お譲りさん

ちょこ

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3/3話

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 今朝は出勤前にメールをした。「譲る人」としての最終確認のメールだ。

「当日となりましたが、ご都合はお変わりありませんか?」

 今日のわたしがどんな服を着ているか、わかるように自撮りした写真を、斜め上から、きっちり見えなくてもなんとなく顔の雰囲気もわかるように撮ったものを、添付する。待ち合わせをした新宿駅で少しでもわたしを探しやすいように、そんなふうに相手のことを気遣って最終プロセスを踏む。

 返信はだいたい昼休みに届く。外で働いている人は多少の違いはあってもおおよそおなじようなリズムで生活しているから、朝夕の通勤時間、昼休みの時間帯に連絡をとりやすい人が多い。今日もそのタイミングで連絡が入ってホッとする。

「ありがとうございます。待ち合わせ、問題ありません。後ほどよろしくお願いいたします。
 追伸、もしよかったらお目にかかった際、少しお時間をいただけませんか? ちょうど今日からスタバの新商品が発売のようです」

 パンをかじりながら開いたメッセージにはそんなことが書いてあった。

「少しお時間をいただけませんか……」

 そこからもう一度、確認するように心の中で音読する。

 びっくりした。お誘いの言葉があるメッセージをもらったのは初めてだった。予想外の展開に、「もしかして?」と思う。もしかして、今回が待ち続けている運命の一回かもしれない。

 今回のお譲り先であるウサミミさんは、これまでのわたしの投稿を見て、わたしがスタバ好きだと気付いてくれたのかもしれない。取引相手として以上に、わたしに興味を持ってくれたのかもしれない。具体的な店名に妄想は膨らんだ。

 定時を告げるチャイムと同時に仕事を切り上げて、約束の六時になる少し前から、わたしは新宿駅東口の改札と向かい合っていた。ドキドキを隠すようにスマホの画面を真剣に眺める。いつも通り俯いて、視界に入ってくる靴先を待つ。

「梅田さん!」

 突然、誰かに名前を呼ばれた。びっくりして顔を上げると、すぐそばに職場の先輩が立っていた。ゾッとした。普段、会社以外の場所で職場の人に遭遇することなどないというのに、こういうことは望まないときにばかり起こる。
待ち合わせの時間が迫っているのに、どうしたものか。わたしは脳ミソを高速回転させて考えた。

「待ち合わせでしょ?」

 先輩はわかりきったことを訊く。「ハイ」と返事をすれば、できる限りの最短で話を切り上げることができるだろうか。余計な詮索のような質問を呼んでしまうだろうか。わたしがほんの少し答えを迷っているあいだに、

「私も! 私も!」

 先輩はひとりテンションをあげている。わたしがなんと返事をしようが、ひとりでしゃべり続けそうな勢いだ。

 まいったな。どうやってこの場を収集すべきか、考えたいのに先輩の声がわたしの思考を途切れさせる。

「譲ってくださいって連絡したの、私なの」

 先輩のトーンの高い声が一段と高くなり、わたしの身体を一瞬、ビビッと電流が走った。

「えっ?」

 反射のように問い返す。

「だから、待ち合わせでしょ? ウサミミって私なの」

 わたしの返事など必要とせずに、先輩は話続けた。




 出勤してすぐ梅田さんの服を見て、今日の待ち合わせ相手、ひとえうめさんが梅田さんだと気が付いた。なるほどそう言われてみれば、俯いた顔の感じにすごく見覚えがあったはずだ。間違いない。

 でも、梅田さんってこういう人だったかしら。誰かを追いかけたり、熱心に観劇したりしている雰囲気はまったく感じたことがないし、SNSで知らない誰かとやり取りしたり、実際に会うみたいなことをしている人とはタイプが違う気がする。

 ああ、そうか、隠しているのか。私と一緒じゃない。すぐにピンときたわ。

 梅田さんだってわかった勢いのまま、会社で話しかけちゃおうっていう気にもなっていたのだけれど、私と一緒だったらって思いとどまったの。会社では複数の人の目もあるしね。ほら、「チケットが……」なんて話していたら、おたくだ、ミーハーだって騒がれちゃったりするでしょう? 外野だからこそいろいろ言ってくる人がいる、みたいな。そういうの、私は面倒に思うから、梅田さんもそうかなってね。

 そうだ、スタバじゃなくって、居酒屋かなにかにする?




 先輩はそこまで一気にペラペラと喋った。

 スルスルとよく動く口を見ていて、わたしは絶望した。運命の出会いなんかじゃなかった。よりにもよって、相手は職場の先輩だった。わたしの正体が、入念に作り上げているわたしのアカウントが、先輩にバレてしまった。ペラペラと喋る口で、こんなふうに重さなんてまったく見当たらない口で、これから先輩はわたしに話しかけてくるようになるのだろうか。考えただけで未来は真っ暗だった。

 わたしが出会いたいのはこういう人じゃない!

 思ったときにはもう、わたしは逃げ道を考え始めていた。今回のやり取りやメッセージをすべて削除する。先輩のアカウントは二度と話しかけられないようブロックする。すぐにでもしなければならないことだけを考えた。考えながら、意味深な間や、ていねいな仕草はぜんぶ省いて、そそくさとチケットと現金を交換し、やり取りを終わらせる。

「では、わたしは用事がありますので」

 先輩がなにか言葉を発する隙を与えずに、改札の中へと猛ダッシュで走る。階段を一段抜かしで駆け上り、タイミングよくドアの開いた電車に乗り込んだ。ハアハアとあがる息を整えながらホームに目をやる。だいじょうぶ、先輩の姿はない。

 安心した途端、暗い窓の外に映る自分の顔が見えて悲しくなった。目は落ちくぼみ、下まぶたにははっきりとクマができている。髪もボサボサで、とてもではないが正視していられない。

 こんなはすじゃなかった。そう、こんなんじゃないと思う。

 たしかにわたしは親しくできる友達を望んでいるけれど、それは今、わたしの身近にいる人物ではダメなのだ。仲良くなる前にわたしを知り過ぎている人、わたしとおなじ、どこか淋しい匂いをさせている人ではダメなのだ。現在に言い訳したり、とりつくろったり、そんなことが必要な相手とは正常な関係を築くことなんてできない。ゼロから、できるなら多少プラスの時点から、真新しい関係を始めたい。

 そのための「譲る人」に、まさかこんなリスクがあるなんて。起きてしまったことは仕方がないとして、早急にリセットしなければ。

 手櫛で髪を整えながら、わたしは気持ちをあらためる。次からなにかできる対策があるだろうか。おなじ轍は踏まない。そんなことまで考えながら、わたしは大失敗の一日を終えるべく、家路を急いだ。



 もろもろの削除やアカウントのブロックを終えてもしばらくは、会社という現実世界での面倒が続いた。先輩はチラチラとわたしのまわりに姿を見せた。幸いにも業務上話をする必要はない。視線に気付いても気が付かないフリをする。

 お互いに存在はわかれど関わらなければならないことはないに等しいのだ。これまでどおりにすればいいだけ。「私と一緒」たしか先輩はそんな言葉で、自らのことを隠していると言っていた。隠しているのはおなじなのだから、わかって欲しい。ただわたしは先輩にも隠しておきたかっただけなのだ。

 わたしのことは忘れて欲しい。とにかく無視を決め込む。多少、心が痛む気もするけれど仕方がない。

 胸の痛みを抑え、マイナスの気持ちを相殺するために、わたしはより一層、楽しいことに精を出した。人気のある舞台や俳優さんをチェックし、気になったものについて思ったことをSNSに投稿する。チケット情報を調べては次々と抽選に申し込む。

 当たったら一回は必ず観に行くし、重複したチケットはお譲り先探しをすることができる。どちらも考えただけでワクワクする。そういう時間が一日を充実させ、生活に張りを出した。楽しい。実に楽しい。

 そうしていつか、わたしは友達を見つけるのだ。ソウルメイトだとビビッとくるとか、ぴったりな感触に泣きそうになるとか、そういうものが自然と訪れるのを待つ。

 近くに座る女性社員から小さく歓声があがった。誰かのお土産のお菓子が配られているらしい。

「伊藤さんからお土産です」

 わたしのデスクにも小さなおまんじゅうが届けられた。

「ありがとうございます」

 幸せな気持ちになってお礼を言う。

 数が足りないときには、わたしの席はスルーされるのだ。どこのオフィスでも起こりがちな菓子無視。そういうことをされるメンバーも順番も、だいたい決まっている。会社で友達を作っている人たちは友達以外にはそういうことをする。

 そんな場面を目にする度にわたしはうんざりした。ああいう風にはなりたくないと思う。

 わたしは会社に友達を作りに来ているわけじゃない。仕事をしに来ているのだ。友達はもっとふさわしい場所でちゃんと見つかる。気持ちいい関係を築ける相手が。

「チケットが重複したため、お譲り先を探しています」

 ワクワクしながらわたしは今日する書き込みの文面を考える。帰ったらすぐに書こう。ああ次は、どんな人に会えるだろうか。

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