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月季花
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表通りとは一線を画したその路地裏の一角に、数件の公娼宿が軒を連ねていた。
いわゆる花街と呼ばれる一帯だ。
桜亮は、その中でも異彩を放っている一軒の娼館を見上げていた。
古めかしさをとうに過ぎているだろうその店先は、大きな地震でもくれば一たまりもないほどの荒れ様だった。
「あんた。ここに何か用でもあんの?」
亮の背後から、険のある女性の声が聞こえてきた。振り返ると、無造作に髪を後ろで結わえた中年の女性だった。
「今日からここで働くように言われて来たんですけど。ここって一体?」
亮は十八になったばかりで、いわゆる娼館というものが何をするところだかを知ってはいても、よもや自分が訪ねて来たところがそうであることに気づいていなかった。
女は鼻から息をふん、と出し、
「娼館だよ。そう言えばわかるだろ? で? その娼館にあんたは働きに来たんだ。ここで働くってことは何をするのか……。もちろん承知で来たんだよねえ?」
艶めかしく肩を揺らして話す彼女の襟元から、桜色をした肌が顔を覗かせた。
「はい。でも、ぼくは男だから力仕事とかでしょう?」
亮はそう言って答えを待ったが、彼女は何も言わなかった。
まるで品定めのように亮の全身を隈なく眺め、そしてだんまりを決め込むと店の中へと入って行く。
とにかくこの店でいいのだからと、亮は彼女の後を追った。
中は古びた外観とは違い、広々とした土間と、黒光りしている立派な大階段がとても印象的だった。
「あんたはこっちだよ」
店の奥から声をかけられ、言われるがまま上がると、奥座敷で寛ぐ様子から、彼女がこの店の女将だと気づく。
亮は伯父に持たされていた一通の書簡を女将に渡した。
封を乱暴に開けた彼女は、中から一枚の手紙を取り出して、それに目を通した。
「この店の名前は月季花。今日からあんたが働く場所だよ」
女将は、読み終わった手紙を封筒に戻しながら言った。
働く──ということで、女ではない自分の事が気に障ったのだろうかと、亮は肩を竦めた。それでも他に行く当てがない彼にとって、月季花に置いてもらうほかない。
よろしくお願いしますと、亮は深々と頭を下げた。
月季花での主な仕事はやはり大半が力仕事だった。
伯父から渡された手紙にどんなことが書かれていたのかを知らない亮は、下男などよりも扱いが酷かった。
それでも、雨風が凌げて一日の食事に困らない今の状況には満足していた。親を亡くした後、親戚の家をたらい回しにされていた頃に比べれば、ずいぶんとましな生活だと言える。
「亮ちゃん。ちょっとこっちにおいでよ」
廊下を雑巾がけしていると、襖から顔を出した一人の芸妓が手招きする。亮をなにかにつけて可愛がってくれる、しのぶという娼妓だ。
亮は辺りを少しだけ窺うと、足音を忍ばせ襖へと駆け寄った。
戸がからりと開き、白い腕がにゅうと出てくる。
彼女の手には、巾着型の和紙の包みが握られていて、それを亮に差し出した。
「ゆうべのお客がね、ずいぶんと弾んでくれたの。だから亮ちゃんにも……はい、お裾分け」
巾着の中味はどうやらお金のようだ。
亮は慌てた。
女将に知れたら大事になる。お金を貰った亮も、渡したしのぶも酷い目に合う。
「姐さん、これは戴けません。あなたが持っていてください」
「いいよ。亮ちゃんにあげる。──女将さんには内緒にしていればいいのよ」
亮は、でもと言って包みに視線を落とした。
「亮ちゃんがお給金を貰ってないって聞いたの。一生懸命働いているのにね。だから……それで好きなものを買いなよ、ね?」
彼女の心遣いがとても嬉しかった。それでも女将に知れた時のことを思うと、亮は素直にそれを受け取ることができない。
なかなか包みをしまわない亮に、焦れたしのぶが、半ば強引にズボンのポケットへそれを捻じ込む。
「はい、この話はこれでお終い。……ね?」
彼女は優しげに笑み、襖を閉めた。
「しのぶ姐さん。ありがとうございます」
廊下に額を擦りつけるようにして頭を下げ、欲しいものができた時に使います、と弾む声で続けた。
いわゆる花街と呼ばれる一帯だ。
桜亮は、その中でも異彩を放っている一軒の娼館を見上げていた。
古めかしさをとうに過ぎているだろうその店先は、大きな地震でもくれば一たまりもないほどの荒れ様だった。
「あんた。ここに何か用でもあんの?」
亮の背後から、険のある女性の声が聞こえてきた。振り返ると、無造作に髪を後ろで結わえた中年の女性だった。
「今日からここで働くように言われて来たんですけど。ここって一体?」
亮は十八になったばかりで、いわゆる娼館というものが何をするところだかを知ってはいても、よもや自分が訪ねて来たところがそうであることに気づいていなかった。
女は鼻から息をふん、と出し、
「娼館だよ。そう言えばわかるだろ? で? その娼館にあんたは働きに来たんだ。ここで働くってことは何をするのか……。もちろん承知で来たんだよねえ?」
艶めかしく肩を揺らして話す彼女の襟元から、桜色をした肌が顔を覗かせた。
「はい。でも、ぼくは男だから力仕事とかでしょう?」
亮はそう言って答えを待ったが、彼女は何も言わなかった。
まるで品定めのように亮の全身を隈なく眺め、そしてだんまりを決め込むと店の中へと入って行く。
とにかくこの店でいいのだからと、亮は彼女の後を追った。
中は古びた外観とは違い、広々とした土間と、黒光りしている立派な大階段がとても印象的だった。
「あんたはこっちだよ」
店の奥から声をかけられ、言われるがまま上がると、奥座敷で寛ぐ様子から、彼女がこの店の女将だと気づく。
亮は伯父に持たされていた一通の書簡を女将に渡した。
封を乱暴に開けた彼女は、中から一枚の手紙を取り出して、それに目を通した。
「この店の名前は月季花。今日からあんたが働く場所だよ」
女将は、読み終わった手紙を封筒に戻しながら言った。
働く──ということで、女ではない自分の事が気に障ったのだろうかと、亮は肩を竦めた。それでも他に行く当てがない彼にとって、月季花に置いてもらうほかない。
よろしくお願いしますと、亮は深々と頭を下げた。
月季花での主な仕事はやはり大半が力仕事だった。
伯父から渡された手紙にどんなことが書かれていたのかを知らない亮は、下男などよりも扱いが酷かった。
それでも、雨風が凌げて一日の食事に困らない今の状況には満足していた。親を亡くした後、親戚の家をたらい回しにされていた頃に比べれば、ずいぶんとましな生活だと言える。
「亮ちゃん。ちょっとこっちにおいでよ」
廊下を雑巾がけしていると、襖から顔を出した一人の芸妓が手招きする。亮をなにかにつけて可愛がってくれる、しのぶという娼妓だ。
亮は辺りを少しだけ窺うと、足音を忍ばせ襖へと駆け寄った。
戸がからりと開き、白い腕がにゅうと出てくる。
彼女の手には、巾着型の和紙の包みが握られていて、それを亮に差し出した。
「ゆうべのお客がね、ずいぶんと弾んでくれたの。だから亮ちゃんにも……はい、お裾分け」
巾着の中味はどうやらお金のようだ。
亮は慌てた。
女将に知れたら大事になる。お金を貰った亮も、渡したしのぶも酷い目に合う。
「姐さん、これは戴けません。あなたが持っていてください」
「いいよ。亮ちゃんにあげる。──女将さんには内緒にしていればいいのよ」
亮は、でもと言って包みに視線を落とした。
「亮ちゃんがお給金を貰ってないって聞いたの。一生懸命働いているのにね。だから……それで好きなものを買いなよ、ね?」
彼女の心遣いがとても嬉しかった。それでも女将に知れた時のことを思うと、亮は素直にそれを受け取ることができない。
なかなか包みをしまわない亮に、焦れたしのぶが、半ば強引にズボンのポケットへそれを捻じ込む。
「はい、この話はこれでお終い。……ね?」
彼女は優しげに笑み、襖を閉めた。
「しのぶ姐さん。ありがとうございます」
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