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事後の日々

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 二匹の狼に左右から挟まれて抱きしめられる。耳元で何かを囁かれているが聞こえない。それでも愛おしいと言われている様に頬擦りされる。優しいその行為に嬉しくて擦り寄ったのに、何かに気付いた二匹が俺を置いて去っていく。寂しくて悲しくて、置いていかれたくない。手を伸ばして行かないでと言った時、二匹は振り返って穏やかに微笑んだ。それなのに、二匹は俺を置いて駆けて行ってしまった。その二匹の狼は銀狼だった。



 意識が浮上し、ハッと目が覚めた。天井はいつもと同じ茶色の板張りだった。上半身を起こし、自分を見下ろす。寝る前に着ていた上下パジャマ姿に、下着も穿いている。全て夢だったのか? 誘拐された事も犯された事も、愛された事も。全て夢?

 ぼんやりと周りを見る。何も変わっていない自分の部屋。物音一つしない家。クリーム色の壁に掛けてある時計は朝五時を指している。

 もう、眠たくない。ベットから降りて、着替えを持って部屋を出た。廊下を歩き階段を降りて行く。全身嫌な汗をかいた。夢だとしても悲しくて嫌になる。朝シャンでもしようと、風呂場に向かった。脱衣場でパジャマを脱いで、洗面台の鏡に映る自分を見て涙がほろりと頬を伝った。

 夢なんかじゃなかった。両手足首に残る枷の傷が、誘拐された事を教えてくれた。それ以上に、二人に愛されたと教えてくれる鬱血痕が身体中に散らばっていた。自らの腕で身体を抱きしめて、声をあげて泣いた。逢いたい、一緒に居たかったと苦しく訴えてくる心が憎い。そんな事しなくても、俺だって離れたくなかったんだ。一緒に生きていきたかった。誰かに抱きしめられたが、その人は俺の求める人じゃなかった。それでも温かいその人に抱きついて、涙が枯れるまで泣いた。

 散々泣き腫らし、眠る様に意識が落ちていった。もう、何も考えたくない。このまま眠ったままでいたい。


 それでも、意識は浮上してしまう。目を開けて真っ白な天井にもしかしてと思った。だが、俺の顔を覗く顔は、見たいと願った人の顔では無かった。それでも、今まで見た事のない父さんと母さんの顔に驚いた。目元に隈ができ、やつれた様なその顔は涙で濡れていた。居たよ。二人以外にも、俺が居なくなって悲しんでくれる人が。

「ただいま」

 そう呟いた声は掠れていた。


 父の話では、俺が失踪して五日経っていた。寝ずに街を探し歩いていた父さんと母さんは、休憩の為に帰宅し、脱衣場で泣きながら蹲っていた俺を見つけたそうだ。泣き腫らしていた俺を抱き締めてくれたのは母さんだった。

 覚醒した俺が寝かされていた場所は、例の白い部屋じゃなくて病院だった。
 医師によれば、衰弱と身体の傷は命に別状はないそうだ。それなのに、俺は入院する事になった。心の病気だそうだ。それが判明したのは、警察が事情聴取をしに来た時だった。犯人は自首し逮捕された。

 容疑者は山城 海斗やましろかいと山城 大地やましろだいちその他数名。近所に住む高校三年の葉山 彰はやまあきらを誘拐、性的暴力を加えたと自供したとの事だ。俺は二人を庇った。二人は俺を誘拐していない。犯されていないと言った。それを聞いた医師は両親に俺は、ストックホルム症候群だと言ったそうだ。

 極限状態で、犯人に頼る状態が続くと意思の同調が起きるとか何とか言っていた。俺は病気なのか。それでも二人を好きだと言ってくるこの心も可笑しいのか。確かに、極限状態だったかも知れない。散々襲われ身体を犯された。悪魔の贄にされそうだったのを救ってくれた二人に同調してしまったのか。それでも、病気だと言われても、心が可笑しいと言われても、俺は二人を愛した事を悔やんでいない。

 長期間の心理カンセリングと投薬で、だいぶ落ち着いたと判断された俺は自宅療養になった。そんな俺に待っていたのは裁判所での証言だった。海斗と大地への罪状と量刑を決めるものだ。二人に逢えると思っていたが、そう上手く行かなかった。俺が入廷した際、二人は退廷させられていた。誘拐犯と被害者を逢わせる馬鹿は居ないって言うのに、二人を見えるかもと思って期待していた俺が馬鹿だった。結果、二人には逢えず帰宅した。

 二人は実刑の懲役十年で刑務所に収監される事になったそうだ。一人の少年の身体と心を弄んだ罪は重いという事だった。
 十年、その月日はとても長い。俺が二十八歳になるまで二人に逢えない。面会したいと父さんに言えば、叱られた。手紙を送りたくてもどこの刑務所に居るか分からない。逢えないのは分かっていたそれでも、逢いたいと願う心が苦しくて、毎夜二人を思って泣いた。

 症状も落ち着いた俺は学校に通い始め、普通の生活を送っていた。父さんは単身赴任の生活に戻ったが、母さんは専業主婦になった。今まで一人にしてごめんねと言った父さんと母さんは俺が欲しいと願った愛をくれた。今は家も静かじゃ無くなった。俺を心配してくれる家族、友人で騒がしいくらいだ。
 それでも、俺は庭に出る。そこから見える、二人が住んでいたマンションを見上げてしまう。もう、二人はそこにはいない。荷物も全て誰かが持っていってしまった様だった。

 それでも、海斗が俺を見る為にベランダに出てこないかと期待している自分がいる。ベランダにいる海斗の肩を叩いて、飯だと大地が呼んでいそうな光景が見ないかと思う自分が嫌になる。身体に残っていた傷や鬱血痕も消えてしまった。二人との繋がりが消えてしまったと思ってしまう程悲しかった。
 偶に自然と溢れる涙が、忘れられないと訴えてくる。忘れないといけないのに、忘れたくないと思ってしまう自分は弱い人間だ。
 神様は、俺がその時に欲しいと願った物をくれない。以前欲しいと願った愛や物は今になって貰えた。しかし、俺が人生で一番欲しいと思った物は二度と手に入らないものになってしまった。

 二人を忘れる為にも、騒がしい家の中に入った。
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