夏の終わりに

佐城竜信

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彰久が鏑木空手道場に来なくなる一日前。千葉酒店ではこんなやりとりがあった。
千葉酒店の店主である彰吾が山のように積まれたビールケースをせっせと店の中に運び込んでいる。その姿を見ながら、正義は声をかけた。
「やあ、彰吾。精が出るな」
「……なんだ、お前かよ」
彰吾は面倒くさそうに正義を見る。
「お前なんかに構ってる暇はないんだよ。さっさと帰れ」
彰吾はぶっきらぼうに言った。だが、正義は気にした様子もなく言う。
「まあそう言うなって。俺も手伝ってやるから。ビールケースって、結構重いだろうし」
正義がそう言うと、彰吾は。
「いらねえよ。このくらい俺一人で運べるっての!……まあ、彰久と違っていっぺんに運ぶことなんてできないけどな」
そう言って彰吾は自嘲気味に笑った。
「彰久君か……。なあ、彰吾。俺が彰久君を格闘大会に参加させたこと、まだ怒ってるのか?」
「……別に怒っちゃいねえよ。ただまあ、お前の騙し討みたいなやり方自体は気に食わねえけどな」
「そうか。それは悪かったな」
そう言うわりに正義は悪びれもせずに答える。それを見て、彰吾は呆れたようにため息をついた。
「……でもまあ、感謝はしてるぜ」
「何がだ?」
「……そんなこと言わせるつもりかよ?」
「ああ。お前の口から聞きたいんだよ。俺の勝手な推測じゃなくって、お前の本心からの言葉をな」
正義の真っ直ぐな視線を受け、彰吾は目を逸らす。
「だから……その、彰久がプロの格闘家になるって夢を叶えてくれたことだよ」
「ほう?お前は反対し続けると思ってたけど、ちゃんと彰久君の夢を応援してたのか」
「そりゃまあ、俺が反対し続けたところで彰久の気持ちが変わらないことくらいわかってたし。それに、あいつは一度決めたことは絶対に曲げないやつだからな。……それに、あいつの人生はあいつ自身のもんだ。いくら親だからって、俺が勝手に決めていいもんでもねえだろ」
彰吾の言葉を聞いた正義は、うんうんと頷いた後言った。
「いやあ、お前はいい親だな。ちゃんと子供のことを一番に考えているんだから」
「そんなんじゃねえよ。ただ、俺は……」
彰吾はそこまで言うと、口ごもる。だが、正義がじっとこちらを見つめていることに気づき、慌てて言葉を続けた。
「とにかく!俺はいい親なんかじゃないんだよ!あ~くそ!」
そう言うと、彰吾はビールケースを乱暴に持ち上げ。
ぐきり、という嫌な音が聞こえた。
「ぐ……」
彰吾は腰を押さえ、その場にうずくまる。それを見て正義は慌てて駆け寄った。
「大丈夫か?彰吾」
「……ああ、なんとかな」
苦しそうな声で彰吾は言う。それを見た正義は顔を青くした。
「すぐ病院に行こう!なんなら、俺が運転するから」
「いいんだよ。これくらいなら。しばらくしたら痛みも引くだろうし」
「そうは言っても……」
彰吾の顔色は悪くなる一方だ。どう考えても普通じゃない。
「彰吾!やっぱり病院に行こう!ほら、肩を貸すから!」
そう言って正義が肩をかそうと触れた瞬間に。
「ぎゃああああああああ!」
断末魔のような叫び声が、鏑木酒店の中に響き渡った。
「彰吾!しっかりしろ!死ぬな!」「……もう死んでる」
「そういう冗談はいいから!」
正義は必死に彰吾を介抱する。しばらくしてから、ようやく落ち着いてきたようだ。
「ぎっくり腰か……。普段から運動をしていないからこういうことになるんだよ」
正義は呆れたように言った。だが、彰吾は反論する気力もないようだ。
「……うるせえよ」
「とにかく、病院に行こう」
「そうしたいのはやまやまだけどよお……今日に限って店を閉めるわけにはいかないしなあ……」
夏のかきいれ時である。今日ばかりは店を閉めるわけにはいかないのだ。
「いや、無理に店をやることはないでしょ!お店は私に任せて、病院に行ってきなさい!」
店の奥から彰吾の妻の君江が姿を見せる。その顔は怒りに満ちていた。
「いや、でも……配達の仕事が……」
「それは彰久にやらせるから!正義さん、彰吾を連れて行ってちょうだい!」
「「……はい」」
あまりの剣幕に二人は思わず従ってしまうのだった。


「えっ!?父さんがぎっくり腰!?」
真理に自分の気持ちを伝え終えてスッキリした顔で帰ってきた彰久は、驚いたような声を上げた。
「うん、そうなのよ。だから今正義さんに病院に連れて行ってもらってるの」
君江は平然とした様子で言う。
「母さんは心配じゃないのかよ?」
君江の様子に、彰久は不安そうな表情で言った。すると君江は笑顔を浮かべて言う。
「だって正義さんが一緒ですもの」
「……ああ、そうかよ」
彰久は思わずため息をついた。この人は本当に……昔から変わらないな、と心の中で思う。
空手の練習中に彰久が骨折をした時も、みんなが騒然とする中君江だけは平然としていた。心配しているそぶりすら見せなかったのだ。
だが、それは別に君江が薄情だからというわけではなかった。彰久が子供の頃から活発すぎてよく怪我をしてくるような子供だったし、骨折や大怪我を負ったことも少なくなかった。
そんな彰久を見ているうちに「死ななかったら大丈夫!」と思うようになってきたらしい。
「そういうわけで、お父さんが完治するまで配達よろしくね!」
「わかってるよ、そのくらい」
もう格闘大会も空手のインターハイも終わってるのだ。たまには家業の手伝いくらいするべきだろう。そう考えて素直に頷いた彰久に、君江は苦笑を浮かべる。
「……なに?」
「いや、なんていうか……。彰久も大きくなったんだなあって」
「なんだよそれ……」
君江の言葉に、彰久はまた呆れた声を上げるのだった。
「だってねえ。あんなにやんちゃだった彰久が、まさかここまで大人になるなんて。あのまま大人になったらどうしようって心配だったんだよ?」
「母さん……」
君江の言い草に、さすがの彰久も呆れている。だが、それでも悪い気はしていないようだった。
「それにこんなに格好良くなっちゃって!千里ちゃんも幸せ者ね!」
「なんでそこで千里が出てくるんだよ!?」
ニヤニヤした顔をして言う君江に、彰久は顔を真っ赤にしてツッコむ。
「でも、うちの店を継いでくれないことだけが残念ね。お父さんの代でうちの店も終わりかぁ」
「そ……それは……」
君江の言葉に、彰久は言葉を詰まらせた。
「ま、でもいいわよ。別にね」
君江はあっさりとした様子で言う。その態度の変わりように、彰久は思わずぽかんとしてしまった。
「……いいのか?」
「そりゃ~よくないけどね。でもお父さんも彰久の夢を応援するって決めたみたいだし、私としては応援するしかないもん」
「母さん……」
君江の言い方に、彰久は思わず感心した。そして、自分の母親の器の大きさを感じる。父も母も、なんて懐が広いのだろうか……と感動していると。
「それに、いざとなったら千里ちゃんに継いでもらえばいいだけだし!」
「はっ?」
君江の思わぬ言葉に、彰久は素っ頓狂な声を上げた。
「だってそうでしょ?千里ちゃんだってうちの家族みたいなものなんだし、彰久が空手の道場を継ぐなら、千里ちゃんに継いでもらえばいいじゃない!」
「いや、あの……母さん?」
君江のあまりに強引な発想に呆然とする彰久だったが。
「なに?やっぱりお父さんの跡を継ぎたいの?」
君江は不思議そうに首を傾げるのだった。
(いや、そういう問題じゃなくて)
心のなかでそうツッコむが、君江は彰久の内心になどまったく気づいていないようだった。
「でも……そうね。千里ちゃんをうちの子にするなら、やっぱりお店を継いでくれるならいいかなあ」
「……はあ!?」
またも突拍子もない言葉を聞いて、彰久は思わず声を上げる。
(まさか母さん……。本気で言ってるのか?)
「だって、そうすれば彰久も空手家としてやっていけるし、ついでにお店の看板娘もゲットできるじゃない?」
君江のあまりにストレートな言葉に、彰久は思わず絶句した。
(母さんはどこまで本気なんだ!?)
驚きのあまり声も出せずにいると、君江はニコニコしながら言う。
「まあでも、まだ先の話だけどね!まずはお父さんのぎっくり腰が治らないと始まらないし!」
君江はそんな無責任なことを言うのだった。だがその笑顔を見ていると、彰久は何も言うことができないのだった……。
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