
なにもしていないのに、なにもできなかったのに、なんだかとても疲れていた。頭も身体も信じられないくらいに重い。
「お疲れ。ギャラ受け取ってから帰って」
最後に店の奥、キッチンのさらに奥へ行くよう、お兄さんに指示され、一人分の机と椅子しか入らないような事務室でパソコンに向かうおばさんから、無言で封筒を渡された。これで終わりらしい。先輩たちはまだ、お客さんのテーブルについている。挨拶もできそうになかったから、珠子は静かに店を出た。
できれば歩きたくなかったけれど、そうもいかない。重い身体をなんとか動かして帰路につく。ドアに貼り付くようにして満員電車に乗った。真っ暗なガラスは、鏡みたいに車内を映していた。眉間にシワの寄った珠子の顔も映る。
なにをしているんだろう、と思う。こんなにも疲れて、それでいて、なにもできなかった無力感が募る。なにをしたのだろう。仕事をしたという気はしない。あえて言うのならば、時間を売った、そんな感じがした。
「効率よく稼げばいい。いまどきみんなそうしてるよ」
サトミ先輩の部屋で聞いた言葉が頭に浮かぶ。これが効率がいい、ということなのか。みんなこうしている?
みんな……。たぶん、その「みんな」には、自分は入らないな。珠子はそんなことを考えた。
帰ってから封筒を開けてみると、小さな紙切れと二万円が入っていた。紙切れには給与明細、体験入店即日現金払い一万円と印刷され、その下に手書きで、チップ有り、本人分一万円、と書かれていた。
「高校生だっけ?」
「名前は? なにちゃん?」
バイトを終えて帰宅すると、サトミ先輩の友達が集まっていた。
「ちょっと、これ、なんて、タマちゃんのこと呼ばないでよ、もうーっ」
サトミ先輩は騒ぎ立てる友達を諌めつつ、課題提出の準備をするために大学の友人が来たのだと教えてくれる。
「へー、タマちゃんっていうんだ。どこ行ってたの?」
「バイト?」
質問はあちこちから飛んでくる。誰に答えればいいのかわからず、珠子はただ頷いた。
「なんのバイトしてんの?」
続く質問者は一人だけだった。
「スーパーのアルバイトです」
「そりゃまた地道だね。かわいいんだからもっと効率よく稼げばいいのに。いまどきみんなそうしてるよ」
「まあ、気持ちはわかるけどね。スーパーとコンビニはバイト初心者の定番だし」
「学生じゃないんだよね。だったら、もっとこう、ショップ店員とか、探したらいいのに」
具体的なことを答えると、全員が同時に口を開くようだ。好きなことを好きなように言い始める。取り囲まれて、じろじろ見られ、わぁわぁと騒ぎ立てられる。これが大学生のノリなのか、東京のノリなのか、慣れない雰囲気に珠子はドギマギする。
それに、みんなってなに? みんなが効率よく稼げるの? 珠子の頭の中は、はてなマークでいっぱいになった。
「そうだ、明日試しに来てみる?」
一人がそう言うと、他の人たちも一斉にサトミ先輩を見た。
「うちらみんないるし、いいよね、サトミ?」
「うーん、タマちゃんがいいならいいけど、お酒飲ませたりなんてしないでよ」
「へーき、へーき、任せといて」
「聞くだけじゃ、どんなバイトかわからないでしょ? ちょっと試しに連れていってあげる!」
一瞬で話は決まっていた。話の内容に珠子は全くついていけなかったけれど、後から確認すると、サトミ先輩の友達たちがやっているバイトを、珠子も試してみることになっていた。
駅前で待ち合わせをした。珠子が着くとすぐに、サトミ先輩の部屋で会った3人の女子大生もやってきて、繁華街のど真ん中、立ち入ったことのない小路をぐんぐん奥へと、珠子を連れていった。こじんまりとしたビルを、エレベーターで5階にあがる。薄暗い廊下が外見よりもずっと長く続いていて、そこはただの、ガランとしたマンションのようだった。
「店は6階にあるんだけどさ、ここで準備してくよ」
広めのワンルームに入る。部屋全体がクローゼットのようで、いくつも設置されたハンガーラックに、ワンピースやドレスがずらりと並んでいる。
「変身ごっこだと思って、好きなのを選んでよ」
好きなもの、と言われても、ふだん珠子が着るような服は一着もなかった。サイズだって書かれているわけでもなく、なにをきっかけに選んでいいのか、見当もつかない。
あんまり派手じゃないのがいい、かな。まごまごしながら、できるだけ淡い色のドレスを手に取ってみるものの、とてもシンプルと呼べるようなデザインではない。
じゃあ、装飾が少なそうなものに、と見てみると、今度は胸元が大きく開いていたり、やけに深いスリットが入っていたりするものばかりだ。すぐに、珠子が着ることのできる服なんて一つもなさそうだと悟った。
どうしよう。どうしてこんなところに来ちゃったんだろう。頭の中は後悔の念が渦巻き、珠子の手は完全に止まってしまった。
「決められない? よし、じゃあ、うちらが決めてあげる!」
この部屋に一緒に入った、サトミ先輩の友達三人が、救いの手を差し伸べてくれた。それぞれがすでに、フワフワ膨らんだワンピースと、するりと身体の表面を流れる触り心地の良さそうなドレスに、もうとにかく胸、としか思えない肩を出したドレスに着替えている。
どれも私には着られない。珠子は逃げ出したくなった。実際にはとても逃げたりできないので、ああいうのを着なければならないのか、と落ち込むだけなのだったけれど。
そんな珠子に手渡された服は、ちょっと系統のちがうものだった。これでもかというくらい、胸元にはレースが重ねられ、例えるならば王子様のブラウスのようなもので、その下に、短すぎないタイトスカートがくっついていた。これもまた自分ではぜったいに選ばない部類の服ではあるけれど、けっしてキライではない。
「着替えたらすぐこっちに座って。お化粧してあげるから」
「髪もちょっと巻いてあげる」
言われるがまま、されるがままに任せる。あっというまに、珠子ではない珠子が完成していた。
「いいじゃん、いいじゃん。じゃあ、最後にこれ書こう!」
照れくさくなるくらいに褒められながら、珠子はカードとペンを受け取った。ヒロイン候補、と肩書だけが印刷された名刺みたいなカードだ。
「名前はどうする? タマちゃん、別の名前って持ってる? 持ってないよね? そうだな、キャリーとかどう?」
「いいんじゃない? そうしなよ!」
訊いておいて返事を待たずに話を進める。これも大学生のノリなのだろうか。まあ、いいんだけど、どうやら、ここでの珠子の名前が決まったらしかった。
「それぜんぶに、キャリーって書いて」
30枚くらいのカードを手書きの名刺にするのだという。よりにもよって、キャリーというのは、カタカナで書きづらい名前だった。5枚目以降は、なにを書いているのか、文字があっているのかまちがっているのか、わからなくなるまま、とにかく書いた。
そして出来上がったカードを手に、階段を上って店に向かう。
店はカジュアルクラブ、と言うらしい。高級クラブのまねごとをアルバイトがする。まねごとゆえ、比較的料金は手ごろで、友達感覚の接客が気軽に楽しめる、というのが客側の利点。ホステスやキャバクラ嬢のように美を磨かずとも高い時給が得られるバイト、というのが働く側の利点らしい。
入店したら、黒服のお兄さんに指示されたテーブルへ行く。にこやかに挨拶する先輩たちに続いてお客さんにカードを渡し、ソファの端に座る。
「へー、候補ちゃんか。よろしくねー」
手慣れた様子で珠子の名刺を受け取った男が言う。
「慣れるまでは、言われたことをオウム返ししていればいいから」
メイク途中に教わったことを思い出し、珠子も返事をする。
「ハイ、こちらこそ、よろしくお願いします」
「ほっほーっ、ういういしーっ」
軽いノリと高いテンションにびっくりした。そしてそれは挨拶だけではなく、ずーっと続く。
すぐに珠子はどうしたらいいのか、わからなくなった。言葉はポンポンと飛び出してきて、話題はくるくると変わった。考える暇もない。聞いているだけでせいいっぱいだ。そして慣れるまもなく30分で、別のテーブルへの移動を指示される。
そうやって、珠子はただただ話を聞いていた。3時間で5テーブルを、初めは先輩たちに、そのあとは知らないお姉さんたちにくっついていって、カードを渡して、挨拶し、話を聞いて渡り歩いた。
なにもしていないのに、なにもできなかったのに、なんだかとても疲れていた。頭も身体も信じられないくらいに重い。
「お疲れ。ギャラ受け取ってから帰って」
最後に店の奥、キッチンのさらに奥へ行くよう、お兄さんに指示され、一人分の机と椅子しか入らないような事務室でパソコンに向かうおばさんから、無言で封筒を渡された。これで終わりらしい。先輩たちはまだ、お客さんのテーブルについている。挨拶もできそうになかったから、珠子は静かに店を出た。
できれば歩きたくなかったけれど、そうもいかない。重い身体をなんとか動かして帰路につく。ドアに貼り付くようにして満員電車に乗った。真っ暗なガラスは、鏡みたいに車内を映していた。眉間にシワの寄った珠子の顔も映る。
なにをしているんだろう、と思う。こんなにも疲れて、それでいて、なにもできなかった無力感が募る。なにをしたのだろう。仕事をしたという気はしない。あえて言うのならば、時間を売った、そんな感じがした。
「効率よく稼げばいい。いまどきみんなそうしてるよ」
サトミ先輩の部屋で聞いた言葉が頭に浮かぶ。これが効率がいい、ということなのか。みんなこうしている?
みんな……。たぶん、その「みんな」には、自分は入らないな。珠子はそんなことを考えた。
帰ってから封筒を開けてみると、小さな紙切れと二万円が入っていた。紙切れには給与明細、体験入店即日現金払い一万円と印刷され、その下に手書きで、チップ有り、本人分一万円、と書かれていた。
応援ありがとうございます!
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