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2/3話
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半年前のことだ。高校生のころ大好きでよく聴いていたバンドが一夜限りの復活ライブをすると、駅や街のあちこちに大々的に貼られているポスターを見て知った。わたしはライブに通うような熱心な音楽ファンではないのだけれど、一度くらい生で聴いておいたほうがいいかも、そんなことを急に思って、チケット購入の申し込みをした。
けれどチケットはゲットできなかった。予約抽選に外れ、まあ仕方がないとあらためて申し込もうとした一般発売は、発売枚数に達したため販売終了と、そっけなく伝えて来るアナウンス画面にしかお目にかかれなかった。
モヤモヤとどうにも諦めきれない気持ちを抱え、わたしはチケットについて検索をした。探してみれば、キャンセル待ちだとか、なにか手だてがあるかもしれない。
そしてわたしは自分の甘さを知る。一夜限りの復活ライブのチケットは、たいへんなプラチナチケットとなっているらしく、インターネットの世界にはチケットを求める人がわんさかといた。探しています、譲ってください、なにか入手手段はありませんか、そんな言葉がありがたい呪文ででもあるかのように、あちこちで繰り返されている。
摩擦が指に良くないのではないかと心配になるくらい、スマホの画面を何十回とスクロールしてやっと、「譲ります」という言葉を見つけた。その言葉は、とあるSNSの中にあった。会員同士でなければ会話はできない。わたしはすぐにそこにアカウントを作った。
「譲ります」と投稿しているアカウントに話しかける。
「本垢を教えてもらえますか?」
すぐに返って来たコメントには、そんな言葉が書かれていた。
半年前のわたしは、それがなにを意味する言葉なのか、わからなかった。秘密の合言葉にも似た使われ方をしているとは思いもよらなかった。なにを言われているのかわからず、そのときの自分の状況を、チケットが欲しくて検索し、このメッセージを送るために初めてSNSを使っているのだと返信した。
本当のことだった。ブログやSNSなど、見るぶんには見ることもあったけれど、それでも、これまで自分でアカウントを作ってみようと思ったことはなかった。とりわけ書きたいこともないし、定期的に更新しなければならないとか、わたしには面倒にしか思えなかった。パソコンだって持っていないから、月末になってスマホの通信速度に制限がかかれば、インターネットなんて全く見なくなってしまう。
ブログやSNSや情報発信ツールのようなものが人気のコミュニケーション手段となっていることも、若者以外でも利用者が多いことも、知ってはいた。けれどわたしのまわりでは声高に使用を薦める人もいなければ、一緒に始めようという人もいなかったし、誰かに招待されて飛び込んでみるようなチャンスもなかった。
そもそもわたしには友達がいない。学生時代の友人たちと出掛けなくなったのはいつからだろう。気が付いたときにはプライベートで連絡を密に取り合うような友人などいなくなっていた。
どちらかといえば、人づきあいに気を遣って疲れてしまうほうだし、友達がいなくても、がっつり向き合って付き合うような面倒がなくていいと思ったこともある。
でもこれでいいのだろうか? このままでいい? ずっとこのままでいられる?
直視を避けて来た疑問が、わたしの胸を突いた。
結局、チケットは譲ってはもらえず、ライブも観に行けなかった。ただ、少ないながらも友人がいた高校時代のことを思い出し、今の自分の置かれた状況を思い知り、淋しくなっただけだった。
急に孤独感に苛まれ始めたわたしは、せっかくアカウントを作ったことだし、このままSNSを使ってみようという気になった。ときどき誰かと繋がって話ができたらいいんじゃないかと、SNSの中に希望をみた。
けれど、意気込んでSNSに書き込みをしてみても、だいたいがひとりごとで終わってしまう。誰のコメントも、いいねのマークもつかない。数日試して振り返ってみると、書き込みに返事がもらえたのはチケットを譲ってもらおうとやり取りをした、あのときだけだった。
「譲ります」
わたしにはこのフレーズが魔法の言葉のように感じられた。
もう一度、わたしは「譲ります」と書かれたコメントを検索してみた。内容はどんなものでもよかった。ただなにかを譲ると、誰かが書いているコメントを拾って読んでいった。
「譲ります」と書かれたコメント一つにつき、平均して三、四件は、それに対する書き込みがつけられていた。多いものになると何十件も、「お譲り先が決まりました」と投稿者が取引終了のコメントを追記していても、まだまだコメントが増え続けているものさえある。
読んでいたらその気になってしまって、わたしもつい何人かの「譲ります」にコメント入れてみた。知らないミュージカルやライブや、人気があるのだと思われる書き込みの賑やかなものに、仲間に入れて欲しいと表明するようなつもりで、コメントを入れてみた。
楽しかった。書き込みをして返事を待つ、それだけでワクワクした。
返事は、あったり、なかったりした。
わたしはそれから、「譲ります」、「譲ってください」の書き込みを探して端から読み漁るようになった。誰かが付けた書き込みも漏らさずすべて読み、そこからノウハウを学んだ。
「取り引き垢ではなく、ふだんお使いのアカウントからご連絡ください」
そんな返信の持つ意味や、模範的な回答を学んだ。
やり取りの多い、人気のありそうなアカウントを、過去へと時間を遡るように読んでいって、彼女がどんな投稿をしどうやって信頼を得ているのかを探った。そうして同時に、わたしは自分のアカウントがちゃんと「本垢」に見えるよう、本垢らしさを備えたアカウントを作り上げるのも忘れなかった。
わたしは基本、「譲る人」になることにした。「譲る人」になるために、譲るための労力を割く。
まず譲ることのできるものをゲットする。評判のいい公演、話題の公演の情報をチェックしてチケット予約に申し込む。
あまりよい席が取れなかったときは自分で観に出掛け、なんとなくながらもお気に入りの俳優を見つけた。彼をわたしの「推し」とすることでわたしのアカウントは信頼性が増す。彼の人気と、彼の応援を続けている人たちの人柄に助けられて増す信頼と、ただの取り引き垢ではないという証明。SNSの中に於いてこれらはなににも代え難い身分証明となる。怪しまれないように、ときどきは譲ってもらう側としての行動もする。
そうやってこの半年間、わたしは譲り譲られを繰り返している。わたしの手帳はチケットの発売情報のメモが溢れ、ところどころに待ち合わせの日時が、日々の努力に対する勲章のように輝いている。
チケットについてやりとりをする相手の人たちは、みな親切だ。それぞれの「推し」を大切に想い、マナーや言動に心を砕いているし、おなじように応援する人を持つ仲間を尊重する。数回繰り返すコメントのやりとりも、実際にチケットの授受をする待ち合わせも、そういういっさいが、これまでわたしが経験したどんな仕事のやりとりよりも丁寧で、気持ちのいいものだった。そこにはケタ違いに快適な人間関係がある。
そうだ、わたしはこんな相手が欲しかったのだ!
これがしたかったのだ!
心の奥底に押しやって、そんな思いが存在することすら忘れてしまっていたけれど、わたしはずっと友達が欲しかった。こうしたかったのだと気が付いた。
会社が終わったら待ち合わせの約束がある。定時の少し前にはそわそわと席を立って、歯を磨いたり、化粧を直したりする。足早に通り抜ける軒先で、偶然見つけた鏡に前髪を直したり。そんなことをさせてくれる相手が欲しかった。そして少しずつ知り合って、ゆくゆくは深い関係になる。信頼と安らぎのある友達になる。わたしはそんな人間関係を夢見ていた。
もちろん、今すぐにとは思っていない。そんな相手が易々と見つかるとは思えないから、細やかなやり取りを継続してじっくりと、ビビビっと来る相手を探す。待ちわびた友達に出会えるのを心待ちにしながら、コメントを繋いで整える段取りや、ドキドキの対面そのものに、喜びを見出す。
こうしてわたしは「譲る人」としての暮らしを、思う存分楽しんでいる。
けれどチケットはゲットできなかった。予約抽選に外れ、まあ仕方がないとあらためて申し込もうとした一般発売は、発売枚数に達したため販売終了と、そっけなく伝えて来るアナウンス画面にしかお目にかかれなかった。
モヤモヤとどうにも諦めきれない気持ちを抱え、わたしはチケットについて検索をした。探してみれば、キャンセル待ちだとか、なにか手だてがあるかもしれない。
そしてわたしは自分の甘さを知る。一夜限りの復活ライブのチケットは、たいへんなプラチナチケットとなっているらしく、インターネットの世界にはチケットを求める人がわんさかといた。探しています、譲ってください、なにか入手手段はありませんか、そんな言葉がありがたい呪文ででもあるかのように、あちこちで繰り返されている。
摩擦が指に良くないのではないかと心配になるくらい、スマホの画面を何十回とスクロールしてやっと、「譲ります」という言葉を見つけた。その言葉は、とあるSNSの中にあった。会員同士でなければ会話はできない。わたしはすぐにそこにアカウントを作った。
「譲ります」と投稿しているアカウントに話しかける。
「本垢を教えてもらえますか?」
すぐに返って来たコメントには、そんな言葉が書かれていた。
半年前のわたしは、それがなにを意味する言葉なのか、わからなかった。秘密の合言葉にも似た使われ方をしているとは思いもよらなかった。なにを言われているのかわからず、そのときの自分の状況を、チケットが欲しくて検索し、このメッセージを送るために初めてSNSを使っているのだと返信した。
本当のことだった。ブログやSNSなど、見るぶんには見ることもあったけれど、それでも、これまで自分でアカウントを作ってみようと思ったことはなかった。とりわけ書きたいこともないし、定期的に更新しなければならないとか、わたしには面倒にしか思えなかった。パソコンだって持っていないから、月末になってスマホの通信速度に制限がかかれば、インターネットなんて全く見なくなってしまう。
ブログやSNSや情報発信ツールのようなものが人気のコミュニケーション手段となっていることも、若者以外でも利用者が多いことも、知ってはいた。けれどわたしのまわりでは声高に使用を薦める人もいなければ、一緒に始めようという人もいなかったし、誰かに招待されて飛び込んでみるようなチャンスもなかった。
そもそもわたしには友達がいない。学生時代の友人たちと出掛けなくなったのはいつからだろう。気が付いたときにはプライベートで連絡を密に取り合うような友人などいなくなっていた。
どちらかといえば、人づきあいに気を遣って疲れてしまうほうだし、友達がいなくても、がっつり向き合って付き合うような面倒がなくていいと思ったこともある。
でもこれでいいのだろうか? このままでいい? ずっとこのままでいられる?
直視を避けて来た疑問が、わたしの胸を突いた。
結局、チケットは譲ってはもらえず、ライブも観に行けなかった。ただ、少ないながらも友人がいた高校時代のことを思い出し、今の自分の置かれた状況を思い知り、淋しくなっただけだった。
急に孤独感に苛まれ始めたわたしは、せっかくアカウントを作ったことだし、このままSNSを使ってみようという気になった。ときどき誰かと繋がって話ができたらいいんじゃないかと、SNSの中に希望をみた。
けれど、意気込んでSNSに書き込みをしてみても、だいたいがひとりごとで終わってしまう。誰のコメントも、いいねのマークもつかない。数日試して振り返ってみると、書き込みに返事がもらえたのはチケットを譲ってもらおうとやり取りをした、あのときだけだった。
「譲ります」
わたしにはこのフレーズが魔法の言葉のように感じられた。
もう一度、わたしは「譲ります」と書かれたコメントを検索してみた。内容はどんなものでもよかった。ただなにかを譲ると、誰かが書いているコメントを拾って読んでいった。
「譲ります」と書かれたコメント一つにつき、平均して三、四件は、それに対する書き込みがつけられていた。多いものになると何十件も、「お譲り先が決まりました」と投稿者が取引終了のコメントを追記していても、まだまだコメントが増え続けているものさえある。
読んでいたらその気になってしまって、わたしもつい何人かの「譲ります」にコメント入れてみた。知らないミュージカルやライブや、人気があるのだと思われる書き込みの賑やかなものに、仲間に入れて欲しいと表明するようなつもりで、コメントを入れてみた。
楽しかった。書き込みをして返事を待つ、それだけでワクワクした。
返事は、あったり、なかったりした。
わたしはそれから、「譲ります」、「譲ってください」の書き込みを探して端から読み漁るようになった。誰かが付けた書き込みも漏らさずすべて読み、そこからノウハウを学んだ。
「取り引き垢ではなく、ふだんお使いのアカウントからご連絡ください」
そんな返信の持つ意味や、模範的な回答を学んだ。
やり取りの多い、人気のありそうなアカウントを、過去へと時間を遡るように読んでいって、彼女がどんな投稿をしどうやって信頼を得ているのかを探った。そうして同時に、わたしは自分のアカウントがちゃんと「本垢」に見えるよう、本垢らしさを備えたアカウントを作り上げるのも忘れなかった。
わたしは基本、「譲る人」になることにした。「譲る人」になるために、譲るための労力を割く。
まず譲ることのできるものをゲットする。評判のいい公演、話題の公演の情報をチェックしてチケット予約に申し込む。
あまりよい席が取れなかったときは自分で観に出掛け、なんとなくながらもお気に入りの俳優を見つけた。彼をわたしの「推し」とすることでわたしのアカウントは信頼性が増す。彼の人気と、彼の応援を続けている人たちの人柄に助けられて増す信頼と、ただの取り引き垢ではないという証明。SNSの中に於いてこれらはなににも代え難い身分証明となる。怪しまれないように、ときどきは譲ってもらう側としての行動もする。
そうやってこの半年間、わたしは譲り譲られを繰り返している。わたしの手帳はチケットの発売情報のメモが溢れ、ところどころに待ち合わせの日時が、日々の努力に対する勲章のように輝いている。
チケットについてやりとりをする相手の人たちは、みな親切だ。それぞれの「推し」を大切に想い、マナーや言動に心を砕いているし、おなじように応援する人を持つ仲間を尊重する。数回繰り返すコメントのやりとりも、実際にチケットの授受をする待ち合わせも、そういういっさいが、これまでわたしが経験したどんな仕事のやりとりよりも丁寧で、気持ちのいいものだった。そこにはケタ違いに快適な人間関係がある。
そうだ、わたしはこんな相手が欲しかったのだ!
これがしたかったのだ!
心の奥底に押しやって、そんな思いが存在することすら忘れてしまっていたけれど、わたしはずっと友達が欲しかった。こうしたかったのだと気が付いた。
会社が終わったら待ち合わせの約束がある。定時の少し前にはそわそわと席を立って、歯を磨いたり、化粧を直したりする。足早に通り抜ける軒先で、偶然見つけた鏡に前髪を直したり。そんなことをさせてくれる相手が欲しかった。そして少しずつ知り合って、ゆくゆくは深い関係になる。信頼と安らぎのある友達になる。わたしはそんな人間関係を夢見ていた。
もちろん、今すぐにとは思っていない。そんな相手が易々と見つかるとは思えないから、細やかなやり取りを継続してじっくりと、ビビビっと来る相手を探す。待ちわびた友達に出会えるのを心待ちにしながら、コメントを繋いで整える段取りや、ドキドキの対面そのものに、喜びを見出す。
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