恋風

高千穂ゆずる

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風の色

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 人の気配で目を覚ました。顔だけを動かすと、往診用の鞄から治療道具を取り出している雪也の姿が目に飛び込んできた。
 庭に面した障子からは、うっすらとだけ朝陽が洩れていて、早朝と呼ぶべき時間帯であることに気づく。
 こんな朝早くに一体誰が雪也を呼びつけたのだろうか。そのタイミングの良さが、亮の胸に一抹の不安をよぎらせる。
 酷い倦怠感のせいで起き上がるのも辛い亮は、床に就いたまま声を掛けた。雪也がそっと手を伸ばしてきて、頭をくしゃりと撫でる。
「今、診てあげるからそのままでいるといい」
 喬一とは違う、しなやかで長い指が亮の前髪を後ろへと梳いていく。青白い額が現れたが、雪也の指の間から落ちてきた前髪が、すぐにそれを覆い隠した。
 そんな他愛のない小さな仕草に絆されそうになる。昨夜の後だから余計そう感じるのかもしれない。
 掛け布団を剥ぎ、亮の浴衣を医者の手が取り外す。露になった白い肌の上には、生々しい傷跡がそこら中に付けられていた。雪也の表情が曇るのを見て、今日の見立てもまた、全治十日などと言われるのではないだろうかと心配で仕様がない。この程度でそんな顔をされては、下半身を診たら雪也は何と言うだろうか。亮は浴衣の前をきっちりと閉じた。
「隠したら診られないだろう? ちゃんと出しなさい」
 雪也がはぴしゃり言い放ち、浴衣からその手を退かせた。亮は心許無い顔で見上げると、消え入りそうな声で言う。
「今日は診てもらわなくていいです」
「どうしてだ?」
「あの……。たいしたことはないから……です」
 治ったばかりの傷口が、再度開いて裂けていることを診られれば確実にわかってしまう。
 目を合わせたままだと心を見透かされそうで、亮はふいっと下を向いた。わかりさえしなければ、喬一と一緒に出かけられるのだから診察は受けたくない。
「あんな酷いことをされて」
雪也が呟いた。
 あんな……?
 雪也は確かにあんなに酷いこと──と呟いた。まるですべてを視ていたかのような口振りだ。亮は動揺が隠せないまま、ゆるゆると面を上げた。
「こんなに酷いことをされて」
 そう言って、少年の胸元からちらりと覗く内出血の痕を医者は指差した。
 聞き間違えたのだろうか……? そもそも彼の興味の対象は弟だけだから、喬一と行われたわけでもない情事を覗き見るはずがない。亮は自分の馬鹿な考えを一蹴した。
「とりあえず診せてもらわないと。いいね?」
 まるで幼い子供を諭す口調に、亮も従わざるを得ないと観念して浴衣の帯を解いた。
「……うん。上半身は内出血が多少見られるが、裂傷等はなし。一部、色素沈着を起こしてはいるけど、まあ問題はないね。あとは……」
 そう言って雪也の手が次の診察へと移ろうと、内股に触れた。亮はまだ痛む身体を起こし、お願いがありますと訴えた。
「今日は喬一さんが迎えに来てくれる日なんです。もうずっと会っていなくて……。今週も会えないなんてことになったら、また一週間待たないといけなくなります。会いたいんです! だからどうか……傷が酷くても内緒にしていてください。お願いします」
 静かに視線を落としていく雪也に取り縋り、懇願する。泣いて腫れ上がっている瞼を固く閉じ、
「向こうに行ったら必ず、必ず雪也さんを悦ばせますから」
 傷が酷くても喬一と会わせてくれるのならば、喜んで身を捧げるつもりだ。喬一との睦言を、田畑如きが付けた傷などで取りやめにはしたくない。必ず悦ばせるから、だから見逃して欲しいと亮は哀願した。
 雪也はしばらく考え込んだ様子を見せた後、わかったと頷いた。
「ただし。ここの女将を納得させるにはそれなりの覚悟がいる」
 亮は、はいと言って大きく頷く。
「喬一が迎えに来ても、けして支えてもらったりしたら駄目だ。自力で喬一の所まで歩いて行くんだよ。女将は金だけ喬一から毟り取ろうという算段だから、少しでもふらついたりしたら目敏く指摘するからね。背筋を伸ばして笑顔で行くんだ。苦痛に顔を歪ませてもいけない。耐えるんだよ。わかったかい?」
 今度は小さく、こくんと頷いた。
「喬一さんにも気づかれてはいけないんですね?」
「ああ。あいつのことだから、すぐに手を貸すだろう。だけどそんなことをしたら女将に目敏く見つけられて、すぐに連れ戻されてしまう。そうはなりたくないだろう?」
「はい」
 亮は何度も頷いて見せた。
「それじゃあ雪也さん。ぼくは喬一さんに会えるんですね」
 顔を綻ばせ、嬉しそうに微笑む。雪也もそれに笑顔で答え、それなら着替えを手伝ってあげようと言った。
「体力は少しでも温存しておくに越したことはないからね」
 ありがとうございますと、亮はいつものように頭を下げた。
 本当に雪也には良くしてもらっていると思った。着替えの最中も、ふらつく亮は何度も白衣の中に倒れ込み、その度に雪也は支えててくれた。
 力の入らない指で釦を留める仕草を雪也が眺めていると、その視線に気づいた亮が面を上げた。いつもはここで顔を強張らせる亮が、今日は違った。ふっと表情を緩ませたのだ。
 頼りなげなその笑顔を見た雪也の心臓が、大きく跳ね上がる。力強く脈打つ鼓動は、抗えない暴力的な叫びだった。傷つくたびに、それを癒す自分へと身を投げ出す。泣けば泣くほどに、痛めつければ痛めつけられほど更に身を預けてくる少年。
 傷が大きくなるほど、この笑顔は自分だけに向けられるのだろうか……? もっと傷つけたら、彼は自分に取り縋ってくれるのだろうか……?
 色が戻った亮の唇を眺め、血が滲めばもっと綺麗だろうにと思いながら、その唇に雪也の指が触れる。亮は不思議そうに、自分を見つめる雪也を見上げた。そして、また緩んだ微笑を雪也に向ける。
「何か付いてますか? ぼくの口」
 雪也は安堵しきっている少年の声で我に返った。それでも抗えないサディズムの渦が自らの心を取り巻き始めていて、伸ばした指を下ろすのさえ苦痛で顔を歪ませた。
 自分の顔を覗き込む亮をみつめ、この顔が陵辱に泣き叫び、助けを請う姿を想像した。雪也にとって、この少年の色香とはその類いのものに思えた。
 亮にとって苦痛以外の何物でもない陵辱という行為そのものが、自らの渇望を潤す唯一のものであることを、雪也自身が──たった今気づいた。亮に惹かれたのはそういうわけかと得心する。亮の色香がその類いであるのなら、この胸の渇望を潤すためにももっと──もっと──泣き叫べと思った。
 小さなその呟きに亮が気づき、訊ねると、雪也は楽しそうに目を細めた。
「早く俺を悦ばせてくれと言ったんだよ」
 笑いながら答え、それを聞いた亮は頬を朱に染め上げ、喬一さんが……と恥ずかしそうに消え入りそうな声で呟き、俯いた。
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