名前のない英雄たち

ななし

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№21伊庭陵介

Episode2 save:英雄が守るべきもの

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 №34と連絡がつかない―――。

そんな知らせを受けたのはグラビアのポスターを撮影し終えた時だった。

任務に参加する予定だった、№の一人が時間になってもこない。そのせいで領域にアクセスするのが難航している、という内容だった。

他の№のことなど正直、興味もなかったし、陵介にとってそれは大した問題ではなかった。ただ、真里菜にとってはそうでないようで、おろおろするのを見かねて、代わりに俺がでる、と言った。

「―――いいの?」

真里菜が心配そうな顔をした。

広告塔になるのを引き換えとして、陵介は極力任務の方には出なくていい許可を取っている。それがシヴァとの契約だった。

 だが、好いている女がそれで頭を悩ませてるのを見ないふりできるわけもない。真里菜の頭をぽんとはたき、陵介は行くぞ、とだけ言った。

「№34とお前、面識あんのか。」

真里菜の不安が、任務を果たせないことだけでないことに気が付き、陵介は行きのタクシーの中で尋ねた。

「うん……初めて担当した子なんだ。」
「へぇ…」

陵介は真里菜の悲痛な表情を見ていたくなくて、視線をそらした。こいつの悪い癖だ。機関という異質の空間にいるくせに、感情を捨てきれない。

 機関という組織の性質上、検体や工作員に対してはあくまで道具だという考えが根付いている。対外的には英雄だ、なんだと騒がせて、金を巻き上げてはいるが、その実、陵介たちは領域にアクセスするための使い捨ての駒に過ぎない。
 
 それにも拘らず、真里菜は陵介にも、他の検体に対しても情をもって接する。それは、優しくもあり、残酷でもある。だって、いざというときには、彼女は理を持って、情をかけてきた相手を処分しなくてはならなくなるのだから。

「真里菜、お前……あんま深追いすんなよ。」
「……わかってる。」

以前、泣き崩れる真里菜を見たことがある。あんな姿、二度と見たくはなかった。

「わかってねぇから言ってんだ。堕ちてる可能性もあんだぞ?その場合、お前が処分する可能性だってあんだろうが。」
「…………」

真里菜の顔が歪む。

「お前、いい加減、分かれよ。俺たちは普通じゃないんだ。領域にアクセスできる代わりに、簡単に自我が崩壊する可能性がある。そしたら…」
「陵介!」

少し、声を荒げたあと、真里菜がごめん、と小さく謝った。

「………ちゃんと、分かってるから。もう、お願い。」

難しい顔をして黙り込む真里菜に、舌打ちをして陵介は目を閉じた。


                          ***


 「まさか、君がくるとは思わなかったよ。」

くれぐれも堕ちないようにね、とシヴァが笑った。先ほどの真里菜との会話を思い出し、しゃれになんねぇよ、と顔がゆがむのがわかった。陵介は、真里菜に聞こえないよう声を落としてシヴァの袖を引いた。

「№34は堕ちたのか?」
「いや?わからない。ただ連絡がつかないだけだからね。だが、このままいくと――」

機関の管理下から離れたとみなされ、連れ戻されたとしても監視がつくようになる。そうしたら、今まで通りの生活なんてできなくなる。

―――予想通りだ。はぁっと陵介は大きく息をつく。

「…時間をくれてやってくれねぇか。」
「ん?」
「俺がそいつの代わりに領域にアクセスしてやるんだ。その分、そいつに時間をやれ。この件が解決するまででいい。――堕ちてねぇなら、それぐらいいいだろ。」
「へぇ?真里菜に感化されたかな。随分とお優しいことで。」

業務中のこいつは本当に鬼畜だ。陵介は眉を上げると、シヴァをこずいた。

「誰だって、こんな状況にいれば逃げ出したくもなるってんだ。お前だって、そうだろ?」
「――どうかな。もう、忘れてしまったよ。」

シヴァは少しだけ、寂しそうに目元を緩ませた。

「まぁ、いい。ほかならぬ君の頼みだ。引き受けよう。」

やや大げさにシヴァは首を振ると、その代わりおごってくれよ、なんて軽口を飛ばす。
任務中、道理を通さなければならない彼女が自分からは言えないこと。でも、№34に対して何も感じていないわけじゃない。

 長い付き合いだ。いい加減、こいつの煙に巻くような言葉が嘘か本当かはなんとなくわかる。陵介より真里菜に近い。機関の検体に選ばれ、表情さえ奪われたというのに、人の情を捨てられない女。
だから、放っておけないのかもしれない。自分がいなくなった後の、真里菜を連想させるから。

「約束だからな。」
「ああ」
「それで、病名は何なんだ?俺の担当の任務じゃなかったから、状況が分からん。」
「真里菜」

シヴァは真里菜を振り返ると、うなずいた。真里菜は手帳を出すと概要を話し始める。

「はい。――病名はsleepladySyndrome(眠り姫症候群)。一度眠りについた若者たちが目を覚まさず、ベッドで寝た切りになる症状です。先日アクセスし、システムを破壊しましたが、その余波が残っていたのか、わずかではありますが眠りから覚めない者がおり、№34が再アクセスしました。しかし、予想以上に症候群の方が力を蓄えていたということでその時はアクセスしたものの、破壊に失敗。今日に至ります。」
「――結構、でかい案件だな。」
「ええ」

真里菜が沈鬱な顔でうなずいた。

 ――ったく、相変わらず、そうやってすぐ顔に出すんだからな。

陵介は真里菜の額にでこぴんをした。

「あほか、お前がそんな顔してどうするんだっつーの。」

結構強めにやったので、相当痛かったのか、涙目で真里菜が顔を上げた。

「お前の担当アイドルは、こんなんじゃビクともしないわけ。いちいちそんな顔されたら、イラつくわー。」

嘘つきの自分。結局最後はこいつの前だと恰好つけたくなる。

 本当は結構、ぶるってるっていうのに。こいつがそんな顔するから、いつだって陵介は顔を上げていなくちゃいけなくなる。

 「行こうぜ」

見透かしているシヴァがにやにやしているのが癪で、陵介は一人で機関本部の階段を上り始めた。


                         ***


 うわー、久しぶりだわ、この感覚。

 機関の冷たいベッドに横になり、頭に幾重にもつけられた機械の感覚に眉を寄せた。そうそう、検体と呼ばれていた頃、しょっちゅうこうやってアクセスされられていたんだっけ。当時の記憶を思い出し、胸が悪くなるのを抑えて、陵介は目を閉じた。

 固い機関の白いベッドが水の様に溶けだし、陵介の体もゆっくり下っていく。
 意識が、無意識の世界に落ちていく合図だ。

 さっきまで耳元で感じていた機械音も、頭に装着された冷たい金属の感覚も、今は何も感じない。幽体離脱というものが本当にあるのなら、この感覚が限りなく近いんじゃないかと思ったりする。

 身体を揺さぶられるような感覚に、陵介は目を開けた。

「うっわぁ……これは、きつい………」

藍色の世界に人の横幅ほどもありそうな蔦がそこかしらに、広がっていた。それは大樹の根の様に絡み合い、藍色の世界のより深くまで侵食していた。

「ぼさっとするな!」

強い声に我に返る。

「これだから、一般人は……」

ピンと伸びた背筋。真面目を絵に描いたように、引き結ばれた口元と、吊り上がった目。そして黒いその胸には警察官を表す桜大門の花吹雪。――こんな無意識領域にまでそれを持ち込んでくるあたり、警察官としての矜持とプライドがどれだけのものなのかわかる。

「すみませんねぇ、で、状況は?」

陵介の軽い口ぶりに気分を害したのか、男は眉をひそめたが、何も言わなかった。

「――よくない。こんなに増殖しているっていうのに、その原因が見つからない。」

無意識仮想領域にアクセスしても、その根源となる元凶を破壊しなければ、奇病は終わらない。前回、一度破壊しているのなら、大本の元凶は同じだと思うが、見つからないのだろうか。

「同じも何も、前回領域にアクセスしてる№34が来ないんだから、見つかるわけもない。」

揶揄するように男は言うと、ため息をついた。

「そろそろ、領域に入って1時間たつ。――もしかしたら、一度領域をでて再アクセスするしかないかもしれない。」
「それは……あんまりやりたくない、な。」

無意識仮想領域に一度入ると、元凶は警戒する。アクセスすればするほど、その力は増し、破壊するのが難しくなる。すでにこれだけ、力を蓄えているのだ。できれば、これ以上刺激はしたくない。

「そりゃ、皆同じ気持ちだ。だから、さっさと探すのを手伝ってくれ。」
「ああ……」

 陵介は手始めに、昏い森の奥につづく蔦を伝ってみることにした。
蔦の根を分け入りながら、次々と誰かの思考が浮かんでは消え、浮かんでは消え、陵介の目の前を飛んでいく。それに己の意識が混濁しないように気を付けつつ、元凶への手掛かりがないか耳をすます。


―――もう覚えていないあの日、私の人生は変わった。


 映し出されたのは、まだ幼い少女の姿。何か事件があったのだろうか。暗い倉庫の前に止まったパトカーと救急車。赤いサイレンが照らす中、意識なく倒れている少女を機関の黒服がワゴン車に運び入れていく。
 
 場面は変わって、少し成長した少女は、白いベッドに横になり、頭に幾重にも機械を装着されている。恐らく、領域に入り込む訓練だ。
 
 またしばらくすると、学校のような場所に場面が切り替わる。そこには無表情で他の学生の笑う姿を見つめる少女の姿があった。


 毎日、毎日、いつ呼び出されるかもわからない不安におびえ、学校でも行事を楽しめたこと、一度もない……。もう、疲れた。№を持つものとしてやらなきゃいけないことだって、分かってる。でも、どうして私なの。分かってる。私が拒んだら、お母さんが、お父さんが責められる。それは嫌。だけど、でも、ちょっともう、疲れちゃった。少し、眠りたい。なかったことにしてしまいたい。眠るように、消えて、しまいたい――。


「これ、№34の意識か……。」

前回のアクセスの時に置いて行ったやつか。厄介な。

 奇病に発症する人間には、共通項があり、その共通項に一致する人間は取り込まれやすい。簡単にいうと、共感できるか、できないか、それに尽きる。恐らく今回の眠り姫症候群は恐らく、陵介には馴染みの薄いものだ。だが、№34は適応してしまった。

 「道理でアクセスを拒むわけだ…」

この状態でアクセスしたら、それこそ取り込まれかねない。

 だが、№34の意識がここにあることで、眠り姫症候群に共通項のない陵介や他の№達にも影響がある。それは同じ№を持つものとしての共通の感情が、お互いによく知るものだからだ。へたをしたら、彼女の記憶をもとに取り込まれる可能性がある。

 さっさと決着をつけないとな……この無意識の核はなんだ。

 もう眠り続けてしまいたい、消えてしまいたい………

「死にたくはない、だけど消えたい。忘れたい……忘却、あるいは逃避」

ぼそっと呟くと、ざざっと蔦が動きだしたのが分かった。

「……へ、ラッキー。勘だったけど、当たったみたいだな。」

領域の空気が変わる。侵入者への警戒から、明らかなる敵に向けるそれと同じものに。

「おい、№21が元を見つけたぞ!」

男の合図に散っていた№が銘々集まり出す。

 それより早く蔦が核を守ろうと、先ほどまで広がっていた根が集合しだしていた。

 陵介は腰に付けた銃を引き抜き、その根にぶっぱなす。それに続けて、他の№も銘々の武器をその根に向かって突き立てる。


 いやだいやだいやだ、眠らせて、お願い―――


 「そんな願い、聞き入れらんねぇよ。こっちも仕事なんでな。」

悲鳴のように蔦が軋む。それにかまわず、陵介は銃を撃つ。


 あなたも、同じでしょう?№の使命から逃れたいと…思わないの?


蔦の姿がおそらく№34の姿と思しき、少女の姿を映し出す。

「にくい演出だなぁ、おい。」

確かに№を与えられた時から、陵介の人生は何もかも変わった。だが。

「逃避?冗談じゃない。俺は選んだんだ。」

自分で道を切り開くことを。死にたくなくて、ここまで走ってきた。№としての使命?そんなものはなから重要視しちゃいない。思うことはただ一つ。

一秒でも、長く。あいつの傍にいるために。


                        ***


 「本当に、申し訳ありませんでした。」

深く頭を下げる少女に、陵介はなんとも言えない気持ちになった。自分が英雄になった年よりもっと若くして、この国の使命を押し付けられた少女。

―――16歳か、機関はむごいことをする。

死が怖くない人間なんていない。まして、望んで選んだものでもない。それなのに、世界は№を与えられた英雄にすべてを押し付けて、当たり前の日常を享受している。

 彼女が謝らなくてはいけない世界の方が、よほど狂っている。

 同じ№を持つものだから、余計に腹立たしく、そして、哀しかった。

 恐らく彼女と同じ死の恐怖に逃げたいと思ったことなど、№を持つものなら誰しもあるだろう。だから、許せない、わけでもない。でも、彼女の任務の分を肩代わりするということは、その分、自身の命を削る意味に等しい。
彼女を責める言葉も口にできなかったが、同時に「大丈夫」や「気にするな」なんて優しい言葉を口にできるほど、自身の心にも余裕がない、というのが本音だ。

 それはどうやら、他の№も同じらしく、彼女に対して何も言わなかった。無言で、頭を下げる彼女の横を通り過ぎて行った。

 陵介も同じように通り過ぎようとして、ふと気まぐれに、聞きたくなった。
 
「なぁ、なんでお前、戻ってきた?」
「え……」

顔を上げると、存外幼いその少女の表情に、改めて彼女の年齢を思い知る。

「……一回、逃げたら戻れなくなんだろ、普通。少なくとも俺は自信ない。」
「わたし、は」

少女は少し黙り込むと、まっすぐな目で陵介を見た。

「逃げる私に友人が言ってくれたんです。お前は俺の誇りだと。だから必ず死なずに戻ってくるはずだと。信じているって。」
「……それは、また随分と無責任なやつだな。」

死ぬか生きるかなんて誰にもわかりはしない。だからこそ、不安になる。

「そうかもしれません。でも、私はこれまで、自分を信じられなかった。№を持つことに劣等感さえ持っていた。でも、彼のおかげで、少しだけ№を持つ自分が嫌いじゃなくなりました。生きて戻って、その期待にこたえたいって思えるようになりました。」
「………俺には、分からない感覚だな。」

英雄である自分なんてすべて捨ててしまいたいと、思う。特に真里菜が、伊庭陵介としての自分ではなく、№21としての自分に話しかけているときなんかは無性に腹が立つ。俺は、俺だ。たとえ、世界が英雄としての自分を欲していたとしても、だ。

 「RYOさんは……実物と違いますね。」
「………爽やかじゃなくて、がっかりしたか?」
「いえ」

曖昧に首を振った少女の姿に、その答えを察し、陵介は笑った。

「お前みたいに、守りたいってものがあるやつのが最期は生き残るのかもしんねぇな。」

さて、帰るか、と伸びをしたところで、少女が呼び止めた。

「戻ってこれますよ」
「え」
「RYOさんにも守りたいもの、あるように見えたから。」

くるくると表情の変わる子供だ。さっきまであんなに子供の顔をしていたくせに。妙に大人びた表情をする。
 
 ―――一秒でも長く、あいつのそばに。

 ふと、領域で浮かんだ言葉が胸をよぎった。ああ、そうか、俺は。

「ふーん、ま、考えてみるわ。」

気が付いた自分の想いには見ないふりをして、陵介は宿舎をでた。


                         ***


 「お疲れ様」

研究所を出ると、ほっとしたように真里菜が駆け寄ってくる。

「おう、おつかれぃ」

ふわふわと柔らかいその猫毛を掻きまわす。
ああ、この感覚。手の中に残る温度が、生きている実感を感じさせてくれる。

「陵介……?」

困ったように、眉をハの字に寄せる真里菜の頭をさらにかいぐる。

「なんでもねぇよ、たまにはぐりぐりさせろ。」
「え、ちょ……陵介!?」

温かい、この手のぬくもりが、陵介が陵介として、現実に生きている証。


―――ああ、そうだな、これが、俺の守りたいもの。
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