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◇Y美の場合
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意地悪そうな目が、カメに似た悪者妖怪みたいだと思う。悪者妖怪は長めの首を伸ばし、頭だけで振り返るとフンと鼻を鳴らす。
「とにかく、さっさとやり直して持って来て」
取り損じの用紙が入った段ボールを一蹴りし、コピー室を後にする悪者妖怪。
なんてイヤなヤツだと腹が立つ。
「どう? できた?」
普段は途中で様子を見に来たりしないアイツが姿を現した時点で警戒すべきだった。
「なにこれ? 両面印刷にはしないで、一面に2画面アップした片面印刷をホチキス止めって、指示したよね」
トレイにたまった冊子を摘みあげると、中も見ずにアイツは言った。
「いえ、両面印刷と言って……」
「言ってない! やり直して!」
私の言葉を最後まで聞くことなく、アイツは言い放った。
またか。ため息をつきたくなるのを我慢する。なにしろ今日は証拠があるのだ。指示されたときにアイツから渡された付箋がある。
「でもここに書いてあ……」
「言い訳はいいから、早くして!」
私の手元にある付箋を見ようともせず、アイツは背を向けた。そしてそのまま行ってしまうのではなく、出入り口で立ち止まって、さっきの一言だったのだ。とにかくさっさとやり直して持って来いと。
妙な角度で右に上がった、かろうじて読み取れるくらいの汚い文字。ていねいに書けばもう少しはましになるかもしれないけれど、たぶんそんなことは考えもしないであろう人が書きそうな文字。まちがいなく彼の筆跡で書かれた付箋があるのに、言い訳もなにもあったものか。
頭にきた。腹が立った。こういう理不尽な対応は日常茶飯事ではあったけれど、日々繰り返されたからといって、許せるようになるわけではない。とにかく毎日、ムカつき、イラっとさせられ、ストレスが溜まることこの上なかった。
そしてまた、そんな不快の要因となっている悪者妖怪本人はといえば、日がな一日インターネットを眺めて時間をつぶしているか、誰と行くのか、ツアー旅行のホテルのアメニティがどうだとか、土曜の夜に予約しているが今から人数を増やすことができるかどうかとか、プライベートなスケジュールの調整の電話に忙しくしているかのどちらかだった。
ときどき、かかってきた仕事の電話を偶然に取ってでもしまったときには、「オレに電話を取らせるとはなにごとだ。もっとはやく電話を取れ」と一週間にわたりイヤミを言い続けるのだから、まったくイヤになる。
おなじフロアにいる上司も彼の言動には気付いているらしいけれど、だからといって、なにかするつもりもないようだ。
ここは会社なのに、これでいいのか。こんなんでいいのか。憤りを感じた回数は、もう数え切れない。
「あんなヤツ、クビになっちゃえばいいのに」
誰もいなくなったコピー室で、ぽつりとこぼす。情けないけれど、私にできる唯一の反撃はこれくらいだった。誰に聞かせるでもないグチを言いながら、ほとんどできあがっていたコピー用紙の束を片づけて、初めからやり直す。
できあがった資料を持ち、席に戻ると、デスクには付箋が貼られていた。妙な角度で右に上がった、かろうじて読み取れるくらいの汚い文字が並んでいる。
「残業なんてつかないんだから、さっさと帰るように!」
カーッとすごい勢いで頭に血が上るのがわかった。いったい誰のせいで残業することになったと思ってるんだ! ほんとアイツは自分を何様だと思っているのだろう。
力任せに袖机の引き出しからバッグをひっぱり出す。乱暴な動作に、中からリップクリームが飛び出して床を転がっていってしまった。
「もうっ」
イライラしながら閉めた引き出しはバンっと大きな音を立てる。自分が立てた音に驚いて身体がビクっとする。
「もうヤダ……」
抑えきれないモヤモヤに思わず声が出た。
転がったリップクリームを探そうと床に膝をつく。なにをやっているんだ、私は、と情けなくなってくる。泣き出したい気分だった。棚の下に見つけたリップクリームがぼやけて見える。
振り幅の大きい気持ちの上下に頭が痛くなる。帰り道、私はできるだけ力を入れないようにして歩いた。なにも見ない、考えない。つぶやくように、そう念じて歩く。無理やりにでもスイッチをオフにしなければ、泣くか暴れるか、してしまいそうだった。
そうやってぼんやりと目の前に広がる世界をトボトボと歩いていると、前方に白いかたまりがあるのに気が付いた。
なにか落ちている?
なんだろうと警戒しつつ近づいて行くと、白いかたまりの端が動いた。大きく、波を打つように、数回動く。
なに?
立ち止まり、じっーと見てみる。白いかたまりは、ものではなくネコだった。ネコは行儀よく座り、しっぽを地面に這わせている。毛並みのキレイな、まっ白いネコだった。
そうやって静かにネコを眺めていると、なんとなく目が合ったような気がした。すると、ネコはその場にごろんと横たわり、撫でてくれといわんばかりにお腹を見せた。座っていたときには気がつかなかったけれど、お腹にだけある黒い毛が、ハート型の模様になっている。
「こんなところで横になったら轢かれちゃうよ」
自転車の多い歩道であることを思い出し、振り返って後ろを確認した。もう一度、前方も見て近寄ってくる影がないことを確かめた。そのあいだずっと、ネコはお腹を見せたままだった。
座り込んで、かわいいお腹を撫でる。ネコが目を細め、嬉しそうな顔をするから、私の表情も和らんだ。フワフワの手触りが気持ちいい。ネコがとても愛しく思える。優しい気持ちがわいてくる。悔しい気持ちもちらりと頭を過ぎったけれど、そんなことは打ち消してくれるかのように、ネコがゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
もうずっとこうしていたい。
そうしてどのくらいネコを撫でていただろう。チリンチリンと鳴らされた自転車のベルに、ビックリして私は思わず立ち上がる。
「危ないわよ!」
「すみません」
怒鳴るようなおばさんの声に頭を下げる。ネコのことを思い出して、ハッとする。無事だろうか。すぐに見下ろしてみたけれど、たぶん、私たちに驚いたのだろう。ネコはもう姿を消してしまっていた。
翌日、なかなか話を切り上げようとしてくれないお客様の電話にばかり捕まった。おかげで悪者妖怪が公然とサボる姿を目にして気持ちを乱されることも、理不尽な仕事を振られることもなく、私は久しぶりに平穏な時間を過ごしていた。
「悪いけど三部ほどコピーしておいてくれないかな」
部長に呼ばれ、ていねいに依頼されるコピー取りになど、なんの苦も感じない。鼻歌でも歌ってしまいそうな気分でコピーをしていると、
「ヒマそうだな。これ、シュレッダーしておいてよ」
意地の悪い声がした。出たな、悪者妖怪め。
けれど、今日の私はツイているらしい。
「おっと、ダメだ。これは見られちゃいけない書類だったな」
私の返事も待たずに、彼は自らシュレッダーをかけはじめた。
ふだん雑用を人に押し付けてばかりいるから使い方を忘れてしまったのか、一度にたくさんの枚数を挿入口へと押し込むものだから、シュレッダーは鈍い音を立て止まってしまった。
「っ、ふざけんな!」
彼は不機嫌な声を出すと詰まった用紙を力いっぱい引き抜いた。そしてまたそれをそのまま投入する。当然のことながら、すぐにまたシュレッダーは詰まってしまう。
「はあ?」
悪者妖怪は声をあげる。決して自分の行いを省みることなく、詰まった用紙を力いっぱい引き抜くと、今度は用紙の向きだけを変えて、彼はふたたびシュレッダーに書類を投げ込んだ。ガッと鈍い音がして、シュレッダーは三度、詰まった。
「なんなんだ!」
彼はますます声を荒げる。
ざまあみろ。内心そう思うものの、このままここにいては八つ当たりをされるだけだと私の危険察知レーダーが点滅する。早く終われ、とコピー機だけに視線を集中して祈る。そしてコピーが終わるやいなや、さっと彼の横を通り過ぎ、私はコピー室を出ようとした。
「ちょ、ちょっと!」
イヤミの一つ二つは言われるかもしれないと思ったけれど、意外なことに彼はすっとんきょうな声を出した。立ち止まって振り返ると、彼は困惑したような表情をしてはいたけれど、彼は私から目を逸らす。私のことを呼んだのではないとでも言いたげな態度だった。
それならば声など出さなければいいのに。そう思って視線を動かすと、彼が投入した書類の束にネクタイの端が挟まってしまっているような感じが見て取れた。
なるほど、だからか。なにが起こっているかわからないけれどヘンな感じがするから、声を出してしまったということだろう。
一瞬、直してあげようかと足を戻しかけたけれど、すぐに思いとどまった。どうせシュレッターは詰まって止まるのだから、自分でなんとかするだろう。親切をしてまたイヤミを言われるなんてまっぴらごめんだ。
ほんの数秒のあいだにそれだけのことを考え、私は部屋を出ることにした。
「ちょ、ちょっと」
再び私に声をかけているようにも聞こえる声がしたけれど、今度は振り返らずに無視をして、私はそのままコピー室を出た。
やっぱり今日はツイテいるかも。ご用聞きのお礼にと、部長が手土産にもらったのだというマドレーヌをくれた。
ちょうど一息つくのにいい時間だった。そのまま給湯室へ向かいコーヒーを淹れ、戻ってくると、
「たいへんだ、救急車を!」
慌てた様子でフロアを走る総務課の男性とすれ違った。なんだろうと思いつつ自席に戻る。フロア中が異様なくらいに、ざわついているのがわかった。
「どうしたんですか?」
席に着き、マドレーヌの底のアルミカップをはがしながら、隣席の女性に声をかける。
「高木さんが倒れてたらしいわよ」
「えっ、高木さん?」
悪者妖怪のようなアイツの名前が出てきて、私はちょっと身構えた。
「よくわからないんだけどね、コピー室で倒れてたんだって」
「コピー室で?」
ハッとした。手が滑り、マドレーヌがデスクの上を転がる。
もしかしてあのまま?
タンカやAEDのバッグを持った人たちがコピー室の方へ走って行った。すぐに救急隊員らしき人たちもやって来た。
もう誰も仕事をしてはいなかった。なにごとかを小声でヒソヒソ話し合ったり、呆然とした様子でコピー室のほうを向き、立ちつくしていたり。
もしかしてあのまま?
アルミカップを手に、デスクに転がるマドレーヌを見つめながら私は考えた。もしかしてあのままシュレッダーで……。
「そうだよ。嬉しい?」
突然、問われてハッとした。
「嬉しいなんて、そんな!」
反論しながら声のしたほうを見ると、すぐそばで私を見上げる人がいた。知らない人だった。ほんの少しつりあがった、大きくて真ん丸な目の女の子だ。
女の子? なぜここに?
驚く私には構わず、女の子は言った。
「さすがに喜んだりはしないか。人間だものね。でも、自業自得だとは思ってるんでしょ?」
「そんな……」
否定しつつも反論できない自分にびっくりした。そうなのか。私はそう思っているのか。不謹慎だと思いつつも、やっぱり否定はできなかった。
女の子がニヤリと笑う。女の子の目がネコの目の瞳孔のように、どんどんと丸く開いていく。
「ほらね、やっぱりそうなんだ。残念だけど不合格」
「えっ?」
なにを言われているのかわからなかった。訊き直そうと思ったのだけれど、目の前の女の子はゆっくりと、少しずつ色が薄くなるみたいにして、みるみる姿を消していく。
「あっ!」
そして完全に見えなくなってしまう前に、一瞬、女の子は白いネコの姿になったように見えた。
夢でも見ているの?
今見たものが現実かどうか、私にはわからなかった。いったいなにが起こっているのだろう。
「警察に通報するようにと救急隊員のかたがおっしゃって……」
コピー室から出て来た誰かがそう言っているのが聞こえた。
どうやら夢ではないようだ。私にわかったのはそれだけだった。彼は本当にあのまま……。
「一応、事情聴取があるだろうから、誰かほかにも……」
誰かの触れてまわる声がして、私の胸にはジワジワと気持ちの悪いモヤモヤが広がった。
(了)
「とにかく、さっさとやり直して持って来て」
取り損じの用紙が入った段ボールを一蹴りし、コピー室を後にする悪者妖怪。
なんてイヤなヤツだと腹が立つ。
「どう? できた?」
普段は途中で様子を見に来たりしないアイツが姿を現した時点で警戒すべきだった。
「なにこれ? 両面印刷にはしないで、一面に2画面アップした片面印刷をホチキス止めって、指示したよね」
トレイにたまった冊子を摘みあげると、中も見ずにアイツは言った。
「いえ、両面印刷と言って……」
「言ってない! やり直して!」
私の言葉を最後まで聞くことなく、アイツは言い放った。
またか。ため息をつきたくなるのを我慢する。なにしろ今日は証拠があるのだ。指示されたときにアイツから渡された付箋がある。
「でもここに書いてあ……」
「言い訳はいいから、早くして!」
私の手元にある付箋を見ようともせず、アイツは背を向けた。そしてそのまま行ってしまうのではなく、出入り口で立ち止まって、さっきの一言だったのだ。とにかくさっさとやり直して持って来いと。
妙な角度で右に上がった、かろうじて読み取れるくらいの汚い文字。ていねいに書けばもう少しはましになるかもしれないけれど、たぶんそんなことは考えもしないであろう人が書きそうな文字。まちがいなく彼の筆跡で書かれた付箋があるのに、言い訳もなにもあったものか。
頭にきた。腹が立った。こういう理不尽な対応は日常茶飯事ではあったけれど、日々繰り返されたからといって、許せるようになるわけではない。とにかく毎日、ムカつき、イラっとさせられ、ストレスが溜まることこの上なかった。
そしてまた、そんな不快の要因となっている悪者妖怪本人はといえば、日がな一日インターネットを眺めて時間をつぶしているか、誰と行くのか、ツアー旅行のホテルのアメニティがどうだとか、土曜の夜に予約しているが今から人数を増やすことができるかどうかとか、プライベートなスケジュールの調整の電話に忙しくしているかのどちらかだった。
ときどき、かかってきた仕事の電話を偶然に取ってでもしまったときには、「オレに電話を取らせるとはなにごとだ。もっとはやく電話を取れ」と一週間にわたりイヤミを言い続けるのだから、まったくイヤになる。
おなじフロアにいる上司も彼の言動には気付いているらしいけれど、だからといって、なにかするつもりもないようだ。
ここは会社なのに、これでいいのか。こんなんでいいのか。憤りを感じた回数は、もう数え切れない。
「あんなヤツ、クビになっちゃえばいいのに」
誰もいなくなったコピー室で、ぽつりとこぼす。情けないけれど、私にできる唯一の反撃はこれくらいだった。誰に聞かせるでもないグチを言いながら、ほとんどできあがっていたコピー用紙の束を片づけて、初めからやり直す。
できあがった資料を持ち、席に戻ると、デスクには付箋が貼られていた。妙な角度で右に上がった、かろうじて読み取れるくらいの汚い文字が並んでいる。
「残業なんてつかないんだから、さっさと帰るように!」
カーッとすごい勢いで頭に血が上るのがわかった。いったい誰のせいで残業することになったと思ってるんだ! ほんとアイツは自分を何様だと思っているのだろう。
力任せに袖机の引き出しからバッグをひっぱり出す。乱暴な動作に、中からリップクリームが飛び出して床を転がっていってしまった。
「もうっ」
イライラしながら閉めた引き出しはバンっと大きな音を立てる。自分が立てた音に驚いて身体がビクっとする。
「もうヤダ……」
抑えきれないモヤモヤに思わず声が出た。
転がったリップクリームを探そうと床に膝をつく。なにをやっているんだ、私は、と情けなくなってくる。泣き出したい気分だった。棚の下に見つけたリップクリームがぼやけて見える。
振り幅の大きい気持ちの上下に頭が痛くなる。帰り道、私はできるだけ力を入れないようにして歩いた。なにも見ない、考えない。つぶやくように、そう念じて歩く。無理やりにでもスイッチをオフにしなければ、泣くか暴れるか、してしまいそうだった。
そうやってぼんやりと目の前に広がる世界をトボトボと歩いていると、前方に白いかたまりがあるのに気が付いた。
なにか落ちている?
なんだろうと警戒しつつ近づいて行くと、白いかたまりの端が動いた。大きく、波を打つように、数回動く。
なに?
立ち止まり、じっーと見てみる。白いかたまりは、ものではなくネコだった。ネコは行儀よく座り、しっぽを地面に這わせている。毛並みのキレイな、まっ白いネコだった。
そうやって静かにネコを眺めていると、なんとなく目が合ったような気がした。すると、ネコはその場にごろんと横たわり、撫でてくれといわんばかりにお腹を見せた。座っていたときには気がつかなかったけれど、お腹にだけある黒い毛が、ハート型の模様になっている。
「こんなところで横になったら轢かれちゃうよ」
自転車の多い歩道であることを思い出し、振り返って後ろを確認した。もう一度、前方も見て近寄ってくる影がないことを確かめた。そのあいだずっと、ネコはお腹を見せたままだった。
座り込んで、かわいいお腹を撫でる。ネコが目を細め、嬉しそうな顔をするから、私の表情も和らんだ。フワフワの手触りが気持ちいい。ネコがとても愛しく思える。優しい気持ちがわいてくる。悔しい気持ちもちらりと頭を過ぎったけれど、そんなことは打ち消してくれるかのように、ネコがゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
もうずっとこうしていたい。
そうしてどのくらいネコを撫でていただろう。チリンチリンと鳴らされた自転車のベルに、ビックリして私は思わず立ち上がる。
「危ないわよ!」
「すみません」
怒鳴るようなおばさんの声に頭を下げる。ネコのことを思い出して、ハッとする。無事だろうか。すぐに見下ろしてみたけれど、たぶん、私たちに驚いたのだろう。ネコはもう姿を消してしまっていた。
翌日、なかなか話を切り上げようとしてくれないお客様の電話にばかり捕まった。おかげで悪者妖怪が公然とサボる姿を目にして気持ちを乱されることも、理不尽な仕事を振られることもなく、私は久しぶりに平穏な時間を過ごしていた。
「悪いけど三部ほどコピーしておいてくれないかな」
部長に呼ばれ、ていねいに依頼されるコピー取りになど、なんの苦も感じない。鼻歌でも歌ってしまいそうな気分でコピーをしていると、
「ヒマそうだな。これ、シュレッダーしておいてよ」
意地の悪い声がした。出たな、悪者妖怪め。
けれど、今日の私はツイているらしい。
「おっと、ダメだ。これは見られちゃいけない書類だったな」
私の返事も待たずに、彼は自らシュレッダーをかけはじめた。
ふだん雑用を人に押し付けてばかりいるから使い方を忘れてしまったのか、一度にたくさんの枚数を挿入口へと押し込むものだから、シュレッダーは鈍い音を立て止まってしまった。
「っ、ふざけんな!」
彼は不機嫌な声を出すと詰まった用紙を力いっぱい引き抜いた。そしてまたそれをそのまま投入する。当然のことながら、すぐにまたシュレッダーは詰まってしまう。
「はあ?」
悪者妖怪は声をあげる。決して自分の行いを省みることなく、詰まった用紙を力いっぱい引き抜くと、今度は用紙の向きだけを変えて、彼はふたたびシュレッダーに書類を投げ込んだ。ガッと鈍い音がして、シュレッダーは三度、詰まった。
「なんなんだ!」
彼はますます声を荒げる。
ざまあみろ。内心そう思うものの、このままここにいては八つ当たりをされるだけだと私の危険察知レーダーが点滅する。早く終われ、とコピー機だけに視線を集中して祈る。そしてコピーが終わるやいなや、さっと彼の横を通り過ぎ、私はコピー室を出ようとした。
「ちょ、ちょっと!」
イヤミの一つ二つは言われるかもしれないと思ったけれど、意外なことに彼はすっとんきょうな声を出した。立ち止まって振り返ると、彼は困惑したような表情をしてはいたけれど、彼は私から目を逸らす。私のことを呼んだのではないとでも言いたげな態度だった。
それならば声など出さなければいいのに。そう思って視線を動かすと、彼が投入した書類の束にネクタイの端が挟まってしまっているような感じが見て取れた。
なるほど、だからか。なにが起こっているかわからないけれどヘンな感じがするから、声を出してしまったということだろう。
一瞬、直してあげようかと足を戻しかけたけれど、すぐに思いとどまった。どうせシュレッターは詰まって止まるのだから、自分でなんとかするだろう。親切をしてまたイヤミを言われるなんてまっぴらごめんだ。
ほんの数秒のあいだにそれだけのことを考え、私は部屋を出ることにした。
「ちょ、ちょっと」
再び私に声をかけているようにも聞こえる声がしたけれど、今度は振り返らずに無視をして、私はそのままコピー室を出た。
やっぱり今日はツイテいるかも。ご用聞きのお礼にと、部長が手土産にもらったのだというマドレーヌをくれた。
ちょうど一息つくのにいい時間だった。そのまま給湯室へ向かいコーヒーを淹れ、戻ってくると、
「たいへんだ、救急車を!」
慌てた様子でフロアを走る総務課の男性とすれ違った。なんだろうと思いつつ自席に戻る。フロア中が異様なくらいに、ざわついているのがわかった。
「どうしたんですか?」
席に着き、マドレーヌの底のアルミカップをはがしながら、隣席の女性に声をかける。
「高木さんが倒れてたらしいわよ」
「えっ、高木さん?」
悪者妖怪のようなアイツの名前が出てきて、私はちょっと身構えた。
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「コピー室で?」
ハッとした。手が滑り、マドレーヌがデスクの上を転がる。
もしかしてあのまま?
タンカやAEDのバッグを持った人たちがコピー室の方へ走って行った。すぐに救急隊員らしき人たちもやって来た。
もう誰も仕事をしてはいなかった。なにごとかを小声でヒソヒソ話し合ったり、呆然とした様子でコピー室のほうを向き、立ちつくしていたり。
もしかしてあのまま?
アルミカップを手に、デスクに転がるマドレーヌを見つめながら私は考えた。もしかしてあのままシュレッダーで……。
「そうだよ。嬉しい?」
突然、問われてハッとした。
「嬉しいなんて、そんな!」
反論しながら声のしたほうを見ると、すぐそばで私を見上げる人がいた。知らない人だった。ほんの少しつりあがった、大きくて真ん丸な目の女の子だ。
女の子? なぜここに?
驚く私には構わず、女の子は言った。
「さすがに喜んだりはしないか。人間だものね。でも、自業自得だとは思ってるんでしょ?」
「そんな……」
否定しつつも反論できない自分にびっくりした。そうなのか。私はそう思っているのか。不謹慎だと思いつつも、やっぱり否定はできなかった。
女の子がニヤリと笑う。女の子の目がネコの目の瞳孔のように、どんどんと丸く開いていく。
「ほらね、やっぱりそうなんだ。残念だけど不合格」
「えっ?」
なにを言われているのかわからなかった。訊き直そうと思ったのだけれど、目の前の女の子はゆっくりと、少しずつ色が薄くなるみたいにして、みるみる姿を消していく。
「あっ!」
そして完全に見えなくなってしまう前に、一瞬、女の子は白いネコの姿になったように見えた。
夢でも見ているの?
今見たものが現実かどうか、私にはわからなかった。いったいなにが起こっているのだろう。
「警察に通報するようにと救急隊員のかたがおっしゃって……」
コピー室から出て来た誰かがそう言っているのが聞こえた。
どうやら夢ではないようだ。私にわかったのはそれだけだった。彼は本当にあのまま……。
「一応、事情聴取があるだろうから、誰かほかにも……」
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