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優しい嘘 001
しおりを挟む「……っ⁉」
声にならない声を上げながら、僕は垂れていた首を跳ね上げる。
もしかしなくても、寝てしまっていた。
座ったまま熟睡である。
窓から差し込む朝日が、時間の経過をまざまざと見せつけてきていた。
「……マジかよ」
遅れて気づく。
僕が見張らなければならなかった対象が、小屋の中から消えていることに。
まあ端的に言って。
蒼い髪の少女が、いなくなっていた。
「……」
僕は恐る恐る首を回し、反対の壁際を確認する。
そこには、とても綺麗な姿勢で眠っているミアの姿があった。
……よかった、特に襲われた形跡はない。
ということは、あの少女は僕らに危害を加えることなく小屋から出ていったことになる……昨晩杞憂していたような事態にならなくてよかったが、新たな問題も浮上した。
僕はこれから、どこに行ったかもわからない女の子を探し出さなければならないのだ。
「このまま放っておくわけにもいかないしなぁ……」
それはさすがに無責任が過ぎるというものだろう。
きっとゾンビから人間に戻って混乱しているはずだし、早いところ見つけてあげないと。
僕は固まってバキバキになった身体を無理矢理起こし、急いで外へと駆ける。
が、果たして。
女の子は、小屋から目と鼻の先にある大木の下に立っていた。
ポツンと、一人で。
「……」
僕は高々と上げた膝を静かに下し、背後からゆっくりと彼女に近づく。
向こうがどんな精神状態でいるかわからない以上、警戒させない工夫が必要だ。
「……」
どうやら、少女は僕の接近に気づいていないらしい。
どこを見つめるでもなく、ボーっと宙に視線を送っている。
なら、やることは一つだ。
「……だーれだ!」
「ぎゃああああああ⁉」
思いっきり叫ばれた。
警戒レベルマックスである。
後ろから両手で目隠しをするという、幼児垂涎のスキンシップをしたのに……いやまあ、普通に考えて不審者過ぎるか。
「ご、ごめんごめん。そんなに驚くと思わなくてさ」
「いきなりこんなことをされて驚かない女子がいますか!」
キレッキレのツッコミをかましながら、少女は振り返る。
陽の光を柔らかく反射する蒼い髪と同じく、澄んだ蒼色をした瞳。
まるで作り物のように鮮やかなその瞳に吸い込まれ、ハッと息を飲んでしまう。
「……何ですか。私の顔に鼻でもついてますか」
「そりゃついてるだろ、人間なんだから」
「でも、あなたにはついてませんよ?」
「そんな馬鹿な話があるか」
……ちゃんとついてるよな?
僕は一応、自分の鼻を触ってみた。
「ふふっ」
その行動を見て、少女はニッシッシと笑う。
年相応の、とても無邪気な笑顔だ。
「私はレヴィ・コラリスといいます。ここは一体どこなんでしょうか、不審者さん」
◇
レヴィに事情を話すため、一旦小屋へと戻る。
と、寝ぼけ眼を擦りながら、ミアが起床していた。
「……そう、レヴィちゃんっていうのね。私はミア・アインズベル。ミアでいいわよ。そっちの陰険な顔をした男はイチカね」
「誰が陰険だ」
「陰鬱でもいいわよ」
「どっちも変わらない」
互いに自己紹介を終えたところで、布一枚しか纏っていないレヴィの姿を何とかしようと、ミアの持ち合わせていた服を着てもらうことにした。
体格差があるのでかなり不格好だが、取り急ぎ犯罪臭は減っただろう。
「えっと……」
さて、この先を考えていなかった。
事情を説明するとは言ったが、しかし一から十まで細を穿って話していいものか、判断に迷う。
「レヴィ、一つ訊いていいか?」
「何でしょう、不審者さん」
「ちょっと待て。僕の呼称が不審者さんからアップデートされてないぞ」
名前教えただろ。
「他人のことをどう呼ぶかは私が決めます。強制される覚えはありません」
「いや、それは正論だけどさ。呼ばれる方の身にもなってくれよ」
「あなたはまず、背後からいきなり襲われる相手の身になればいいんじゃないですか?」
「人聞きの悪いことを言うな」
断じて襲ってなどいない。
少しばかり触れ合いという名のスキンシップをしただけだ。
「背後からいきなり……? イチカ、ついにそこまで拗らせちゃって……」
ミアが冷たい視線を送ってくる。
簡単に信じてんじゃねえ。
もしそんなことをしでかしてたら、僕らの旅はここで終了だ。
ジ・エンドだ。
「まあ、とりあえず不審者でいいや……なあ、レヴィ。ここがどこだかわからないって言ってたけど、逆に何か知っていることはあるか?」
「知っていること、ですか? うーん……」
こちらの質問の意図を図りかねているのだろうか、小さく唸るレヴィ。
僕が知りたいのは、彼女の記憶がどこまで正確に存在しているのか、だ。
ゾンビになってからの記憶はあるのか、それとも全く覚えていないのか……そこを把握してからでないと、迂闊に説明を始められない。
場合によっては、知らなくていいことまで伝えてしまう可能性もあるのだから。
「……正直、何もわからないんです。生まれ育った場所のことも、家族のことも、普段どうやって過ごしていたのかも……濃い霧がかかったみたいに、思い出せないんです」
レヴィは物寂し気に俯く。
三百年以上も魔物になっていたのだから、人間だった頃の記憶が曖昧なのは仕方ないのだろう。
本人にとっては非常に辛いことだが――しかし。
自身がゾンビになっていたことも覚えていないのなら……それは、不幸中の幸いと呼ぶべきである。
だって。
彼女はきっと――人を殺しているのだから。
少なくとも、イチカ・シリルは殺されている。
そして恐らく、もっと多くの人間を手に掛けたのだろう。
「……」
僕はそっとミアに目配せをする。
彼女はそれを受け、レヴィにバレないように頷いた。
「……えっとね、レヴィちゃん。ここはサリバっていう街の近くの墓所なんだけど、あなたはその入り口で倒れていたの。私とイチカが見つけて、この小屋まで運んできたのよ。きっと魔物か何かに襲われて、記憶を無くしてるんじゃないかしら?」
ミアは当たり障りのない作り話をして、今の状況に説明を付けた。
無理矢理ではあるが、お前はゾンビから人間に戻ったんだよと説明するよりはマシだろう。
「……なるほど、そうだったんですね。ミアさんにはお手数お掛けしまして、申し訳ありませんでした」
「おい、僕はどうした僕は」
レヴィの中から僕の存在がナチュラルに消されていた。
割とショックである。
「それにしても、私はどうして墓所なんかにいたんでしょうか……誰かのお墓参りに来ていたんですかね? もしそうだとしたら、私はサリバに住んでいるのでしょうか?」
純粋そうに首を傾げるレヴィを見て、心が痛まないはずがない。
本当なら真実を伝えるべきなのだろうが……しかし、この年齢の子に背負わせるにはあまりに重い業である。
ならばいっそ、優しい嘘をつき通してあげる方が、この場合の選択として正しいのかもしれない。
そう思ってしまうのは、僕の勝手なエゴなのだろうか。
「……なあ、レヴィ。よかったら、お前の家族を探す手伝いをしようか? もしサリバの住人なら、役所に行けば何かわかるだろうし」
僕の提案に対し、
「……ありがとうございます、イチカさん。是非よろしくお願いしますね」
レヴィは、屈託のない笑みを浮かべた。
胸の奥が、チクリと痛む。
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