恋と呼べるまで

ななし

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回想Side天音

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 酷いことをした、自覚はある。
 
 初めて会った時から、彼はとにかく一生懸命な人だった。名前も知らない女の忘れ物を、届けに全力疾走してきてくれた。その姿に、すさんでいた心が少し、癒された。
 
 私は知らなかったけれど、彼も同じカフェを利用することが多いらしく、それからも何度か彼とは顔を合わし、言葉を交わすようになった。
 
 彼は仕事柄パソコンに詳しいらしく、起動の遅い古いOSを使っていた私は、どうしたらさくさく進むのかシステムのことなど、時折彼に質問をした。
 
 彼が自分に好意をもってくれていることは、知っていた。
 その上ずった声、少し体を寄せただけで震えるその手は、わかりやすいほど明確に好意を伝えてくれたから。それに気が付かないふりをしながら、彼の隣に居続けたのは、多分そんな分かりやすい好意が、満たされない空虚を満たしてくれる気がして、心地よかったのだと思う。
 
 「あ、あの、も、もしよかったらなんですけど…」

 少し口ごもりながら、言葉を紡ごうとする彼を辛抱強く待った。
 これが手慣れている男性だったら、私は茶化して終わりにしてしまっていただろう。けれど、その不器用な言葉に、仕草に、期待したのだと思う。この人のことなら、好きになれるかもしれないと。
 
 「この後、一緒に食事でもどうですか?」

 食事?お付き合いの申し込みだと思っていた私は拍子抜けしてしまったけれど、彼があまりに必死だったから、笑いながら承諾した。
 その日をきっかけに、たびたび二人で食事を交わし、休日出かけるようになった。

                          ***

 彼の人柄のせいだろうか。彼と共に過ごす時間は、とても安心できた。今までの彼氏とだったら絶対行かないような地味なチョイスに、思わずつっこみを入れそうになったこともしばしば。けれど、心の中で文句を言いつつ、彼の優しさに触れる度、ささくれだっていた心が少しずつ癒えていくようだった。
 
 その日は植物園での探索デートだった。けれど、彼は朝からずっと張り詰めた空気を出していて、話しかけてもどこか上の空だった。だから、多分、彼が今日思いを告げてくるつもりなのだとすぐに察することができた。
 ゆっくりと歩を進めながら、心臓の音がドキドキしていることに気が付く。彼の緊張がうつったのか、私もまた少し緊張していた。

 私は悩んでいた。

 まだ捨てきれていないこの想いを抱えたまま、彼と付き合ってもいいものか。あの人を想う日々に疲れて、彼の存在に逃げていた自覚はある。そんな中途半端な気持ちで、この一生懸命な人の想いを踏みにじってものいいのかと。
彼を傷つけてしまえば、恐らく自分の身にも一生ものの傷が残る。心が警鐘を鳴らした。
 けれど、考えているうちにその時は来てしまった。
 
 「あ、天音さん……」
「……なんでしょう?」

声が固くなった。
 彼が口を開く瞬間を待って、のどがこくりと鳴った。胸が苦しい。
 どれほどの時間が経ったのだろう、彼は私を真っ直ぐに見つめて告げた。

「す、好きです。……僕と、お付き合いしていただけませんか?」

その真剣な眼差しに、心が揺れた。

 考えていた返答はすべて吹っ飛んだ。
 息を吸うのもためらわれるような緊張の中で、私は答えを探す。

「あ……私…」

どうしよう、どうしよう――ぐるぐると答えのない思いが頭をめぐる。今更、だったけれど、多分、今思えば、これが私の良心だったのだろう。

「あ、あの、迷惑だったら、その、忘れてくださって構いません。ただ、僕の想いだけ伝えられたら、それで。」

私のはっきりしない態度に、彼はごまかすように、笑った。その少し、傷ついた表情にたまらなくなった。

「違います。――私でよかったら、お付き合いしてください。」

じわじわと夏の音がした。
彼がなんて答えたのかは思い出せない。ただ、輝くように、きらめいた彼の笑顔に、罪悪感が胸をかすめた。
 あの時、私は最も大きな過ちを犯したのだ。

                        ***

 過去の追憶を追い払う様に私は、首を振る。

 『天音さん……』

囁くように、苦しげに、私の名を呼ぶ声が、また思い出されて、唇を噛んだ。
 
 自分で壊したものだ。今更、後悔してももう遅い。
 そう、思うのに。
 
 見たかったはずの映画の内容が全然頭に入ってこない。買い物しようと、店をうろうろしてみたけれど、どれほど見て回っても心に刺さらない。
 そのまま帰ればよいのだろうが、なんだかそんな気分にもなれず、私は途方もなく、池袋の街をぐるぐるとまわっていた。
 
 「――あ」

見慣れた立看板を見かけて、私は思わず声を上げた。いつの間にこんなところまで来てしまったのだろう。駅の裏通りにある、この小さなカフェは大貴君と付き合う前、よく利用していた場所だった。珈琲の味は悪くもなく、よくもなく。ただ、電源があって、なおかつ人が少なく、落ち着ける場所として、当時は重宝していた。
 
 大貴君と分かれてから、一度も行かなかったその場所に何故足が向いてしまったのか。
 
 呆然と立ち尽くし、悩んだのは一瞬。

 カランと、音を立てて、私は吸い寄せられるように店の中に入った。
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